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第四章:赤い月夜と蝙蝠5

広間に入ると、一際目立つ色彩があった。

金の刺繍が入った赤いマント。

かつては珍重されたヒューロムの赤。

白い花で飾られた空間で何層にも塗りこめたように深い赤は、真白な布の上に滴った血のようでもあった。

それを厭うように周りの人々とも僅かばかり距離がある。

マントの主は小柄だが全身についた肉のせいで存在感を示す男性だった。

撫で付けた髪も口ひげも白くなってはいるが、眼光は鋭い。

「父様」キアの言葉を受けて振り返った男は相好を崩す。


「おおぅ。ジルフォード! 久しぶりじゃなぁ。息災であったか?」


キアが離れると、男は肉のついた腕を回しジルフォードを抱きしめた。

久しぶりと言われたが、ジルフォードはこの男に全く見覚えが無い。

懸命に記憶を探っては見たが、姿形、声の調子、どれも当てはまる人物がいない。

キアがそばに張り付いているため、彼が彼女の父、ひいては母の伯父にあたるということがかろうじて分かるぐらいだ。

親子でさえ似通ったところを探すのが難しい彼らから、母親や己と血の繋がりを探り出そうとするのは困難だ。


「リディア様。ようこそおいで下さいました」


すばやく間に入ったルーファはやわらかく微笑んだ。

やはり来たかとどれほど彼らの登場を苦々しく思っていても表情にも声にも曇りは無い。


「なに、ジルフォードに会うためじゃ。長い道中なぞ苦もないわぃ」


リディアの視線はルーファの顔を一撫でした後、ルーファの指元に落ちた。

鈍い銀色に光る指輪にはマルスの紋章が彫りこまれており、この持ち主はアリオスを統べるべき者だと告げている。

一瞬強くなった瞳の色はすぐに作り笑いの奥に隠れてしまった。

ジルフォードには彼に歓迎される理由など分からなかった。

責められてしかるべきだというのに。

ジルフォードの誕生はサンディアの立場を、しいてはサンディア一族の立場を悪くしたに違いない。

ジルフォードの存在だけのせいではないが、彼らはもともとかろうじて国の体裁を保っていたが、今では一領地を治める一族へと格下げされてしまったのだ。


「ジルフォード。リディア殿だ」


いつのまにか貴族たちは三人を遠巻きにして、今までの楽しげな笑いも引っ込めていた。

静まった広間に楽師団が奏でる明るい音楽が響いている。

愉快な祭の曲だが、場の雰囲気とは全くといって良いほど合っていない。


「お目にかかれて光栄です」


「何を他人行儀な! お前が生まれた時わしもおったのだぞ」


皆が聞こうと耳を澄ませていた。

ジルフォードが生まれたときの話は暗黙の了解で誰も話さないことになっている。

胸の奥底に沈めた記憶を呼び覚ますように、跳ね回る音とリディアの笑い声ばかりが広間に響く。


「積もる話もあるのでな。部屋に行こうじゃないか。ここではちと煩すぎる」


興味津々と耳を澄ます聴衆がいては、どんな話も自由には出来ない。

あてがわれた部屋にジルフォードを誘うリディアをルーファが制した。


「ああ、お待ち下さい。リディア殿。もう一人出会わなければならない方がいますよ。セイラ殿」


視線が一気に集中して居心地が悪いながら、セイラは彼らのほうへと進む。

なんとか転ばないうちにたどり着けてほっと一息。


「お初にお目にかかります。セイラです」


グランに教えられた通り上品に見えるようにと祈りながら微笑むも、返ってきたのは突き刺すような視線だった。

背の低いリディアはセイラと視線も近いためより眼光が鋭く感じられせっかく上げた口角も力なく下がる。


「セイラ殿はジニスの出身だとか」


「ええ」


何度も聞かれた質問に次の言葉が予想できて、自然と答える声が固くなる。


「ジニスの玉の質の良さと加工技術のすばらしさは聞き及んでおる」


「ありがとうございます!」


思っていなかった賛辞に掛け値なしに浮かんだ笑顔は長くは続かなかった。


「だがそのジニスの全権を持参金にしたとしても、あまりにも不当な扱いだとは思わないかね」


凍りついたような静けさだった。

もはや好奇心旺盛な聴衆はいない。

皆、雪像のように固まって関わらまいと努めていた。

同意でも求められたら身の破滅だ。

幸いなことに扉の近くにいたものはそっと広間から逃げ去り、彼らの話を少しでも多く聞こうと近くに居座ってしまった人々は己の浅はかさを呪い、あらぬ方向へと視線を向けた。


一方のセイラは何を言われたのか分かってはいなかった。

持参金? 

一体何のことだ。

不当な扱い?

一体誰が?


「……あの、おっしゃっている意味が」


言葉に被さるようにリディアは酒臭い息を吐いた。

氷のように冷たい瞳は言葉も理解できないのかと蔑んでいるようにも見える。


「そなたはジニスの出身だと聞いたが?」


「……そうです」


同じ質問に何の意味があるのか分からないまま再び肯定のために小さく頷いた。

たまりかねたルーファが間に入ろうとした時、高い声がそれを遮った。


「ダメですわよ。お父様。セイラ様ったら、ちっとも意味が分かっていないみたいだもの。あのね、セイラ様」


キアはねっとりと微笑んだ。


「ジルフォードにアナタみたいな小娘似合わないって言っているのよ。ジニスなんて、労働者の街よ。玉の加工がなければ、何の意味も無い街だわ。そんなところの小娘にいったい何の価値があるの? 聖母の娘でも正妃の娘でもないアナタに全権をくっつけたからって私たちは納得していないの。でも、まぁ使いようよね。せっかくだから私たちがうまく使ってあげる」


一息に言ったキアはセイラの耳元を目指して腕を伸ばした。

その指先が大切なピアスを目指していると知って伸びてきた腕から逃げるために一歩分身を引くと、キアは眉を吊り上げた。

冗談じゃない。

本当なら払いのけてしまいたかった。


「何を勘違いしているのか分かりませんが、ジニスは私の付属品ではありません。ジニスのことで私が口出せることなんてひとつもありません」


セイラは決然と言い放った。

これだけは譲れない。

ジニスの皆は誰よりも誇り高い。

同じ想いを共有しあった一族と言ってもいい。

エスタニアの王でさえ彼らの仕事に口は出せない。

彼らは駆け引きの道具じゃない。


「なぁに、それ。ますます、役立たずじゃない。アナタ、一体何が出来るの?」


じくじくと頬が痛む。

理由は分かっている。

自分が無力だと知っていながら、「そのままでいい」と言われたことに甘えたくなったからだ。

己の無力は大切な人まで貶める。

何度もグランに忠告されたというのに分かった気になっていただけだ。

 

ダメだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。


たくさんの絵の具をぶちまけたみたいに鮮やかな色が渦を巻いている。

それなのに視界に映る世界はどんどん色をなくしていく。

キアの嘲りを含んだ声もどんどんと遠くなる。

聞こえるのは耳の奥のほうで聞こえる脈打つ血潮の音だけ。

その音が大きくなるにつけ、のどの奥から何かがせりあがってくる。

それが怒りだったのか嫌悪だったのか、はたまた唯の吐き気だったのか考える間もなく体がぐいと引っ張られ、白い靴を履いた足が己のものではないように勝手に歩き始めた。

世界の端で聞こえた「失礼します」という言葉は今は懐かしい雪の冷たさを含んでいた。















石の床の感触はいつのまにか土へと変わっていた。

一時、体に吹き付けた風も今は木々に遮られて届かない。

庭の一角にある東屋は祭りとは無縁と思われるほど静かだった。

セイラの手を引いてここまで連れてきたジルフォードは振り返った。

セイラは俯いているため結い上げられた髪の毛しか見ることが出来ない。


「セイ」


腕を掴んで自分のほうへ向かせる。

ほんの少し前と同じ体勢。

違うのはセイラの表情だ。

いつもは光を含んだ瞳は暗く、周りの景色を写す鏡としてしか機能していない。

映りこむ空の色がどれほど明るくとも救いになどなるはずもない。


「セイ、こっち見て」


瞳の表面にはジルフォードの姿が映りこんではいるが、セイラ自身がその姿を見ているかは分からなかった。

それほどまでにセイラの顔から表情というものが抜け落ちていた。

これほどまでに表情に無い人をはじめて見た。

今まで、ジルフォードに対峙した人の顔には無関心を装いながらも何かしかの感情が含まれていた。

怒り、嘲りに恐れ。

今ならばセイラの顔に浮かぶのが恐れでさえいいと思った。

どうか、こっちを見て。


「セイ」


胸の奥がじりじりと焦げ付くように痛い。

祈るように何度も名を呼んだ。


キアの言葉をすぐに否定することが出来なかった。

ジルフォードはアリオスとエスタニアがどんな契約を結んだのか知らない。

今まで知ろうともしなかった。

傷つけた。

セイラだけでなく、セイラが何より大切に想っている人たちさえも。


「セイ。ごめん」


小さな肩を抱くとぴくりと揺れる。


「セイ?」


「ジンもユリザねぇさまたちの方がよかった? ルリザねぇさまやイベラねぇさまみたいに」


美しくて教養も権力もある本当の王女様。

セイラにはエスタニアの聖母のことも王妃のこともよく分からないけれど、彼女たちには誰もが認める価値がある。

そして、どんな質問をされても難なく答えられて、相手の望むものを差し出すことも出来る。

セイラには無いものばかり。


「そんなことはない。私は」


「ジン。……お願いだから今は放っておいて」


開きかけた唇を制して背を向ける。

怒りと悲しさと悔しさと、なんだか分からないものが交じり合った気持ちでは何を言い出すか分からない。

自分から望んだはずなのに、ジルフォードの手が離れると、そこから全身が冷えていく気がした。




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