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第四章:紅い月夜と蝙蝠2

バルコニーからは庭に降りれるように階段がついている。

そこに座り込んでしまえば、広間からは完全に死角に入る。

庭に咲いているシルトを見ないかというダリアの提案で女性陣は、さざめきながら庭へと消えていった。

一番後ろをついて歩いていたセイラはここまで来ると、ぴたりと足を止め、わざとはぐれたのだ。

広間から漏れるぞわめきも風がかき消してくれる。

青く澄んだ空に向かってセイラは曇ったため息を吐いた。


「……はぁ。疲れた」


誰も聞いているものなどいないけれど自然と声は小さくなる。

目に映った真白な靴。

特別にあつらえてもらった靴は足に吸い付くような最高の履き心地。

傷一つ曇りひとつ見当たらない。

ジニスのセイラには過ぎた代物。


『どうしてアナタなの』

反論なんて出来るはずも無く、何か言おうとした時には、長いおしゃべりから開放されたダリアが輪の中に入ってきた。

するりと風のように入ってきて「お庭の花をみませんか」と花びらをさらう様にご婦人方を引き連れて行ってしまったのだ。


『どうしてアナタなの』


そんなのこっちが聞きたいくらいだ。

姉はいつか分かると言ったけれど、いつになれば分かるのだろう。

愚痴は音になることなく口の中で消えていく。

靴を見つめていると、地面に影がさした。

ご婦人方が帰ってきたのかと思い、はっと顔を上げるとそこには見知った顔があった。


「おや、セイラ殿。アロー」


ナジュールのなめした皮のように皇かな褐色の上のイレズミと、大きな笑みに一瞬張り詰めた空気が、ふしゅりと抜けていく。

彼も、あの空間が嫌になって出てきたのだろうか。

ちょっとした期待も、余裕のある態度を見れば広間で出されたお茶のようにあっという間に熱を失ってしまう。

子どもみたいに逃げ出したいなんて思ったのは自分だけに違いない。

ジルフォードだって、うまく会話をしていた。

内容までは分からないが普段より口数が多いのは見て取れた。

元々、読書量のおかげかさまざまな知識が豊富なのだ。

糸口さえ見つけて話をふれば会話は弾む。

相手が何を求めているのか知りながら、「いいえ」と「すみません」しか口にしていない自分が少々情けない。


「あろー」


力なく上がる両手を見て、ナジュールの片眉がついと上がる。


「元気が無いな。慣れない集まりに出て疲れが出たかい?」


「ん。そうかも」


冷え切って味も分からないようなお茶ではなくて、カナンの淹れたおいしいお茶が飲みたい。

ハナの焼いたお菓子でお腹を満たして、クッションの山に倒れこみたい。

それが出来るのは、まだ当分先のことだ。

下げた頭をぽんぽんと叩かれる。

視線を上げると気遣うような小さな笑みを向けられて気恥ずかしくなって、無理やり話題を探した。


「ナジュール殿が、それ巻いてるの初めてみるよ」


ルルドはいつも頭を隠すように布を巻いていたがナジュールがしているのは初めてだ。

深い黒の髪はすっぽりと覆われてしまっている。


「面倒だが、一応タハルの戦士の正装なのでね」


ナジュールが肩をすくめた拍子に腰に差したナイフが見えた。

小ぶりだが湾曲したそれは美しく存在を主張する。

装飾をそぎ落としたそれは、これから友好と称する場所に行くには実用的だった。


「そのナイフも」


「ん? まずいかな? ターバンと毛皮とナイフは一そろいなのだが」


一族の娘が染めた布は神聖とされる頭を守り、腰を覆う毛皮は強さを示し、初めて狩った獣の骨で作ったナイフは勇気の証。


「こいつの骨で作った」


ナジュールは腰の毛皮をぽんと叩く。

凶暴なルーガの骨は強靭でどれほど細く研いでも強度を失わない。

鞘から抜いてみると、薄氷のように薄い。

爪の先で弾けば壊れてしまいそうな繊細さなのに、幾度と無く共に戦場を駆けたが刃こぼれひとつ無い。


「骨で?」


「骨も皮も肉も全部使う。タハルには物資がないからね。生きるためにはどんなものでも利用しなくてはいけない。私たちは楽しみで獣を殺すわけではないよ。やむ終えなく奪ってしまったものだがら、全てを活かしてやるのが礼儀だと思わないかい?」


「うん。素敵な考えだ」


セイラにつられて微笑んだナジュールの顔には影があった。

彫りの深さがもたらす陰影でもターバンの作る影でもない。

重い何かがずっしりと圧し掛かっているようだ。

先ほどまでの笑みにはなかったものだ。


「ナジュール殿も元気が無いね。何かあった?」



「なぜ」


「ん?」


「なぜセイラ殿には分かってしまうのだろうな」


もう大丈夫だと思って部屋を出てきた。

今までの会話にもおかしなところは無かったはずなのに、いつもどおりを演じたつもりなのにあっさりと、どこかおかしいと感づかれてしまった。今だって、「そんなことはない」で済ますこともできたのに。


「それはナジュール殿が教えてくれるからだよ」


セイラはハナのように細やかな気配りが出来るわけではない。

相手が何がしかのサインを出していないと気づくことはできないのだ。


「私が?」


まさか人に弱みを見せるなんて。


「そう」


にこりと微笑まれれば、驚きは次第に苦笑へと変わる。

無意識に甘えてしまっているのかもしれない。

それなのに、別にいいかと思ってしまっている自分もいる。

認めてしまえば、すとんとわだかまっていた想いは落ち着いてく。

告げてしまおう。「また、いつか」があるかなんて分からないのだから。


「前にタハルに誘ったことがあるだろう?」


「うん」


「今もそれは変わりない」


「ん? 私もいきたいと思ってるよ」


砂ばかりの世界。

見たことの無い生き物たちが生きる場所。

そこで暮らす人々の生活。

どれもじかに見て触れてみたいものばかりだ。

行きたいと言った言葉に嘘はない。


「ではもう一度誘おう。セイラ殿。私の妻となって共にタハルに来て欲しい」


思わず行くよと言いそうになって何とか持ちこたえた。

今、なんだかおかしな単語が入ってはいなかったか。

……妻!

見上げた顔は冗談なんて言っている様には見えない。

吸い込まれそうなほど深い闇夜色の瞳には、しっかりとセイラを捕らえられており、そこに映るセイラは困惑をあらわにしていた。

ナジュールの瞳に映る己の姿が別人のような気がしながら、言葉を探ったが満足のいくようなものは思い浮かばない。


「なっナジュール殿? えっと……私は……ジンと結婚しているんだけど……な」


結婚式なんてつい数ヶ月前に挙げたばかりだ。

ナジュールたちはその時に、来ることが出来なかったからという理由で今回アリオスに来たはずではなかったか。



「知ってる」


あえぐように事実を伝えるときっぱりと肯定され言葉が出てこなくなった。

口に出したもののいまいち実感が伴っていないのを指摘されたかのようだ。


「私はセイラ殿がいい。エスタニアの王女でもジニスとの繋ぎ役でもない。セイラ殿だから妻に欲しい」


声が出ない。

広間でも出来事を全て見られてしまったかのようだ。


「嫌いなドレスも愛想笑いも強要したりしない。共に馬を駆ってヘインズの話がしたい。アリオスは第八王女など嫁がせてと不満たらたらなのだから別の王女を嫁がせればいい。それともタハルまで攫っていけばいいだろうか」


見たことの無い物騒な笑みがナジュールの顔面に広がった。

戸惑うセイラの頬に手が添えられたかと思うと右頬に暖かなものが触れた。

啄ばむように触れたものが何だったのか考える余裕など全くない。

それがナジュールの唇だと知ったのは、至近距離でニッと笑ったナジュールが「頬への口付けは求婚の印だ」とささやいたからだ。

頬が熱い。真っ赤だなんて想像するまでもない。


「なっんで!」


嫌われてはいなかったと思う。

ちょっと強気になって好意をもたれていたと考えることも出来る。

だけど、求婚されるほど何かをした覚えなんてなかった。


「さぁ」


「さぁって……」


なんだ。やっぱり冗談か。

ほっと息をつこうとした時、再びナジュールの顔が近づいた。

本能的に身を引こうとするけれど、すぐに階段に退路を阻まれる。

セイラの瞳には己の姿しか映っていないことを確かめると全てを呑み込む漆黒が蕩けた。


「たぶん、セイラ殿に初めて会ったときかな」


「は、じめて?」


何があった。頭の中はフル回転。

何日も前の記憶を巻き戻すが、特別何かをした覚えなど全くないのだ。


初めて会ったのは今日と同じ広間。

たくさんの人が固唾を飲んで見守る中、マント姿の5人が前に進み出る。

ざわめきが起こって……



「アロー」


「え?」


「私が挨拶をした時、セイラ殿はちゃんと返してくれただろう」


ああ、そうだ。

見よう見まねで挨拶を返した。

こくこくと何度も頷くセイラの目の前に、ナジュールの手の甲が晒される。

しなやかだけれど、ごつごつとした大きな手。

いたるところに着いた細かな傷から戦うことを知っている人だと教えてくれる。

手の甲の中央の文様は太陽の意味。

周りを取り囲むの紋章は、ナジュールの誇る全て。

一目で全てが分かると言った。


「アロー」


ーあなたの前に全てを曝け出しましょう


「たぶん。その時からだ」


呆然とするセイラをおいてナジュールはゆったりと歩き出した。




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