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第一章:見放された地より2

毎度思うのだが、城というのはどうしてこう広いのだろう。

すでに掃除の行き届いた廊下を走りながらセイラはふぅとため息をつく。

遊んでいる時にはいいのだが、緊急事態のときなどこの広さはわずらわしいだけだろうと思うのだが。

質実堅固を信条とするアリオスの城がエスタニアに比べて、随分と質素で小さい事を知らないセイラは、そんなことを思いながら、足を速める。

あと、三分後には階段の傍を通り抜けなければならない。

時間に正確なケイトが調練から戻ってきて、スカートの裾も気にせずに走る姿を見られたらきっとお小言が始まってしまうから。

予定通り階段を通り抜け、幾人かの侍女たちに驚かれながらも、どうにかグランの待つ部屋の前までたどり着いた。

指定された部屋は東の端にある。書庫とは真反対の場所だ。


「おはようございます!」


「5点の減点」


弾む息の勢いで元気に挨拶すると、固い声が振ってくる。

部屋の中央で陣取っている女性は、きらりと瞳を光らせた。

背筋はピンと伸び、侍女服には皺一つない。

年相応の皺が顔にあるものに、それさえも彼女の美しさだった。

けれど、凍えた湖のような色の瞳と引き結んだ薄い唇が彼女に厳しさを与えている。


「扉を開けるときは静かにと申し上げたはずです。ここは調練の場ではありません」


「「口の端を少し上げ、微笑みながら挨拶を」」


違わず言葉を重ねたセイラに更に冷たい色が突き刺さる。


「分かっているのならば、そうしてください」


分かっているのだが出来ないのだ。

どうして元気におはようございますではいけないのかさっぱり分からない。


「もうすぐお祭りがあるみたい……ですね」


「この間、申し上げたはずですが。まさか、聞いておられなかったのですか?このグランがアリオスの歴史と共にお教えしたはずです」


挨拶の話から逃げようと口にした話題は、明らかに選択ミスだった。

たらりと冷や汗が垂れてくる。


「え〜ああ、うん。そうだった……かなぁ」


確かにグランの授業で、アリオスの歴史について教えてもらったことがある。

最初こそ、面白がって聞いていたのだが、グランは古文書を読んでいるように小難しい話をするのだ。

そんな話を何時間もされれば、何時の間にか意識が飛んでいると言う寸法だ。


「今年の春乙女はセイラ様ですから、それまでにみっちりと仕込みます。覚悟なさってください」


「へっ?……ええ、ちょっと待ってよ。そんなの聞いてないよ!」


いくらなんでも、そんな重要なことを聞き逃す事なんてしないだろう。

それよりもみっちりって何だ。

今だって十分絞られているのに。

そんなセイラの心の声など聞こえないグランは、今日の教材を机の上に並べながら無情にも言った。


「今、申し上げました。言葉遣い10点減点」


いったい今、何点残っているのだろう。

いや、きっとグランのなかでセイラの評価は地を通り越し、深く深く穴を掘って落ちていって

いるだろう。


「エイナの舞はテラーナ様に教えを請うのがよいでしょう」


「ああ、そっか。去年はテラーナが舞った、ん、ですよね?」


「ええ、それは、もう美しく最高の舞でございました」


グランの瞳は急に孫を見る祖母の瞳のように優しくなった。

生まれたときか、ずっとテラーナ付きの彼女は、家族の誰よりも長い時間をテラーナと過ごしたに違いない。


「今日は、タハルの話をいたしましょう」


「祭りにはタハルの使者がくるんだっけ」


「ええ」


グランが取り出したのは、十分に凶器になりえるほど分厚い本だった。

全てが黒いその本は、不気味なものを閉じ込めた箱のようにも見える。


「どれほどタハルについてご存知ですか」


「う〜ん。ローラ山脈をはさんでアリオスともエスタニアとも隣国になるってことぐらいかな。砂漠があるって聞いた。見放された地って呼ばれてるらしいね」


砂だけしかない広い空間をセイラは思い浮かべることが出来ない。

植物さえ生えない土地とはどんなところだろうか。


「そうです。かつて、ローラ山脈の向こうは流刑地でした。」


「流刑地?」


「罪を犯し、見放された人間が最後にたどり着く場所でした。」


「……国があるんだよね?」


「ええ、もともとあの地に住んでいたのか、何処かから移り住んだのか、それとも遠い昔に罪人たちが興したのか分かりませんけれど」


グランが捲ったページも真黒だった。


「苛烈な環境の中、動物は強く、残虐に進化いたしました。それに打ち勝つことを覚えた人間もまた、限りなく残虐です。獣の皮をまとい、血を好む野蛮な民です。お心を許してはなりません」


まるで、仇のある相手の話をするようにグランの声は強かった。


「……今は仲が良いんじゃないの? 行き来が出来るんでしょう?」


「ここ数年は友好状態ですが、いつ攻められるか分かったものではありません」


飢えた土地からは、いつも肥沃な土地を寄越せと怨嗟の声が聞こえるのだという。

ローラ山脈さえなければ、もっと頻繁に攻め込まれていただろう。


「タハルの使者はどうやってアリオスまで来るのかな〜山脈越えてくるの?」


春といっても、高い山脈の上には雪が残っており、容易に越してくることは出来ないだろう。


「ノースの道を来るのでしょう。ローラ山脈に開けられた坑道ですが、けして通いやすいものではありませんけれど」


ノースの道を抜けるには、日の差さない洞窟のような道を三日三晩進まなければならないという。

一度迷えば、死者の国。そんな言葉もあるそうだ。


「よいですか。セイラ様。彼らには礼儀正しく接しなさい。どんなに、心地よい言葉を吐かれても必要以上に近づいてはいけません」


再三詰め寄られ、しぶしぶ頷いたものの、セイラには納得できなかった。

まだ会ってもいない相手を悪く思うことが出来ないのだ。


「その本には何が書いてあるの?」


グラン強いの思いは、黒い本から生まれるに違いない。

本を指差すと、グランは本と閉じ、表紙を撫でた。


「知らなければならないことの全てです」


言い切ったグランにはどこか自慢げだった。



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