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第四章:紅い月夜と蝙蝠

「……暇だな」


独り言にしては大きな声は、幸いなことにざわめきに紛れ、誰の耳にも届かなかった。

一部の隙もなく着込まれた漆黒の軍服に真紅の腕章。

片目を覆う眼帯。

いつも腰にある愛剣こそ今は無いが、ジョゼ・アイベリーの存在感は大きい。

同じく風格のある存在感をかもし出すラルド・キースが隣にいるため相乗効果となって人の目を引いた。

けれど、注目度とすれば話題の二人には遠く及ばない。

ジョゼがサボるのを見越して、王直々に出席することを命じられたが、貴族のお相手をすることもなさそうだ。

暇をもてあましたジョゼは、大型の獣がするようにくわりと大きな口をあけてあくびをした。


「その腑抜けた顔をなんとかしろ。」


だらけたジョゼとは対照的なラルドは軍服同様、自身さえも糊付けされたかのようにぴしりと立っている。

高い位置で一本に結んだ髪さえも乱れることなどなく、直線に背に垂れる。

もう少し暑くなれば、前髪ぱっつんのおかっぱ頭に変わるだろうと思いながらも、主催者側の意見としては最もなラルドの言をきれいさっぱり無視して広間へと視線を巡らせる。

一度でも返事をしようものならば小言が次から次へとびだしてくるのだから相手をしないのが一番だ。

全く、妹にしろケイトにしろどうしてこう小うるさいのが多いのか。


「貴方がしっかりしていれば言わなくてすむんです!」と口を揃えて言いそうだな。あいつら。

まったく面倒な連中だ。


ジョゼは自分のことは完全に棚に上げて、小さく息を吐いた。


「大丈夫だろう。ジルフォード殿下はうまくやっている」


ジョゼの視線を辿って、ため息の意味をジルフォードへの心配と取ったラルドは太鼓判を押した。

広間の中央にはジルフォードを中心として人だかりが出来ている。

まさか、あの中の会話さえ拾える地獄耳なのかと怖くなったが口にはしなかった。

あっさり「そうだが」なんて言われてしまいそうだ。

ジョゼには会話どころか、誰がいるのかさえ分からない状態だが、さほど気にはしていなかった。

ルーファが間にいるのだから万が一にも問題は起きないだろう。


「俺が心配なのは嬢ちゃんのほうさ」


「セイラ殿?」


ジョゼの指先をたどると女性陣に囲まれているセイラの姿が眼に入る。

こちらは慎ましやかに皆椅子に座っての談笑だが、ちょっとやそっとでは離さないという気迫が伝わってくる。

交遊会なる馬鹿げた集まりがあると聞いた時、二人を取り巻く空気が不穏なものに代わったら、すぐさま割って入ろうと構えていたのだが、いかにジョゼといえどもあの女性陣の輪に入っていくことは出来ない。

頼みの綱はダリアなのだが、先ほどから老婦人に捕まっている。

話が長いことで有名な老婦人に捕まれば、しばらく放してはくれまい。


「嬢ちゃんは温室育ちだからな。いらんことを吹き込まれて、気落ちしないといいが」


今日招待されたのは貴族の中でも位の高いものたちばかり。

言葉の端々にたくらみがあり、笑顔の向こうに毒がある。

貴族のいない鉱山の街で守られながら育ってきた少女にとって対峙したことがない相手だ。

今は耳打ちして情報を与えてくれる者も、問いの答えを教えてくれる者もいない。

剣の腕も無邪気な笑顔も通用しない。

いくらグランがみっちり教育したとしても、所詮は付け焼刃。

彼女の一番の教え子であるテラーナでさえ窮する相手ににわか仕込みの王女様が太刀打ちできるはずが無い。

あまりにも分の悪い初陣だ。


「……いつか通らねばなるまい」


ラルドの声も苦い。

キース家は大貴族にも数えられる名門一家。

あの華やかな笑みが心からのものではないことぐらい身に沁みて分かっている。


「そうだがな」


ジョゼの脳裏には、完璧な笑みを浮かべたユリザの顔がふいに浮かんだ。

なんだってあのお姫様は、貴族のあしらい方を可愛い妹に教えなかったのだろう。

口角の角度、視線一つで相手を怯ます方法を。


「あ〜……似合わないか」


「何の話だ?」


「いやいや、嬢ちゃんがご婦人方を手玉にとって、おほほなんて笑ってたら怖いなと思ってな」


怖いというよりも想像が出来ない。

二重三重に悪意から遠ざけられて育ったのだ。

今のままでいて欲しいとも思う。

けれど、今のままで良いとは言ってやることが出来ない。

彼女はアリオス王弟の妻なのだ。

いつまでも自由奔放な唯の小娘であってもらっては困る。

嫌っているはずの貴族の思考が己の中にも確かにあることを突きつけられ、全身に苦いものが広がった。















玉になった気分だ。

それも磨きこまれてピカピカに光っているキレイな玉じゃない。

長でさえ初めて見た原石。

正体を探ろうと、どのように加工しようかと興味津々の視線が四方から突き刺さる。

いっそのこと玉ならばよかったのに。

頬が痙攣しそうな愛想笑いも、背中を伝う冷や汗もきにしなくてもいいのだから。


「では、リントン殿はご存知?」


「……いえ」


彼女たちに囲まれてから幾度、同じような質問をされたことか。

エスタニアの誰々は知っているか。あの方はどうかと質問攻めにあっているうちにセイラは数十回のため息を押し殺した。

気楽な会だから肩肘を張らなくても良いと言ったのは誰だっただろう。

広間への出入りは自由で嫌になれば退散してもいいと聞いていたのに、貴族の奥様方にお話をしましょうよと椅子に導かれて、かれこれ2時間は同じようなやりとりを続けている。

ジルフォードとも引き離されたままだ。

視界の端にルーファと共に挨拶を受けているジルフォードの姿が入る。

今すぐにでも駆けていきたいけれど質問は途切れることが無い。

濃紺の衣装に垂れる真白な髪のコントラストに見入っていれば、ずいと化粧の濃い顔が近づいた。


「ヤード殿はどうかしら。デナートの領主様なのだけど」


「残念ながらお会いしたことはありません」


「……そう」


残念そうなため息。

グランとの付け焼刃の授業で、デナートがエスタニア随一の芸術の街であり、そこの領主が強い発言権を持っていることは知識として持って入るが、親しいかと言われればそんなことは全く無い。

相手はセイラの存在を知っているかさえ危うい状況だ。

何度も何度も質問されるうちに、やっとセイラにも彼女たちの思惑が分かってきた。

セイラ・リューデリスク=リーズ・エスタニアの力はどこまで及ぶのかを知りたいのだ。

どこの誰と繋がりがあるか。

誰に意見を言うことが出来るか。

夫の出世のためにどれだけ利用できるか。

期待のこもった眼差しが落胆に変わり、次第に苛立ちに変化していくのが肌で感じ取れる。

囲まれているのだから非常に居心地が悪い。

後ずさりして少しでも距離をとりたいけれど、後ろはすぐ壁だ。

ユリザとグランの小言を半日聞き続けてもいいから逃げ出したい。

おそらく一日中質問され続けても彼女たちの望む答えなどセイラの口から出るはずも無い。


「セイラ様の髪は綺麗な色よね。お母様に似たのかしら」


話しかけてきたのは、セイラを取り囲む女性陣の中で一番若い女性だ。

おそらく二十歳ぐらいだろう。

胸元のざっくり開いた大胆なドレスが良く似合っている。


「……そうでしょうね。母様も同じ色でした」


話題が変わったことにほっと詰めていた息を吐き出すと、彼女の口角がニィっと上がった。

グランが理想の笑みといった唇の形。

紅で彩ったふっくらとした唇が描き出す上品な笑みなのにぞくりとする冷たさがあった。


「やはりそうなのね。エスタニア王家の方は美しい漆黒の髪と象牙色の肌が特徴と聞きましたもの。ねぇ、セイラ様のお母様は、どちらの方?」


前方に座っていた数人がはっと息を呑んだのが伝わってきた。

それがなくてもセイラにはこの質問の意図が分かった。

グランにも散々言われていたことだ。

貴族の中には、セイラの母の出生をよく思っていないものがいる。


彼女たちに「どちらの」と聞かれれば、何々家のと答えるのが普通だ。

貴族出身ではないセイラの母を嗤うため質問。

よしんば、何家のと答えたところで、あら存じ上げませんわと言われるのが落ちだ。


「ジニスです」


今までの沈んだ顔を紛れもない笑みに変えたセイラに女性は鼻白む。

どこの血筋で生まれたかなどで母を誇るつもりなど毛頭ない。

ジニスのルカ。それで十分。


「ジニスをご存知ですか?」


「……ええ。もちろん」


労働者ばかりの小さな街だがジニスの玉の加工技術は大陸一。

知らぬと言えば今度は此方が笑われる。

そう頷くより仕方がない。

相手が扇の後ろで悔しげに唇を噛んだことなど知らずに、セイラはとろりと微笑んだ。


「もう一つ、質問してもいいかしら」


女性の挑むような瞳に更に力を入れた。

見えない口元には牙がちらついているかのよう。

セイラが頷くより先に鋭い言葉が耳朶を打つ。


「なぜ、アナタなの?」





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