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第三章:夕闇に映う色19

闇にまぎれてサンディアはそっと馬車に乗り込んだ。

子供たちはすっかり夢の中だ。

年長組みも今日は騒ぎ疲れたのだろう。

早々にベッドの中にもぐりこんでいた。

昼間に受け取った手紙で指定された場所に来てみると、夜の闇に紛れるように一台の馬車が停まっていた。

向こうもサンディアの姿を認めると、音も無く馬車の扉を開けた.

乗り込むのを手伝ってくれた親切な従者に行き先を聞いても答えは返ってはこず、サンディアが席につくと滑るように走り出した。

窓の外には闇が踊っている。

表街ならば煌煌とと火が焚かれ明るいに違いなかったが裏街にはその微かな欠片さえなかった。

遠くから聞こえる楽しげな祭りの音は別世界からの音のようで胸のうちが騒ぐ。

夜の寒さと募る不安から身を守るようにサンディアはぎゅっと肩を抱いた。

どれほどの時間は走り続けたのかサンディアにはわからなかったけれど、さほど長い時間ではなかったのだろう。

己を招待した相手への第一声を決めるほどの時間も無かった。

闇に慣れた目には大きな屋敷が窓を外を流れていくのが見えてきた。

どこの屋敷も大きく、門の前には火が焚かれ、いかつい男たちが門番をしている。

表街の中でも貴族の屋敷ばかりが立ち並ぶ地区のようだ。

馬車が停まった屋敷は殊更大きく、門には百合の文章が描かれている。封蝋にあった印と同じものだ。

案内された部屋に座っていたのは懐かしいと呼ぶほどには親しくは無いけれど、全く知らぬ顔ではなかった。


「お久しぶりでございますね。サンディア様」


「リグンブル殿」


夫が彼に剣を下賜するとき、サンディアもそこにいた。

そのころと比べれば、彼の生きた年月が如実に体に刻まれていたが鋭い眼光は変わりない。

人を射すくめるように見るこの男がサンディアは、あまり好きではなかった。


「急にお呼びして申し訳ありませんね。しかし、貴女がヤガラから出ているのは好都合だったもので。ヤガラにも何度か足を運んだのですがね、門前払いをくらいましてね」


「権力を纏ってヤガラには入れない。貴方方はよく知っているでしょう」


ヤガラの門番の青年から貴族が何度か訪ねてきたことは聞かされていたが、まさかリグンブル家の者だとは思っていなかった。

しかし、リグンブル家ならば秘密裏に移されたサンディアの行方を知っているのは納得せざるを得ない。

大貴族ともなれば情報網は蜘蛛の巣のごとく緻密に張り巡らされているのだろう。


「貴女も権力をお持ちだ。」


さぁお座りくださいと薄い笑みを貼り付けて席を指す。


「例え、貴女が農民の真似事をしようとそれは変わりありません」


もしかしたらヤガラの中にさえ情報網を持っているのかもしれないと思わせるような声音だった。


「私は、ただのアリオスの民の一人です。それ以上の力など」


サンディアに睨み付けられ、リグンブルはのどの奥でくっと笑う。


「そんなこと誰が認めるのです? 誰が納得すると言うのです? 特にリディア殿が納得するとは思えません」


サンディアはその名にはっと息を飲んだ。


「伯父は……リディア殿は」


「相変わらずですよ。ルーファ王の戴冠式の前には正当な継承者を差し置いて何たることかと殴りこみにやってこられましたし、ジルフォード様の婚約の時には、聖母の娘しか認めないと騒いでおられた。あの方は未だ一国の主のつもりでいるのですよ」


サンディアはきつくまぶたを閉じた。

サンディアの故郷はローラ山脈とアリオスの間に合った吹けば飛ぶほどの小国だった。

もともと土地はやせており、少数民族との小競り合いは絶えなかったが何とか生き残っていた国もリディアが王についてから急速に国力を落としていった。

もともとの浪費癖とあいまって政の能力は無かったのだ。

サンディアがロードの目に留まってからは、さらに浪費は酷くなり、ついには国は立ち行かなくなった。

ロードの温情でアリオスの一領地として迎えられ、今では盛り返してきているが、アリオスでも1、2を争う財政難の土地だ。


「リディア殿も明日の交遊会にはお越しになるでしょう。これまでも幾度と無くジルフォード殿に会わせろと言ってきましたからね。今まではジルフォード殿も公の場には出てこなかったために、のらりくらりとかわせましたがね、明日はそうもいかないでしょう」


明日の目玉はなんと言っても王弟夫婦。

ここぞとばかりにつかまって何を吹き込まれるか分かったものではない。


「貴女の親族は今でも害を生むのですよ」


ロードの側室であったシェラが死んだのは、彼ら暗殺したのだという噂も付きまとっている。

サンディアが都から遠ざけられた時から、彼らの発言権は無いに等しかったが、今も返り咲くことを心の底から願っているのだ。


「そんな忠告をするためにわざわざ呼び出したのですか?」


それならば拍子抜けだ。

リディアの脅威ならばルーファ王もわかっているはず、何も出来ないサンディアに話を通すよりもっと有効な手段がありそうな気がするのだが。


「いいえ、全く関係ない話ではありませんが。今宵はサンディア様に五元帥のお一人になって頂こうと思いまして打診を」


明日は雨になるそうだよ。それぐらいの意味しかないかのように軽く言われた言葉をサンディアはうっかり聞き逃すところだった。

拾い上げた言葉を何度も反芻して、やっと「はぁ」と吐息に似た間抜けな音を出すことが出来た。

五元帥とは王と並ぶ国の最高位。現在はハマナ・ローランドを筆頭にモーズ・シェリンとエンの三人しか居ない。

空いたままの2席のうち1つにサンディアを座らせようというのだ。


「貴方、今ご自分で言ったことを理解していなかったの?私の血は災いとなる。そんな私に権力を与えるなんてどうかしています」


「ルーファ王は周りを若い力で固めてしまっている。両将軍しかり。別に若さへの嫉妬ではありませんよ。理想に燃える力は強いでしょう。けれど彼らは追従することも知らず、厄介な相手をうまく手のひらで転がす術も持ち合わせてはいない」


「ハマナ様方は概ねルーファ王指示のようですが」


「確かに彼らは大きな力でしょう。どの有力貴族にも意見が出来る。けれど、彼らは公平を期さねばならない地位にいるといってもいい。また、おいそれと地方貴族が口を出せる相手でもありませんしね。つもりに積もった不満はどこへ? うちに溜まっていつか噴出すことになるでしょう」


「……」


確かにルーファ王はまだ若い。

彼の父であるロードが王位を継いだのは28の時だ。

しかも先王が健在のとき地盤を固めてから王冠をかぶった。


「そこで貴女の登場なのです。貴女になら不満を言いやすい。元王妃様への挨拶は礼儀ですからねいつ訪問してもおかしいことではありませんし。何しろルーファ王はシェラ殿の息子ですから、貴女は快く思っていないと考えるでしょう。」


リグンブルは笑みを深めた。


「溜まった膿は一気に取り除くほうがいいですからね」


「私の元に不穏分子を集めて一掃を?」


返答は無い。けれど、沈黙がそうだと告げていた。

互いに言葉を発しない時間がしばしば続き、先に動きを見せたのはサンディアの方だった。

首を弱く振ると立ち上がった。


「帰りますわ。帰りも送って下さるのかしら?」


返事も聞かずにサンディアは歩き出した。

ピンと張り詰めた背中は昔のままだ。

いつもぴりりと緊張していた王妃だった頃のサンディアを知っているリブングルは、誰にも気づかれないほど小さくため息をついた。


「ロード様は貴女のことを愛していらした」


故郷に帰さなかったのは、側室よりも先に王子を産まなかったとののしられることを知っていたためだ。

西の離宮に住まいを与えたのはサンディアが、あの場所が好きだと言ったことがあったためだ。

背中にぶつかった言葉は、サンディアを振り向かせる力はなかったが、ほんの少しばかり強張りをなくす効果はあったようだ。


「……知っています。あの人は、気位ばかり高い馬鹿な娘のどんなわがままでも叶えてくれた。けれど、側室をとらないで欲しい。この願いだけは叶えてくれなかったわ」


「それは」


「分かっています。私とて生まれたときから政のそばに居た。必要なことだったのでしょう。あの人は以前と変わらず愛情を注いでくれました。けれど、私は何もしなかったの。シェラが、あの人の傷を癒し、暖かく包んでいたときに、私は今までどおりツンとそっぽを向いていた。愛情がシェラに傾いていくのは当然でした」


本当に嫌になるぐらいに可愛げのない娘だった。


「それなのに、すべてあの人のせいにしたの。貴方が悪い。シェラなんてつれてくるからいけないと。それでも許してくれたわ。それが煩わしくて、悲しくて、悔しくて。どんなに大きな愛情で包まれていたか気づいたとき、ごめんなさいもありがとうも届かない場所に行ってしまっていた」


振り返ったサンディアは、ふわりと笑った。

王妃としては見せなかった慈愛に満ちた顔。


「だから、ジルフォードを幸せにするのが唯一私に出来るお返しなのよ。リブングル殿。」


だから先ほどの話は了承は出来ないと告げたサンディアの瞳に揺らぎは無かった。


「私もロードを愛してたわ。同じほどこの国も愛しいと思えるようになったの。貴方はどう?」


「ええ、私もアリオスを大切に思っていますよ」


もちろん問われるまでも無いことだ。

主と共に半生を費やして育ててきた国が愛しくないわけがない。


「ならば、月影、陽炎の両将軍を差し置いてロードに右腕と言わしめた貴方の頭脳で最善を考えてください。本当は、私を五元帥になどするつもりはないのでしょう」


ぽかりと間が空いた。

ほんの一瞬だったが、リブングルから薄い笑みが滑り落ち、初めて素を見たような気がした。


「何故です?」


そう問うた時には、リブングルの口元にはいつもの食えない笑みが浮かんではいたが己の考えていることが的外れではないと思えてきた。


「貴方がそうと決めたなら、逃げ道など用意するはずがないもの。周りをじわじわと固めてまっているのでしょう。ちょうどいいタイミングを。そして、それを実行する者を。本当に貴方が私をお飾りの五元帥にしたいのならば、国のためだと言わずジルフォードのためだと言えばいい」


ジルフォードを取引の材料にされたなら、きっと悩んでしまったに違いない。

ザクセンの領主におさまったのがこの男だと聞いたときから、どこか違和感があったのだ。


「送りましょう。風邪でもひかれたら大変ですからね」


話を遮るようにリグンブルは立ち上がると扉を開けた。すれ違いざまにふと視線を上げたサンディアはリグンブルを見つめるとふっと目を細めた。

もう、会うことも無いかもしれない。最後に言いたいことを言ってやろうと思ったのだ。


「私、貴方が嫌いだったわ。ロードはいつも貴方と一緒。貴方もいつもロードを気にかけてた。今もそうね。こんなことを告げるためにわざわざ危険をおかすなんて、貴方馬鹿よ。」


きっとロードが残してしまった想いを彼は律儀にも届けてくれたのだ。

サンディアは居住まいを正すと流れるような動作で頭を下げた。

以前のサンディアならば想像も出来ないことだ。歯をかみ締めて、しゃんと上を向いていることだけが彼女の矜持だった。

廊下に消えていくサンディアを見送りながらリグンブルはポツリと呟いた。


「私も貴女が嫌いでしたよ」


互いに相手を嫌っているのを薄々感じていたから、距離をとりあってきた。

まともに言葉を交わしたのはほんの数回だけ。

それなのに、たった一礼で全てを任せたと帰っていく背中が恨めしい。


「馬鹿呼ばわりとは」


感謝されるよりましかもしれないと自嘲気味に笑った。

確かに主の想いを代弁する形にはなったけれど、サンディアの立場を利用しない手はないのだから。

通りから石畳の上を馬車が走り出す音がした。












空は黒を通り越して青みがかってきていた。

休息をとった太陽が世界の端に昇り始めたのだ。

一晩中語り明かしたのはルルドではないというのに、ルルドの喉はからからに干上がっていた。


「それは」


かすれた声はひどく聞き取りにくい。

けれど喉が潤ったところで、何か意味のあることを口に出来そうにはなかった。

ナジュールの語ったのは、壮大な子どもの夢だ。

話は何処までも広がりを見せ、舞台は世界中を巡るのだが、どこか現実味が薄い。

時々、はっとするほど現実に重なるのだが、次の瞬間ありえないと誰かが否定する。

思考はぐるぐると円を描き、答えは何処にもない。


「信じなくてもいい。私とて信じれなかったさ。だが、父上は倒れた」


己が抱えていたものを吐露したというのに、圧し掛かるものは少しも減らない。

そればかりか、己でも持て余すものを弟にも背負わせてしまったという苦悩がずしりとかかってくる。


「いいえ、信じます」


ルルダーシェにとって兄は絶大な存在。

その名が示すとおり天空を支配する太陽と同じほど明確で力強い道しるべ。

否定する気などありはしない。

けれど、蜃気楼のようにとらえどころの無い悪夢が、そっくりそのまま現実だとしたら。


「タハルは……」


「帰るまでは無事だろう。とりあえずタハルを滅ぼすのが目的ではなさそうだ」


安堵にしては重いため息を吐きながら力を無くす弟にグラスを渡す。

喉は同じほど干上がっているに違いない。

飲み物を見ると乾きはいよいよ強くなり、ルルダーシェは素直に口をつけた。

つと流れ込んできたのはさわやかな甘みのある液体だった。

とろりと心地よく体内に落ちていくそれにほうと息をつこうとして鼻腔を擽ったのは酒の香りだった。


「兄上、これ」


カッと胃の腑と頬が熱を持つ。

視界が揺れて、体の奥底から疲労を引っ張り出し重く重く圧し掛かる。

瞼が完全に閉じてしまう前に、「ああまただ」と小さく呟いた。

途切れた言葉の向こうには、情けないと続くのだろう。


「これで酔うのか」


ナジュールにとって見れば果汁のようなもの。

喉を潤すことは出来ても酔うことは無い。

悪い夢を見ないほど深く深く眠ってしまえばいい。

ルルダーシェを寝台に移すと、ナジュールも瞼を閉じた。

日が昇りきれば、責務が待っている。

完璧な仮面をかぶるにはもう少し時間が必要だった。






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