第三章:夕闇に映う色17
裏街の一角に夕闇が迫ってくる頃には、大量の菓子が出来上がっていた。
少ない材料のなかでハナが編み出した菓子は殊更人気で尊敬の念を集め、セイラがおはなしのおねーちゃんならば、ハナはおかしのおねーちゃんと呼ばれるようになった。
出来たものの半分は明日子どもたちが売りに行くのだという。
子どもたちの貴重な収入源を少しばかりお土産に貰うと皆に挨拶をして裏街を後にした。
だいぶ奥にまで来てしまったので早く帰らなければ真っ暗になってしまう。
祭りの期間中なので表街では煌煌と明かりが焚かれているが、闇に浸され始めた裏街にはほとんど明かりらしきものが無い。視界の利くうちにと少々名残惜しいながらも「また会いに来るから」と約束して皆と別れた。
「サンディアさん元気そうだったね」
西の離宮に居るときよりもずっと元気そうだった。
別れの際のぎこちない親子の抱擁。
互いにどこまで力をこめていいのか考えあぐねてほんの触れる程度。十分だった。長い月日の埋め合わせはゆっくりとすればいい。
いつでも会うことができるのだから。
ルーファとダリアの対応に感謝しながらセイラもぎゅっと抱きついた。
そのときのことを思い出しながらセイラは、鼻歌を歌いつつくるくると円を描く。
スカートが広がって、ふんわりと空から落ちてきた花のようだ。
白いはずのスカートには暮れゆく空がプレゼントしてくれた藍と紅の混ざり合った色が映りこむ。
「わっ」
地面に積もったシルトに足をとられバランスを崩したセイラが倒れこんだのはジルフォードの腕の中。
頭を打ちつける前にやわりと抱きとめられた。わざと力を抜いてもたれかかっても変わらず受け止めてくれる。
「ジン。ありがと」
笑ったセイラはぴょんと立つとまたゆるりと円を描きながら前に進む。
「もう、セイラ様また滑ってしまいますわよ」
「ん〜大丈夫。たぶんこけても痛くないよ」
積もった花びらの上をたたんと軽いステップで駆けていく。
いったいどういった理屈なのやら。
「いくら花びらの上でも痛いですわよ」
セイラ様ったら!ため息に愚痴を滲ませたハナの前でセイラの動きがしばし止まった。
もちろんハナの諦めきったため息に効果があったわけでも、ケイトのハラハラした視線のせいでもない。
原因は無造作にさしだされた白い手のひら。
「危ないから」
起伏のない声に頬が緩んでいく。
「うん」
セイラも手を伸ばすも後一歩分足りない。
いつもならすぐに飛びつくけれど、かわいいわがままを許してくれるならば、その一歩分はジルフォードがつめて欲しい。
一番星が主張を始めた空の下、ひらりと指先を揺らせば、すぐに暖かな指先が重なった。
「さぁお城に帰ろう。お土産も届けなくちゃね」
門をくぐった所でケイトとは別れ、三人は記録者がいるという保管庫へと向かった。
瞬時に保管庫の場所が記憶の中から蘇らなかったのが何故なのか入り口についてようやくわかった。
小さくて質素。あまりにも地味だ。
指摘されなければ、重要なものがある場所だとは思わない。
けれど、扉を開けると書庫の殊更古い本が並ぶ一画のように独特の匂いがした。
「わぁ、王子様!」
視界にジルフォードの姿を認めると、一度目に会った時と同じようにケネットは驚くべき跳躍を見せて本棚の影に半分だけ隠れた。
ちょっとかがみ気味なので、長くもったりした髪の毛は床の上で渦を巻いている。
なんか鳥の巣みたい。
跳躍の驚きから立ち直ったセイラの印象はそんなものだった。
本棚をがっしりと掴んだ青白い指先はガタガタとふるえ、いきなり来たのは良くなかっただろうかと思っていたら、おずと足が出され少しだけ距離が縮まった。
「おっおっ王子様……それに、お姫様も」
声も若干震えている。
三人が中にいる人物に会いたいといえば、外にいた男も大層驚いていた。
シルトのお菓子を届けたいといえば何も言わずに通してくれたけれど。
「君がケネット?」
恐る恐る影から出てきたケネットはぺたりぺたりと足音を立てて近づいてきた。
その様子を見ながらハナはひくりと口元を振るわせた。
いくらなんでも髪の毛が長すぎる。
どこをどう見ても髪の毛が話しているようにしか見えなかった。
しかも目の前に見えない壁が行く手を阻止している幻想でも見ているのか、細い腕を前に突き出して探り探り近づいてくるので非常に怖い。
なんでセイラはあんなものと普通に会話が出来るのか。
ハナのなかでセイラを尊敬する度合いがぐっと高まった。
「う、ん。オイラはケネットだよ」
これで本日名前を呼ばれたのは二人目だ。
なんだかすごく不思議な気分だ。
石の床を歩いているはずなのに、足元がふわふわしているような気がして、胸の辺りが春の陽光を集めたかのように暖かい。
「私、セイラだよ。よろしくね」
突き出された手のひらにケネットは戸惑った。
お姫様は何がしたいのだろう。
物事を把握するには、五感を働かせる事が大事だとケネットの祖父は言っていた。
なので、ケネットはお姫様の真意を探るためにさし伸ばされた手のひらに顔をぐいと近づけた。
「ひっ!」
短く息を吸い込んだ少女は誰だろう。
黒い大きな瞳が歪んで、顔は強張っている。
きょとりと顔を、もとい髪の毛で覆われた顔を少女のほうに向けると、少女は喉の奥で変な音を出した。
鳥の物真似でもやっているのかしら。
失礼な事を思いつつ首をかしげると、重たげな髪がもてんと揺れる。
「ハナだよ」
壁に張り付いているハナの代わりにセイラが名を告げた。
彼女の着ているものはアリオスではあまり見かけない服だ。その上、可愛らしいくせに機能性を重視した形。
信頼しきったようにお姫様が名を呼ぶからきっとお姫様の侍女なのだろうと当たりをつけて、一歩分ハナの方に近づいた。
「ケネットだよ」
「よっよろしくお願いしますわ」
明らかにそうとは思っていない顔を向けられてもケネットは嬉しくなって微笑んだ。
当然、周りから笑っているなど分からないけれど。
ああ、そうだ。お姫様の手。
くりんと体の向きを変えたケネットはじっとセイラの手を眺めた。
「握手だよ。手を握って仲良くしてねって伝える挨拶だよ」
「あくしゅ」
セイラの指先が己の指先に触れるとケネットの体はびくりと揺れたが飛び上がる事はなく、セイラのなすがままになっていた。
握られた手からはじんわりと温もりが伝わってくる。
「よろしくね。ケネット」
「オイラもよろしく! お姫様」
暖かい手のひらが離れていく時、ちょっぴり寂しさも感じたけれど、握手したほうの手はずっと暖かい気がした。
「きょ、今日はどうしたの? 調べごとなら手伝うよ?」
とっぷりと日も暮れる頃合だけれど大歓迎だ。
「今日はね、お土産もってきたの!」
「おみやげ?」
「ケネットに言われたとおり、メイヤー殿に会ってきた」
人数分の椅子をひこずりながら持ってきたケネットは飛び上がった。
今回は驚きではなく嬉しさのせいか、飛び上がる距離は少ない。
「メイヤー様に会ったの! そう、よかった」
何が良かったかなどケネットにもよく分からない。
けれど、彼の人となりは出会えば何かと学ぶ事は多いと思うのだ。
そこで、ふと飛び跳ねるのを止めた。メイヤー様とお土産がどう繋がるのだろう。
「メイヤーさんのところで作ったんだよ。前の記録者が好きだったから君も気に入るのじゃないかって」
セイラが差し出した紙袋を覗き込みケネットはわっと叫んだ。
「シルトのお菓子!」
紙袋に頭から突っ込んでしまいそうなケネットから、恐々袋を受け取ったハナは手早く用意を始めた。
保管庫にろくな茶器があろうはずもなく、それを察していたハナは此処を訪れる前にカナンのところへ寄っていたのだ。
菓子にはそれに合った飲み物というものがある。
カナンが選んでくれたお茶をたっぷりといれたポットを取り出して、これまた持参したカップに注いでいく。
何か手伝おうとオロオロするケネットに席についているように頼むと微動だにせずに座っている。
ハナはしゃんと背を伸ばしていても床に着くほど長い髪を結い上げてやりたいという衝動が湧き上がったが、目の前の茶器にだけ集中しようと己に言い聞かせ、ポットの傾きを調整していく。
「さぁ、どうぞ」
わさわさと作った髪の隙間からお茶の温度を覚ましているケネットがちょっとばかり、可愛らしく見えてハナは頭を振った。
あんなのが可愛く見えるはずが無い!
きっとカナン特製の茶葉の香りが見せる幻想だ。
けれど、恐怖心を薄らげるには大きな効果があったようだ。
火気厳禁の保管室には調理器具なんてない。
保管庫の上を改造して作ったケネットの部屋にもそんなものはないため、彼が温かいものを口にするということは、ほとんど無かったのだ。
そのため、慎重にお茶を冷ました後、恐る恐る口をつけた。
「いかがです?」
ハナの問いに暫し考えた後、ケネットはぽつんと答えを出した。
「お風呂のお湯みたい」
「あっあなた何て事を言うの!」
すごい剣幕でカップを取り上げられたケネット驚いて椅子から転げ落ちた。
肉の無い尻を打ち付けてなんとも痛かったが、どうして怒らせてしまったかの方が気がかりだ。
「だっ、だって……温かくて、何だか幸せだから?」
人目を忍ぶように暮らしているのだから、風呂に入るのも一苦労。
自分だけが知っている通路を通ってこっそり誰もが寝静まった頃城の風呂に行く事もある。
ケネットにとっては至福のときであり、最高の賛辞を送ったつもりだった。
ちなみに、時折風呂場で見かけられる黒い大きな影は城の七不思議にも数えられていることは本人は知らない。
「あら……そうでしたの」
気まずそうに呟いた後、ハナは元通りカップを戻した。
幸せだと言われれば納得せざるを得ないのだ。
確かにカナンのお茶には幸せになるための成分が入っているに違いないと思うから。
お土産にと持ってきたお菓子は一粒ずつ飽きるほど見回した後、指先でこねくりまわわれてやっと口の中に入っていく。
ハナとしては「止めてください!」と叫んでしまいたかったが、なんだか嬉しそうに髪の束が揺れているので止めておいた。
「こんなに固いのに口に入れるとじわっと溶けちゃうね。これは虫の寄り付かない紙をレスカが発明した時の驚きと同じくらいだ! 何十年もほって置かれた本に日焼けもなくて、虫食い一つないときの幸福感!」
独創的な褒め言葉(?)に誰も口を出せないまま、次々に菓子はケネットの口の中に入っていく。
「お菓子って美味しいねぇ。初めて食べたよ」
「シルトのお菓子でなくてもよろしいなら、また持ってきますわ」
シルトのお菓子ならば、少なくとも来年まで待たなくてはいけないが、他のものでいいならばいつでももってくる事ができる。
褒められれば悪い気はしない上、セイラに気に入られたのだからもうお茶のみ友達に入れられているはずだ。
「本当? えへへ。嬉しいなぁ。ハナは優しいね」
いきなり呼び捨てにされることも褒められることにも慣れていないハナは不覚にもセイラのカップにお茶を注ぎなおす時に、ポットとカップをぶつけてしまった。
「なっ! 優しくなんてありませんわ! 新作の味見をさせようとの魂胆ですわ」
「ハナ……魂胆って」
「新作食べさせてくれるの? ありがと!」
ハナの混乱振りにセイラもつい口を出したのだが、ケネットだけは嬉しそうだ。
「とっとんでもなく不味くても知りませんからね!」
「お花をこんなに美味しく出来るのだから大丈夫だよ」
何とか言ってくださいと視線でセイラに訴えるのだが、にっこりと笑い、つまんだ菓子を口に入れてケネットに同意するように頷く。
「おいしいよね」というセイラの問いかけにジルフォードまで頷き、ハナには逃げ場所がない。
「いいですわ! 覚悟してくださいまし!」
憤然と言い放ったハナにこくりとケネットは頷いた。