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第三章:夕闇に映う色9

セイラたちが城門をくぐる少し前のこと、ケネットは最後の食事をじっくりと味わって嚥下していた。

一週間前のパサパサしたパンは惜しむように口にも喉にも張り付きながら落ちていく。

最後に残しておいたチーズ一かけらを頬張り感謝を込めて飲み下す。

昼食には、久しぶりに焼きたてのパンを食べる事ができるけれど、かぴかぴになったパンへの感謝も忘れはしなかった。

ケネットへの食料は一週間分が一度に届けられる。

ちゃんと計算して食べるため途中で無くなるなんてことはなかったが、いつまでも一番美味しい状態を保つのは無理なのだ。


「ごちそうさまでした」


しっかり手を合わせた後は、早めに下へと降りる。

秘密の階段をそろりとおろせば、保管庫の中に降りる事ができるのだ。

昨日ジルフォードに出会い、言葉を交わしてみたせいか、いつもならばしないことをやってみる気になったのだ。

顔も合わせなかった受付の男にお礼を言おうと。

一週間に一度の食料運搬は彼がしてくれるのだ。

保管庫に降りてくると嗅ぎなれた紙の匂いに、今日は香ばしい匂いが混じっていた。

大きな袋を抱えた男がふぅと息を吐いた。

男が袋を受付として使っている机におろすと、カシャンとビンが触れ合う音が響いた。


「ありがとう」


「うわっ!」


突然声をかけたケネットに男は当然の反応を返した。

声を上げて、すっ転んで、心臓を高く鳴らす。

いきなり現れた人物が髪の毛のお化けなら無理からぬ事だ。


「だ、大丈夫?」


その髪の毛お化けが、机の上から自分の顔を覗きこむものだから男は再び悲鳴をあげそうになった。

けれど、ちらりと見えた水色の瞳が、頭のどこかに引っかかった。


「おっおっおめぇ、あのちっこかった坊主か?」


前の出納係が居た時には何度か会った事がある。

まだ男の膝くらいの少年で、もちろん髪の毛お化けなんかではなかった。

前の出納係は孫だと言った。

偏屈でへそ曲がりな老人だったが、その少年だけは「可愛いだろう」と世間一般の老人が我が孫を溺愛するように言ったものだ。


「うん。おいらのこと覚えてたの」


「おっおう、そんな様変わりしてるとは思ってなかったけどな」


「……そんなにかわったかなあ」


「最後に会ったのは、おめぇがコンぐらいの時だぞ」


床に座り込んだ男は、自分の額くらいの高さを示した。

出納係が途中で変わったことは知っていたけれど、まさか彼の孫が仕事を継いでいるとはついとも思ってみなかった。

いらぬ事は詮索せぬ事が一番だ。

城の中で仕事をしていれば、そんな処世術も身についていく。

深く考えずに与えられた仕事をこなしていれば、それなりの収入を得る事ができて、ぬくぬくと生活できる。

だから、一番大きな疑問も飲み込んだのだ。

保管庫に入るものを厳重に管理せよとの命令は、資料の不正流失を避けるためではなく、中にいる何者かとの接触を出来る限り抑えるためではないか。

現に身元は聞くが、資料の貸し出しは寛容だ。

前任者が死んで十年余り、否応無く想像は膨らみ中にいるのはとんでもない化け物ではないかと思うこともあった。

何しろ顔を一切合わせていないのだから。


「ケネットだよ」


明るい声に拍子抜けする。

見た目こそ不気味だが、その声は、祖父に頭を撫でられて恥ずかしげに嬉しげに笑っていた少年のものだったから。


「ケネットか。おめぇ、ちゃんと食ってんのか。がりがりじゃねぇか」


風が吹けば倒れそうな細い体に申し訳程度の薄い衣一枚。

冷たい床の上を裸足でぺたりと歩いている。脆弱さを際立たせるのは十分だった。


「もっと食え」


男は持ってきた袋をかき回す。

パンにハムにチーズ。ミルクにちょっとだけのお酒。

なんだ。これは。これではチットモ足りはしない。

そこではたと思い出した。

この内容は前任者のためのものと一切代わりが無い。

今居るのは食の細い老人ではなく、青年だというのに。


「なんでぇい、これ。こんなんじゃ力もでないだろうが」


「大丈夫だよ」


ずっとそれでやってきたのだ。不満なんて無かった。


「何か、欲しいものは無いのか。厨房の奴が知り合いだからな。何かとって来てやるよ」


「欲しいもの?……う〜ん」


欲しいものってなんだろう。

破れない紙、虫の寄り付かない紙。それとも補修用の紙の色を増やせたら……

欲しいものはいっぱいあるけれど、食べ物でと言われると瞬時に思い出せない。


「う〜ん」


「なっないのかよ」


うんうんと唸り続けるケネットに男は呆れ、同時に罪悪感が沸き起こる。

こんなところに押し込んだのは自分ではなかったけれど、もう少し関心を持つべきではなかったかと。

せめて、目の前の青年が好物の名を上げる事ができるぐらいには。


「じゃぁ、おいらシルトのお菓子が欲しいよ。お祭の時にだけあるんでしょう?」


花を食べるのってどんな感じだろう。

シルトの花も挿絵でよく見かけるけれど、実物を見たことはあっただろうか。

どこかで、菓子の記述を見てからちょっとばかし気になっていたのだ。


「そんなのでいいのかよ?」


さすがに厨房に常備してあるものではないが、街に行けば容易に手にはいるものだ。


「うん。おいらシルトのお菓子食べた事無いもの」


今まで食べた事はないし、これから食べる機会があるかも分からない。

穏やかな世界は少しずつ変わり始めている。新しく届けられる台帳の端々に前兆は見えていた。

花を飾って甘い菓子を作って春が来るのを純粋に喜べるのはいつまでか。


「よし、待ってろよ。仕事が終わったら街に下りて買ってきてやるからな」


「うん。ありがとう」


張り切って胸を叩いた男にケネットはにこりと微笑んだ。




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