第三章:夕闇に映う色4
セイラは全速力で廊下を駆けていた。
グランに見つかればお小言くらいではすまないだろうが、そんなことを気にしている余裕はない。
ぱたぱたと可愛らしい足音が背後からしないように祈りつつ、懸命に駆けた。
春乙女の舞が一応完成した。
その安堵のせいで緩んだ思考のまま口を滑らしたのがいけなかった。
どこからともなく現れた侍女たちが手に手に煌びやかな衣装を持ってにこりと微笑むのだ。
さぁ相応しい衣装をあつらえましょう。
一瞬の隙を突いて逃げたのはいいものの、掴まれば絶対に逃がしてもらえない。
細くて押せば倒れてしまいそうな彼女たちに乱暴を働くことは出来ないので掴まらないことが最重要課題なのだ。
実際の彼女たちは、そこらの暴漢を撃退できるぐらい強いのだけれど。
「む〜このままで良いのに」
本当にそういう気持ちで作ったのだ。
着飾って澄まして舞うためじゃない。
「う?」
唸りつつ走っていると、目の前を白い影が横切った。
今はもう懐かしい雪の色。
「ジン〜……っ!」
こちらに気づいて立ち止まったジルフォードの背に飛びつく勢いで身を隠す。
「う〜……」
そろりと窺った廊下の先を数人の侍女が駆けていった。
どの娘も瞳に使命感をたぎらせて、手には遠慮したいものを山のように積んで。
とっさにジルフォードの背に身を隠したものの彼女たちには目的地があるようで、ジルフォードの姿にも気づかなかった。
ほっと安堵しつつも彼女たちは進んだ方向を見て嫌な予感がした。
向こうには書庫がある。
躾の行き届いた彼女たちが書庫の中で騒ぐことはないけれど、唯一の扉の前で目を輝かしているに違いない。
掴まれば、即連行されてしまう。
セイラの部屋は当然押さえられている。行く場所を失ってしまった。
「書庫に帰るとこ?」
「うん」
「そっか」
それならば此処で分かれたほうが良いだろう。
そう思って「じゃぁ、またね」と手を振り背を向けようとするとジルフォードが不思議そうに尋ねた。
「来ないの?」
二人が会えば、書庫に行くのが当たり前。
そんな常識が出来上がっているかのように。
「う〜ん。行きたいのは山々なんだけどね。あんまり彼女たちに捕まりたくない気分なんだよ」
どうせ衣装を選ばなければならないと分かっているけれど、一息置いて欲しい。
ようよう形になったものが、しっかり自分のうちに根付くまで。
「……ジン?」
何を告げることも無く手を引かれると、びっくりしたのは一瞬で自然と足は導かれるままに進んでいく。
手をつなぐなんて可愛らしいものではなくて、袖を引っ張られているに過ぎないのだけれど何だかちょっとだけ嬉しくなる。
それも引っ張っているという事実を伝えるために最小限の力しか入っていない。
たぶん、重力に任せてセイラが手の力を抜いてしまえば、あっと言う間に離れてしまう。
ほんの少しもどかしいから、指先を上に向けてちょんと触れると驚いた白い指先が袖を離してしまった。
完全に遠くに離れてしまう前にぎゅっと握り締める。
「何処行くの?」
「書庫に行きたいんじゃないの?」
二人して疑問符を浮かべて、セイラだけふっと笑った。
絶対に書庫に行きたいの。
そんな気持ちはなかったけれど、問われれば無性にあの空間が恋しくなった。
「うん! 行きたい」
何か失敗しただろうか。曇るジルフォードの瞳にそう言えば、セイラの力だけで繋がっていた手にちょっとだけ力が入った。
歩調に合わせて振ったってもう離れたりしない。
導かれるまま進み足を止めた先には、特に変わったところのない廊下があるだけだった。
壁も床も綺麗に磨きこまれて入るけれど、他の場所とも区別はつかなかった。
「ジン?」
柱の裏の皇かな面。指をそっと這わして、やっと分かるほどの小さな出っ張りを押すと
「わぁ」
壁に小さな入り口が出来た。
この城はいったいどうなっているのだろう。
探検しつくしたと思っていた城の中はまだ未知のものでいっぱいなのだと嬉しくなってセイラは歓声を上げた。
中が薄暗く先が見えないほど、狭く窮屈なほど何かがあるような気がしてわくわくする。
待ちきれなくて通路に飛び込むと、ふっと頭上から笑いを含んだ吐息が漏れた気がする。
「だって秘密の通路だよ?」
気が急くのが当然とばかりに、セイラの足はパタパタと音を立てる。
この通路が何処に続くのか知りたくて仕方ないのだ。
そんなセイラの様子を見て、ジルフォードは半身をずらした。その行為が先に行く栄誉を与えてくれたのだと気づいたけれど、やはり一緒がいい。隣にいるのだから。
うってつけなことに通路は狭いといっても二人並ぶくらい容易だ。
「一緒にね」
差し出した手の平にジルフォードの手が重なるのを待ってセイラは軽快に歩き出した。
道のりは割りと平坦で、ちょっとだけ期待していた落とし穴などの仕掛けはなかったけれど、所々で城の廊下を除き見ることが出来て中々楽しい。セイラを探し回る侍女に心の中で詫びつつ、この通路があって本当によかったと思う。
半身に伝わるぬくもりもその思いを強くした。
自然と口をついて出てきたのは式のとき広場で歌われたもの。
歌詞が終わるたびに調子を変えながら歌っていく。伸びやかに、楽しげに、ちょっとだけ重厚感を出して。
それが鼻歌に変わったとき、今まで静かに聴いていたジルフォードが口をはさんだ。
「明日、街で花流しがあるって聞いた」
「あっシルトの花を空に撒くんだよね。ハナが言ってたよ」
普通のシルトよりも花弁の多いものを見つけることが出来たら幸せになれるとか。
恋人同士で見るといいとか。
ハナも年頃の女の子だ。同世代の侍女仲間から情報を集めては楽しげに話していた。
「……一緒に」
行こう? 見よう?
こういうときはどうやって誘えばいいのだろうか。
目を瞬いて見上げてくるセイラを見つめながら続きが出てこない。
誰かと何処かに行こうなんて考えた事もなかったから、そこまで言って言葉が途切れてしまった。
視線をぐるりとまわして記憶を辿ってみても、いい言葉は浮ばない。
溶けてしまった言葉の語尾を続けたのはセイラのほうだった。
「一緒に行ってくれるの?」
大きな瞳が驚きと期待を込めて輝いた。
その輝きに目を奪われながら、言うべき言葉をやっと見つけることが出来た。
「一緒に行って……欲しい」
「行くよ! 絶対行く。私もジンと一緒に行きたいもん」
つないだ手をぶんぶんと振りまわして「約束ね」と念押しを。
ほっとしたようなジルフォードの顔が、ふいに真剣みを帯びた。
つないだ手とは逆の手がセイラの頬の横をそっと撫でる。
視線はセイラが首を傾けた拍子に揺れた月の雫のピアスを追いかけた。
「どうしたの?」
「墓守が、これとは相性が悪いと言ってた」
白い指先がピアスの先端に触れる。その瞬間に青に緑にと色を変えていく。
「ああ、墓守さんのとこへ行くんだ」
そういえば、この薄暗さも静けさも知っているような気がしてきた。
あの不思議な場所に近いのだ。あの地下墓所からは確か書庫へと続く道があったような気がする。
「う〜ん。どうしよっか。引き返すにしても遠いよねぇ」
その上、通路の中に入ると入り口は自然と閉じたのだ。
おそらく此方から同じ場所に出る事は出来ない。
それならば、進むしかないのだが相性が悪いとはどういうことだろうか。
暫く立ち尽くしていると、僅かな風が二人の髪を揺らし、問題の墓守の声を運んできた。
「そこまで来ちまったんだから、仕方ないだろう? そのままおいで」
消え入りそうな声はやはり彼にとってよくないものなのだろうか。
さっと行って、すぐに離れよう。
同じ意見に達したのか二人は同時に歩調を速めた。
先ほどの「約束」の余韻のせいか、つないだ手にこめる力は互いにちょっとだけ強くなっていた。