第二章:白き花の告げるもの3
ナジュールの付き人として訪れたルルドたちにも一人ずつ個室が与えられた。
最初は特別対応に面食らっていたのだが、アリオスにして見れば何十とつれてくると思って用意していた部屋の一部だ。
タハルでは焼しめたレンガ造りの家の外には荒涼とした砂漠が広がっている。
目覚めて一番に目にするものが四方を石の壁でぐるりと囲まれた空間であることに戸惑いを覚えることもなくなってきた。
けれど、窓の外には、木々が枝葉を伸ばし、ただ観賞用に池が作られているのが不思議で仕方ない。
タハルでは水の獲得は死活問題だ。
故郷を離れて数週間。
あの砂だらけのわびしい場所が懐かしい。
ここでは、夜中に大きな獣に襲われることを畏れ、煌煌と火をたくこともない。
武の国だと聞いたが、タハルに比べれば危険など微塵も感じなかった。
上げ連ねれば、他国の文句とは山のように出てくるものだ。
まず、このぬるりとした温度が嫌だ。
一番嫌な理由など分かりきっているのだが、言葉にすることなど出来ない。
「もう慣れましたか」
部屋の入ってきた老人はサクヤという。
ルルドと同じくナジュールの付き人としてアリオスにやってきた人物だ。
声音は優しいながらも、苛烈な環境で過ごしてきた事を物語るように細く見える体もたくましく、皺の刻まれた顔には厳しさが漂っていた。
「ああ」
ルルドは相手のほうを見もせずに頷いた。
彼の視線は窓の外に向けられたままだ。
そこに侍女と談笑するナジュールの姿があった。
ああ、まただ。
苛苛する。
馬鹿みたいに安全なこの場所で、眉間に皺を寄せる理由などないはずなのに、ルルドの眉間には最初から彫りこまれているかのように深く皺が出来ていた。
「どうして、あんな事をさせるんだよ」
いつもならば、けして歯向かわないのに、ついに口が出た。
「あんな事とは?」
ルルドはぐっと拳を握り締めた。
「あれでは軟弱者の道化じゃないか! ナジュールは太陽の王なのに」
悔しくて仕方がない。
ナジュールがへらりと笑って、物腰の柔らかな言葉を選んでアリオスの連中の御機嫌取りをするなんて。
タハルでは苛烈な太陽そのままに、誰もが頭を垂れる男だったのに。
それでいて慕われる彼はルルドの憧れでもあった。
いつもは尊敬の対象でもあるサクヤも今ばかりは怒りの矛先だった。
サクヤこそが、ナジュールにそう振舞えと助言したからだ。
「だからよいのです」
人当たりのよい言葉は野蛮な国というイメージを薄めさせる。
侮りたければ、そうすればよいのだ。
それが間違いだったと気づいたときには、こちらが相手を飲み込んだ後なのだから。
「サクヤの考えは分からん!」
ナジュールを慕いきっているルルドには、どうしてもサクヤのやり方は納得できないものだった。
「お前は、タハルの人間ではないから、」
そこまで言って、はっと息を呑んだルルドに苦笑した。
ルルドが言ったようにサクヤは生まれながらのタハル人ではない。
その証拠に、生まれたときに刻まれる甲の刺青が彼には無かった。
「思いついたことを考えもせずに口に出してはいけません。今のように後悔することになりますから」
「……すまん」
サクヤがタハルのためにどれだけ尽力しているか、ルルドには身に沁みて分かっているので謝罪はすぐに零れ落ちた。
悪戯をした幼子を許すようにサクヤは、その頭を撫でた。
「これもタハルのためです」
いつだってサクヤの言ったことは正しかった。
もしも、ナジュールが関わっていなければ素直に頷けただろうにと、ルルドは力なく頭を垂れた。
「今日は、書庫へは行かないので?」
「いや、行く」
ナジュールはルルドを伴って毎日のように書庫へと足を向けるようになった。
お目当ては本ではなく、へインズ談義なのだ。
専らセイラとナジュールが話していて面白くないのだが、あの空間は好きだ。
なにより、ナジュールが普段通りに振舞っているのが嬉しい。
ハナという煩い侍女もいるけれど言いたい放題言える相手がいるのは気が楽だった。
「ジルフォード殿とは話をしましたか?」
「いや、……アイツは何を考えているのか」
会話にも殆ど入ってこないし、視線が合う事もない。
瞳の色が変わるなんて不思議だったが、その分人形のように表情が変わらない。
「十二分に仲良くなさい」
国王の弟だ。
仲良くしておいて損はないだろうが、果たして出来るかどうか。
ルルドはサクヤの言葉に曖昧に頷いた。