第二章:白き花の告げるもの
日差しは暖かく、眠気を誘うのに十分だった。
それに合わせてか、城が纏う空気も緊張を解き、どこかゆるりとした時間が流れていた。
静かな執務室に無遠慮に響いたのは、ジョゼ・アイベリーが盛大にもらしたあくびの音だった。
水分の多くなった瞳を瞬くと、クッションに頭を沈ませる。
ここ数日、拍子抜けするほど何もない。
隣国からの使者はたった五人であるし、しかも一人は少年だ。
その人数で何かを起こすには、あまりにも無謀であり、またアリオスの軍は無能ではない。
そして彼らはタハルの印象を裏返すほど皆、礼儀正しく穏やかだ。
隣国の王子様はその物腰のせいか、目を引く容貌のせいか侍女にも貴族にも受け入れられ、小競り合いさえない日々だ。
国境付近も小康状態が続き、今のところ早急な心配事はないと言えた。
キースは何があるか分からんと気を張り詰めているが、そういうことは必要になった時にすればよいというのがジョゼの考えだ。
従って、今現在、アリオスの片翼である月影の将軍は、とても暇だった。
「お前はいったい何がしたいんだ?」
王の執務室の長椅子にでろんと伸びている将軍にルーファはため息をついた。
「いやぁ、お疲れの国王様に癒しを贈ろうかと」
「お前の寝姿などで癒されるか」
軽い無駄口が張り詰めていたものをふっと和らげて良く。
ジョゼが、どうどうと居座るようになってから、仕事がしやすくなったのは、上げられる書類がきちんと項目別に分かれているからだ。
今も、寝転がりながらも、紙を仕分ける音がしている。
彼がここにいる分、将軍の仕事のしわ寄せがどこかに出ているような気がしてならないのだが、ルーファにとってはありがたい。
後で、月影の連中に労いを送っておこう。
「またか!」
ジョゼが投げつけた紙の束が床の上を這う。
庶民の一家族の生活を一ヶ月は優に支えられるほどの贅を詰め込んだ煌びやか紙に書かれた内容はどれもくだらないものばかりだ。
ご機嫌伺いに、やんわりとだが地位を上げろとの要求。
どうでもいいことなのに、高級な封筒とそれに施された印に圧倒され、おし抱くように恭しく届けられる。
「そう言うな」
ルーファは床に広がる手紙を拾い上げる。
どんなにくだらないご機嫌伺いにも目を通し、有力貴族との絆を保つのも彼の仕事なのだ。
「ジルフォードの侍女か」
手紙の内容は弟の侍女に自分の娘をつけろとのことだった。
最近は、こういった内容の手紙が多い。
「本人が望むならば、かまわないのだがな。」
それとなく聞いたこともあるのだが、「いらない」の一言で片付いてしまった。
今現在、侍女たちに追い回される状況も、表情にこそ出さないが好んではいないようだ。
「ジルフォードで思い出した」
「何だ?」
「頭の切れるやつが少ないって話さ」
その言葉についと片眉を上げ、席に着く。
ジョゼの言いたいことはよく分かる。
ジルフォードを執政の場所に。
今まで此方の都合で、関わらせないように、それどころか存在すらないものにしようとしていたのに、都合が悪くなると此方の世界に来いと。
国王としての立場ならば対応は決まっている。
けれど、兄としては?
「お前の言いたいことも分かるさ。だけどな、アイツだっていつまでもふらふらしてるわけにはいかないだろう? 月影に誘っていいって言うんならそうするぜ」
「……そうだな」
想うのは二人とも同じだ。
自分の望む道をあるかせてやりたいと。
落ちた視線は、自然に手元にあった手紙の文字を追った。
意味など頭には入ってこない。けれど、ある人物の名に目が釘付けとなった。
「……サンディア殿」
「ん? 元王妃様がどうした?」
『最近サンディア様のご機嫌はどうでございましょう。』
優美な細い線が踊っている。
全てを知って嘲笑うかのように。
サンディアが西の離宮から離れたとこは、ほとんどの人間が知らないはずなのに。
「そういや、ダリアはどうしたんだ」
いつもならば、必ず口を出してくるはずの妹がいないことを不思議に思って視線を巡らせる。
「ヤガラへ」
「ヤガラ? なんでまた、そんなところに」
大貴族でも気軽に立ち入ることの出来ない場所。
そこは、さらに秘密を飲み込んだ。
今、まさにそこへと向っている妻の身を案じて、ルーファは強くまぶたを閉じた。