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巣を造る

 娯楽の少ない田舎町で起こった強姦未遂事件はセンセーショナルな話題として当日の内にはご近所中に知れ渡った。

 明乃が起こしたこの事件のおかげで浅井家も明乃の家も巻き込んでそれはもう大変なことになったのだが、明乃本人は全く後悔をしていなかった。もちろん警察に引き立てられた浅井は必死に否定していたのだが、実父を押し倒した前科のある狂人と今までそこそこに品行方正だった少女の証言を天秤にかければどちらが信用されるかは一目瞭然だ。

 おかげさまで浅井はとうとう地元の精神病院に入ることになり、事態を察して面倒事に巻き込まれるのを嫌った木佐は警察から簡単な事情聴取を受けた後、浅井を捨ててすぐに都会へと逃げ帰った。

 怒り狂った明乃の両親は浅井を訴えると言っていたが、浅井の両親が示談を提示したので明乃はそれを受け入れた。提示された金額は未遂ということで少な目だったが、そんなはした金の事などは明乃にとってはどうでも良い。

 浅井を当面の間どこかへ隔離し、木佐を寄せ付けないという当初の目的さえ完遂させることが出来るなら、その為に浅井に前科が付こうが付くまいが、浅井布団店の評判が最低になろうがなるまいがそんな事は関係ない。

 そして未遂とはいえ自分が不用意に変な男に近づいて強姦されかけたふしだらな娘という印象を持たれたとしても。

 街の中でも学校でも、絶えず下らない噂話の声が聞こえようが明乃にはどうでも良い事だった。

 どこまでも冷徹に、しかし煮えるように燃え続ける心は起こり続ける全ての事象に捕らわれず、外から何を言われようと、どう思われようと仕出かした事の大きさに後悔する事は全く無かった。自分自身でも驚くほど心の内は凪いだままだ。

 全てはなるべくしてなったことだから。

 そんな些細な出来事よりも、明乃はただ純粋に力が欲しかった。

 どんな問題でもどんな障害でも指先一つで簡単に捻じ伏せることが出来る、圧倒的で強大な力が。

 外敵を退け、大切な物を一つ残らずこの手で拾い上げられるような、絶対的な力が。

 だから、事件を起こしたことを後悔している暇なんて燃え盛り続ける明乃の心には微塵も無いのだ。

 しかし、残念なことに両親の方は違ったようだった。

 平然と生活し続ける明乃とは裏腹に、囁かれ続ける心の無い噂話には当事者よりもむしろ両親の方が参っていた。

 母親がノイローゼ気味になったのと同時に持ち上がった引っ越しの話は、一応予想の範囲内であった。あわよくば明乃はこの田舎町に残り続けるつもりだったのだが、こうなった場合は仕方がない。明乃は大人しく両親に従う事に決めた。もちろん、浅井の入院期間は弁護士を通して下調べ済みだ。そして退院後も親元で最低五年以上は保護観察をさせる事を示談の際に了承させているので向こう五年は大丈夫であろう。

 あの狭苦しい田舎町から少し遠くの町へ引っ越した明乃は、改めて違う高校へ通い始めたのであった。

 既にこれからやるべきことは決まっていた。

 決まっているなら、後は行動するだけだ。

 幸い、行動力だけなら昔から飛び抜けてあるから大丈夫。

 そして高校卒業後、明乃は大学へは行かずに都会の方へ飛び出した。

 期限は残り二年と少しになっている。

 久しぶりに田舎町に居る便宜上友人――こいつが当時一番噂を撒いた――へ連絡を取ってみた所、浅井は一応まだあの町に居るようだった。精神科への入退院を繰り返していて、たまに家に居る時はほとんど幽閉に近い形らしい事を聞いて明乃は安堵した。

 精神科で薬漬けにされているかもしれないが、木佐とさえ接触していなければ問題は無い。そして木佐が浅井に接触していれば、あの狭い田舎町の事。すぐに噂が広がるだろう。

 明乃はゆっくりと、しかし着実に行動を始めていた。

 違う学校へ引っ越した直後から、バイト等で得た金は少しずつ金融商品へ変えている。浅井の家から奪った示談金は親が高校の学費にしてしまっていたので運用は出来なかったが、まぁその辺は仕方がない。

 株式を買うのと同時に明乃はある種の資産運用とビジネスの勉強も学校の勉強と同時に行っていた。友人も居るにはいたが遊ぶのは必要最低限だ。

 金とは力。だから、金は無いよりもあればあるほど良い物だ。

 しかし溺れてはいけない。有り余る財を手にしたとしても散財すれば、力はすぐに逃げて行く。

 けれど、あまりにもケチをし過ぎてもいけない。財布の口を締めすぎれば制御の仕方を忘れるし、何より人との付き合いをおろそかにすれば周囲から疎まれる。

 幸い明乃にはそういった事柄の才能があったのか、高校を卒業するころには通帳の中の資金は高校生とは思えない程の額となっていたのだが、この程度ではまだ足りない。

 まともにやっていては目的を完遂できないと考えた明乃は高校を卒業すると同時に親元を離れた。そしてあの日の浅井と同じように都会へ出向き、水商売の道へと進んだ。

 親には大手飲食チェーンの事務方と偽っていたが、その店の実態はほとんど違法スレスレな風俗紛いの店である。もちろん明乃はそれを知っていた。そして、その店に出入りする人間がどんな人間なのかも――。

 夜の店というのは、闇というより混沌に近いと思った。

 あらゆる色を混ぜすぎて一見黒に見えるのに、時折不思議な明るさを見せる奇妙な場所だと明乃は思う。

 もちろん『色』というのは人間の事だ。

 堅気にやくざにその間を行き来する仲介者。金のある者と無い物。裏の人間、表の人間。すぐに死にそうな人間、何をしても死ななさそうな人間。失敗しそうな人間、成功しそうな人間。成功を夢見る者、ハナから諦めている者。

 店で働く者も様々で、高給につられて自発的に来た者から親やら彼氏の借金のカタにされたものまで様々だ。が、その中でも最も異彩を放つ者こそが明乃本人であったのは皮肉な話なのかもしれない。

 明乃を指して、まるで生きる底無し沼のようだと誰かが言った。

 金に困っているわけではない。親の借金があるわけでもない。それなりの学歴もあれば搾取されるような酷い過去があるわけでもない。カタギに戻ろうと思えばいつだって戻れるはずだ。

 それなのに、金と権力に対する執着だけは人一倍にある。

 浪費癖も無いようなのに、一体、何をそんなに追い求めているのか。

 誰かが面白半分にそう問いかけたが、明乃は薄く笑って答えを濁すだけだった。それもそのはず。今でもその胸の内にあるのは流れ続ける真っ黒な血と煮え滾り続ける炎の心。それだけだ。

「お嬢さんはまるで獣のようだのぅ」

 笑いながらそう言ったのは間も無く九十歳に届くかという老富豪の客人であった。

 変人と名高く、いくつもの企業を経営し、そして政財界とも裏の社会とも深い関わりを持つこの老富豪に明乃はたった一目で見初められ、そして一か月もたたぬうちに結婚する事となる。

 老人から求婚された明乃は、嫌な顔一つしなかった。むしろ嬉しそうでさえあった。

 だって周囲もご存じのとおり、その金と権力だけが目当てなのだから――。


 ★   ★   ★


 結婚後、二年も立たぬうちに老富豪はこの世を去った。

 朝起きると、布団の中で亡くなっていたそうな。

 周囲は明乃が殺したのではないかと疑ったが、その九十という年齢を考えれば寿命と言えなくもないだろう。

 その莫大な遺産は遺言通りに分けられて、かくして明乃の手元には一生遊んで暮らしてもなお使い切れない程の財が手元に転がり込んだのであった。


 その時、明乃があの田舎町を出てから既に八年もの歳月が経過していた。


 ★   ★   ★


 本当は、王子様になりたかった。

 悪い悪魔に捕まったお姫様を颯爽と助ける、格好良い王子様。

 白馬に跨り、剣を携えて、大切なお姫様を守り通せる王子様。

 いつかそんな王子様になろうと思っていた。

 そんな王子様になれるはずだった。

 そんな王子様になって彼を迎えに行くはずだった。

 それなのに、どこをどうして間違えたのだろう。

 気が付けば王子様はどこにも居らず、そこには一匹の猛獣が居た。


 ★   ★   ★


 男装は老富豪が死んだ後からすぐに始めた。

 浅井は男が好きだから、それなら自分は女であることを止めなければならないと思った。

 完全に男に変わることは出来ないが、真似事くらいは出来るだろう。

 けれど明乃は同性愛者では無いのだから、彼には女装をしてもらおう。

 綺麗に化粧を施せば、きっと彼も男であることを止めることが出来るはず。

 男装の女と女装の男。逆転しているかもしれないが、それが最も正しい形に違いない。

 そうだ。

 浅井を迎えるその前に、浅井を壊した連中を全員粛清してやらなければいけない。

 浅井を壊した奴が木佐だけで無いのは、興信所からの報告で調べがついている。

 だから、草の根を分けてでも探し出して、全員まっとうには生きてはいけないようにしてやろう。

 大丈夫。

 世の中には、金さえ払えばどんなことでもするような奴は沢山いるから。

 幸い、そういう力だけは手に入れている。

 家も建てた。

 大事な二人の家だから。

 一流の建築家に、あの布団屋の一室を再現させたら上手い具合に似せてくれた。

 勝手に誰かが入ったり、勝手に彼が逃げたりしないよう、屋内と玄関のセキュリティも確保した。

 浅井を迎える手はずはもう整っている。

 あの小さな田舎街の布団屋は、あの日の少女が起こした事件のせいで殆ど破産状態だ。

 借金元は既に把握している。

 あとは使者を送って一つ二つ甘言を囁けば、息子を快く思っていないあの夫婦はすぐにでも差し出すだろう。大丈夫。あの夫婦の事は嫌いだが、浅井を産んでくれた事だけは感謝している。だから、悪いようにはしないと心に決めた。

 あとは、ゆっくりとこの手の中に迎えるだけだ。

 そう。

 傷つけないように、精巧なガラス細工に触れるように優しく、逃げるのも忘れるくらいにゆっくりとこの巣の中に招き入れなければならない。

 浅井秋一。

 八年間、毎日思い続けた懐かしいその名前。

 浅井秋一。

 浅井お兄ちゃん。

 心の中で、明乃は何度も名前を呼び続ける。

 文字の一文字一文字を舐めるように、流れる線を指先で弄ぶように、舌の上でその音の味を楽しむように。そうすると痛いような、慈しみたいような、抱きしめたいような、あるいは喉元を食いちぎって殺してやりたいような不思議な気持ちになる。

 早く会いたい。

 写真で見た浅井の様子だと、多少やつれてはいるものの、見た目は八年前とさほど変わってはいなかった。

 買収した医者の話によると精神状態はあまり良くないらしいけど、それは時間をかけて治していくしか無いだろう。そしてじっくりと時間をかけて、今度は明乃が浅井の中に卵を産みつけなければならないのだ。

 大丈夫。

 既に八年も待ったのだ。

 この日の為に、八年もかけて堅牢な砦にも似た巣を造ったのだ。

 浅井がこの手に入るなら、その後にどれだけ時間がかかったって明乃は全く構わなかった。


 ★   ★   ★


 肉の無い細い体はすべらかで、その薄い唇は赤い紅で彩られている。

 髪は虎猫のようなまだら模様だが、昔のような単なる染ムラというわけでなく、薬品を使ってあえてそのような色合いになっていた。おかげで痛んだ様子はあまり無い。

 病院から今も出ている大量の内服薬のせいか、昔よりもいっそう眠たげなその瞳はぼんやりしていて何を映しているのかも定かじゃない。が、施した化粧のおかげもあって、人形にも似た不思議な美しさが見て取れた。

 とても、三十代の男とは思えなかった。

 西日の差す狭い畳の部屋の中。

 あの日、明乃が通っていた場所によく似せた作り物の部屋の中。

 あらかじめ女物の浴衣を着せられて横座りをしている女装の浅井は、その白い首に手をかけて縊り殺してしまいたい程に美しい。

 あまりにも性別を超越した妖麗さに、明乃は思わず息を飲んだ。

「……お兄さん」

 かつて自らどん底にまで突き落としたその青年に一歩、また一歩と近づきながら、男装の娘は呼びかける。

 すると声に反応したのか、のろのろと浅井の視線が持ち上がり、かつての少女の顔を捕らえた。

「だれ……?」

 年齢と見合わない、子供のように舌足らずな口調。

 明乃は獲物を捕らえた肉食獣のような笑みを浮かべると、その体を両腕で優しく抱きしめた。

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