つまり、何が相対主義者に関して気に食わないのか
つまり、一言で言うと
『「神」でも「キリスト」でもない奴に』
「「宗教的領域」で『偉そうに言われる筋合いはない』って事なんだ」
『それこそ「同じ対等な人間であり、神の真理でもない事を言われたところで、私は私の考えを
そんな奴の教説より『優先する』さ」という事』
「つまり、「聖書の権威」というもの「神の権威」というものを着ていない奴に」
『「宗教的領域」において『偉そうに言われる筋合いがない』って事』
なんで原理主義の牧師とかが偉そうに言うのを許可されるのかというと
「まだしも伝統的な「聖書」だとかそういう権威を背景にして『物事を言っているから』」
当然、牧師本人が『偉い訳ではない』(一応は、聖典という『根拠を持っているからだ』(昔はダイレクトに事実と信じられたので権威を持てた))
『元々、リベラル派や相対主義者には』
「その「力」「権威」に『根拠なんてないんだ』って事」(聖書が間違っているのならなおの事、『誰にも宗教を偉そうに説く権利や権威なんて『無い』)
「相手と自分は『対等な人間』であり」
『そもそも「無関係な赤の他人」であり』
「相手の言う事など、『一言だって聞く必要はない』」
昔、神父や牧師の言う事を人々が聞いていたのは
『「神」が『本当にいて』、「聖書」が『真実だ』と「思いこんでいたからにすぎない」し、『それ以上の理由なんかない』』
「つまり、『リベラル派』や「相対主義者」は『根本的に「変」なんだ』」(詐欺師もよいところである)
『あんな連中より、宗教なんて一切説かない、「無宗教の人間」の方が『よっぽどまし』さ』
「よっぽど「共感」を持てる」(「宗教」にも「人生」に対しても
『偉そうな事なんて言わないしな』)