その8 インターバル
俺は榊原 一馬。何だかよくわからないうちに何故だかよくわからないのだが何と言うことだ、全校集会で告白しなければいけないことになった。
言いくるめられたというか、逆らうことを許されなかったというか。
ぐちぐちぶちぶちと心の中で文句を垂れ流しながら、眠たい目をぐしぐしこする。
ただ今授業中。
数学の教科担任が、テスト前だから勉強しろと念を押している。
球技大会から一ヶ月。ちやほやと持て囃される時間はとうの昔に過ぎていた。
クラスの皆の反応もいたって普通。当然といえば当然だ。
別にそれに何かを思うようなことはない。元々クラスメイトとも上手くやれている。
イベントが終わり日常に戻り、その余韻までもが流されていった。
ただ、俺の様な極小数を除いて。
顔をあげた先。俺の席から斜め左前。何かを書き込む右手が見える。
視線をあげれば、真剣な眼差しを向ける横顔も。
一瞬、目があった。
たまたま彼女が振り返った。
慌てて視線を黒板に向けるが、変な風に思われなかっただろうか。
目が合った嬉しさと、言いようのない不安にどくどくと脈拍が早くなる。
少し釣り気味の漆黒の双眸。高く筋の通った鼻に整った唇。
それでも気の強そうに見えないのは、彼女の纏う雰囲気が柔らかいからだろうか。
再びちらりと視線を送るが、俯いているせいで長い黒髪に横顔すら隠される。
がっくりと机に突っ伏したくなるが、また不意に彼女が振り向くかと思うとみっともない恰好は出来なかった。
仕方がないので授業を聞く。中学校に入ってからずっとこんな調子だから、わりと俺の成績は良い。今度のテストも問題なさそうだ。
それでも、日を追うごとに気分が重くなっていく。
なにせテストが終わると全校集会があるのだ。
時間からは逃げられない。何をしても何もしなくても止まらない。戻らない。
日に日に見えない何かに圧迫されていく感覚。徐々に徐々に強く。
不安。一言で言えばそれ。ただ、その不安の源はなんだ?
大勢の前に立つ事か? それならどうして野次馬の前で勝負なんて出来た。
告白が失敗する事か?
いや、それはそうだろうけど……。
それなら俺は、あの時本気で否定したはずだ。
もう俺の覚悟は決まっている。無理矢理で目茶苦茶ではあるけど、少し感謝もしている。
ただの緊張のせいか?
知らぬ間に俯いていた視線をあげる。吸い込まれるように斜め前に。
「っ!」
再びぶつかった目が強く心臓を叩く。今度は逸らすことも出来ない。
このままじゃ、意識しすぎて身が持たない。
ちょうど鳴り響いたチャイムの音に、残念ながら救われた。
「ホント、びっくりするくらい解りやすいね」
「何回視線のバッティングをやってんだ?」
昼休み。髪をくるくると触る拓也と相変わらずでかい純にからかわれながら飯を食う。
否定も肯定もしない。俺が神崎さんを好きなことは二人以外知らない。
下手な事を言って皆にばれるのはなんか嫌だ。
「バレバレだけどね」
「なにせ俺が気付いたんだからな」
うーそーだー。
「ま、それも後二週間で終わりだ」
「おい純、それは秘密だろ」
「テストの話だろー?」
にやにやと意地汚い笑顔。
あの文脈でどうすればそうなるってんだ!
「そんなんだから国語の成績悪いんだよ」
「うるへー。他が良いんだからほっとけ。日本語なんて喋れたらいんだよ」
「ちゃんと喋れていたらね」
俺だけじゃなく二人とも成績は悪くない。
俺と純が五教科で400点前後。拓也が450点くらい。
まあ、別に関係ないけど。
だらだらと雑談をしているときは、圧迫感を忘れられる。
そのかわり、時間が早く流れるけど。
放課後。部活のある純と、なにかしら用があるらしい拓也と別れて一人きり。
球技大会が終わっても習慣としてランニングだけ残った。
ほんの少し肌寒い風を切りながら、トットットッと土を蹴る。
体力も筋力も三ヶ月前とは比べるべくもない。
まだまだ明るい4時前の公園。散歩道の先から見知った顔が向かって来た。
「薫さーん」
ぴたり。薫さんが声に反応して綺麗に止まる。
間近まで走り、俺もぴたりと止まって見せた。
「一馬君か。学校帰りかな?」
「はい」
「特訓はまだ続いているみたいだね」
「いや、あれはもう終わりましたけど……。というか知ってるでしょう?」
一部始終を話たんだし。
「野球の方じゃないよ、好きな人の方さ」
「ナゼソレヲ」
釣り気味の目を緩めて柔らかい表情を作る薫さん。お見通しとばかりに指を揺らしている。そっちの方は話していない筈なんだけどな。
照れ臭くて頬をかくけど、熱は引いてくれやしない。
「それよりどうだい? せっかくだし、一緒に走らないかい?」
「そうですね」
一人で走るより、楽しそうだ。
「どうやって告白するのか、気になるしね」
「あんまり言いたくないんですが」
喋りながら、一歩目を蹴り出す。
いつか走った時よりも、速いペースで。
いつかと同じように、喋りながら。
「実は……」
高島先生の思い付きを話したときは、おもいっきり笑われた。
「やっぱり可笑しいですよね」
「ふふ、ごめんごめん。相変わらずだと思ってね」
「どういうことですか?」
「体育の高島教諭だろ? 私が中学生の時にも同じように全校集会で告白することになった子が居てね」
「マジですか」
「大マジさ」
「どうなりました?」
「見事玉砕」
うぐぅ。言葉が詰まる。俺の行く末が見えるようだ。
「でも、本人は満足そうだったよ。こうでもしないと、うじうじ悩み続けたから」
「……そうですか」
俺もそうかもしれない。中学に入学してからそろそろ半年。片思いからも半年。なにも出来なかった。
空回りし続けるくらいなら、砕ける方が良いか。
ぴたりと、薫さんが止まる。
ぴたりと、俺も続き止まる。
たたら踏むようなことはない。少しは成長したのだろうか。
振り返る薫さんの口は、薄く笑みを浮かべていた。
いつものようにお店で一休みしてから帰宅。元気の良い妹の声に迎えられる。
「おかえりー」
「ただいま」
夕飯の匂いが鼻をくすぐる。今日はカレーだろうか。
「お、一馬帰ってきた?」
「姉ちゃん? 珍しい」
「授業が休講になってねー」
大学生とはそんなものなのだと、ない胸を張って笑う姉ちゃん。薫さんとは大違いだ。
「ない胸で悪かったわね!」
「カズマ、声にでてたよ」
最近何かが抜けてる気がする。拳で頭をぐりぐり。痛いけど自業自得なのでなにも言えない。
「姉貴、それくらいにしときなよ」
助け舟はイケメンから出た。流石兄貴。そつがない。
「今日は賑やかねー」
「雪姉ちゃんがいるからね」
エプロン姿の母さんまで出て来て収拾が付かなくなって来た。
「どうすんだこの状況」
「とりあえず、ご飯にしようか」
背後からの声。低く安定感のある、優しい声。
「父さん?」
「お帰りー」
「今日は早いね」
「お疲れ様」
「お帰りなさい」
思い思いの言葉を受けて、父さんはゆっくり微笑む。
「ただいま」
鶴の一声で場は収まり、久しぶりに家族揃っての夕飯になった。
たらふくカレーを食べた後の風呂上がり。ほてった体を冷まそうと麦茶を持ってリビングに入る。テーブルにソファに大きめなテレビ。フローリングの床が足元からも熱を取っていく。
姉ちゃんは部屋に篭ってレポート。兄貴は彼女さんと電話。雫は……さっきまでソファでテレビを見ていたんだろうけど、今はうたた寝中。
そしてテーブルでは、父さんが一人でお酒を呑んでいた。
「風呂、あがったよ」
「ん、そうか」
麦茶を片手に向かい側に座る。氷の入ったグラスに琥珀色の液体。違うのはアルコールの有無くらい。
「一馬」
「なに?」
母さんと同じ年齢を感じさせない皺一つない顔。それでも兄貴とは違う『渋さ』みたいなものが重厚な気配を作る。
ただ重いだけでなく、包んでくれるような安心感で。
「前に進むと言うのは、難しいな」
「……?」
「漠然と、目に見えない何かと闘いながら人は進むんだろうな」
「なにそれ?」
「お前も大きくなったな」
「そうかな?」
確かに身長は少し伸びたけど、まだまだ兄貴や純の方が高い。
「自分以上に相手を気遣えるなら、大人と言えるかもしれない」
「え?」
「だが、まだまだ子供であることには間違いないんだ。自分勝手でも良いから、思いきりやりなさい」
「父さん……?」
俺は何も話していない。それなのに、俺以上に俺の中の不安を見通していく。
「好きな子に迷惑をかけるのは、男の特権で責任だ」
「うん」
「どうなっても受け止めて、笑ってあげなさい」
「……わかった」
カラン。氷が泣く。テレビの音だけ静かに響く。
「うー、にゅ……」
雫の妙な寝言みたいな呻きと一緒に、グラスの中身を飲み干した。
「ソファで寝たら風邪をひくぞ」
「どうせ起きないから、部屋まで持っていくよ」
いつの間にか見下ろすようになった妹を抱き抱えて、リビングから出る。
扉を閉める前。振り返る。
「ありがとう」
「ん、おやすみなさい」
からからと、空のグラスが笑っていた。
「ふ、ふふふ、やっと話せたよ」
「お父さんは一馬に『相談』されませんでしたからねー」
「帰りも遅いし、休日も殆どなかったからね」
「最近はずっと特訓してましたしねー」
「やはり父親らしいこともしておかないとな」
「そうでもしないと出番がありませんからね」
「はっはっは。親はでしゃばりすぎない方が良いのだろう。母さん、もう一杯」
「ダメですよ? この前の健康診断でお酒を控えるように言われたでしょう?」
「か、母さんー」
母は強し。意味が違うけど。