勇者様のスポンサー
「――勇者アリア様! 先ほど放たれた極大魔術『聖光の裁き』、あれは避難が遅れた西区の民衆への配慮だったのでしょうか!?」
「アリア様、こちらに微笑みを! その笑顔が我々の明日の希望になります!」
降り注ぐフラッシュの光。
魔法の記録水晶を掲げた記者たちが、一人の少女を囲んでいた。純白の鎧に身を包み、サファイア色の瞳を輝かせた少女――勇者アリアは、完璧な、あまりに完璧な勇者の微笑みを浮かべて応える。
「はい。逃げ遅れた方々が多くいらっしゃいましたので、魔王軍に明確な力の差を見せつけることで、殲滅より撃退を優先しました。皆様の祈りが私の力です。一人でも多くの笑顔を守ること、それが主神様から預かった私の使命ですから」
その凛とした声を、記者たちは一言残らず記録する。人々の「希望」が「勇者の力」に直結する世界において、彼女の言葉は一発の極大魔法にも勝る価値があった。
群衆の端で、俺は冷めた手つきで手帳を閉じた。
アークライト通信社、勇者専属記者。俺は周囲の熱狂に同調することなく、鋭い視線をアリアに突き刺す。
「アリア様」
その声は狙い通り、喧騒を切り裂くほどに低く、事務的に響いた。アリアの肩が一瞬、微かに跳ねるのを俺は見逃さなかった。
「アークライト通信社のレオンです。今回の魔王軍幹部『絶望の毒蜘蛛』の撤退時の足掻きにより、西区の住宅街には三割の損壊が出ました。これを完全なる勝利と報じるには、いささか事実との乖離があるように思われますが? 勇者としての責任をどうお考えで?」
周囲の記者が息を呑む。勇者への不敬とも取れる質問。アリアは悲しげに瞳を伏せ、完璧な自省のポーズをとった。
「……レオンさんの仰る通りです。私の力不足です。失われた家屋の補償については、スポンサー企業と協議し、最善を尽くすと約束いたします」
「恐縮です。私も、物的な損壊より、人命を優先したことについては賢明な判断だったと認識しております。我々も微力ながら尽力いたしますので何卒。……以上です」
俺は一礼し、背を向ける。背後で「なんて無礼な記者だ」「アリア様が可哀想に」という蔑みの声が上がる。それこそが、俺の狙いだった。勇者をあえて「責める」者がいることで、大衆の「守ってあげたい」という保護欲求と信仰はより強固に、純粋なものへと昇華される。
***
深夜。
アークライト通信社の特別室。重い扉の向こう、俺は形式的な一礼をして口を開いた。
「夜分にご足労いただき、誠にありがとうございます、勇者アリア様。明日の号外の最終確認をお願いしたく――」
俺は、静かに「防音・遮断結界」の魔石に触れた。パチン、と魔法が発動し、外界の音が完全に遮断された。
「……う、うわぁぁぁん! レオンの意地悪! 鬼! 敵!」
その瞬間、勇者の仮面が剥がれ落ちた。アリアは俺の胸に全力で飛び込み、そのシャツを涙と鼻水で濡らす。
「ごめんって。……でも、あそこで俺が君を追い詰めないと、『完璧すぎて可愛げがない』っていう世論の反発が生まれ始めてたんだ。君は少しだけ『未熟』でいなきゃいけない。人々の保護欲を煽って信仰に変えるための、戦略的な演出だよ」
「わかってるけど……悲しいんだもん! レオンが私のこと嫌いになったみたいで……!」
「そんなこと、あるわけないでしょ。……ずっと愛してるよ、アリア。後々、世間が疑問視することを、前もって潰すことも俺の仕事だから。……いつも不安にさせてしまって申し訳ないけど、理解してくれ」
俺は苦笑し、ポケットから丁寧に紙に包まれた小さな焼き菓子を取り出した。
「ほら、これ。新作のフロランタンだ。父さんには内緒だけど、バターの配分を少し変えてみた」
「……! レオンの、お菓子……」
アリアの目が輝く。かつて剣術道場の跡取り娘として厳しく育てられた彼女にとって、近所のケーキ屋の息子だった俺が作る甘い菓子は、唯一の救いだった。
「……もう、これで許してあげるわね。……私、頑張るから」
アリアはカリカリと音を立てて食べ、幸せそうに頬を緩める。その横顔を見つめながら、俺は10年前のあの日を思い出す。
***
――500年に一度、巨大な彗星が近づくとき、世界には『勇者』と『魔王』という二つの存在が生まれる。それは主神と邪神の代理戦争であり、人々の「希望」や「信仰」が勇者の力に、「絶望」や「恐怖」が魔王の力に変換される冷酷なシステムでもあった。
あの日、アリアの実家である剣術道場に、神託の光が降り注いだ。
アリアの家の道場の門下生だった俺は、剣の才能が皆無で「お菓子作りの方が向いている」と笑われていた。アリアに見守られ、一人、居残り練習をしていた俺の目の前で、その日、アリアは「勇者」に選ばれた。
「私、怖いよ、レオン。……戦いたくない。みんなが死んじゃうかもしれない世界なんて、背負いたくないよ……」
道場の裏庭で震える彼女を見て、俺は自分の無力さを呪った。慰めの言葉も、応援の言葉も、俺が守ってやるという安心させる言葉も出てこない。……だが俺は、アリアが遠くに行ってしまうと思い、自分の思いを素直に伝えた。
「アリア、聞いてくれ」
俺は、震える彼女の手を握った。
「俺は君が好きだ。君が勇者になっても、一人の女の子として愛してる」
「……え?」
アリアの目から、大粒の涙が溢れた。
「なんで……なんで、こんな時に言うのよ! 私も……私だって、レオンが好き! ずっと、隣にいて……! でも、勇者になっちゃったら、一緒にはいられない……!」
「ありがとう、アリア……すごく嬉しい……。でも、そうだよな。剣の才能のない俺では、アリアの隣で一緒に世界を救うことはできない……。それに勇者なんて、世界中のみんなに愛される、清廉であることが求められるから、俺たちの想いは公にできない」
勇者は世界に愛され、信仰される「偶像」でなければならない。それは、これまでの人類の勇者の歴史が示していた。勇者の色恋沙汰なんて、一番敬遠されるゴシップだ。
「……だから、俺も決めた。俺は剣を捨てる。その代わりに、ペンを持ってアリアの隣に行く」
俺は彼女の涙を親指で拭い、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「世界で一番初めに君を好きになった俺が、君を世界で一番愛される存在にしてやる。――世界一のスクープとしてね。だから、アリアの隣に居続けるために、俺は世界一の記者になるよ」
それが、二人の契約だった。恋人であることを隠し、一人は「人類の希望」として。一人は「彼女を輝かせる記者」として。世界を救うための嘘と、二人だけの真実。
***
「……ねぇ、レオン。次はチョコチップクッキーがいいな」
現在の特別室。涙を拭いたアリアが、悪戯っぽく微笑む。……そんな彼女が愛おしい。
「……検討しておこう、勇者様。ただし、明日の演説で一文字も噛まなかったらね」
「ありがと! それなら問題ないわね! ――♪」
ご機嫌のアリアは、そういって得意の歌を口ずさむ。
その旋律は、演説の時の張り詰めた声とは違う。春の木漏れ日のような、柔らかく、聴く者の心を無防備にさせる響きを持っていた。
(……やっぱり、いい声だよな)
俺は心の中でそう呟き、再びペンを握る。
彼女の聖剣を研ぐことはできないが、その切れ味を支配する「言葉」の刃を研ぐために。
いつか彼女が魔王を討ち、勇者から解放されるその時まで。




