プロローグ
世界は大きな勘違いをしている。 「サトシ・ナカモト」とは、一人の天才の名前ではない。
Saiga……構想と設計
Towa………プログラム実装
Shion……ハードウェア・インフラ
Nash……経済・ゲーム理論
Kais………暗号・セキュリティ
Morgan…ネットワーク通信
Tony………財務・資産管理
我々7人の創設者の頭文字を繋げた、共同体のコードネームだ。
今や世界を席巻するビットコイン。 それは単なる電子データではない。国や銀行という「中央の管理者」を排除し、数式とプログラムへの信頼のみで成立する、人類史上最も公平なシステムであり通貨だ。
すべては、20年前のあの日から始まった。
* * *
「なあトワ。俺は、自分の手で『国』を作ろうと思っているんだ」
熱気がこもる安アパートの一室。 幼馴染のサイガは、扇風機の風に当たりながら、とんでもないことを口にした。
「国? またお前の悪い癖か。RPGのギルド作成とはわけが違うんだぞ」
「本気だ。今の国家システムはバグだらけだ。生まれた場所や政治家の都合で、個人の価値が勝手に決められる。そんな理不尽なゲームからは、ログアウトすべきだろ?」
サイガは少年のように笑い、画面に表示された複雑な数式を指さした。
「新しい国を作るには、土地も軍隊もいらない。まずは『通貨』だ。誰にも支配されない、純粋な数学的信用によって成り立つ通貨が必要なんだ」
彼は俺の肩を掴み、真っ直ぐに目を見つめた。
「トワ、お前のプログラミングスキルが必要だ。俺と一緒に、自由国家を作ろうぜ」
その無茶苦茶で、けれど眩しい夢に、俺は人生を捧げることを決意したのだ。
「・・・それで、通貨のアイデアってあるんだろうな」
「ああ、あるぞ!銀行を通さず個人間で通貨を取引できて、それを通貨を持っている周りが承認できるようにしてだな」
気づけば、日が明けていた。
「理論も思想もたしかに筋は通ってるな。でも俺一人じゃこれを作るのは無理だぞ」
「大丈夫さ。何人か心当たりがある。そいつらも説得する」
* * *
そして現在。 国際法上も承認された俺たちの非中央集権型の国で、今夜は建国を祝うシークレットパーティーが開かれていた。
会場は都内の最上階にあるラウンジ。 重厚な扉の前には警備員もいない。あるのは音声入力パネルだけだ。 最初のビットコインのブロック(ジェネシス・ブロック)に刻まれたメッセージを口にする。
『The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks.』
カチャリ、と重いロックが外れる音。 中に入ると、円卓を囲んで懐かしい顔ぶれが揃っていた。
「遅いぞトワ! お前が最後だ」
「ごめん、シオン。マイニング工場の排熱処理が気になってな」
ハードウェアの天才シオン、経済理論のナッシュ、暗号のカイス、通信のモーガン、財務のトニー。 そして、リーダーのサイガ。
サイガは窓の外に広がる、俺たちが作り上げた国の夜景を見下ろしていた。
「……絶景だな。これら全てが、俺たちから生まれたなんてな」
彼は振り返り、極上の酒が入ったグラスを掲げた。
「乾杯しよう。中央集権からの解放と、俺たちの自由な国に」
7つのグラスが触れ合う。 その澄んだ音は、俺たちの勝利のファンファーレそのものだった。 ――その液体が喉を通り過ぎる、その瞬間までは。
「……ぐ、っ!?」
衝撃は胃袋からではなく、神経系から直接来た。 視界にノイズが走る。手足の感覚が、まるで接続を切られたデバイスのように認識できなくなる。 ガシャン、とグラスが落ちる音が重なる。 俺を含め、6人がその場に崩れ落ちていた。
薄れゆく視界の中、ただ一人。 悠然とグラスをテーブルに置く男がいた。 財務担当のトニーだ。
「……すまないな、みんな」
「ト、ニー……おまえ……」
サイガが床を這い、トニーを睨みつける。
だがトニーの表情に、罪悪感はなかった。あるのは、冷徹な独裁者の目だ。
「サイガ、君の理想・思想・哲学は素晴らしいよ。『誰もが平等な分散型の国』か。……だけどそれは美しすぎる」
トニーはサイガの頭を踏みつけた。
「国には『王』が必要だ。 この国も、ビットコインも、すべての富と権限は、唯一絶対の支配者が管理すべきなんだよ」
こいつは支配しようとしている。 俺たちが作った、誰もが自由であるはずの場所を。自分だけの王国にするために。
それは俺たちとは全く逆の思想だった。
こんなやつが紛れ込んでいたなんて。
「私はこれからサトシ・ナカモトとして表舞台に立つつもりだ。君たちの秘密鍵もすべて私が管理する。そして私は、数百兆の金を使って、この世界の『王』にでもなろうかな」
ふざけるな。 意識が遠のく中、俺は隣で動かなくなったサイガを見た。
悔しい。 悲しい。 いや、違う。
(……認めない)
俺たちの夢を。サイガの理想を。 こんな独裁者の道具になんかさせてたまるか。
プツン、と世界が暗転した。
* * *
暗闇の中、俺は青白いシステムウィンドウと対峙していた。 死後の世界ですら、俺の目にはプログラムとして映る。
【致命的なシステム・エラー】
【魂データの破損を確認……消滅プロセスへ移行します】
「……消滅、させるかよ」
俺は魂だけの存在になっても、エンジニアだ。 この死後のシステムに、強引に割り込みをかける。
「取引を申請する!」
【警告:不正なアクセスです】
【警告:不正なアクセスです】
【警告:不正なアクセスです。・・・ユーザーのアクセス権を再確認。100兆円以上の資産を確認。これより転生プログラムを起動します】
【転生権利の購入には、100兆円相当の対価が必要です】
「安いもんだ」
俺は震える思いで、6人分の承認ボタンを叩き押した。
「600兆円だ。……釣りはいらねぇから、俺たちをその世界へ送れ!!」
どうせ、現世では使えないし裏切り者に奪われる金だ。
全部使っちまえ。
【……対価を確認しました】
【サトシ・ナカモ...の6名の魂を受理】
【転送先:剣と魔法の世界】
待っていろ、サイガ。お前の作りたかった国は、俺が必ず完成させる。
光の渦に飲み込まれながら、俺は誓った。
これは負けではない。
これは、俺たちによる「世界再編」の始まりなのだ。




