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マルヴァレフト公爵領の本邸へ来て二週間が経った。
夫となったクリスティアン様とは、本邸に到着した日の夜に初夜を済ませたのである。
前世ぶりの睦言にドキドキしてしまったのは内緒だ。
さすが騎士として鍛えられた体は筋肉美と言っても過言ではない。クリスティアン様引き締まった腹筋や、情欲に濡れた表情に翻弄されてしまった。
クリスティアン様は五日ほど休暇を取られていて、その間は連日夜伽が続いてしまい起きる度に赤面する私に、クリスティアン様が面白がってイタズラを仕掛け、そのままーーーと甘々な時間を過ごさせて頂きました。
クリスティアン様は休暇が明けた日から、領内各地にある代官所を回って帳簿の確認や、統治に対する不満や要望の聞き取りで不在のまま。
当主が不在なので、本邸の家政と執務に励む事にする。
邸について分からない事があれば、執事頭のアールノに質問すれば良い。イケおじであるアールノには息子がいて、その息子トピアスはクリスティアン様に同行している。
この二週間の間に邸内を回り、亡くなったお父様とお兄様の部屋に設置されている魔道具と付与を確認した。それらは正常に作動していて不具合が見つからない。
私でも同じ物が作れるか分からない魔道具に、強力な付与魔法をかいくぐって病死に出来るのだろうか。
二人の不審死は謎に包まれたままである。
どこかにヒントはないだろうか。
こうして一人で悶々と考え込むより、何か気を紛らわせる事を見つけたいと思う。
本日の執務を終えた私は、執務机から移動してソファへ腰を降ろす。
「ねえ、ユリア」
専属侍女の名を呼び、空いた時間を有効活用する。
「はい、奥様」
「明後日は休日になるから、伯爵領とウイット漁港ではどちらに行きたい?」
伯爵領の事業は準備段階のまま進まないので、ひとまず保留にしておく。ユリアの選んだ場所が伯爵領なら、別の事を探すのみだ。
「ウイット漁港が良いです!」
ずっと行きたがっていたので、ユリアの選択肢に入れて正解である。
私も凄く興味があるので行ってみたかった。
「奇遇ね。わたくしも行きたいと思っていたのよ」
「場所は……」
ユリアがすかさずテーブルの上に地図を広げる。
「あ、ここですね。ここからの移動時間を誰かに尋ねましょうか?」
地図はおおよその位置は分かるが、実際の距離などは記されていない。
道も大通りを始め脇道や近道もある可能性が高い為、通ってみないと分からないのだ。
「そうね、最初は馬車で移動しなくちゃいけないのが面倒ね。でも次からは一瞬で行けるわよ」
知らない場所へ移動できないのは不便だが、これも最初だけの苦労だ。
地図で見た場所へ簡単に移動できるようになれば楽なのに。
「奥様の能力は素晴らしいです」
デキる侍女は私を褒め称える事を忘れない。
誰かに褒められるのは活力に繋がる。
「サルメラ大森林にも興味あるから、後でアールノかサムエルに聞いてみましょう」
サムエルとはクリスティアン様の専属の護衛騎士だ。
クリスティアン様は別の護衛騎士を連れて行ったので、彼が不在中は私の護衛をしてくれるらしい。
私にも専属の護衛騎士が二人いる。
エーヴァ・オッツァラと、イェンナ・キヴァリの二人だ。
女性騎士だが物凄く強い。
ユリアと一緒に伯爵家から公爵家へついて来てくれた。彼女たちは幼馴染のような存在である。
「奥様、同行者は如何なさいます?」
「そうね……最初は土地勘がないから、サムエルに頼りましょうか?」
当主専属の護衛騎士であれば、領地内は把握しているだろう。
「案内役は必要です」
私の言葉にユリアは強く頷く。
「じゃあ、今回は二人は留守番にしてもらう?」
「それだと荒れそうです。一緒に同行された方が良いですよ」
「今後の事もあるし同行しておいた方が良いわね」
彼女たちは私が邸内にいる間、騎士団の駐在所で騎士団員と一緒に鍛錬をしているようだ。
騎士団員たちは魔法の攻撃をする者が少ないらしく、実践で叩き込んでいるらしい。魔力は使わないと増えないので、良い訓練になっていると思う。
「さて、そろそろ厨房へ行きましょう」
もうすぐ夕刻になるので、ディナーの準備が始まる時間帯だ。
これはデビュタントの夜会で会った時、クリスティアン様に言っていた事である。
食事改善は私にとって重要案件なのだ。
「食材選びも楽しいわよね」
今夜のメニューを考えるだけで楽しくなってしまう。
「奥様、わたくしは肉料理が良いです。香草焼き?」
「それも良いわね」
私はユリアを伴って執務室を出た。
廊下に出ると窓から差し込む日差しが眩しい。
日の光は気にならないのに、西日が当たると目を開けていられなくなる。
手を当てて影を作り、そのまま厨房の方へ足を向けた。
「奥様!」
料理長のルーカス・プルックが私に向かって頭を下げる。
彼の料理は絶品だが、やはりこの世界の調理法は納得いかない。
「今夜のメニューを決めて良いかしら?」
「勿論です」
「材料は……魔鳥の在庫は充分あると良いのだけど」
「魔鳥の在庫なら他の肉より多目にあります。騎士団の方々が狩ってくれますので、特に多く手に入る食材ですよ」
魔鳥は危険度の低い魔獣でありながら、食材としては最高レベルなのだ。
「香草焼きのリクエストを貰ったから、魔鳥の香草焼きと……根菜のソテーに、イモがあればサラダね」
「奥様の発案したレシピは邸内だけじゃなく、騎士団の方でも人気が高いですよ」
前世の調理法なので私が発案したわけじゃないけど、私みたいな転生者が他にも存在しているのか知りたい所だ。
それでも自分が作ったものを、「美味しい」と言ってくれるのは純粋に嬉しい。
「嬉しいわ」
自然と笑顔になってしまう。
「それとポテトチップですか? アレは酒が止まらなくなりますね」
「ふふふ、悪魔の食べ物なのよ」
「悪魔?」
「そう! 食べ過ぎるとふくよかになってしまう悪魔の食べ物」
「なるほど!」
料理長のルーカスが自分の腹を撫でている。
チーズ焼きもパリパリして美味しいけど、これからも私が前世で食べていたメニューを少しずつ披露していくつもりだ。
倉庫から魔鳥の肉を取り出して貰い、下準備に取り掛かる。
フォークを刺してから下味をつけていく。
下味をつけてからハーブ類を乗せて三十分ほど寝かせておくので、その間に他の調理を始める。人参とイモの皮を剥いてもらい、適当な大きさにカットしてから水を張った鍋に投入。
塩も少し入れて火をかけて茹でる。
茹でている間に別の作業をしていると、ほどよく柔らかくなったイモと人参をザルに移し、水を十分に切ってからボウルへ移す。
そこへバターと塩コショウを入れてかき混ぜ、熱を取っていく。輪切りにしたキュウリと角切りにした生ハム、色どりよく豆を入れて再び混ぜ合わせると、ポテトサラダっぽいものが完成。
空間収納からレタスを取り出して皿に乗せ、その上にポテトサラダもどきを盛りつける。
香草焼きはオーブンでこんがり焼いてもらい、別の皿へ。
添え付けにカブのソテー。
ブロッコリーがあれば良かったのに、この世界にブロッコリーはない。他国で栽培しているなら取り寄せたいが、父から聞いた事がないので伯爵領で量産する事にしよう。
一人で食べる料理は美味しくないので、クリスティアン様が不在の間、私は使用人たちと一緒に食べている。
「奥様、コレ美味しいですね」
彼女は侍女頭のミカエラで、メリルオト子爵夫人という立場でもある。
「ポテトサラダかしら?」
「イモがこんなに美味しいなんて知らなかった……」
「色んな料理に仕えて万能食材なのに、勿体ないわね」
「奥様が嫁いで来られてから、この公爵邸の食事が充実しています」
嬉しい事を言ってくれたのはメイド頭のウルスラで、彼女もパーシヴィルタ子爵夫人という立場だ。
他にも家政婦長のヘルガ・ハルヴァリ伯爵夫人、そしてメイドのリーサ・ホランティ男爵令嬢がいる。この場にいる使用人は全員が貴族だ。
独身なのはユリアとリーサの二人だけで、他は既婚者である。
「以前、知り合いの茶会で奥様の噂を聞きましたが、どなたの事を言っていたのか」
不意にミカエラが呟く。
「わたくしの悪評は身内が流しているので無視してくれて構わないわよ」
「どういう事でしょう?」
そこへユリアが顔を顰める。
「奥様には二つ上の双子のお姉様がいまして、奥様があまりにも有能なのが気に入らないらしいのです」
「もしかして、婚約者を追い回していたという双子の姉妹ですか?」
ユリアの言葉にリーサが反応した。
「実は私と学年が同じで、当時は学院で有名なお二人でした」
リーサは姉二人の同級生だったらしい。
「妹のカトリーナ様はそこまで酷くなかったんですが、姉のカタリーナ様が……確か奥様の当時の婚約者様は、ケラネン伯爵令息様とクレーモラ侯爵令息様でしたよね? 同じ学年だったクレーモラ侯爵令息様は、もの凄く人気があって女生徒に囲まれていたほど。その彼を追いかけ回し、挙句の果てに媚薬を盛って既成事実を作るような強烈な方という認識です」
「実の妹の婚約者を追いかけ回すって……はしたない」
これには家政婦長のヘルガもドン引きである。
「奥様はお姉様たちに絡まれるのを避ける為、スキップ制度を利用して先に卒業なさいました」
ユリアの言葉にミカエラが何かを察したようだ。
「それ! 奥様は授業についていけないから、途中で退学されたっていう噂話も聞きました。事実は全く違うものでしたのね」
ミカエラは納得したような表情を浮かべた。
「奥様の悪評は子爵令嬢と男爵令嬢から始まっているので、伯爵家の人間に届いているのか分かりません。お姉様たちの取り巻きが子爵令嬢と男爵令嬢、そして準男爵とか騎士爵あたりの家なので」
「だからわたくしの耳に入ってこなかったのね」
家政婦長のヘルガが頷く。
「奥様のご実家は伯爵家ですのに……」
「お姉様たちの素行が悪いので、子爵家より上の令嬢は近づかなかったと思います。本当に頭の悪いお二人で、奥様の輿入れが決まった時もひと悶着ありましたし、また何かしら絡んでくるかと思われます」
ユリアの不満が止まらないようだ。
実際、その現場を見ているのだから仕方ない。
「カトリーナ様の上昇志向は素晴らしいと思いますが、頭が空っぽなのに旦那様を狙うなんて無謀にも程があります。その前の奥様の婚約者でいた侯爵令息様も狙っておられましたし。伯爵令息様の方はカタリーナ様の方が夢中になっておいででしたね。妹の婚約者なのに……あの二人はどうしようもないくらい頭が悪いのです」
「奥様のご実家の伯爵家なら、幾つもの婚約の打診はありそうに思うのですが……」
ヘルガは不思議そうな顔を浮かべながら呟く。
「奥様は王宮で行われている貴族子女の茶会へ初めて参加した際に、最初の婚約者になった令息に見初められたのに。その茶会に参加されている回数が多いお姉様たちの方は、令息に声をかけられるどころか誰にも見初められませんでした。二人目の婚約者は学院の生徒会の会合で知り合った直後に打診がきましたが、同学年のお姉様には全く興味を示されていなかったと思います」
ユリアは今までのうっ憤を晴らしたいのだろうか。
姉たちに対する不満が凄すぎる。
「でも本当に不思議です。お二人は奥様と面差しが似ていて、私の学年でも入学当時は美人姉妹で有名でした。その後は……微妙ですが」
「奥様の祖母様が三行半を叩きつけたので、自力で嫁ぎ先を探すしかありませんわ」
ユリアの言葉に一同が「まあ」と一斉に呟いた。
今夜の食事は私の身内ネタになってしまったが、やはり誰かと食事をするのは楽しい。
食後のお茶を楽しんでから、自室へ戻る。
明日はウイット漁港へ視察へ向かうので、早々に休む事にした。
翌朝、朝食を済ませた後、ウイット漁港へ向けて馬車で進む。
今回の同伴者は案内役のサムエル、エーヴァとイェンナにユリアである。
馬車に乗っているのは私とユリアとイェンナの三人で、サムエルとエーヴァは乗馬で向かうらしい。護衛騎士なので馬車に乗らず、乗馬の方が護衛しやすいからだろう。
のんびりとした旅行気分だ。
「奥様、ウイット漁港の風景が楽しみですね!」
ずっと気になっていた場所だけに、ユリアは楽しそうである。
漁港といえば港街っぽい景色だろうか。
漁船だけじゃなく貨物船があったら夢が膨らみそうだ。他国の珍しい物が見つかればテンションも上がる。
魚介もどんな種類があるのか興味はあった。
「潮の香りがする」
前世で住んでいた場所の近くに海はなかったが、学生時代はよく海水浴へ出かけたものだ。社会人になってから全く行かなくなってしまったが、潮の香りを嗅ぐと学生時代の思い出が蘇ってくる。
「奥様、不思議な香りですね」
「そう?」
伯爵領に海がないので、ユリアとイェンナにとって初めて嗅ぐ海の匂い。
潮の香りが強くなると、ようやく波の音が聞こえてきた。
しばらくすると馬車が止まり扉が開く。
「奥様、到着しました」
「ありがとう」
エーヴァに支えられて馬車を降りる。
目の前に広がるのは群青色の海。
視界の先には桟橋と停泊している漁船と貨物船だ。
浜辺に並ぶ露店から、香ばしい香りが漂っている。
「素晴らしいわ!」
「すごい数の露店ですね」
「午前中だけ露店が並びますが、午後には撤退して何もなくなります。ゆっくりと買い物をするご予定なら、この先にある央市場がお勧めですよ。新鮮な魚介だけじゃなく、他国の民芸品や珍しい果実など色々あります」
「そちらも楽しみね!」
貨物船を目にした時から、他国の物があるのではと期待していた。
その前に露店で売られている串焼きを食べるのは、異世界転生あるあるだと思う。
「あちらから見て回りましょう」
「はい、奥様」
私とユリアは浮足立って歩く。
目ぼしい物があれば買って帰りたい。
ひとまず今夜の夕食用に魚介をたくさん買うつもりでいる。
露店に並ぶ魚介は、見た事がない魚が多かった。おまけに魚の大きさが特大な種類が多い。
大体シャチくらいの大きさだろうか。
これはさすがに一人で捌くのは無理がある。
料理長なら大丈夫だろうか。
ここへ来る前に確認しておけば良かった。
「ねえ、サムエル」
「はい、奥様」
「あの魚をルーカスは解体できると思う?」
「彼なら大丈夫だと思いますよ。ここは彼の地元ですので慣れているかと」
「まあ! それなら遠慮はいらないわね」
私は目についた魚を次々と購入していく。
魚だけで数種類を各二十尾ずつと、ホタテに似た貝類に巨大なタコとイカも購入した。
「荷物持ちを覚悟していましたが、奥様の能力は便利ですね」
「ふふふ、これでいつでも新鮮な魚介が楽しめるわね。お肉も良いけど魚も食べたかったの」
「奥様、アレが気になります」
ユリアが指したものは、貝の網焼きである。
「美味しそうね」
「香ばしい匂いが食欲をそそります」
ユリアにねだられて網焼きを人数分購入し、邪魔にならない場所で食べ始めた。
「美味しい!」
しかも味付けは醤油。
もしくは魚醬かもしれない。
魚醬は匂いと臭みがあるみたいだから、やはり醤油にだろうか。
「この調味料はどこで手に入るの?」
網焼きをしている年配の男性に尋ねる。
日に焼けてワイルドな見た目だ。
「これは中央市場の調味料売り場で手に入りますよ」
「教えてくれて有難う」
次の目的地は中央市場にしよう。
他国の民芸品も気になっているし、珍しい果物にも興味がある。
ごきげんな様子で歩き出した私の腰を、伸びてきた腕に背後から抱き寄せられた。
「え?」
そのまま強く抱きしめられる。
私の肩に頭を乗せられ、その相手の香水が鼻をかすめた。
「我妻よ、楽しそうだな」
まさかのクリスティアン様だった。
「クリスティアン様?」
「ここへはお忍びか?」
私を抱きしめたまま問いかける。
約十日ぶりのクリスティアン様の匂い。
「漁港に興味がありまして……」
私が答えている間も抱きしめる腕は緩まず、更に強く抱き寄せられている形だ。
どうしようドキドキが止まらない。
「旦那様! あれ? 奥様?」
侍従のカレヴァ・ルオッカが息を切らせながら声を上げる。
「領主様、お勤めご苦労様でございます。そちらの女性は?」
網焼きをしていた男性がクリスティアン様と、私を交互に目を向けていた。
「ああ、この女性は我妻でリューディア・マルヴァレフト公爵夫人だ」
領民の前なのに抱きしめている腕を解かない。
見せびらかすかのように抱きしめたまま。
この状態でいるのが恥ずかしい。
「領主様の奥様でしたか!」
網焼きの男性に笑みが浮かぶ。
生暖かい目で見られてしまうと居たたまれない。
この態勢のままクリスティアン様と網焼きの男性が会話を続けている。
私は恥ずかしくて顔を下に向けたまま、二人の会話をやり過ごす。
ほどなくして腕が解かれ、ようやく体が自由になった。
「リューディア、二十日後に一時帰還する。その時にサルメラ大森林を案内しよう」
「はい、ご帰宅をお待ちしております」
ふんわりと笑みを浮かべて告げると、クリスティアン様が頬に唇を寄せる。
唇じゃなかっただけマシだが、これも意外と恥ずかしい。
真っ赤になった私の顔を見て満足気に頷き、侍従を引き連れてクリスティアン様が去って行く。
少しの時間の逢瀬だったが、彼の顔が見られて満足する。




