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まだ肌寒い気温の中、私は馬車に揺られマルヴァレフト公爵領へと向かっていた。
アールトネン伯爵領から馬車で数日。
王都から東部へ向かって半日ほどの距離だが、南部に位置するアールトネン伯爵領からだと距離が長い。おまけに広大な面積を誇る公爵領である。
領地の敷地内へ入ったとしても、本邸までどのくらいの距離があるのか。地図を確認したけれど、図面と実際の景色では計り知れない。
一度行った事のある場所へは、空間魔法で移動は可能になる。
ヴィヘルヴァ王国の南部プリンシラ地方は、農作に向いている気候と土壌の性質のせいか、その景色は作物の持つ色素により色鮮やかだったり、穀物の穂が黄金色に輝く景色は見事なものだ。
そして配置良く並んでいる果樹園の木々も季節によって景色が違う。
農耕地帯だけあって素朴な家が多い。
徐々に南部から東部へ近づくにつれて、外の景色ががらりと変わる。
外商や近隣を往来した事で出来た道も舗装されたものへと変わっていき、馬車の揺れがなくなっていく。
「景色が変わりましたね、お嬢様」
視界の先に見える深い森。
ほんの一部しか見えないが、大森林の広さは小国ほどの規模らしい。
「そうね……あれはサルメラ大森林かしら? 想像より遥かに広い森林ね。魔獣の生息地って聞いているし、どんな魔獣がいるのか気になるわ。あちらに見えるのはヴァーラ鉱山かしら。あの鉱山では魔鉱石だけじゃなく、アダマンタイトやミスリルが採掘できるそうよ」
この数日の間に、マルヴァレフト公爵領について学んだ事を思い出しながら呟く。
「わたくしは個人的にウイット漁港が気になっております」
漁港と言えば海鮮!
シーフード料理が楽しめる。
「そうよ! 漁港もあるんだったわ! この公爵領は夢が広がるわね」
海鮮があるなら調味料を作りたい。
魚介でダシを取った味噌汁が飲みたくなる。
王都まで半日の距離という立地なので流通に不便はなさそうだが、王都以外での他の領地や商会の取引とか。
運搬する時は氷漬けにしているのか、または保存の効く一夜干しにした干物もありそう。
「領地の特産品も豊富でございますし、ここで新たな事業を展開する必要ございますか?」
マルヴァレフト公爵領は魔獣が多く出るので、その魔獣の素材や上質な肉は有名だ。それに魔鉱石やアダマンタイト、ミスリルも武器や装飾品として加工されたものが流出している。
シルヴォラ山では自生した果実に山菜が豊富だと聞く。
その山の麓は気候が涼しく、貴族たちが避暑地として別荘を建てるほど人気が高い場所だ。周囲も自然豊かで湖があるのでボート遊びをしたり、馬で遠乗りへ出かける人もいるらしい。
他にも名所はありそうだが、漁港も気になって仕方ないのだ。魚介類は口にする事もあるけど、新鮮なものはお目にかかれなかった。
そういえば、私以外に空間収納を持っている人って存在するのか。
兄でさえ空間収納のスキルがなく、私が兄のバッグや他の入れ物に付与魔法で拡張バッグ、もしくはマジックバッグにしたのだ。
今回の引っ越しも空間収納へ荷物を保管しているので身軽である。
侍女のユリアにもマジックバッグを与えているので、荷物の持ち運びが楽になったと喜ばれた。
「この領地は豊ね……道が綺麗に舗装されているわ」
道の舗装が出来るほど、統治が上手くいっている証拠だろう。この舗装は真新しいものではなく、程よく使い込まれている感じだ。きちんと舗装されているおかげで馬車の揺れがない。
「お嬢様、前方に何か見えます」
馭者席から声をかけられ、前にある小窓から覗き込む。
かなり距離があるせいか豆粒にしか見えないが、あれは人間と馬で間違いないと思う。
「もしかしたら公爵家の者かもしれないわ」
地図で場所は分かるが、その地図には区域ごとの地名と都市名はあるが、本邸の所在地は記されていなかった。領主が邸を構える場所は二通り。
一つは市街地を避けた場所へ建てるか、もう一つは首都に建てる。
どちらに本邸を建てるかによって、その地域の領主の気質が見えるらしい。当てずっぽうで言うなら、市街地に邸を構えるのは領民に寄りそうタイプ。
わざわざ首都へ存在をアピールするように建てる領主は、見栄っ張りや自己顕示欲が強いタイプだろう。
私なら市街地へ本邸を建て、別邸として首都に建てておくタイプだ。
あとは地域ごとに別邸を置いて、領地の見回りの際に利用する。これは歴代の領主も同じ考えだから、領内の各地に別邸があるのは領地もちなら当たり前の事だった。
そういった事を考えているうちに、人影が近くなっていく。
「あれはーーーまさか公爵様!?」
まさか領主自らお出迎えをしてくれるとは。
馬車のスピードが緩やかになると、ほどなくして止まった。
「公爵様、わざわざお出迎えして頂き光栄でございます」
「いや、こちらこそ伯爵邸へ迎えを寄越さず申し訳なかった」
「恐縮でございます。それと……地図に邸の所在地が記載されていなかったので、お出迎えをして頂いて助かりました」
「そうか」
本邸はサルメラ大森林の麓に近い場所にあるらしい。邸の裏側に大森林があるという事は、本邸は要塞みたいな造りかもしれない。
おそらく公爵家の騎士団本部もありそうだ。
公爵様は自分が乗って来た馬を馬車へ繋ぎ、自分は馬車へ乗り込む。
ユリアと向かい合って座っていたので、公爵様は自然に私の隣へ腰を下ろした。
「馬車をーーー前方に案内役がいるから、それの後を追ってくれ」
公爵様が馭者へ声をかけ終わったと同時に馬車が再び動き出す。
「そういえば、先ほどサルメラ大森林の事を聞いていたな」
「ええ。サルメラ大森林は魔獣が生息している以外、一般的な森と変わらないのでしょうか?」
「リューディアはサルメラ大森林が気になるのか?」
いきなり呼び捨て!
さすがに婚姻手続きをした後だから、家名やレディ呼びは不味いのか。
姉二人が本邸へ押しかけてきた五日後、婚姻の書類にサインをして神殿へ提出したのだ。結婚式は領内が安定した後を考慮し、一年後に結婚式と披露宴を行う。
結婚式についての細かい作業は私がやる事になった。
これまで行われた歴代の公爵家の結婚式について、古くから仕えている執事や侍女長に聞く事にする。
書類だけとはいえ、私は正式な公爵夫人となった。
その夫である公爵様が、私を呼び捨てで呼ぶのは当然である。名前呼びに動揺したのを恥じ、心を落ち着かせて思っていた事を告げようと口を開いた。
「魔獣が生息しているのは魔素が豊富な証拠なのです。豊富な魔素は薬草の栄養源にもなりますから、もしかしたら薬草の種類も豊富なのかしらって……個人的に知りたかったのです。魔獣が多く生息している森林があるのに、公爵領の特産品に薬草や回復薬がないのは不思議だったのでーーー」
「なるほど」
私の話に公爵様は頷き返す。
「魔獣討伐以外では森林の奥へ足を踏み込む事をしなかった。それと森に自生している植物にも、これまで一度も目を向けていなかったと思う」
魔獣といっても危険度が低いものから、命を落とす危険レベルなものまでいる。そんな命からがら討伐しているのに、森の植物生態まで目を向ける余裕などないだろう。
危険度が低い魔物の生息地であれば、その近辺も調査対象となるのだ。薬草はあらゆる物の素材となるので、野生の薬草が見つかれば効能と育成条件を調べ、その条件に合った環境を作って育てる。
公爵領にある大森林は手つかずの環境らしいので、野生の薬草が期待できそうだ。
「危険は承知で申し上げますが……わたくしが確認する事は可能でしょうか?」
「リューディアが?」
「はい。素人の目には雑草に見える種類もありますので、専門家か詳しい人材の方が調査もスムーズに行えます。それに、わたくしは意外と強いのですよ。ブラックドラゴンはさすがに一人では無理ですが、大抵の……ランクで言えばA級以内であれば単独で狩れますわ」
「単独でランクAまで可能かーー俺の部下に指導して欲しいくらいだ」
「日々鍛錬を行い、領民の為に魔獣を討伐して下さっている方に滅相もございません」
「謙遜する事はない。それに魔力持ちなら危険度の高い魔獣に遭遇しても、簡単に命を落とす事はない」
公爵様の口調だと騎士団の中には、魔法が使えない者がいるのだろう。
この世界に魔法はあっても、剣術のように魔法も日々の訓練や練習で身につく。
私は自分が転生者だと気づいた時、魔法が使える事が嬉しくて魔力を練る訓練を続けた。前世の受け売りであるが、魔力暴走が起きるのを懸念し、部屋でこっそり綿密に魔力を動かせるように努力したのである。
子供の頃から魔力を練っている者と、大人になってから訓練を始めるのでは大きな差が出るだろう。騎士団であるなら身体強化は絶対必要だし、危険を知らせる合図みたいなものは便利かもしれない。
それと攻撃を防御する魔法も必須だ。
その人に合った属性が分かれば対処しやすいかも。
「そうですね……魔法の使い方なら指南できるかもしれません」
「助かる」
公爵様と他愛のない会話をしているうちに、本邸へ到着したようだ。馬車の扉を開けて外へ出ると、私に手を差し出して馬車から降りる補助をスマートに行う。
前の前に現れたのは、堅牢な砦風の城塞をイメージしていた建物と違っていた。外壁は魔鉱石や鉄鉱石を使った頑丈な物だが、建物自体は前世で目にした事があるドイツ風なお城である。
魔獣への被害対策で外壁は頑丈な造りなのだろう。
それに防御と結界の付与魔法がかけられているので、この城を造った人は凄腕の職人に違いない。
「素晴らしいですね」
本邸である城の隣に騎士団の駐在所らしき建物と、宿舎というか騎士団員の寮みたいな建物が続いていた。魔獣の生息地の近くに、こうして騎士団用の駐在所と寮が建てられているのだろう。
ここにある駐在所が、公爵家専属の騎士団総本部って所か。
馬車に乗っていて気づかなかったが、外門から城の入口までかなり距離がある。
庭園は良く目にする派手な豪華さではなく、小さくて可憐な花を中心に低木が左右対称に植えられ、無駄のない美しさとはこういう事かと納得する出来だ。
「それでは、我妻よ」
「え?」
そう口にした瞬間、ふわりと体が宙に浮く。
公爵様の視線が近い。
「花嫁は花婿に抱かれて敷居を跨ぐものだと聞く」
ようやくお姫様抱っこされている事に気づき、一瞬で顔が赤く染まった。
「これまで俺との年齢差を感じさせない会話や態度だったというのに、こういう事は初心なのだな」
私を軽々と抱き上げる腕はびくともしない。
自分では認めたくないけれど、重たくなのだろうか。体重は平均値だと思うが、着ているドレスは意外と重量がある。ドレス生地が厚手な上に、布面積が非常に多い。
「降ろして頂けませんか?」
「なぜ?」
「公爵様の腕と腰を痛めてしまう恐れがありますので」
私の言葉に公爵様は器用に片眉だけ上げる。
「こんなに軽いのに?」
「からかわないで下さい……こういうのは初めてなので恥ずかしいのです」
恥ずかし過ぎて死ねるという言葉は、こういう時に使うのだと知った。
そのまま公爵様にお姫様抱っこされたまま、本邸の中へ入っていく。玄関フロアには使用人が花道のような並び方をし、恭しく頭を下げて「お帰りなさいませ」と声を揃えた。
「ああ、皆に紹介しよう。彼女はリューディア・マルヴァレフト。本日より公爵夫人としてこの邸に住まう」
「奥様でございますね」
執事服を着たイケおじが笑顔を浮かべる。
「アールノ、時間のある時にでも彼女に紹介してやってくれ」
もしかしたら、この邸の筆頭執事とか執事長的な存在だろう。良く見ると使用人の服も階級か配属によって、メイド服の色が異なっているようだ。
黒いロングワンピースに白いエプロンは侍女っぽい。濃紺のワンピースに白いエプロンはメイドだろうか。そしてグレーのワンピースに白いエプロンは……下級メイドか新人かもしれない。
伯爵家の使用人も動きに無駄がなかったけど、公爵家の使用人は更にグレードが高い。全員の動きが揃うのは見ていて気持ちの良いものだ。
意識を他に持っている間に、私は公爵様に抱っこされた状態で執務室へ運ばれたのである。
私を執務室の中央にあるソファへそっと降ろしてくれた後、公爵様は執務机の上から用紙を手にすると、テーブルを挟んだ向かい合わせのソファへ腰を下ろす。
公爵様は手にしていた用紙をテーブルの上に乗せると、私の方へ突き出した。
「これは?」
用紙に視線を落とすと、この結婚についての契約の項目が記されている。
一、離縁は認めない
二、子は最低でも二人を産む事
三、公爵夫人として恥ずべき行動はしない事
四、家政と執務の補佐、騎士団への配慮
五、空いた時間で事業等の行動は可
六、社交は王族主催と重要なものに関して同伴する事、それ以外の社交への参加は自由
私も離婚したくないので、これには頷く。
そして子供も産んでも構わないし、それに子育てには少し興味はある。
公爵夫人として恥ずべき行動とは?
不貞とか浪費するとか?
そういったものに興味はないので、ここはスルーしておこう。
家政と執務の補佐ーーーそれと騎士団への配慮?
公爵夫人としての業務が終われば、自由に過ごしても良いのは有難い。
私も社交は苦手だから積極的に参加したいと思わないし、姉二人に遭遇する確率もあるから避けたい所だ。
「質問しても宜しいでしょうか?」
「ああ、気になる項目でも?」
「そうですね……騎士団への配慮とは、一体どういった配慮でしょうか?」
なぜこの項目があるのか分からない。
「たまに魔獣の攻撃を受けて怪我をする団員がいる。そういった場合、騎士団の宿舎ではなく邸で養生するんだ」
「なるほど……こちらには使用人がおりますし、怪我人や病人の様子を伺えるという理由ですね」
「理解が早くて助かる」
「空いた時間に自由行動の許可を頂けて有難うございます。事業の大本が伯爵領なので、自由行動があると本当に助かります。出来れば一日の数時間ではなく、休日を儲ける事は可能でしょうか?」
「そこまで考えていなかったな。丸一日の方が都合が良いか?」
「時間に余裕が欲しいのです。数時間の空きでは、次のスケジュールが気になって……」
「気が付かなくてすまない」
「いえ、休日が可能であれば大丈夫です。伯爵領へ行って指示を出すのと、研究経過の記録の確認とか……工場の設備の不備だったり、働いてくれている方たちの要望などを聞きたいので」
「伯爵領まで通うつもりなのか?」
「はい、そのつもりですが……」
私の言葉に公爵様の動きが止まる。
何か問題発言をしたのだろうか。
「伯爵領まで向かうとなれば、休日は一日だけでは足りないのでは?」
「ああ! 私は空間魔法が使えるので、一度行った場所へは一瞬で移動できるのです」
「リューディアも空間魔法が使えるのだな」
「公爵様もですか?」
「ーーーークリスティアン」
「え?」
「我妻リューディア、俺の名前はクリスティアンだ。いつまでも爵位で呼ぶのは変だと思わないか?」
公爵様ーーークリスティアン様に名前を呼ぶ事を許された。
「えと……クリスティアン様?」
「そうだ。今後は名前で呼ぶように」
「はい」
ちょっと甘い空気になってしまい、顔から火が出たように熱い。
気を紛らわせるように執務室の中を見回す。
華美ではないが機能性を重視した内装なので、落ち着いて仕事ができそうだ。
至る所に防音と盗聴防止に監視の魔道具に、悪意を持つ者を除外、浄化と抗菌に癒しの付与魔法が設置されているから、この室内で書類や帳簿の隠蔽や盗みは不可能。
玄関フロアにも浄化と癒しの付与魔法が仕掛けられているが、何か理由があるのだろうか。
それにクリスティアン様の父親と兄は伝染病で命を失ったと聞いたが、この邸内で伝染病にかかるのは不可能に近い。
「最後に一つ確認したいのですが……」
「どうした?」
「その……悲しい事を思い出させて申し訳ないのですが、お父様とお兄様の伝染病について疑問があります」
「どういう意味だ?」
クリスティアン様の表情が一変する。
「この邸内で伝染病にかかるのは不可能なのです。お二人が外出中で病になったというのなら話は別ですが、この執務室を見ても付与魔法と魔道具が設置されております。そして玄関フロアにしても浄化と癒しの付与が張り巡っているので、外から病原体を持ち込んでも玄関フロアで浄化される仕組みですね」
私の話に耳を傾けていたクリスティアン様は、顔色を失う。
「クリスティアン様?」
「父上は領内の見回りの際に倒れられて、兄上は邸内で倒れたのだ」
クリスティアン様の言葉に絶句する。
まさに内部での犯行と決定した。
伝染病で命を落としたのではなく、誰かに命を奪われた事になる。
「お父様とお兄様の部屋に付与はございましたか?」
「すまない……リューディアに言われて初めて付与と魔道具の存在を知った」
付与が見えるのは私だけだと知り、この邸を回って付与や魔道具の存在を確かめる必要がありそうだ。
「クリスティアン様、この室内には防音と盗聴防止に監視の魔道具が設置されています。そして付与魔法ですが、こちらも浄化と抗菌に癒し効果がありますね。おそらく帳簿や書類の隠蔽を防ぐ為に設置されたと思いますが、この邸を建てた職人は凄腕ですね。玄関フロアに付与魔法が仕掛けられているくらいですから、おそらく各部屋や廊下にも……」
「父上と兄上を看病していたのは……兄上の婚約者だった人だ」
「その方は?」
「彼女も二人の看病で移ったらしく、同じ伝染病で亡くなった」
そうなると、その当時いた使用人か接触してきた相手が怪しい。
「当時の使用人で退職した方はいますか? それとお二人に接触していた人物や、領内に不審者がいた可能性もありそうですね」
「二人は他人から恨まれるような人物じゃなかった」
悔し気に顔を歪ませるクリスティアン様に目を奪われる。
「わたくしも邸内にある魔道具と付与魔法を確認します。なぜ作動しなかったのか、不具合が生じたのかーーこの部屋を守っている魔道具や付与を見たら疑問が尽きません」
ここまで綿密に計算されて設置されている道具は、神業に近い程の威力なのだ。
百年先でも効果は薄れないほどの強さである。
「リューディアはこの地に来たばかりだ。そう急がなくても良い」
クリスティアン様に言われてそれに従う。
確かに馬車移動で疲れているのだ。
ここは素直に従っておくことにした。




