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悪妻の定義とは?  作者: 尾木 愛結
本編
26/26

< 25 >

 エグモント・バルテルスの話が終わり、しばしの沈黙が流れる。

 


「お話は以上かしら? 悪いけど貴方には同情の余地はありませんわ。他人の婚約者に懸想しただけじゃなく、人為的な病を起こして夫婦の仲を引き裂くのは罪としか言いようがないわね。このまま拘束されて下さいませ」


「覚悟は出来ている……慈悲を頂けるなら、最後に一目でも彼女の顔を見せてくれないか?」


「それは叶わない」



 クリスティアン様の言葉に、エグモント・バルテルスが絶望の表情を浮かべた。マルヴァレフト夫人の状態を見て、彼は献身的に世話を焼いていた事が伺える。

 本当にマルヴァレフト夫人の事が好きなのだろう。


 栄養面は仕方ないないが、髪や肌は日ごろから丁寧に世話をしていなければ、あんなに艶々な状態にはならない。毛先まで手入れがされていたのだ。

 爪も整えられていたし、肌色もくすぶっていない。


 寝ている状態で日光浴をさせていた可能性もある。日傘で影を作り、日に焼けない程度に。本当に完璧すぎるほど至れり尽くせりな世話っぷりだ。


 それとこれは別の話となる。

 エグモント・バルテルスには、二度とマルヴァレフト夫人を会わせるわけにはいかない。



「マルヴァレフト夫人は安全な場所で保護されておりますの」


「いつの間にーー」



 愕然とした表情で地面に崩れ落ちる。



「貴方の次はコイヴレフト侯爵の捕縛ね」



 どういった理由でコイヴレフト侯爵を呼び出すかーー。



「コイヴレフト侯爵の件は、王太子殿下に任せよう」


「そうね……わたくし達が訪れても門前払いされるわね」



 適当な理由を作っても逃げられそうだ。

 証拠も十分に揃っているが絶対に認めないだろう。


 それなら王族の特権で捕まえた方が簡単である。王太子殿下には悪いけど、彼に面倒事は丸投げしよう。


 エグモント・バルテルスを捕縛するなら、この家は不要となる。

 彼は二度とこの地を踏めない。


 そうなるとーー。



「ここの温室の危険な植物は枯らしても良くて? 貴方の国では秘匿されている植物なのでしょう? この場にあるのが知られたら国同士の問題になりかねないわ」



 証拠隠滅と言うには大袈裟だが、この地に存在していない植物は消しておくべき。



「全て燃やしても構わない」



 エグモント・バルテルスが蚊の鳴くような声で呟く。

 仮にも薬草のプロフェッショナルが危険な植物について無知な事を言う。



「燃やしたら余計に危険だわ。火を使うと煙が出るのよ。その煙は大気に乗って目に見えず毒素を広げて撒くの。それらは知らない間に酸素として領民の口に入り、この地にある植物や土壌にまで影響を及ぼす可能性もあるわ。そんな危険な事をせずに魔法で水分を奪えば、ほらーー根元から簡単に枯れるのよ」



 水魔法の応用で植物から水分を抜き取る。

 植物にとっての生命線は光合成と水の二つで、どちらが欠けても育たない。このまま人の手が加わらなければ、いずれ枯れてしまう運命ではあるが、瞬時に枯らすには植物の水分を奪えば良いだけ。

 


「本当に噂は充てにならないな……」


「我妻は稀にみない才女だと伝えたはずだが?」



 クリスティアン様の「我妻」発言に悶えてしまう。

 彼に名前で呼ばれるのも好きだが、他人に向かって「我妻」発言は別腹である。女性が「我が夫」と言うには違和感というより、まさに亭主関白の真逆である鬼嫁のイメージが強い。


 たおやかに「主人」や「旦那様」と言うのが無難。


 クリスティアン様の言葉に悶えつつも、温室の中に残っている植物を観察していく。麻酔の効果をもたらす大麻は残しておくには危険である。空家に忍び込んだ者が見つけてしまうと厄介だ。

 マルヴァレフト公爵領は治安の良い場所であるが、それでも空き巣や盗賊の被害は出ている。



「可哀そうだけど危険な植物だけは跡形もなく消してしまうわね。他の薬草は農家の方に分けましょう。ここに残していても枯れてしまうから、世話をしてくれる方に託した方が薬草も喜ぶと思うわ」



 危険と思われる植物を全て枯らしてから、薬草農家に分ける植物を土壌ごと空間収納へ納めていく。一つずつ摘み取っていくより、土壌ごと収納した方が早い。



「彼女は魔法の才能も素晴らしいね」



 私が行っている作業を感心するような表情で呟く。

 エグモント・バルテルスは意外と褒め上手かもしれない。



「妻が褒められるのは夫として誇らしい気持ちになるな」


「そろそろ……旦那様、エグモント・バルテルス様をどちらへ運びます?」



 クリスティアン様が通信機の魔道具に手をかける。

 おそらく王太子殿下だろう。


 公爵邸の地下牢でも良いのだが、パヌラ王国の貴族籍を持つ相手は王宮に任せた方が良さそうだ。



「王太子殿下が引き取ってくれるそうだ。詳しい話は後日にして、身柄だけ置いて来る」



 確実に後日に回して貰えないと思う。

 そのまま詳しい説明を求められ、義理父と義理兄の事から領地に自生していた薬草の件や、マルヴァレフト夫人に対するエグモント・バルテルスの感情などーー果たして今夜中に帰宅できるか。



「わたくしはご一緒しなくても宜しいのですか?」



 クリスティアン様一人では王太子から逃げられないが、私と同伴であれば拘束時間は短縮する可能性もあるので提案してみるも却下された。



「遅くなりそうだからスティファンが寂しがる」



 まだ幼いスティファンを邸に残したまま、長時間も二人が不在している状態でいるのが偲びないのだろう。お昼寝をさせてから抜け出してきたが、目覚めた時に両親がいないのは心細いかもしれない。



「そうね」



 クリスティアン様に軽い抱擁をされた後、彼はエグモント・バルテルスを連れて消えた。



「さて、やる事はないし帰ろう」



 私も息子が待つ邸へ戻る。

 着地したのは自分の私室だった。


 何やら廊下が騒がしいので扉を開けて隙間から様子を伺う。



「大奥様が意識を取り戻されました!」


「大奥様って旦那様の母君ですよね? ずっと不在でしたけど」


「旦那様を出産された時に衰弱して、それからずっと療養されていたって聞いたわ。メリルオト夫人がつきっきりでいるのは何故かしら?」


「彼女は大奥様の侍女をされていたらしいわ。療養先で面会すら許可されず、ずっとお会い出来なかったみたいよ。普通の診療所なら面会は可能のはずなのに、どうして許可されなかったのかしら?」

 

「下級メイドのあたし達には貴族様の仕来りは分からないわね」


「そうね」



 ぱたぱたと足音が遠のいていく。

 下級メイドたちの会話は面白い。


 本当にその情報はどこから流れてくるのか。

 貴族令嬢たちよりメイドの方が情報は正確で迅速だと思う。



「さすがにこの時間だと、スティファンは起きているわね」



 お昼寝をさせてから数時間。

 私の姿がないと泣き出しているか、乳母が興味を反らしている事を願う。そろりとスティファンの部屋を覗くと、キャッキャと笑い声が耳に響く。


 泣き出していない事にホッと息を漏らす。



「スティファン、ご機嫌ね」


「ああ! まんま」


「お坊ちゃまはとても良い子でした。ぐずる事もなく奥様のお帰りを待っておりましたよ」


「まあ! スティファン、とても良い子ね」



 乳母の腕から私の腕にスティファンが移る。

 少し重たくなった息子に子供の成長を実感する瞬間だ。



「お父様は用事があって遅くなりそうだわ。お母様と一緒に食事しましょう」


「奥様、いつお戻りしたんですか?」



 スティファンを抱いたまま廊下を歩いていると、ユリアがさっと姿を現す。



「今戻ったばかりよ。クリスティアン様は王宮で王太子様と謁見されているわ」


「晩餐は坊ちゃまと二人ですね」


「クリスティアン様の分は夜食用に残しておいて欲しいわ。遅くなりそうだと言っていたから、サンドイッチとかミートパイが無難かしらね。ついでにお酒と楽しめる物があれば十分かしら?」


「ルーカスに伝えておきます」


「助かるわ」



 私はスティファンを連れてダイニングルームへ向かった。

 ダイニングルームは晩餐を取る場所で、朝食は自室か朝食専用の場所で取り、昼食は執務室で取る事もあるが基本的に中庭やサロンで取るのが上流階級の仕来りである。


 元日本人としては食事を取る場所が複数あるのに驚いたが、慣れてしまえば「こういうもの」と納得してしまう。

 無駄に広いダイニングテーブルに、今でも慣れる事はない。


 大家族なら納得するが、使う人数が三人になったばかりーー義理母を入れたら四人。


 義理母が健康を取り戻したら嫁姑問題が勃発するのだろうか。

 ずっと寝たきりの状態だったから、気持ちは二十代のままかもしれない。


 夕食が運び込まれる様子を眺めながら、今後について妄想が膨らんでいく。義理母が社交界に復帰したら、周りの反応はどんな感じになるのか。



「奥様、こちらがメインの料理になります」



 給仕をしてくれるメイドが料理の説明を始める。どれも素晴らしい料理で食欲がそそられるものばかり。料理の盛り付けのセンスも素晴らしい。料理は見た目が大事だと改めて実感した。


 メイン料理は魔鳥の香草グリル。

 魔獣肉は臭みを取らないと口に入れられないが、その中でも魔鳥は臭みが少ない部類である。香草と一緒に焼くと香ばしさが増して美味しくなるのだ。


 一皿ずつ丁寧に説明をした後、給仕のメイドは傍を離れて脇に待機する。

 そして私はスティファンとの二人きりの食事を楽しんだのだった。






 



 エグモント・バルテルスを拘束した翌日、王太子の権限でカスヴィオ・コイヴレフト侯爵を捉えたのである。彼の罪状は罪のないヴォルフラム・マルヴァレフトとマクシミリアン・マルヴァレフト、そして実の娘であるアンティラ・コイヴレフトの三名を毒殺。


 そしてパヌラ王国出身のヤルヴィという青年に隷属魔法を掛けて監禁していたこと。

 他人の領地に不法侵入して貴重な薬草を盗んでいた事を含め、カスヴィオ・コイヴレフト侯爵の身柄について国同士の話し合いとなった。


 パヌラ王国の王族にとって赤子の頃に処分する存在だった為、カスヴィオ・コイヴレフト侯爵の罪状を考慮した結果、ヴィヘルヴァ王国に全権を委ねられたのである。

 実行犯であるヤルヴィは、パヌラ王国が引き取ってくれた。


 カスヴィオ・コイヴレフト侯爵は強制的に離縁され、コイヴレフト侯爵家は領地の大部分を王家に返還し、爵位は侯爵から子爵へといっきに降格。

 それと同時に嫡男のユリウス・コイヴレフトと、長女であるトゥーリ・コイヴレフトは、元から評判が悪くどちらも当主の器ではないと判断された。


 当面はモーナ・コイヴレフト夫人が子爵当主となり、嫡男と長女の教育が上手くいかなければ、縁戚か分家の誰かを養子にして子爵位を譲る方向で話が終わる。

 カスヴィオ・コイヴレフトは極刑となるらしい。


 バルテルス侯爵が助けた命だったのに、自ら死の道を選んでしまったのは自業自得だろう。

 彼が殺害を計画しなければ、マルヴァレフト夫人は愛する夫の傍で幸せに暮らせたはずなのだ。


 もう一人の罪深き人物エグモント・バルテルスについては、パヌラ王国が秘匿していた植物は証拠隠滅したので不問にした上で、既婚者であるマルヴァレフト夫人を夫から引き離した罪のみ。

 表面上は軽い処罰だが、実際は王家に飼い殺しにされる運命となった。


 エグモント・バルテルスはバルテルス侯爵家から絶縁されたらしい。長年ずっと音信不通でいた為、既にパヌラ王国の宮廷薬草園の管理者としての資格を失っていたようだ。

 十九歳でヴィヘルヴァ王国へ渡ってから、実に三十年近くも消息不明だったのである。パヌラ王国もそんな者は必要ないと切り捨てたに違いない。


 そんな彼はヴィヘルヴァ王国の王宮で軟禁生活を送る。

 エグモント・バルテルスの薬草に関する知識は得難いものだ。それを王家が囲って知識を搾取する形だろう。もしくは彼の母国と同じく宮廷薬草園の管理者にする可能性もある。


 王家が下した判断に異議を唱えたくないが、それでもクリスティアン様の両親を引き裂いた事について、エグモント・バルテルスには深く反省して貰いたいものだ。


 クリスティアン様は慌ただしい日々を過ごしていたが、私はのんびりと過ごさせて貰っている。

 それはーー私のお腹に第二子がいる事が判明したからだ。


 待望の第二子!


 クリスティアン様はスティファンを身籠った時以上の過保護を発揮。

 それとクリスティアン様の母親が体力を取り戻しつつある。健康面では問題なさそうだったけれど、やはり寝たきりの状態が二十年以上という理由から、筋肉と体力の衰えは絶望に近いものだったらしい。


 そんな状態だったのに義理母は自主的にリハビリを続け、今では庭を一人で散歩するほどである。さすが辺境伯令嬢と言って良いのだろうか。この邸内にいれば自然と体力は回復される上に癒し効果まである。


 義理母と初めて言葉を交わす時は緊張したけれど、彼女の時間はやはりクリスティアン様の一歳半の状態で停まっていた。大人になったクリスティアン様を見て驚き、スティファンを見て懐かしそうな表情で微笑む。

 彼女が最後に目にしたクリスティアン様の姿と重なっているのだろう。


 スティファンはクリスティアン様のミニチュア版である。



「クリスと勘違いするほどソックリね」


「彼のお兄様とは似ていませんか? わたくしがクリスティアン様とお会いした時は、お兄様がおりませんでしたので」


「マックスは……そうね、わたくしより旦那様の方に似ていたわ。クリスはわたくしに似ていると言われていたのだけど、大人になったあの子はヴォルに似てきたと思うの。顔ではなく仕草や雰囲気かしら?」



 確かにクリスティアン様の容姿は義理母に似ている。

 しかし義理父に会った事がないので、仕草と雰囲気が似ていると言われてもピンとこない。どんな方だったのか、一度でもお会いしたかったと思う。


 前世でも男の子は大人になると、考え方や態度は父親に似ると言われていたし、逆に女の子は母親に似てくると記憶している。実際はどうなのか判断はつかない。



「スティファンはクリスティアン様と似ているから、このまま大人になると嬉しいわ」



 大人になったスティファンにエスコートされるのも気分が上がる。

 これは息子を持つ母親の特権だろう。



「次は女の子が良いわ! わたくしの憧れでしたのよ」



 義理母が孫娘を所望しているとは思わなかった。



「女の子も捨てがたいですが……性別は生まれるまで分からないのがドキドキしますね」


「子育てはわたくしも協力を惜しまないわ。貴方は安心して幾らでも産んで構わないわよ」



 私の両手を掴んで訴える義理母に笑みが零れてしまう。

 こんな話は男性には聞かれたくない。



「理想は男の子が三人で、女の子は二人が良いわね。女の子がいれば華やかになるわよ」


「それはさすがに……せめて三人が限界かと思うのですが」


「男の子三人でも少ない方だわ。この領地は国内の大半を占める敷地面積なのよ。男の子が多ければ兄弟で協力し合って領地を盛り上げてくれると思うわ。でも女の子も欲しいのよ」


「子宝は天からの授かりものですし、そう簡単にはいきませんよ?」



 私がそう言い切ったタイミングで、背後から抱きしめられた。



「これはーー母上の期待に応えないといけないかな?」



 話を聞かれたくない相手に聞かれてしまう気まずさ。

 背後から抱きしめられているおかげで表情を見られずに済んだが、私の顔は真っ赤に染まっているはずだ。義理母は私たちの様子を微笑まし気に眺めながら、クリスティアン様に向かって声をかける。



「まあ、クリス。いつも帰宅が早いのね。お帰りなさい」


「ただいま、母上。それとリディにスティファン」


「お帰りなさいませ」


「ちっち」



 スティファンが小さな手を広げて抱っこをせがむ。

 クリスティアン様が息子を腕に抱き上げると、その高さにスティファンが声を上げる。やはり長身のクリスティアン様が抱くと、高い景色が見られて嬉しいのだろう。



「近いうちにガーデンパーティを開きたいのだけど……貴方の予定に合わせたいから、来月まで決まっている日程を教えてちょうだい」


「ガーデンパーティ?」


「ええ、まだ実家にも顔を出していないでしょう? わたくしが出向くより、パーティに招待しようと思っているの」


「わたくしに言って下されば辺境伯領まで瞬時に行けますわ」



 姉が辺境伯家に嫁いだことを知らせると、義理母は公爵家だけじゃなく辺境伯家まで身内になったのねと微笑む。



「息子は得難い女性を妻に迎えたのね」


「リディは自慢の妻ですよ」


「息子が母親に惚気るって……聞いてて恥ずかしくなるわ」



 庭の東屋で家族で過ごすひと時。

 他愛のない話題で笑い合ったり、恥ずかしい話で顔を真っ赤に染めたりと、温かな家族の団らんにホッとする。


 かつては双子の姉に悪評を流されたせいで、見ず知らずの相手に悪女や悪妻と陰で呼ばれたけれど。

 私は友人に恵まれていた分、そういった悪評に心を折られる事はなかった。


 おかげで素晴らしい相手と結婚する事ができたし、社交界で私を悪妻と呼ぶ者がいても、クリスティアン様が盾となって守ってくれる。これまで存在が不明だった義理母も無事に奪還できた。

 可愛い息子も生まれて幸せなのに、現在は第二子を授かっている。



「わたくし幸せだわ」



 愛する夫が息子を抱き上げ、義理母とそれを眺める日常。

 この幸せな時間を守るのが私の定義である。







  ーーー  完  ーーー







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