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悪妻の定義とは?  作者: 尾木 愛結
本編
24/26

< 23 >

 午後のお茶を飲んだ後、クリスティアン様と共に彼の母親がいる診療所へ向かう。


 シルヴォラ山の麓にある自然が広がる地域の中に、静養を目的とした保養所と診療所があるらしい。クリスティアン様の母親は彼を出産後、産後の肥立ちが悪く起き上がれなかったそうだ。


 アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人ーークリスティアン様の母親の名前である。

 息子であるクリスティアン様すら母親の事を詳しく知らないので、当時を良く知る執事頭のアールノと家政婦長のヘルガ、彼の母の元侍女だった侍女頭のミカエラから話を聞いた。


 クリスティアン様の母親は、私の姉カトリーナが嫁いだパーヤネン辺境伯家の長女だったらしい。

 現当主となったヴェイセル・パーヤネン辺境伯にとって、私の義理母である彼女は伯母という立場だった。何とも狭い世の中である。これはクリスティアン様も知らなかった事だと言う。


 自分の母親の生家を知らされていないとは不思議な事である。

 一応、クリスティアン様の両親は恋愛結婚の末に結ばれたが、母親に懸想しているストーカーの存在もあったようだ。その人物の名前は不明だが、クリスティアン様の母親は、デビュタント以降から始まったストーカーに怯えていたらしい。


 アールノが見せてくれたアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人の肖像画は、クリスティアン様を女性的に柔らかくした印象の美しい容姿をしていた。怜悧な美貌を持つクリスティアン様より、描かれている彼女の雰囲気を含めればヴェイセル・パーヤネン辺境伯の方と容姿が近い。


 私が見た義理母アンネリーゼ夫人の肖像画は、少女時代からクリスティアン様を産んだ直後までのもの。まだ大人になりきれていない中性的な頃とでも言えば良いのか。

 社交界でも十人の紳士がいれば、全員が彼女を口説くだろうと思える容姿の持ち主だった。


 この本邸を建て替えたのも、そのストーカー対策もあったようだが、さすがに執事頭のアールノでも詳しい事情まで聞かされておらず、逆に「申し訳ありません」と謝罪の言葉を漏らす。

 嫡男のマクシミリアンを出産し、その三年後にクリスティアン様が生まれた。


 クリスティアン様の出産時はとても難産で、分娩に数十時間も費やしたらしい。それがきっかけで体力の消耗が激しく、産後の肥立ちが悪かったのも長時間の分娩が影響したものだろう。

 それでもクリスティアン様が一歳を迎えるまで、母のアンネリーゼ夫人は自ら母乳を与えていたそうだ。


 当時の公爵だったヴォルフラム・マルヴァレフトが、サルメラ大森林へ視察と魔獣の間引きで不在にしていた時、アンネリーゼ夫人の容体が急変したらしい。

 一刻を争うと主治医が訴え、そのまま診療所の方へ夫人を移動したようだ。


 それ以来、夫人は公爵邸に戻って来ていない。

 主治医から定期的に連絡があったそうだが、四年前に父親と兄が亡くなってから連絡が途絶えてしまった。クリスティアン様が連絡を入れると、主治医から返事は届くけれど、こちら側から連絡をしない限り音信不通を貫く。


 それについて執事頭と家政婦長は主治医の判断が怪しいと思いつつも、それを口に出せずにいたようだ。

 夫人の元侍女でさえ傍に近づけないのも不思議な事である。


 クリスティアン様は領地の視察で回る際に、夫人のいる診療所へ顔を出す事もあったが、いつも夫人は昏睡状態で一度も会話をした事がないらしい。

 そもそも主治医としての態度がおかしいと思う。


 たとえクリスティアン様の父親の友人であっても、主治医は家族に患者の容体を知らせるのが義務ではないのか。家族が自由にお見舞いに行けない状況がおかしい。

 前世では面会謝絶であっても、家族だけは病室に入れたのだ。


 クリスティアン様は視察の際に診療所を訪れていたと言うが、病室で昏睡状態だった女性は果たして本物のアンネリーゼ夫人なのだろうか。

 

 アールノから夫人の年齢を教えて貰えば、アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人は四十八歳。肖像画に描かれている通り、灰色に近い銀髪と薄紫色の瞳を持つ美しい女性だと思うが、現在の四十八歳での姿は描かれていないので、本人だと確かめる術がない。


 元辺境伯令嬢だったアンネリーゼ夫人は、第二子であるクリスティアン様を出産するまで健康な体をしていたようだ。

 そんな健康体だったはずの夫人が難産をきっかけに衰弱する?

 おまけに出産は魔道具と付与に守れた邸内なのに、体力が回復しないのは有り得ない。


 スティファンを出産したから分かる。

 前世を含めて出産は初めての事だったが、陣痛に限らず激しい痛みを感じる事はなかった。痛みというより体力の消耗は激しかったけれど、それも癒しの付与で軽減されていたと思う。


 数十時間にも及ぶ難産だったり、体力の消耗を感じたとしても時間が経てば解決していたはずだ。

 ーーだが、実際にアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人の容体が悪化し、そこから昏睡状態が続いていたというのが不可解である。

 義理父の友人だと言う主治医の目的は、アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人というのは間違いないだろう。



「クリスティアン様、どんな結果になろうとも強い心でいて下さい」


「……リューディア」


「わたくしのスキルで本人かどうかを鑑定させて下さい。それとーー義理父様のご友人と言われている主治医の素性を鑑定する必要がありそうです」

 


 あまり対人に使いたくない鑑定スキルではあるがーー相手の詳細について確認できるので、私に近づいて来る初対面の相手の本質を見分ける為に使う事も多い。


 重い空気が漂う。

 それでも目的地である診療所まで辿りつくと、そのまま中へ入って診療所の受付にいる女性に話しかける。



「アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人と面会したいのですが」



 義理母の名を告げると、受付の女性が不思議そうな表情を浮かべながら、患者のリストを確認する為に目元を下へ落とした。パラパラと紙の捲れる音が聞こえる。



「ああ……マルヴァレフト夫人ですね。おそらく眠ったままだと思いますが、それでも面会するのでしたらどうぞ」



 受付の女性に軽く会釈をしてから、私とクリスティアン様は病室へ向かった。



「いつもなら主治医という男がいるはずなんだが、今日は不在のようだな」


「それは……クリスティアン様が先ぶれを出していたからでは?」



 律儀に先ぶれを出すクリスティアン様に対し、彼は絶対に義理母に会わせようとしなかった。そこまで徹底して彼と彼女を遠ざける理由はーー考えるだけでも気持ち悪い。


 マルヴァレフト夫人と呼ばれている女性の病室へ入ると呆気に取られる。



「この部屋……」


「診療所の病室は大抵このような物だろう?」


「そんな事はありません。診療所の中は清潔さは最重要である上に、患者に対しても同じ環境であるべきです。それなのに……酷い有様ですね」



 この病室は高貴な夫人が入院するのに相応しくない環境だった。

 病室内の空気が湿気で淀んでいるし、隅に埃が溜まっているのも気になる。おそらく長い間、窓を開けて空気の入れ替えすらされていない。


 寝具も黄ばんでいるのでシーツやカバーすら交換されていないのだろう。

 そっとベッドの方へ近づき、寝ている女性の素性を確認する為にスキルを使った。



「クリスティアン様、この女性は偽物です。そして生きている人間ではありません」



 彼女ーー幻影で女性に見えるが、その幻影を解除すれば藁を詰めた麻袋が一つあるのみ。



「どういう事だ? 母上は何処にーー」


「ここに主治医がいないのであれば、彼がいる場所に本物の義理母様がいる可能性は高いです」


「さっきの女性は知っているだろうか?」


「本物の職員であれば居場所は存じているはず」



 私とクリスティアン様は互いに目を合わせて頷き合う。

 二人で受付の女性がいる場所まで戻ると、彼女に主治医が住んでいる場所を知っているかを尋ねたら、診療所の入口の扉を開けて木々の隙間から見える屋根を指す。



「ここからは屋根しか見えませんが、ここの診療所の所長の家です。普段は週に二日ほどしか所長は顔を出しませんので、所長に話があるのでしたら直接向かわれた方が早いですよ」


「ありがとうございます。それとーーわたくし達が向かった病室は空室でした。室内の空気が淀んで埃も溜まっておりましたので、清潔を保つ為にもしっかりと掃除をした方が宜しいと思います」


「え? 空室? 誰もいませんでした?」



 受付の女性が驚いた声を上げる。



「ベッドに横たわっていたのは麻袋でしたの」


「そんな……ずっと入院されていた患者と聞いていたのに」


「本来そこにいるのはアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人のはずだ。しかしーー実際は彼女の代わりに麻袋がベッドの上に置いてあるだけだった。どうしても彼女の行方を知りたい」


「所長のお名前を伺っても?」


「所長の名前はエグモント・ダウムです。パヌラ王国から交換留学で訪れて以来、この国が気に入って住み着いたと聞いておりますがーーわたし達のような通いの職員には、あの患者の詳細を知らされていないのです。ただ長い期間ずっと寝たままの患者という事しか」


「そうなのですね。ありがとう、とても参考になったわ」


「私たちは所長の家へ向かうつもりだ。貴方には時間を取らせてしまったな。私たちに構わず仕事に戻って良い」



 受付の女性が診療所へ入るのを確認してから、私とクリスティアン様は診療所の所長エグモント・ダウムの家へ空間魔法で移動した。

 夜のとばりが落ちてくる時間帯。

 空はオレンジ色から夕闇に染まりつつある。


 エグモント・ダウムの家は裕福な平民が持つような大きさだが、庭の面積は意外と広かった。診療所の所長をしているのだから薬草園を所持している可能性もある。この規模の庭なら確実に育てているだろう。


 外門から中へ瞬時に移動し、家の周りを探索していく。

 裏門に近い場所に大きな温室を確認すると、そっとその中に忍び込む。



「これはーー!?」



 すぐ目の前に見た事もない植物が茂っている。すぐに鑑定で植物を調べると、この植物がパヌラ王国が栽培規制をしている毒草だと判明した。



「何故こんなものが栽培されているの?」


「リューディア?」


「この植物がパヌラ王国で栽培規制をしている毒草です。王宮薬師でも限られた者しか研究できないはずなのに、どうして此処に存在しているのでしょう?」


「そういえば……先ほどの女性の話だと、所長はパヌラ王国から交換留学で来たと言っていたか?」


「はい」


「またパヌラ王国の者が関係しているのかーー」



 クリスティアン様の一言で、これまでの推測が覆された気分だった。

 本当の狙いはクリスティアン様の母親ーーアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人を奪う事で、それと同時に第二の人物カスヴィオ・コイヴレフト侯爵と繋がったのだろう。


 エグモント・ダウムはアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人を手に入れたい。

 カスヴィオ・コイヴレフト侯爵は、マルヴァレフト公爵領に自生していた薬草が欲しかった。二人の思惑は違うけれど、邪魔な存在であるマルヴァレフト公爵親子を消したい部分は一致したのだろう。


 エグモント・ダウムの目的がアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人と判明したけれど、まだカスヴィオ・コイヴレフト侯爵の目的が幻の薬草しか分かっていない。

 クリスティアン様の父親と兄を死に追いやった毒草は、ここで栽培されていたものを使用して作ったものだろう。おそらく闇市で販売している可能性も出てきた。


 これまでの病死の件も詳しく調べ直した方が良いかもしれない。

 それにーー私の母まで被害が及んだのは許せなかった。

 クリスティアン様は私以上に許せない事だろう。父親と兄の二人は亡くなり、更に母親まで生死が分からないまま。



「わたくしの勝手な憶測ですが、クリスティアン様のお母様は存命だと思います」



 ーーただ息をして生きているだけ。


 普通の健康的な状態で過ごしているとは言えない。

 エグモント・ダウムの目的がアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人なら、生きた状態のままじゃないと略奪した意味がないのだ。


 彼女を本気で愛しているなら精神を壊す魔法や魔道具の使用は避けるはず。ましてや奴隷を従順にする隷属の魔道具も不要だ。それらに頼ってしまえば、本来のアンネリーゼ・マルヴァレフト夫人の気質が崩れてしまう。

 そうなると寝たきりの状態の方が、エグモント・ダウムにとって都合が良い。



「母上が生きているなら希望は持てる」


「そうですね。今夜中に決着をつけましょう」



 温室を後にして家の中へ忍び込む。

 私とクリスティアン様は認識阻害の魔法で怪しまれることなく家の奥へ歩き進める。使用人が見当たらないのは、こちらにとって動きやすい。


 アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人がいる部屋を特定して向かう。

 二階の奥の突き当りの部屋へ辿り着き、中の様子を伺ってエグモント・ダウムがいない事を確認してから部屋の中へ入った。室内は照明で明るく照らされている。


 豪華な天蓋つきベッドの上に寝ている女性を鑑定すると、アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人で間違いなかった。寝たきりのせいか痩せ細っているものの、健康面に関しては問題なさそうである。

 髪や肌は艶もよく手入れされている状態で、布団やシーツもマメに交換しているのか清潔なもの。



「クリスティアン様、先に義理母様を移動させておきましょう」


「そうだな、ここに置いておけない」



 クリスティアン様が義理母を抱き上げるのを見てから、三人同時に公爵邸へ移動する。いきなり現れた私たちに驚いたアールノだったが、クリスティアン様が腕に抱いている女性を見て息を飲む。



「アンネリーゼ・マルヴァレフト夫人……よくぞご無事で」


「説明は後からする。空いている部屋に案内してくれ」


「かしこまりました。此方へ」



 アールノに案内された部屋に入り、クリスティアン様は義理母をそっとベッドの上に寝かせた。その流れで空間収納から万能薬を取り出し、それをアールノへ差し出す。



「旦那様、これは……」


「母上も父上たちと同じ毒草を使われている可能性がある。母上の方はリューディアの実母に使われた薬物に近いのかもしれないが、俺たちは母上を拉致していた相手と決着をつける為、母上の傍にはアールノとヘルガがいてくれ。そして、この薬を与えて欲しい」


「旦那様たちの分も含め、私どもが代わって大奥様を守らせて頂きます」


「頼むぞ」



 そして再び私とクリスティアン様はエグモント・ダウムの家へ戻ったのだった。





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