< 1 >
繊細で美しいシャンデリアが王宮内の一室を明るく灯す。
新しい年を祝う王家主催の大舞踏会ーーーーヴィヘルヴァ王国中の貴族たちが集まる大規模な夜会だ。この夜会では十六歳を迎えた貴族子女の成人の儀も行われる。
会場に成人を迎えた一同を集め、王族から祝福の言葉を受けるだけなので、そこまで堅苦しい儀式でもない。
ただ成人の儀であるデビュタントをしなければ、他の貴族家で主催される夜会への参加が出来ないのだ。成人の儀を済ませていない者は夜会への参加資格が貰えず、昼間の茶会しか参加は出来ない。
私は社交界に興味はないけれど、祖母マルガレータは貴族のしきたりを重きにおく人なので逆らうのは無謀だ。
アールトネン伯爵家は祖母マルガレータが絶対君主で、当主である父エドヴァルド・アールトネン伯爵は当主というより、農業研究者と表現した方がしっくりくる。
その父の研究の成果はヴィヘルヴァ王国に恩恵をもたらすもので、社交に顔を出さないのに王侯貴族にはエドヴァルド・アールトネン伯爵という存在は大きいようだ。
父エドヴァルドが当主として機能していないから、祖母マルガレータがアールトネン伯爵家の権利を握っている。
母イーリスは伯爵夫人として父の分まで執務に励んでいたが、娘のデビュタントを機に領地ではなく王都の邸に身を置き、婚活に力を入れるようになってしまったので、この数年は祖母に仕事を全部丸投げしている状態だった。
そしてアールトネン伯爵家には嫡男のリクハルドを筆頭に、二卵性双生児のカタリーナとカトリーナ、そして本日デビュタントを迎えた末娘リューディアが存在する。
母イーリスは祖母に仕事を全て押し付けてまで、上の双子の娘の婚活活動に必死なのだ。
ーーーとはいえ、さすがに王都の邸での家政に関しては、母も手は抜いていない。
長女のカタリーナは淡い金髪に琥珀色をした目を持ち、自信にあふれ気が強そうな印象を与える。次女のカトリーナは父譲りの眩い金髪に琥珀色をした目を持ち、長女と面差しは似ているものの、表情は常に柔和で優しそうな印象だ。
二人の容姿は美男美女と言われている両親に似て、とても美しい部類である。
勿論スタイルも抜群なのに、なぜか婚約者が決まらない。
それはーーーー二人とも性格というより、頭が悪すぎるから!
ヴィヘルヴァ王国には、国内に幾つか勉強を学ぶ学校というものが存在している。王都の外れにある学院は規模が大きく、おそらく国中の子供が集中しやすい立地なのだろう。
まさに校舎が巨大といった大きさだ。
その学院は任意制でもあるから、学院へ入学するか家庭教師で済ますかが選択できる。これは貴族子女に限定される選択だが、平民も同じ国民なので学院に通っている者は多い。
私も兄や姉たちと同じく、六歳の誕生日を迎えてから学院へ入学した。
一般的に六歳から十六歳の成人まで通うが、更にその先の専門的な分野を学びたい者は、十六歳から二十二歳まで通う大学のような場所で学ぶ。
これも学院と同じ敷地内にあるので、校舎が違うだけである。
私は学院へ通ったものの、特に知りたい分野だけを学んだあとはスキップして早々に卒業。
しかし姉二人は成績が芳しくなく、いわゆる劣等生だった。
成績は常に学年で最下位であり、教師から授業態度も悪いと報告が届く。
一体何をしに学院へ通っているのか。
それは父の妹ロヴィーサ叔母様の娘マリアンネにも言える。
彼女は私と同じ年齢なので学年が一緒だったが、クラスは成績順で決められるので教室が別だったのは有難い。
双子の姉と従姉のマリアンネは、勉強よりも外見に拘るタイプなのだ。他人の目に自分がどう映るか。フェイスマッサージやスタイル維持のダイエット。
国内で何が流行しているかーーーーそういう事は覚えるのに、大切な淑女教育である礼儀作法やマナーを始め、高位貴族の嗜みである刺繍やレース編み、慈善活動への義務についての教え。
更に自国の歴史や貴族の在り方といった事に関して全く覚えようとしない。
その学院内で当時の私の最初の婚約者だったオリヴェル・ケラネン伯爵令息、そして二人目の婚約者ダニエル・クレーモラ侯爵令息に付きまとい、姉二人とマリアンネは彼らを誘惑した上に媚薬を盛って既成事実まで画策したのだ。
最初の婚約者オリヴェル・ケラネン伯爵令息は、私より四つ歳上で栗毛の髪に琥珀色をした瞳がチャームポイントの爽やかイケメン。
六歳以上の貴族子女が集う子供の茶会で見初めてくれたようだが、姉二人は自分の婚約が決まらないのに、妹の私が先に婚約者が出来た事に対して物凄く不満だったのだろう。
おまけにオリヴェル・ケラネン伯爵令息は、令嬢たちに人気の爽やかイケメン。
見た目重視の姉二人はイケメンに弱い。私から彼を奪おうと、あの手この手で動き回っていた。
そして二人目の婚約者ダニエル・クレーモラ侯爵令息は、私の二つ年上で侯爵家の次男ではあるが、将来は次期キヴィスト伯爵当主。
黒髪に赤紫色の瞳を持つ聡明で知的なイケメン。
彼もまた同学年の令嬢だけじゃなく、上級生や下級生の令嬢まで人気があったらしい。
彼とは学院の合同生徒会で出会い、その後に婚約の申し込みが届いた。
この話も姉二人は気に入らなかったようで、しかも姉たちと同学年である。
その先は最初の婚約者と同じく、姉たちに付きまとわれた挙句、媚薬を盛られて既成事実ーーーーは未然に防げたが、まさか学院内でそういった事をするとは思っていなかった。
スキャンダルを嫌う侯爵家から婚約白紙を申し出され、当事者の彼は双子の姉から逃れるべく別の学院へ避難。
姉たちのせいで女性不振になっていなければ良いがーーー。
そして私も妹の婚約を台無しにする姉二人と、従姉のマリアンネから逃れたくてスキップ制度を利用し、十二歳で学院を卒業した直後に領地へ戻る事にした。
王都に残ったままではロクな目に遭わない。
おかげで自由な暮らしを手に入れたのである。
本日の夜会へは領地から祖母と兄が同伴し、父は夜会よりも現在研究している作業を続ける事を選んだ。
私のデビュタントのドレスは祖母がデザインから手掛け、生地の素材や装飾の刺繍とレースも拘ったものらしい。
姉二人の時は母が気合を入れていて、祖母が口を挟む事が出来なかったようだ。その反動で祖母は私のドレスを作ったのかもしれない。ドレス自体はとてもシンプルなのだが、フリルを抑えた代わりに繊細なレースが贅沢に使われている。
一生に一度しか着ないのに、こんな贅沢なドレスを作って貰って恐縮してしまう。
祖母はドレスに出来に満足しているようだった。
そういえばーーー母と姉たちは王都の邸に住んでいるので、この会場で数年ぶりに顔を見る事になる。
イーリス・アールトネン伯爵夫人は客観的に見て、凛と立つ姿は清楚で美しい。さすが名家ステンロース伯爵家の令嬢だったと言うべきか。
意外にも母は知的で領主の才もあり、これまで祖母の補佐をしながら家政も行い、孤児院へ寄付したりと慈善事業もしていたのにーーーー。
母が領地から王都へ出てきたのは、姉二人の婚約が決まらないのが理由だ。
デビュタントで見初められるのを期待していたようだが、姉二人の評判は学院時代から悪い。妹の婚約者を追いかけ回して誘惑したり、学業を疎かにしているのが目に見えていた。
そういった行いをしている令嬢に婚約を申し込む令息はいない。
物好きな相手ならいるかもしれないが、普通の令息は家政を取り仕切り、自分の補佐をしてくれる令嬢を選ぶ。
不意に会場内に歓喜の声が上がった。
デビュタントを迎えた貴族子女への祝福なのか、会場中に光る蝶々と小鳥が宙を舞っている。更に金色の花びらが風に吹かれて舞い上がり、それに触れると光の粒となって消えていく。
まるで幻想の世界だ。
「光魔法……なんて綺麗」
この美しい幻想の世界を作り出しているのは、宮殿に仕えている魔導士だろうか。
会場を見渡し光の蝶々と小鳥、そして金色の花びらを視界で追っていく。
溜息が出るほど美しい演出だ。
ひとしきり幻想的な演出を楽しみ、喉の渇きを覚えてビュッフェコーナーへ足を向ける。
「レディ、お一人ですか?」
果実水の入ったグラスを手に取ると、背後から男性に声をかけられた。
視界に男性の姿を捉える。
光沢のある黒の礼服に身を包み、少しウエーブかかった青銀髪の髪を衣装と同じ素材のリボンで束ね、前髪の隙間から紫紺色の美しい瞳が覗く、怜悧な美貌を持つ長身の成人男性だった。
青銀髪を持つ貴族は数少ない。
この男性は高位貴族の中でも上級の公爵家の血筋だろう。
バランスの取れた体つきと立ち姿、これは普段から体を動かし体幹が鍛えられているものだ。体を鍛えている貴族は多いが、鍛錬だけで鍛えている者と実践を繰り返して身につけた者の雰囲気は違う。
目の前の男性は高位貴族でありながら実践の経験がある。
魔獣が存在する山岳や森林を所有している貴族の領地で、それに該当するのはマルヴァレフト公爵家だ。マルヴァレフト公爵家が統治する領地は、ヴァーラ鉱山、サルメラ大森林、シルヴォラ山、ウイット漁港と広大な土地面積を誇る。
その面積の五分の一が魔獣が出没する森林と鉱山だ。
魔獣は定期的に間引きしないと数が溢れてしまい、人々が暮らす場所に被害が及ぶ。マルヴァレフト公爵家は魔獣討伐に特化した騎士団を持っている。
王宮に仕えている騎士や、王都を巡回している騎士とは違い、目の前の男性は騎士というより軍人の方が近い。
確かーーー現在の公爵様は騎士団の総隊長を務めていたはず。
「はじめまして、マルヴァレフト公爵様?」
グラスをテーブルに戻して高位貴族に対する礼儀をする。
「俺の事を知っているのか」
「いえ……その髪色と立ち姿を見て、マルヴァレフト公爵様と判断したまでです」
私の言葉に公爵様が満足気に頷く。
「レディに込み入った話があるのだがーーーー」
公爵様が話を続けようとした所で、複数の人の気配を感じた。
衣擦れとヒールの音で女性だと分かる。
私が立っているビュッフェコーナーのテーブルを挟んだ向かい側に、派手な色のドレスを着た令嬢と夫人が顔を見合わせ合う。貴族図鑑で見た覚えのない顔なので、おそらく下位貴族で間違いはない。
夫人や令嬢が身に着けているドレスや宝石も高級品とは程遠く、あまり質の良くないものだろう。ゴテゴテとアクセサリーをつけるのは逆に下品に見える。
彼女らは私と公爵様を見比べながら口を開く。
「あら、見て。アールトネン伯爵家の末娘が、また別の男性にすり寄っているわ」
「婚約を二回も破棄されて、学院も途中で退学になったと聞き及んでいるのに懲りないのね」
「上の娘は二人とも卒業されたのに、末娘が退学だなんて……」
「アールトネン伯爵家の末の妹さんは、お姉様たちの悩みの種だそうよ」
「あたくしも聞いたわ!」
「わたくしも耳にしたわよ。なんでも見目麗しい殿方に目がなく、みっともなく追いかけ回すとか」
「そうそう! 礼儀作法もマナーも覚えないどころか、刺繍すら刺せないなんて淑女として失格だわ」
わざと聞こえるように噂話を始める令嬢と夫人に、私はマルヴァレフト公爵様に視線で場所を移したい事を訴えた。
公爵様が腕を差し出しエスコートの姿勢をみせ、私がそれに答えてエスコートを受ける。その場から立ち去り、バルコニーから外の庭園へ向かう。
庭園の東屋まで足を伸ばした。
ここで休憩する夫人や紳士が多いので、飲み物や軽食のスタンドがテーブルに用意されている。
私と公爵様は向かい合う形で腰を下ろす。
「込み入った話とおっしゃいましたので、傍聴を防ぐ為の結界を張らせて頂きます」
パチンと指を鳴らし、東屋を囲むように結界を張った。
「無詠唱とは素晴らしいな」
公爵様は目を細めながら頷く。
「それで……お話とは? この通りわたくしはデビュタントを迎えたばかりの小娘なので、公爵様のお役に立つとは思えないのですが」
「充分に役に立ちそうだから近づいた」
私は彼の言葉の意味が分からず首をかしげる。
「成績優秀で魔法の才能も素晴らしく、学院の初等科の生徒会役員へは教師一同が推薦する優等生。ある日を境にスキップ制度を利用し、通常十年で卒業する学院を七年で卒業。その後は領地へ戻り、個人事業を始める手腕だ。なかなかどうしてーー小娘と侮れまい」
私の評価について語る公爵様は、どこか楽しそうだ。
「そんな高評価を頂き光栄でございます」
「レディの才覚を見込んでーー俺の妻になって欲しい」
「え?」
まさかのプロポーズ!
さっき初めて会ったにもかかわらず、いきなり結婚の申し込み?
「公爵様の……妻? わたくしが?」
「そうだ。俺は前の結婚で失敗している」
そういえばーーー数年前に公爵様は結婚して離婚された。
噂でしか知らないが、奥様となった公爵令嬢は初夜を逃げ出し、実家から連れてきた護衛騎士と共に邸を去ったらしい。あくまで噂話なので真相は知らないが。
「レディは個人事業まで起こせるほど自立心があると見ている。そういう相手となら上手くやっていけると思ったんだがーーーどうだろうか?」
公爵家から申し込まれたら、伯爵家の立場では断れない。
貴族令嬢の義務として、家の為に結婚するのはよくある話だ。確かに上手くやっていけそうな相手と結婚するのはアリだと思う。
親に決められた好きになれない相手と結婚するより、少しでも自分の好みのタイプが相手なら、結婚生活も上手くやっていけそうな気がする。
目の前の公爵様は私の好みのタイプなのだ。
人をも視線で殺せそうな怜悧な美貌、そして鍛え抜かれた筋肉。
「そうですね……わたくしの条件を飲んで頂ければ」
そう!
これが肝心なのである。
私は自分の好きな事をしたい。
それは食事の改善と便利な道具の開発、それらを売って利益を上げる。
「レディの条件とは?」
「わたくしには秘密があるのですが、ここでは言えません。そして条件ですが……結婚した後も事業に携わりたいのです。あとは公爵邸での食事改善にも口を出したいのです」
食事の件に関しては絶対に譲れない。
私は異世界転生者で、前世の日本での食生活を知っている。
この世界の食事は野性味溢れると言うか、ダイナミックな味付けの割に単調で肉魚が生臭いのだ。
「食事の改善?」
「ええ! これは絶対に譲れない案件です」
「そ、そうか……では、それを呑めば了承すると受け取って構わないか?」
「勿論です」
「では改めて結婚の申し込みを送らせてもらおう」
「あの、それについては祖母充てにして下さいませ」
「伯爵当主ではなく、前伯爵夫人に決定権があるのか」
「はい。父は研究の事しか頭にありませんし、母は姉二人の婚約者を探しておりますので……」
公爵様が薄い笑みを浮かべる。
「ならばーーー王命にしてしまえば良い。俺は本来なら公爵位を継ぐ予定ではなかった。昨年の伝染病で父と爵位と継いだ兄を失い、突然の事態で引継ぎもなく爵位を継ぐ形で雑務に追われている」
公爵様は次男として生まれた。
お兄様が爵位を継がれるから、彼は公爵家の騎士団へ所属していたのである。
これまで魔獣討伐を軸に動いていたのに、父親と兄を同時に失ってしまい、残った彼が公爵家を継ぐ事になった。魔獣討伐や騎士をまとめる仕事と、領地を統治して領民を守る仕事の内容は全く違う。
おまけに引継ぎがされていないのだから、父や兄がしていた業務の内容を把握するまで時間はかかる。更に当主ともなれば妻の存在は必須だ。
のんびり婚約期間を設けるよりも、先に婚姻の手続きをした方が合理的である。結婚式は執務が落ち着けばどうにでもなるだろう。先に妻の存在が必要なのだから。
公爵家から婚約を申し込まれた場合、姉二人は黙っていないだろう。
前の婚約者同様に邪魔するのは目に見える。
「そうですね。王命にして頂いた方がスムーズにいきそうです。婚約期間を儲けますと、その……姉二人の邪魔が入って問題が起きそうな気がしますね」
げんなりとした表情になってしまうのは仕方ない。
「こちらは早急に動こう」
「了解いたしました。領地へ戻り次第、準備をしておきます」
「助かる」
私は再び指を鳴らして結界を解除する。
公爵様のエスコートで会場へ戻り、彼は祖母に挨拶を交わしてから去って行ったのだった。