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朝晩がいっきに冷え込む季節ーー日本でも一月の半ばを過ぎた頃から冷え込みは厳しかった。
国内では王宮の大夜会が終わってしまったので、貴族たちが徐々に領地の方へ引き上げている頃合いだろうか。
そんな中、私リューディア・マルヴァレフトはクリスマスに第一子を出産!
この世界にイエスキリストの存在やクリスマスといったイベントはないけれど、クリスマスに生まれたというだけで特別な感情を抱いてしまう。
名前はスティファン・マルヴァレフト。
クリスティアン様と二人で考えた名前である。
生まれた赤子はクリスティアン様の髪と瞳の色を受け継ぎ、私の要素は受け継いでいなかった。まさにミニチュア版のクリスティアン様で愛しさが増す。
この子が自分に似ていたとしても同じ気持ちだっただろう。
髪の毛は前髪を中心に生えているだけで、全体は産毛で覆われている。
一日の大半は眠っているが、すくすく育って欲しい。
マルヴァレフト公爵邸に張り巡らされた魔道具と付与のおかげで、出産後も順調に体が回復した。出産時も恐れていた痛みを感じる事もなく、魔道具か付与の効果で常に体が回復している感じだろうか。
体力の回復だけではなく癒し効果もあるのは素晴らしい。
大事を取って二週間ほど休んでいたが、そろそろ体を動かしたくなってきた。書類仕事は寝室でも続けていたけれど、サルメラ大森林の魔獣の間引きと薬草の確認もしたい。
私の代わりにクリスティアン様が定期的に確認していたようだが、自分の目でも確認したかった。
今日は久しぶりに執務室で作業が行えたおかげか作業ペースも上がり、本日のノルマを達成してしまったのである。余った時間で新事業の考案を練り、これをどうやって商品化にしていくか。
それを考えるだけで楽しいのだ。
アイディアを書きなぐった用紙をクリップでまとめ、机の上にある木箱の中へ保管する。ついでに乱雑になった机の上を整理して片づけたら、昼食を取る為にダイニングルームへ場所を移す。
「ユリア、今日の午後は少し出かけたいからスティファンを見ていてくれる?」
「ああ……もしかしてサルメラ大森林ですか?」
「ええ、すぐに戻って来るわ」
「ついでに間引きもされるのでしょう?」
ユリアが言っているのは魔獣と樹木の両方だ。
それと雑草の事も含まれているのかもしれない。どれも必要な事なので頷いて答える。
「そうね、グリーンティーの素材の在庫も必要だし……二時間くらいかしらね」
「護衛の二人は?」
「さすがに一人で雑草を摘むのは無理だから連れていくわ」
「あ! 奥様の口から旦那様に伝えておいて下さい」
「……分かったわ」
ようやくクリスティアン様は公爵領の執務に専念できるようになった。魔獣の討伐はパーヴァリ・ムルタラ伯爵令息に引き継がれ、彼から討伐隊の赴任先と討伐日程の報告を確認するだけで良い。
魔獣の討伐の仕事から外れてしまったが、公爵家の当主の仕事は事務仕事だけではなく、領地全体の見回りや領民の生活水準が一定しているかの確認。
さすがに公爵領は国内で最大規模の面積である為、各場所に代官を配置して毎月報告をさせているが、当主本人も最低年二回は視察を行っている。
マルヴァレフト公爵領の代官は不正を行った事はないけれど、他領の代官には領主に隠れて不正を行っている者が時折存在していると聞く。代々その地の代官を務めている家系であるなら、徐々に腐敗していくのは前世の政治を見ていれば分かりきっている事だ。
その多くは下位貴族の領地に見られる。
領地面積の規模が大きくなると、代官として宮廷官吏が赴任して来る為、徹底した管理や行政が行われるので不正すれば即処分されるようだ。
この場合、国から宮廷官吏が配属されるので統治状況は全て筒抜けとなり、途中過程で中抜き等をすればバレてしまう仕組みらしい。前世もこの世界と同じ仕組みであれば、もう少し生きやすい環境だったはず。
その国その土地で生きているなら税を払うのは分かるけど、名前を変えて更に搾り取られたら生活苦まっしぐら。
こういった事が起こらないように、領主や代官は政務を行う。
国の統治がきちんとしているから平民の生活が守られ、とても生きやすい環境だ。
マルヴァレフト公爵領の代官も優れているので、クリスティアン様も自分の執務に専念できている。
さすがに事務作業だけでは運動不足になると、サルメラ大森林の視察と魔獣の間引きはクリスティアン様が継続している形でいた。
実家のアールトネン伯爵と次期伯爵は二人とも研究肌のせいか、行動派なクリスティアン様と違って研究所に引きこもっている方が多い。父は完全な引きこもりタイプだが、兄は成果を確認する為に外出するだけマシだろう。
母が元気になったおかげで父も外出するようになったが、それでも兄と比べたら機会は少ない。一日一度は母と庭園を散歩するのが習慣になったようだ。
産後は安静にさせられて外出の許可が出なかった為、まだ一度も実家へ顔を出していないので、近いうちに孫の顔を見せに行く予定でいる。
領主の執務だけになったクリスティアン様の監視が厳しく、これまでと違って私の行動範囲に制限をかけられた。
私がクリスティアン様へ無断で外出する事があれば、執事頭や家政婦長を始め、ユリアと専属護衛騎士の数人が罰を受けてしまうらしい。
罰と言っても世間で言われるものではない。
ユリアにとっての罰は私の世話から一日だけ外れる事で、執事頭のアールノは休暇を取らされる事。家政婦長のヘルガは息子スティファンに一日近寄れない、護衛騎士のエーヴァとイェンナは貴族夫人の勉強といったものが罰に値する。
彼らにとっては厳しい罰らしいので、私の外出は事前にクリスティアン様へ報告するのを義務づけられた。
ーーと言っても、公爵夫人である私の一日のスケジュールは、基本的に週ごとのシフトで決まっている。公的な外出に関するのは茶会と夜会、そして領内視察といったものだろうか。
茶会と夜会は事前に招待状が届くので、それらの返事によってスケジュールが埋められていく。
それとは別に普段の一日のスケジュールは、起床時間から夕食の時間まで決められている事が多い。
起床時間が七時の場合、朝食を八時半までに済ませておく。その後、九時から正午まで執務室での事務作業。十三時半にランチを終わらせ、十四時から十六時まで午前中に終わらなかった執務の続きをする。
午前中に執務を終わらせた場合は、個人事業の改良や発案を考えたりする時間だったり、サルメラ大森林の視察を兼ねて魔獣の間引きに時間を使う。
午後のスケジュールは午前中の執務の加減で変わるので、今日は午後の時間を運動がてらとしてサルメラ大森林の視察へ使うつもりでいる。
昨日まで産後の体調を考慮してなのか、クリスティアン様に安静にしてるように言いつけらていて、この数日はベッドの上で書類仕事しかさせて貰えなかったのだ。
「奥様、ダイニングルームを過ぎていますよ」
「あら」
考え事をしながら歩いていたので、うっかり通り過ぎてしまう所だった。
ユリアがダイニングルームの扉を開き、そのまま中へ足を進める。
「リューディア」
クリスティアン様が既にダイニングの席についていた。
「クリスティアン様、お待たせしてしまいました?」
「いや、俺も来た所だ」
クリスティアン様が言う通り、まだテーブルの上にはカトラリーしか置かれていない。
彼との結婚の条件として挙げていた食事の改善は、現在では実家のアールトネン伯爵家以上に前世の料理が並ぶようになっていた。
この世界の食事も悪くはないけど、やはり素材を引き出すだけのシンプルな味付けや、野性味だけじゃなく臭みが残っている肉料理が続くのは厳しい。
肉だけじゃなく魚の臭みを取る下準備や、ブイヨンにコンソメといった料理の味の基本ベースの作り方。
生野菜サラダに使用するドレッシング、そして複数のソースを伝授。
料理長のルーカスと副料理長のアルヴォの探求心が強く、私が教えた調理法を彼らなりにアレンジして作ってくれるので、ますます料理のレベルが上がっていった。
「リューディアが嫁いで来てから、邸の料理が格段に美味しくなった。本日の昼食も期待している」
「ふふふ、嬉しいわ。本日の昼食は軽めのものですが、夕食はクリスティアン様のお好きな料理ですわよ」
クリスティアン様はエビチリとタコのフリッター、フィッシュアンドチップスが特に気に入っている。夕食にはアルコールも提供されるので、もしかしたら酒のツマミとして気に入ったのかもしれない。
肉料理だとカツとじ、それとフライドチキン。
てっきり異世界あるあるで唐揚げを好むと思っていたが、前世の有名フライドチキンを再現して作ってみたら、クリスティアン様は唐揚げよりフライドチキンの方が好みだったのは意外だ。
そもそも彼は肉料理より海鮮料理を好んでいる。
「それは楽しみだな」
「クリスティアン様、わたくし午後はサルメラ大森林の方へ出かけます。グリーンティーの素材の補充をするついでに、薬草の確認と間引きもしたいわ。護衛の二人は連れて行きますが、ユリアはスティファンの傍につかせます」
「俺も同行したい所だが、駐在所の方で団員同士のトラブルがあったから確認に出向かなければ」
クリスティアン様がとても残念そうに言葉を吐き出す。
「まあ……騎士団員同士のトラブル?」
「きっかけは些細な言い争いだったようだが、互いに感情が高ぶってエスカレートしてしまったと聞く。パーヴァリが遠征で不在だから、俺が二人の取り調べをする事になった」
クリスティアン様の口調から察すると、トラブルの原因となった理由は不明だが、このマルヴァレフト公爵領に所属している騎士団員たちの絆は強い。
親兄弟のような親密さというか、互いに信頼し合っているのだ。
そんな彼らが感情が高ぶるほどになった要因とは?
「パーヴァリがいればトラブルに発展しなかったと思うがーー」
クリスティアン様が深い溜息を零す。
「それならば、わたくしの外出は控えた方が宜しいのかしら?」
久しぶりに体を動かしたかったけれど、サルメラ大森林へは明日でも構わないのだ。今日の所は庭を散歩するだけに留めた方が良いのか、クリスティアン様にそれとなく問いかけてみる。
「アールノがいるから気にせず羽を伸ばせば良い。外出と言っても二時間程度だろう?」
確かに私とクリスティアン様の二人が不在でいても、邸内には執事頭のアールノと彼の息子のトピアスが残っている。
クリスティアン様の取り調べが長引いたとしても、この二人が邸内にいる限り、万が一不足の事態が起こっても対処が可能なのだ。それに外出と言っても午後の空いている時間以内。
「ずっと安静にしていたから運動をしたいのだろう?」
「はい……見回りついでに魔獣を見つけたら倒したいなと」
「程々に」
「ふふふ、善処します」
話が終わった所で昼食が運ばれてきた。
この世界の朝食と昼食は、基本的に軽い前菜みたいな物が多い。朝食は温野菜サラダとスープにパン、昼食はオムレツかガレットにスープが定番だ。
そして十六時には軽食が添えられるアフタヌーンティーという習慣があり、十九時に豪華な夕食が始まるので、実質一日の食事は四食となる。アフタヌーンティーはおやつ時間でもあるが、提供されるのは菓子類より軽食の種類が多いと思う。
夕食が豪華な分、朝と昼は胃を休ませる感じだろうか。
私も朝はがっつり系より、胃に負担のかからないあっさりした物の方を好む。
本日の昼食は野菜たっぷりのキッシュとスープ。
ルーカスの作る料理はどれも美味しい。
クリスティアン様との昼食を済ませた後、動きやすい服に着替えて目的の場所へ向かった。
サルメラ大森林への入口から雑草と木々の葉が鬱蒼と茂っていたが、定期的に枝や葉を落としていたおかげで視界が開けるように変わっている。
雑草も根こそぎ取っているので歩きやすくなった。
魔獣討伐ポイントまでの道が出来た事により、新人の討伐隊も迷う事が少なくなったと聞く。
あの以前のような視界も悪く道なき道を歩いたのが懐かしい。
それも最初だけで、後は空間魔法で目的地まで瞬時に移動していたのだが。
グリーンティーの素材を集める作業がある時だけ、雑草摘みの為に入口から進む。
今日は空き時間が二時間という制限があるので、入口付近の雑草のみ集めてから空間魔法で移動した。約二か月ぶりに訪れたが特に異常はなさそうである。
三重にした結界と監視用の魔道具の不具合も見られない。
警報装置も正常に稼働している。
「薬草の方は……クリスティアン様が摘み取ってくれているから、新たに自生している分は見当たらないわね」
湖の周りを歩きながら、ゆっくりと足元を確認していく。
「奥様!」
護衛騎士のエーヴァが声を上げる。
エーヴァの声に反応したイェンナが、咄嗟に私を自分の背に隠して森の奥へ視線を注ぐ。
私は魔力感知で敵の数を確認すると思わず笑みを零した。
「イェンナ、エーヴァ。今夜はステーキよ!」
魔力感知で確認した敵の数は二十数体。
この魔力の大きさは牛型の魔獣で間違いないだろう。
サルメラ大森林に出現する牛型魔獣の肉は物凄く美味しいのだ。体の大きさは通常の牛の四倍程もある。この一体だけで数十人の大食いファイターでも食べきれない量だ。
私の言葉に護衛騎士の二人が笑みを浮かべる。
この二人は肉食女子なのだ。
「奥様、個人で狩った分は頂いて宜しいですか?」
「勿論よ」
「なんと! では頑張って狩らなくちゃ!」
「ふふふ、わたくしも二人に負けずに狩るわよ。旦那様に美味しいステーキを提供したいわ」
私たち三人で牛型魔獣の討伐を開始する。
まだこちらの気配に気づいていない様子だったので、簡単に仕留める事が出来た。
牛型魔獣の他にも兎型魔獣と魔鳥が視界に入り、それらも同時に仕留める。
討伐した魔獣は全部で四十七体。
そのうち牛型魔獣は二十六体、兎型魔獣が八羽、魔鳥十三羽だった。
私が討伐したのが全種合わせて二十六体。魔鳥は全部ひとりで討伐したが、牛型魔獣を十体しか仕留められなかったのが悔しい。
「奥様、少し腕が鈍ったのでは?」
「……そうね」
多少の物足りなさを感じるが、産後の運動には丁度良い数だろう。
討伐した魔獣を空間収納へ納めた後、他の魔獣の気配がない事を確認してから本邸の隣にある解体場へ移動した。
魔獣の解体をするのは厨房だと狭いので、魔獣専用の解体場が備え付けられている。
「奥様、また凄い数ですね」
解体専用の使用人が目の前の魔獣に釘付けだった。
「今夜はステーキよ! 張り切って解体をお願いね」
「かしこまりました」
「こっちの魔獣は騎士団の方へ回して。本邸の方へは魔鳥全部と牛型十体で、厨房へ夕食のメニューにステーキを追加と伝えて下さる? それとエーヴァとイェンナは個人で欲しい分だけ受け取ってちょうだい」
「奥様、ありがとうざいます!」
「ありがとうざいます」
「それじゃ、わたくしは邸に戻るわね。邸内にはユリアがいるから、貴方たちは自由に行動しても良いわ」
「かしこまりました」
「鍛錬も程々にね」
二人はマルヴァレフト公爵邸に来てから、ほぼ鍛錬に明け暮れている。
最初のうちは騎士団たちに魔法の使い方を指南していたはずが、彼らたちと打ち解けてからは一緒に鍛錬をするようになった。
邸の中はユリアと常に行動を共にしているので護衛は不要である。
私の護衛として部屋の前でじっと立っているより、鍛錬をしながら更に腕を磨くのは悪い事ではない。騎士団たちも剣の腕だけではなく、苦手としていた魔法の技術を身に着けておけばより生存率も上がるだろう。
私は邸の中へ入ると真っすぐ執務室の方へ向かった。
執務机の上を確認すると、特に新たな書類は見当たらなかったので本日の執務は終了である。
「夕食の前に湯あみを済ませておこうかしら」
服についた魔獣の血の匂いが気になってしまう。
この格好のままでは、まだ乳飲み子のスティファンを腕に抱けない。室内には浄化や癒しの魔道具があるけれど、汚れた格好のままでは気持ち的に気になるのだ。
夕食も身ぎれいにした状態で頂きたい。
執務室を出て自室へ向かう。
部屋に入ると同時に身に着けていた服を脱ぎ、そのまま浴室へ。さっと身を清めたら風魔法で髪と体を乾かし、適当な服に着替えてからスティファンの部屋に向かった。
「奥様、いつお戻りしたのですか?」
ユリアが驚いた顔を浮かべる。
「先ほどよ。スティファンは?」
「お坊ちゃまは気持ちよく眠っておられます。奥様がいなくてもご機嫌だったようですよ」
「あら、珍しいわね」
いつもならギャン泣きしている所だが、今日のスティファンは機嫌が良いらしい。
今は一日のほとんどを眠って過ごしているが、そのうちいやいや期だったり、思春期に入れば反抗期が起きたりするのだろうか。
さすがに子育て経験のある乳母や、侍女頭がいるから子育てのアドバイスをしてくれるはず。
一人で育てるわけじゃないから育児ノイローゼにならないと信じたい。
なによりスティファンの顔を見ているだけで幸せを感じるのだ。
自分の命に代えても守っていきたい。
「奥様、お茶にしましょう」
「そうね」
ユリアに促されてスティファンの部屋を出ると、日当たりの良いサロンへ足を運ぶ。
「奥様、準備が整っております」
ミカエラとウルスラがテーブルの上に、お茶のセットを整えている所だった。新人のメイドであるリーサ・ホランティ男爵令嬢は、花嫁修業の行儀見習いとして期間限定で預かっている。
彼女の実家であるホランティ男爵家には五人の令嬢がいて、リーサは男爵家の四女らしい。長女が家を継ぐみたいだが、次女と三女の結婚費用をかき集める為に苦労していたそうだ。
ようやくリーサに婚約者が出来て結婚のめどがついたは良いが、あまり裕福な家庭ではなかったせいで、礼儀作法の教師を雇う余裕がなかったらしい。
まだ幼い頃は子爵令嬢だった母親から学んでいたけれど、公式な場での礼儀作法は皆無だったようだ。
リーサの婚約者が伯爵令息だった為、伯爵家へ移る前に最低限の作法は身に着けておきたいとの事。
「それじゃ、始めましょうか」
今からリーサの修行の時間である。




