クリスティアンside
ヴィヘルヴァ王国は、この世界で最も広大な国土を持つ豊かな国の一つである。
周辺の国とも友好的な付き合いで、特にナーリスヴァーラ王国とパロヘイモ帝国は、王族同士の婚姻により強固な繋がりを持っている為、国民の多くが行き来しあう程に親密な関係だ。
二国以外では他種族の集落が合併して出来たロイヴァス共和国。
この国には鍛冶を得意とする亜人たちが作った道具に、長命と呼ばれているエルフ族の知恵の恩恵を授かるといった、互いの国が良い方向へ進む形での締結といった所だろう。
そしてパヌラ王国は薬草の聖地と呼ばれるほど、世界中のあらゆる種類の薬草畑が広がり、国民の多くが薬草の性質や効能に詳しいと聞く。
その為、薬師や医療の共同研究をするという目的で、友好国として締結している。
周辺国といっても国同士は互いに距離が離れている。
この世界の全域に広がる大森林と鉱山を含む山々には、害のないものから狂暴な魔獣が生息しているので、他にも国が存在しているのか確かめた者は誰もいない。
それぞれ魔獣の棲む森や山岳を開墾して出来た集落が集まり、それが一つの国として誕生しているので国土の大きさもそれなりにある。
ヴィヘルヴァ王国の王都から東部へ向かって半日ほどの距離にあるヴァーハテラ地方。
ヴァーハテラ地方はヴァーラ鉱山を始め、サルメラ大森林やシルヴォラ山が土地続きで並んでいる。その片側は海岸沿いとなって地域はウイット漁港と呼ばれ、それら全ての場所をマルヴァレフト公爵が領地としていた。
ヴィヘルヴァ王国の中で最も広大な敷地面積を誇る公爵家で、その始祖は当時の王族である。
マルヴァレフト公爵家の直系が持つ髪と瞳の色は、王族の証である事を色濃く引き継がれていた。
現在のマルヴァレフト公爵家には、二人の息子が存在する。
嫡男は父親から爵位を受け継いだばかりで、その伴侶には相応しい家柄の令嬢。
弟のクリスティアンは武才に秀でていた為、公爵領の騎士団へ所属するとすぐに頭角を現し、歴代最年少で騎士団総隊長の座となった。彼は身体強化で剣を振り、一瞬で魔獣を仕留めるのを得意としている。
それだけじゃなく、膨大な魔力で魔獣を焼き尽くしたり氷漬けにするのも可能だ。
しかし魔獣は素材と食料になるので、出来るだけ破損せず確実に仕留める力技を身に着けたのである。
公爵家では次男という立場にあるが、ゆくゆくは公爵家が持っている伯爵位を賜り、騎士団総隊長として当主となった兄と共に、領地と領民の生活を守る事を固く誓うのだった。
父親である前公爵は、息子二人の成長を誇らしく思っていた事だろう。
彼は隠居した身でありながら現役と変わらず、騎士団員と定期的に大森林へ魔獣討伐を行っていた。
そんなマルヴァレフト公爵家に激震が走る。
魔獣討伐を行っているサルメラ大森林の中を、前公爵は数人の部下と巡回している最中に倒れてしまったのだ。
部下たちに本邸へ運ばれるも、前公爵は意識を失ったまま。
医師の診断結果は原因不明だという。
更に当主になった嫡男も執務中に意識を失って倒れてしまった。
前公爵と同じ原因不明の症状である。
ちょうどその頃、次男のクリスティアンはシルヴォラ山へ、魔獣の討伐依頼を受けて不在だった。タイミング悪くスタンピード現象が起こり、シルヴォラ山の麓まで大量の魔獣が押し寄せ、農地や家畜だけじゃなく領民にまで危害が及んでいたのである。
騎士団総隊長のクリスティアンを筆頭に、副隊長のパーヴァリ・ムルタラ伯爵令息と精鋭部隊で、溢れかえる魔獣を討伐するのに必死だった。
丸二日間も魔獣と戦った末、ようやくシルヴォラ山に生息する魔獣の数を極限まで減少。
倒した魔獣の亡骸を回収していた所に、本邸の使いがクリスティアンの元へ到着した。
「パーヴァリ、後の事を頼んでも良いか?」
「クリス、何があった?」
「父上と兄上が原因不明の病で倒れたらしい」
「ああ、後の事は任せておけ」
「すまない」
クリスティアンは空間魔法で本邸へ戻り、先に父親の部屋へ向かう。
「坊ちゃま……」
執事頭のアールノがクリスティアンの姿を確認すると、彼を前公爵の部屋へ促した。
「アールノ、父上の様子は?」
「大旦那様は一度もお目覚めにならず……」
「父上が倒れられたのは? 見回りに行くと言っていた気がするがーーーどの地へ行っていたのか分かるか?」
クリスティアンの言葉に執事が頷く。
「マイニオとカレヴァを連れて、サルメラ大森林の様子を見てくると、私の息子から伝言を承っておりました。しかし、森の探索中に大旦那様が倒れられ、カレヴァの風魔法でこちらへ運ばれたものの意識を失っておられました。それから一度も意識が戻らずーーー騎士団の駐在所にいる医師に診察してもらいましたが原因が分からず仕舞い」
「父上は外傷もなく意識を失ってしまわれたのか」
「はい。ちょうど領内にパヌラ王国出身の医者が滞在していると聞き、その者にも診察をお願いしたのですが、原因不明の伝染病と言われました。そして若旦那様も同じ原因不明で倒れられ、意識を失ったままお目覚めになりません。それから間もなく、お二人とも高熱を出されてしまい、私どもも途方に暮れていたのです」
「そのパヌラ王国出身の医師は?」
クリスティアンも直接その相手から話を聞きたかった。
執事頭のアールノは首を横に振る。
「ただの旅行者だったようで、この領に三日しか滞在されていなかったそうです」
旅行者なら数日しか滞在しない。
次の場所へ移動する為の食料の補充が目的だったり、この領地で特産物である加工品を求めたりと様々だ。
観光目的であれば長期滞在者も存在する。
その医師は旅の不足品を補充するのが目的だったようだ。
「原因不明の伝染病というか、誰も感染していないのか?」
「若旦那様を看病されていたアンティラ・コイヴレフト侯爵令嬢のみ、同じ症状で倒れられましたがーーーそういえば、他の者は全く症状が出ておりません。私も大旦那様についておりますが、体調に異常はないですね」
「伝染病なのに医師は対処法すら告げないのもおかしな話だな。父上と兄上、そして兄の婚約者のみが同じ症状か。兄の婚約者は?」
父親と兄が意識不明のままでいるなら、二人が回復するまでクリスティアンが当主代理をしなくてはならない。
そんな中、兄の婚約者の面倒まで見る余裕はなかった。
主に使用人が看病や世話をするが、相手側の家へ連絡をしたりと面倒な作業が増える。
「アンティラ嬢はコイヴレフト侯爵家へ連絡をした後、彼女の家の者が引き取りに来られましたので、侯爵家へお帰りになりました」
兄の婚約者は実家に引き取られていた。
それだけでクリスティアンは少し肩の荷が軽くなったような気がする。
「そうか……あちらの家から何か言ってきたか?」
仮にも侯爵家の令嬢だ。
伝染病にかかったなど、こちらの落ち度として文句を言われても仕方ない。
「いえ、それもございません。通常であれば倒れられた原因など詳しく聞きたがるものなのに、お嬢様を引き取りに来た者も特に何も申しませんでした」
執事の言葉にクリスティアンの眉間に深い皺が刻まれる。
「大切な令嬢に大病を患わせた件について、こちら側が訴えられてもおかしくないのにな」
「医師は浄化魔法もかけておられなかったので、私も不思議に感じていたのですが、素人が医師に異議を申すのも憚られ……至らなくて申し訳ございません」
「パヌラ王国は薬草の産地でもあるし、医師や薬剤師も他国より優れた者が多い。そんな相手に素人が口を挟むべきではないが、俺も少し納得がいかないようだ」
クリスティアンは前公爵の部屋の中に入り、その姿を確認する。
高熱を出しているせいか額に汗が浮き出ているが、不思議な事に呼吸が安定しているのだ。普通は呼吸が荒くなったり、魘されていてもおかしくない。
目の前の父親は、普通に眠っているようにしか見えないのだ。
穏やかな寝顔に
「父上……せめて意識が戻ってくれれば」
前公爵の手を握りしめながら、父親の無事を願う。
クリスティアンの手から流れる淡い光が、父親の手から体全体に広がっていく。淡い光が父親の体を包んだ後、光の粒となって消えた。
光の粒が消えた直後、父親の瞼がぴくりと動いたのである。
「父上っ!」
クリスティアンが父親の手を強く握った。
すると意識を失った状態でいた父親と、クリスティアンの視線が合う。
「父上、意識が戻ったのですね」
前公爵は息子の顔を視界に捉えると、なけなしの力を振り絞り言葉を発する。
「クリス……兄と……りょ……まも……ヴ……フ……しんじ……るな……きけ……ん……」
弱弱しい声で何かを呟いた後、クリスティアンの父が息を止めた。
数秒前まで言葉を発していた口は無言を貫く。
開いてた瞳は瞼に覆われ、もう視線も合わせてくれない。
「ち、ち……父上?」
まだ温かい父親の手を握りしめたまま、クリスティアンは動く事が出来なかった。
「坊ちゃま、若旦那様がっ!」
「兄上?」
自分の体じゃないような重さを感じながら、クリスティアンは兄の部屋へ急ぐ。
そこには父親と同様に息をしていない兄の姿があった。
「兄上まで……なぜ?」
原因不明の伝染病とは一体ーーーー。
そしてーーー二人の葬儀は厳かに行われた。
王族も葬儀に参列し、前公爵と若い当主の別離に嘆き悲しむ。
クリスティアンは悲しみに暮れる暇もなく、現当主の突然の死に公爵代理として執務に追われていた。
幼い頃からの英才教育に続き、学院では帝王学に経営学の授業を受けていた為、領地については特に問題はないのだが、騎士団総隊長として討伐と執務の掛け持ちもあり、疲労が徐々に体へ重くのしかかっていく。
そんな中、幼馴染である王太子殿下より招集の手紙が届いた。
多忙を極めていたが王族の招集を断るわけにはいかない。
クリスティアンは現状では公爵家の当主代理でしかないので、王家に公爵家の爵位の名義をクリスティアンに変更する旨の公式書類を提出する必要があった。
公式な書類を作るのは面倒な上に手続きするにも時間を要する。
王太子から招集されたついでに、名義変更の書類を提出しておこうと考え直した。
「アールノ、王宮へ行ってくる」
執事頭に予定を告げると、護衛騎士の二人を連れて空間魔法で王宮の敷地内へ移動する。
クリスティアンの髪色は王族の血筋を現すもので、特に不振がられずに護衛騎士と一緒に王宮を渡り歩く。
回廊を渡って王族専用の敷地内に入り、目的の部屋へ足を進めた。観音開きの扉の前に立っている衛兵に声を掛け、室内へ通して貰う。
部屋の中に入ると、その場にはウオレヴィ・テルヴォ・ヴィヘルヴァ王太子殿下、アルベルト・エルヴァスティ公爵令息、クラウス・ニスカヴァーラ侯爵令息、アレクシス・フオヴィネン辺境伯の四人が勢ぞろいしていた。
彼らは全員クリスティアンの幼馴染であり、学院時代の同級生でもある。
その中でアレクシス・フオヴィネン辺境伯は、彼らより二つ上の先輩にあたる存在だった。
彼はヴィヘルヴァ王国の東部キュラコスキ地方にある、キュトラ大森林を治める辺境伯当主。
その地はパロヘイモ帝国との国境とも呼べる場所に位置している為、アレクシス・フオヴィネン辺境伯は国内でも珍しい黒髪と紅玉色の瞳だ。
王太子殿下は元より、この場にいる全員が高位貴族である。
王族の証でもある青銀髪を持つ者が三名もいるのだ。ウオレヴィ・テルヴォ・ヴィヘルヴァ王太子殿下、そして現国王の末弟を父に持つアルベルト・エルヴァスティ公爵令息、最後がクリスティアン・マルヴァレフト公爵当主代理だ。
血筋から言えば王太子殿下とエルヴァスティ公爵令息は、父親同士が兄弟なので従兄弟に当たる。
しかし、クリスティアン・マルヴァレフト公爵当主代理は違う。
マルヴァレフト公爵家の始祖は王族であるが、その後に王族の血は入っていないはずなのに、王族直系の青銀髪と紫紺色の瞳は受け継がれ続けている。
おそらく魔力とスキルもーーー。
クラウス・ニスカヴァーラ侯爵令息は、この国でもっとも多い淡い金色の髪と藍色の目を持つ好青年だ。
全員が幼少期に知り合った気の置けない親友たちである。
「俺だけを呼び出したんじゃなかったのか」
その場にいる顔なじみを見回しながら呟く。
クリスティアンに向かって王太子のウオレヴィが、「持ってきたんだろ?」と書類を渡すように告げた。
「今回は異例中の異例だから、手続きはスムーズに終わる」
「そうか」
クリスティアンはホッと息をつく。
そんなクリスティアンにウオレヴィ王太子が言葉を続ける。
「兄君の婚約者……アンティラ・コイヴレフト侯爵令嬢の葬儀も終えている」
その言葉にクリスティアンが息を飲みこむ。
自分の父親と兄の状態を見て、兄の婚約者も同じ運命を辿る事は見えていたがーーー。
「亡くなっていたのか?」
「コイヴレフト侯爵家から連絡はなかったのか? 兄君たちの葬儀の二日前に終わっているはずだ」
既に婚約者の葬儀を終えているとは、コイヴレフト侯爵家の準備が早すぎる。まるで葬儀をする事が予め分かっていたような動きの速さだ。
兄の婚約者だったはずなのに、亡くなった事すら知らされない。
「何も知らされていないのか?」
「ああ、一言もない。父上が倒れられる前に、運悪くスタンピードが起こって討伐隊にいたんだ。それを終えて魔獣亡骸の回収をしていた時に連絡が入ってーーー俺は父上が息を引き取る数分前のみしか目撃していない。執事から兄の婚約者も感染したと聞いたが、俺が帰還した時には婚約者は実家に引き取られた後だったんだ」
執事も婚約者の実家へ連絡し、彼女を引き取って貰ったと言っていたが、その後は婚約者の家から何の連絡もない。
父親と兄と同じ原因不明の伝染病だと教えられたが、婚約者以外の人間は誰一人として感染していないのだ。
父親の看病と世話を執事頭が行っていたというのに、感染した症状は現れない。他のメイドもリネンの取り換えや給仕をしたはずなのに、感染していなのが不思議だった。
「元婚約者の家族だぞ? 令嬢が亡くなった事を知らせるのは当たり前の事だろう?」
伝染病の感染源である公爵家から令嬢を引き取り、その後も抗議文すら送って来ない。
おかしな点が多すぎる。
「眠ったまま亡くなったそうだ。お前の父君と兄君もそうだったのか?」
ウオレヴィ王太子の言葉に、クリスティアンは自分の父との最後の時間を思い出す。
「父上の方は息を引き取る直前に目を覚まし、俺に何かを呟いていたんだがーーあまりにも声が小さいのと、途切れ途切れの単語しか聞き取れず、聞き返す間もなく息を引き取られた」
父親の手を握って回復を願っていたら、淡い光が父親の体を包んでいた光景は幻想的だった。
その光の粒が消えた瞬間、父親が目を開けて何かを口にするも、クリスティアンの耳には言葉というより単語にしか聞こえなかったのである。
クリスティアンの疑問は、父親の状態も不可解だったこと。
「人は高熱を出すと呼吸が荒かったり、魘されたりするのが普通の状態だよな? 父上はまるで眠っているように穏やかな息遣いで、顔色や額に汗が浮いていなければ勘違いしそうなほどーー本当に眠っている姿だったんだ」
クリスティアンの話を聞きながら、ウオレヴィとアレクシスは怪訝な表情を浮かべる。二人は話に水を差すつもりがないのだろう、沈黙したままだ。
そのままクリスティアンが話を続ける。
「それとーー兄を看病していた侯爵令嬢は感染したのに、父上の看病を世話をしていた執事には感染しなかった。その他も兄上のリネンの交換や、食事の給仕をしていたメイドも感染していない。父上の部屋の掃除をしている使用人も、公爵家の使用人は一人も感染していないのに、父上と兄上に侯爵令嬢の三人だけ感染したのが不可解なんだ」
「クリス、二人の感染経路は?」
ここでようやくアレクシスが口を挟む。
「父上の方はサルメラ大森林の視察中に倒れられたと聞く。兄上の方は不明だ。執事の話では執務中に倒れたと聞いただけでーー倒れた後の父上と兄上が接触していたとは聞いてない。だから兄上の感染経路は不明のままなんだ」
「クリスの話を聞けば聞くほど不審な点が多いような気がする。伝染病は同じ室内にいるだけでも感染するのが当たり前。それなのに看病や給仕をした使用人には感染せず、兄君の傍にいたという婚約者の令嬢だけが感染したというのもーーまさに謎が深まるな」
「アルの言う通りだな。この案件は口外しない事とする」
ウオレヴィ王太子殿下の言葉に一同が頷く。
「それとクリス、お前は正式に公爵家の当主となる。この国では爵位を賜る者に伴侶は不可欠だ」
「前妻で懲りてるんだが……」
クリスティアンには結婚歴がある。
その相手はパヌラ王国の侯爵家の令嬢だったが、結婚式の当日に彼女は自分を護衛していた騎士と共に行方をくらまし、その後はクリスティアンの結婚が無効となったのだ。
あの結婚は向こう側から申し込んできたのに、侯爵令嬢は幼馴染の護衛騎士と恋仲だったという。
まるでクリスティアンが二人の仲を裂いた悪しき者みたいで気分が悪かった。
「俺はアールトネン伯爵令嬢がお勧めだけど、自分の目で確かめると良い。アールトネン伯爵令嬢は三人いるけど、お勧めなのは末娘の方だから間違うなよ」
ウオレヴィ王太子殿下が閃いたといった風に話を持ち出す。
クラウスもウオレヴィ王太子殿下の話に便乗する。
「あそこの末娘はデビュタントをしてなかったよな? いや、次の新年にある大夜会でのデビュタント組か!」
クラウスの父親は現在の宰相だ。
その宰相補佐をクラウスは務めている。
「クラウスは令嬢関連に詳しいね」
「仕事柄だ。夜会に出席する者のリストの確認をするからな。年齢の差が気になるが、あの令嬢なら大丈夫だろう」
「ウオレヴィとクラウスはアールトネン伯爵令嬢の事を知っていて、敢えて俺に勧めているのか?」
ウオレヴィ王太子殿下とクラウスの二人が、そのアールトネン伯爵令嬢を勧めるのが驚きだ。
彼らは令嬢に対して意外と辛辣なのである。
令嬢に求めるのは美貌ではなく、伴侶として対等に行える能力と素養を重視していた。
「社交界での噂は耳にするけど、あの令嬢を知っている者は誰も信じていない。俺はアイナから聞いて彼女の本質を知っているだけさ」
「アールトネン家の上の双子は酷いからな! あの温厚なクレーモラ侯爵が憤慨するほどだ」
「そうそう。クリス、末娘との結婚を決めたら王命にしてあげるから」
「どういう意味だ?」
二人が推し勧めるアールトネン伯爵令嬢には、二人の姉が存在しているようだ。
その姉二人が結婚話を駄目にしかねないと告げている。
「ああ! 王命にしといた方が良いぞ。絶対に妨害される」
「俺たちが勧める令嬢は多才だぞ。学院を十二歳で卒業だったか? そして卒業後は領地へ戻って父親と兄の補佐をしながら、個人で事業を立ち上げる女傑だ。公爵家の資産を食い潰される心配がない上に、もしかしたら公爵家に恩恵を与えてくれるかもしれないぞ」
「あの令嬢が領地へ戻ってから、父親のアールトネン伯爵が提出した新たな野菜の研究は素晴らしかった! そして兄君は土壌の研究で肥料を開発していたな。これも令嬢のアドバイスらしい」
「そんな素晴らしい令嬢なのに、婚約者がいないのは何故だ?」
二人の話が本当なら掘り出し物な令嬢だろう。
そんな奇跡に近い存在なら、幼い頃に婚約話があっても不思議ではない。次の大夜会でデビュタントをするのに、婚約者が不在のままのようだ。
「上の双子が妹の婚約者を追いかけ回し、挙句の果てに学院内で既成事実を作ろうと媚薬を盛ったのさ。あの時のクレーモラ侯爵は物凄い剣幕だった。良き縁と思って息子と婚約させたのに、上の双子が息子の将来を台無しにしたのだからな」
どうやら既成事実の件は未遂で終わったらしい。
そもそも学院内で媚薬を盛るとか、その双子の姉妹はどうかしている。
「末娘の悪評も上の双子が絡んでいるだけだから。まず令嬢本人と会話をして結婚を決めると良い」
「実の姉妹なんだよな? なぜ姉が妹の邪魔をするんだ?」
「そりゃ……妹は学年主席で生徒会役員も経験している。更にスキップで卒業できる秀才な上に、姉二人以上に綺麗だからさ。ちなみに姉二人の成績は学年の最下位だそうだ」
「伯爵家の嫡男も学院時代は主席だったな。残念なのは双子の二人さ」
ウオレヴィ王太子殿下とクラウスの言葉に頷いて答える。
「分かった……まずは自分でリサーチしてみる」
「狙い目は大夜会の時だ。彼女と話をして好感が持てたら知らせてくれ。王命にして即婚姻届けを提出させてやる」
その後、時間の許す限り四人と他愛もない話をして過ごし、クリスティアンは自分の護衛騎士と共に王宮から公爵領の本邸へ戻った。
親友が勧める令嬢について、公爵家の陰に調査をさせる。
クリスティアンは兄が手掛けていた事業の引継ぎ、そして騎士団総隊長の引継ぎに追われた。
いよいよ今夜ーーーヴィヘルヴァ王国の大夜会が行われる。
絢爛豪華な王宮のダンスホールは、着飾った王侯貴族で溢れかえっていた。大夜会は年に一度しかない最大規模の催しであり、国内の全貴族が集合する。
この夜会でデビュタントを迎えるのは光栄なのだ。全貴族が集まるのだから、縁を結ぶには都合が良い。
商家の家は販路を広げる為に名を売り、令嬢は婚家先を見つけやすいのだ。
クリスティアンはデビュタントを迎える令嬢たちを眺め、目的の令嬢の姿を探す。
すると金髪に薄紫色をした令嬢と子息、そして上品な夫人の三人連れが会場に現れた。
三人の容姿は良く似ている。
夫人は薄紫色のドレスを纏い、シンプルだが光沢のある素材で気品溢れる佇まい。子息も薄紫色のタキシード姿で、夫人とデザインを合わせているような装いだ。
エスコートをしている令嬢はデビュタント用の白いドレスを纏い、素材自体は夫人と同じ生地を使用しているのが分かる。おそらく自領で作っている生地なのだろうか。
まるで絹のような高級感のある素材だ。そのドレス生地の上に重なっているレースも素晴らしい。動くたびにレースのモチーフが浮かび、その繊細なデザインが興味をそそる。
三人は他愛のない会話をした後、令嬢だけが場を外してビュッフェコーナーへ足を向けた。
話しかけるチャンスだと思い、クリスティアンは令嬢の後を追う。
「レディ、お一人ですか?」
クリスティアンに声をかけられた令嬢ーーリューディア・アールトネン伯爵令嬢は、驚く事なく冷静な視線を向けてきた。
「はじめまして、マルヴァレフト公爵様?」
リューディア・アールトネン伯爵令嬢は、まだ名乗っていないクリスティアンに気づいたらしい。
あの親友たちが勧めるのが分かる対応だ。
この大夜会でクリスティアンは、生涯の伴侶と出会う事が出来たのである。