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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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月下の誓い

ヒマリスの花が見頃を迎え、季節がゆるやかに巡ろうとしていた頃。隣国フェルデリアより一通の書簡が王宮へ届けられた。そこには、エリセ・フェルデリアの処遇について記されていた。

王族籍の剥奪。

終生を俗世から隔絶された、雪と氷に閉ざされた修道院で送るという決定。それは誰よりも完璧な「王女」として、また「王妃候補」として育てられた彼女に与えられた、あまりに静かで孤独な結末だった。

名も地位も捨て、ただ祈りの中で生を終える──。

誰の心にも残らぬように消えていくその運命はある意味、彼女にとって最も残酷で、最も穏やかな罰。


──そして、季節は静かに移り変わっていく。


「……お嬢様、とても……お綺麗ですよ」


鏡の向こうから響くマルタの声に、リシェルはそっと微笑んだ。年配の侍女は目を潤ませながらも、少女のような笑顔で主を見つめていた。

季節はすでに夏の盛りを過ぎ、名残の風が色褪せた暑さを連れて過ぎようとしていた。花々が咲き誇った華やかな日々が嘘のように、ここまでの時の流れはまるで夢の中の出来事のようだ。

妃としての承認を求めた議会。

衣装合わせ、髪飾り選び、細やかな所作の稽古。気づけば目まぐるしく過ぎた日々の中で、今この瞬間だけが静かに時を止めている。


鏡に映る自分に、リシェルはふと視線を落とした。

丁寧に結い上げられた髪は片側に柔らかく流れ、そこにはウィステリアの花と淡い紅色のサクラリスを模した髪飾りが添えられている。

どれもが贅沢で格式ある品々。

それでも不思議と、彼女の姿に自然に溶け込んでいた。

静かに立ち上がったリシェルの背後で、控えていたメイドがやわらかく扉をノックした。

時間が来たのだ。




夜の帳が下り、星々が煌めき澄んだ月が空に円を描く頃。

リシェルは静かな足取りで、大聖堂へと続く外廊を歩いていた。石畳の床に長く伸びる白いドレスの裾とベールが、月光を受けて揺れ、衣擦れの音が微かに響く。

白亜の柱が並ぶ回廊を抜けた先、大階段の前に父レイナルトが立っていた。足音に気づき、レイナルトがゆっくりと振り返る。その瞬間、視線が重なり懐かしさと切なさが交じり合った色が父の瞳に浮かんだ。


「……フィーナに、そっくりだな」


低くつぶやく声。

リシェルは小さく微笑み、差し出された父の腕に迷いなく手を添える。


「……この結婚に、悔いはないか?」


問いかけるように向けられたまなざしに、リシェルはまっすぐ顔を上げた。唇をほんの少しだけ緩めて答える。


「わかりません」


正直な答えだった。

けれど続く声には、確かな意志が宿っていた


「……でも、悔いのないように生きていこうと思います。これは、私が自分で選んだ道ですから」


レイナルトの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「……フィーナは、お前の幸せを誰よりも願っていた」


「知っています」


短く、けれど優しい声で応える。

父は目を伏せ、何かを深く噛みしめるように息を吐いた。そして、娘の名を呼ぶように静かに言葉を紡いだ。


「……もし一人で立てなくなったときは、私のところへ戻ってこい。お前だけは、必ず守る」


リシェルはやわらかに微笑んだ。


(回帰したあの日も、同じ言葉をくれた。あのときの私はただ強がっていただけ。でも今なら──もう少しだけ、素直になれる気がする)


「うん。そのときは……私を守ってね。お父さま」


驚いたように目を瞠ったレイナルト。

けれどすぐに頷き、娘の手を包み込むように自分の掌で軽く叩いた。




重く荘厳な扉が、ゆっくりと開かれた。

月の光と無数の燭台の灯りが、まるでふたりを導くように通路を照らしている。

リシェルは息を整え、前を見つめた。

そしてその光景に、思わず息を呑む。

深い青の絨毯が聖壇へと続き、月光に照らされたステンドグラスが夜空のように幻想的な輝きを放っている。 一歩進むごとに、白いドレスと繊細なベールが光を受けてゆらめき、絨毯を白く染めていくようだった。 


(……あのときとは、ぜんぜん違う)


回帰前、この聖堂で挙げた婚礼。

真紅の絨毯、陽光の下の祝福。

若さと純潔を象徴する白と金の礼服。片側の肩にだけ掛かるその礼装用マントは、王族の高位を示すと同時に彼の華やかさをさらに際立たせていた。

まるで舞台に立つ役者のように整えられた姿。

金色の髪は陽光に照らされて煌めき、微笑むその顔は誰もが見惚れる美しさだった。

けれどリシェルの記憶にあるその姿は、どこか空虚で遠かった。完璧なまでに整った仮面。


(……でも、今は)


聖壇から数段下に立つアレクシス・レオナールは、まったく異なる姿をしていた。

深紺と漆黒を基調にした礼装は、夜の静けさと王家の威厳を纏っていた。一見して飾り気のないその装いも、よく目を凝らせば細部にまで精緻な意匠が施されているのが分かる。銀糸で紡がれた刺繍は月光の下で静かに輝き、紫の糸で縁どられた裾が深い色のマントに気品と深みを加えていた。マントは長く、歩くたびにその重みと威厳をまとわせる。

胸元には、対となる二つのブローチが銀のチェーンで繋がれ、まるで対極にあるもの同士を強く結びとめるかのように、彼の立場と覚悟を象徴していた。


そして何より、ダークブルーの長い髪が束ねられることなくそのまま背に流れている姿。威圧的ですらある無表情の奥に、ただひとりを見つめる視線があった。

仮面のような笑顔をまとっていたかつての王子とは違う。

今、リシェルの隣に立つ彼は笑わない。

けれどその瞳だけは、確かにリシェルを見ていた。ただの「花嫁」ではなく、彼女自身を……リシェルというひとりの人間を。


(……やっぱり、正反対ね)


胸の奥にあたたかなものが滲み、自然と唇に笑みが浮かぶ。

この先に何が待つのかはまだ分からない。

けれど、誰かに定められた未来ではない。

自ら選んだ未来だ。

その確信が、リシェルの背をそっと押していた。


「……娘は、妻似ですので」


レイナルトの呟きに、アレクシスがひとつ息を吐く。


「ある程度は自由にさせるつもりだ。私の目が届く範囲で……だが」


レイナルトは娘の手をそっと手放し、アレクシスの差し出した手に重ねた。


「娘を……シェルを、どうかよろしく頼みます」


まっすぐに向けられた願いに、アレクシスはわずかに頷いた。リシェルの手を取ると自らの腕へと添え、ゆっくりと前を向く。

階段を一段、また一段と昇るたびに指先が震え、視界が滲む。けれど、彼の腕から伝わる温もりが確かに存在を告げていた。


「リシェル嬢」


低く、穏やかな声。

顔を向けると、彼は真っ直ぐに見つめながら言葉を継いだ。


「今、君の隣にいるのは私だ。そして──」


ふたりの足音が静かに重なり、歩みが止まる。


「君はこれから、アレクシス・レオナールの妃となる。恐れるなとは言わない。だが、恐れるのは……今ではない」


ベール越しに見た彼の瞳がそっと語りかける。


──わかっているなら、笑え。


リシェルは静かに息を吐き、ゆっくりと前を見据えた。


(ここは、かつて私が死んだ場所。けれど今は、新たな未来を紡ぐ場所でもある)


強く静かに頷いた彼女を、アレクシスの目が見守っていた。

何も言わず、ただそこに──確かに在るものとして。

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