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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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王の決断

冬の気配が静かに遠ざかり、陽の光がわずかにぬくもりを取り戻し始めた昼下がり。アレクシス一冊の記録を手に、王宮東翼の一角へと向かっていた。

国王の私室である『月華の間』には重厚な調度品が並び、静謐な空気が満ちていた。

その部屋のベッドにゆるく腰掛けているのは、国王アルヴェリオン・レオナール。かつて国を治めた面影を残しながらも、今はまるで時間の流れそのものに溶けゆくように静かだった。


「ごきげんよう、父上」


「ああ」


その声は静かに返ってきたが、アルヴェリオンの姿は以前よりも明らかに老け込み、疲弊を隠せなかった。

特にエリセの一件以降、彼の顔には深い影が落ちている。医師たちは身体の不調よりも、心の衰弱を強く心配していた。 アルヴェリオンを知る多くの者が「もう長くはない」と悟っていた。アレクシス自身もまた、譲位の件を含めてそう覚悟しながら動いていたのだが……。


「……父上。貴方にはまだ、やるべきことがあるように思えます」


その言葉にアルヴェリオンは眉を吊り上げ、鋭く息を吐いた。


「なに……?」


アレクシスは控えていたゼノの勧めに従って腰を下ろすと、手にしていた包みを静かに差し出した。


「……これは?」


「ある方の記憶です。父上にも、知っていただくべきだと思いまして」


目を細めたアルヴェリオンが胡乱げに布を捲る。その瞳に刻まれる、かすかな動揺。

そこに現れたのは一冊の古びた日記。 表紙には五弁の淡い花、サクラリスの印が刻まれていた。


「──っ、サクラリス……の印……!」


不意に顔を上げ、アレクシスを見据えたその表情は驚愕に染まっていた。

男は震える手で日記を開き頁をめくっていく。その様子をアレクシスは黙して見守っていた。ゼノが差し出したティーカップを受け取りながらふと、彼の微笑がリシェルに似ていることに気づき、心のうちで小さく笑った。

どのくらいの時が流れただろうか。カップの紅茶はすでに冷めかけている。だがアレクシスはまだ言葉も発せず、立ち上がることもなかった。


「……アレクシス……」


アルヴェリオンの掠れた呼びかけに、ようやく彼はゆっくりと顔を上げた。父の目尻に滲む涙に気づかぬふりをしながらも、アレクシスはじっと言葉を待つ。


「これは……どこから手に入れた?」


「西の離宮です」


「西の離宮……だと?」


「ええ。花の間に封印されていました」


アレクシスは父の様子をうかがいながら視線を向ける。だがアルヴェリオンは、初めて聞くかのように首を傾げるだけだった。


「……何も、ご存じなかったのですか?」


「知らん。イレーネは()として遺すことを極端に嫌った。髪飾りもドレスも……気に入った物以外は全て焼き捨ててしまったほどだ」


無表情ながらも訝しげに眉をひそめる息子に、王は苦笑いを漏らした。


「……封印はイレーネが?」


「いえ。母上とカロル侯爵令嬢の母、セラフィーナ侯爵夫人が施していました」


セラフィーナの名を告げると、アルヴェリオンはピクリと反応し、理解したかのように何度か小さく頷く。


「……なるほどな。ルヴェール……いや、カロル侯爵夫人が関わっていたか。おそらく、レイナルトも知らぬだろう」


深いため息を吐きながら、王は息子に視線を戻す。


「で、これを私に見せた理由は何だ? 老いぼれの私に、何を期待している」


先ほどまでの疲れ切った姿とは違い、威厳を取り戻したその口調に、アレクシスは背筋を伸ばす。


「母イレーネの遺言に従い、彼女(・・)が望むならば私が盾となる覚悟はできています。ですが、そのためにも……三年の猶予をいただきたい」


その言葉に、室内の空気は一層重く沈んだ。


「三年だと? 今にも死にそうな私に対して、か」


「あいにく私は、冷酷無慈悲の氷の王子ですからね」


そう返すアレクシスに、鋭くもどこか誇り高い視線を向ける父。


「……母上は魔術などは使えたのでしょうか?」


「は? 魔術など、イレーネには……」


その言葉を聞いた瞬間、アルヴェリオンの眉間に皺が寄る。やがて諦めたように大きく息を吐いた。


「なんと書いてあった……」


「【封印された記録庫】を、カロル侯爵令嬢には決して開かせてはならぬ、と……」


アルヴェリオンは静かに頷き、言葉を続けた。


「彼女はルヴェールの血を引く者……目覚めたのはどちらか、ということだな」


「父上……ルヴェール公爵家とは、いったいどのような家柄なのですか?」


「……お前が知っているとすれば、北の地にあって極端に社交を避ける家柄、という程度だろう」


「はい。王宮にも姿を現さない、特別な公爵家だと」


アレクシスの答えに、アルヴェリオンは深く頷いた。


「その通りだ。セラフィーナが亡くなったときに一度領地から出てきたが、それ以降は音沙汰がない。──だが、我々王族がルヴェール家を語ることは、古の約定によって禁じられている」


「それは……記録庫の封印が、王家とルヴェール家の紋章でなされたことと関係が?」


王は沈黙を返す。

それは、否定ではなかった。部屋には再び静寂が満ちる。居住区である東翼は、普段アレクシスが過ごす政務の場とは対照的に、すべてが静かで柔らかい時間が流れていた。


「アレクシス……」


「はい」


「三年だ……あと三年、私も生きてみせよう。イレーネが遺した愛する子の願いを無下にはできぬ。そうでなければ、あの世で妻に顔向けができん」


アレクシスは初めて、「父」としての姿を目の当たりにした気がした。


「その間に、物事にけりをつけなさい。ルヴェールの血を引く娘を王家に迎える──その未来が、王国と彼女たち自身を照らす光となることを、願っている」


アレクシスは静かにその場を辞し歩を進める。

ちょうど入れ替わるようにしてゼノが部屋に入ってくる。すれ違いざま、アレクシスは彼の手に持たれたトレーに、小さなガラス瓶が載っているのを見つける。その瓶も、間違いなく彼女が(・・・)用意したものであろう。


(……末恐ろしいな。カロルも、ルヴェールの血筋も……)


脳裏に浮かんだのは、柔らかな微笑をたたえる少女の面影だった。

アレクシスは重厚な扉を静かに閉じる。扉の向こう、まだ微かに花が咲くだけの空の下で、確かに運命の歯車がまたひとつ、音を立てて回り始めていた。



月華の間を後にしたアレクシスの視界に、一本の柱にもたれて立つ影が映った。


ユリウスその人だった。


淡い水色の衣にシルバーの刺繍を施したその姿は、王子としての気品をたたえながらも、どこか剥き出しの感情を秘めていた。彼は兄の姿を認めると、どこか挑発するような笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


「兄上が父上の部屋に来るなんて、珍しいね」


「話があった」


短く返すアレクシスに、ユリウスは歩を止めず気安げに続けた。


「ふぅん、それって……譲位の話? いつ? 父上もお身体が悪いみたいだし、半年後とか……?」


アレクシスは廊下の奥へと視線を移し、まるで日差しの射す先を測るように言った。


「──三年後だ」


その一言で、ユリウスの笑顔がぴたりと止まった。


「……え?」


まるで理解が追いつかないといった様子で、弟は戸惑いに眉をひそめる。


「ちょっと前まで、兄上はその予定で調整してたよね? それなのに……」


「状況が変わった」


淡々と返す兄に、ユリウスの顔が歪む。


「状況? ……っは、なにそれ。変わったのは兄上だろ? あの子と関わるようになってから、貴方は……おかしくなった」


言葉の端々に滲む苛立ち。 ユリウスの瞳は、かつての弟とは思えぬほど暗く、どこか狂気すら帯びていた。


「やっぱり……あんな子、とっとと片付けておけばよかった」


「ユリウス」


その名を呼んだアレクシスの声には温度がない。


「人を見透かすような、あの瞳……気に入らなかった。昔からそうだ……あの子は、僕からすべての愛を奪っていく……」


「昔から」という言葉に、アレクシスはわずかに眉を動かした。


(昔から……?)


「母上の好きな花の色……兄上が初めて褒めた瞳の色……」


掠れる声でつぶやきながらユリウスはふいに膝を崩し、その場に座り込んだ。


「……兄上だけだったんだ。僕を見てくれたのは……僕自身を理解してくれたのは、兄上だけだった! そして……兄上を理解していたのも僕だった! なのに──」


言葉の糸が切れたように彼の声が途切れた。

やがて床に手をつき、顔を伏せたまま絞り出すように言った。


「みんないなくなっちゃえ……僕が一番じゃないやつなんて、いらない……僕から奪うやつは、もっといらない……」


その声に宿るのは歪んだ執着と、満たされることのなかった寂しさ。アレクシスはそんな弟を見下ろしながら一言、問いかけた。


「……言いたいことは、それだけか?」


もしこの場に第三者がいたなら、誰もが目を見張っただろう。実の弟が、子どものように泣き叫び崩れ落ちている。だが、兄の声は凍てついたままだ。


「私が変わったと言ったな」


うなだれたままのユリウスは、反応を見せない。


「それは──今を変えようと抗った、ある存在に付き添った(・・・・・)だけにすぎない」


廊下の窓から差し込む陽光が、傾く影を廊下に伸ばしていく。


「以前、お前にかけた言葉を……今、ここでもう一度言ってやる」


ゆっくりと顔を上げたユリウスの、涙で濡れた瞳をじっと見つめて──。


「お前は……私の弟。ただ、それだけだ」


アレクシスは静かに背を向ける。

バサリ、と衣擦れの音だけを残して彼の足取りは遠ざかっていった。座り込んだままのユリウスには、もうその背を追う力すら残っていない。

彼の進む先、東翼の廊下には午後の陽がやさしく射し込んでいる。まるでその歩みを、誰かがそっと照らすかのように。

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