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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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雪の香を継ぐ影

重い扉が、低く軋む音を立てて開いた。

石造りの冷たい部屋。壁に灯る燭台が揺れ、橙の光が三人の影を歪める。

中央に座すのは、鉄のように静かな女。

──クラリッサ・ヴェール。

エリセ・フェルデリアの最も近くに仕え、その言葉を代弁した忠実なる影。今や主と共に、滅びの縁に立たされている。

彼女の前にいるのは銀の髪を一筋も乱さぬ老練の男と、赤茶の癖毛を無造作に束ねた若き諜報員。ラウル・シュタイナー、そしてヴィンセ・マルグリット。


「……クラリッサ殿。聞かせてもらいたいことがある」


ラウルの声は穏やかでありながら、相手の呼吸の乱れすら逃さぬ鋭さを孕んでいた。

クラリッサは無表情にただ軽く頷く。


「あなたはエリセ殿下と共に、アレクシス殿下とカロル侯爵令嬢の命を狙った容疑がかけられています」


その追及にも、彼女は無反応だった。


「マティアス・ロウエルに、スノルピスの毒をドレクス公爵に渡すよう命じたのは貴女ですよね?」


ようやくクラリッサの口元が、わずかに動いた。


「……なんのことでしょう?私には見当もつきませんわ」


「では、スノルピスについては?」


「フェルデリアに咲く花です。美しくも儚い、希少種ですけれどそれが何か?」


まるで教本を朗読するような無機質な声音。

ラウルはその様子に眉をわずかに吊り上げた。無意味なやりとりが続く中、沈黙を破ったのはヴィンセだった。壁にもたれていた彼は、ひらりと足音も軽くクラリッサに近づく。


「ねえ、クラリッサさん。あの二人、ちゃんとスノルピスの毒を飲んだんだよ」


「……何の話かしら?」


「ほんとさ。信じられないなら、エリセ王女と王太后陛下にでも聞いてみなよ」


クラリッサの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「スノルピス、厄介な花だよね。香りと球根部分──二つが合わさって初めて猛毒になる。まるで暗器みたいだ」


ヴィンセはその反応を逃さず、小瓶を懐から取り出し、目の前に置いた。


「これは?」


「アレクシス殿下から預かった中和薬(・・・)さ」


クラリッサの目が細まる。


「嘘をおっしゃる。スノルピスに解毒薬(・・・)など存在しません。あれはフェルデリアの限られた者のみが扱える毒。解毒など──」


クラリッサの返しにヴィンセはニンマリと笑った。


「誰が解毒薬って言った?」


「は?」


「これは本物だよ。言っただろう?あの二人は毒を飲んだって」


ヴィンセの言葉にクラリッサは、言いようのない違和感がうまれる。


「毒に毒をぶつけて効果を相殺する……普通、そんな狂った発想しないだろ?」


「……毒に、毒を……」


「この中和薬の主成分は、スノードロップの球根。わざわざ庭の花壇を掘り起こして調合したらしいよ」


ヴィンセの軽薄な口調とは裏腹に、クラリッサの脳裏では音を立てて歯車が回り始めていた。


「……あり得ない。成分の特性を理解し、正確な分量とタイミングを測っていなければ……あの瞬間には間に合わない……」


「そう。知ってたんだよ、すべてを。ユリウス殿下が茶を運ぶその時には、もう」


もう一つの小瓶が、音を立てて机の上に置かれる。

クラリッサの顔色が変わった。

そこにあるのはエリセの私室の奥深く、鍵付きチェストのさらに底の秘密の仕切りに隠されていたはずの、エリセの亡き母の遺品。


「……なぜ、それがここに……?」


「……俺はさ、自分のこと超一流って思って仕事してきた訳。アンタだってそうだろう? 俺から見てもアンタは、それに近かった。でもさ……」


ヴィンセは肩をすくめ、淡く笑う。


「上には上がいるんだよ。俺たちじゃ届かない、高みにな」


クラリッサは、自分の掌が冷たく濡れていることに気づいた。

次の瞬間、机の上に無造作に投げ出された紙束。

拘束された指でそれをめくる。完璧に消したはずの証拠。署名、日付、密命の記録。そして最後の数枚をめくった瞬間、クラリッサの呼吸が止まった。


「……なぜ……これを……」


その瞳に明確な動揺。仮面がひび割れる音が、静寂の中で聞こえた気がした。


「アンタがエリセ王女に仕えてきたのは、忠義だけじゃない」


「やめて……」


「エリセ王女も知らないことさ──」


「やめろと言っている!!」


「アンタは……」


ヴィンセの声が落ちる。

クラリッサの肩が、わずかに揺れた。


「エリセ王女の血の繋がった叔母だろ?」


ヴィンセを睨みつけたクラリッサの首が、力なく垂れた。


「……どうして……それを……」


もう、虚勢も皮肉もなかった。ただ呟くように問いかける。


「さあね。だから言ったろ?上には上がいる(・・・・・・・)って」


夢の中の声のように、その言葉が遠く響く。

事の成り行きを守っていたラウルは、クラリッサの様子に口を開いた。


「証拠は十分です。あとは、あなたの証言を照らし合わせるだけ」


ずっと信じてきた自信も策略も、全て誰かの掌の上だった。

ただ、それだけだった。



クラリッサ・ヴェールには、忘れれない記憶がある。

甘く冷たい雪の香り。

それを纏う雪を思わせる白銀の少女。

己の過去を悔いたことなど一度だってない。

ただ、忘れないと誓いを立てただけ。


彼女の生家は裕福ではあったが、子爵家という曖昧な立ち位置にある身分だった。容姿に恵まれた母と、不器量な父。そのどちらに似たかは一目で明らかだった。クラリッサは父のすべてを継いでいた。

それが、すべての始まりだった。

母は、クラリッサを娘として認めようとしなかった。

笑いかけるたびに顔を背けられ、呼びかけるたびに冷笑を向けられる。愛など最初から与えられなかった。


数年後、運命を皮肉に笑うかのようにもう一人の娘が生まれた。白銀の髪に雪のような肌、まるで天から遣わされた人形のように美しい妹。

家族の愛情も希望も、すべてがその子に注がれた。


そんなある日、クラリッサは唐突にいなくなった(・・・・・・)。行き先は娼館。年端もゆかぬ少女が、何も知らされないまま売られたのだ。

彼女は()を捨て、心を閉ざした。

そしてある夜のこと、犯罪組織の目に留まり、闇の道へと足を踏み入れた。


──生きるとは死ぬことだ。


そう思うほどに日々は暗かった。

暗殺、毒、諜報。

人を殺し、情報を売り、時には自分の感情すら押し殺して役に徹した。

ある任務の帰路、罠にかかって深手を負った。

血の気が引いていくのを感じながら、教会の裏の狭い路地に身を潜めクラリッサは死を待った。

それはようやく訪れた安堵だった。

すべてが終わる。

そう思った……そのときだった。


白く光が差した。


視界の向こうから足音が近づく。

白い影。

銀の髪。

──雪を思わせる白銀。


「……お姉さん?」


いや、そんな幻想的なものではない。

少女が心配そうにクラリッサを見やり、小瓶を差し出してためらいなく言う。


「これ、飲んで。痛みが引いていくと思うの」


クラリッサは声を発せなかった。己の目の前にいるのが、あの妹だという現実に理性が追いつかなかった。


「あ、じゃあ……私がちょっと先に飲むわね!」


あっけらかんとした声音でそう言うと、少女は瓶に口をつける。その口元が笑っていた。どこまでも無垢に、疑いのない目で。流れる意識の中でクラリッサは促されるまま小瓶を口にし、落ちるように眠った。

目覚めたのは、質素な教会の一室だった。

ベッドの傍で、例の少女が神父に小さな金貨袋を差し出していた。多くはないが少女には大金だったろう。


──あの子は気づいていない。


助けた女が、自分の存在のせいで地獄に落ちた姉であることを。それでも彼女は人を見捨てず、救いの手を差し伸べたのだ。あの時と何も変わらない清らかな魂で。

クラリッサは、自分の胸の奥に何かが落ちた音を聞いた。

それは赦し(・・)でも悔い(・・)でもない。


──たった一つの誓い


恩は必ず返す……それがたとえ善であろうと悪であろうと。

自分を地獄に突き落とした存在は命を救った。

ならば、自分はその命に報いよう。


それがエリセ・フェルデリアにつく理由。


この世を呪い、名を刻まずに死んだ妹に代わって──エリセを幸せに導く。たとえそれが血に染まった道であっても。粗末な石だけが並ぶ無名の墓にクラリッサは誓いを立てた。母の死を嘆き悲しみ、それでもそれを糧として生きる血の繋がった存在を確かに感じながら。

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