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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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王の声

その姿を目にした瞬間、部屋にいた誰もが息を呑んだ。

白髪の混じる金の髪は丁寧に整えられ、ゆるやかではあるが確かな足取りで彼は進む。その表情は穏やかさの中に揺るぎない威厳を宿し、老いによっていくらか影を落とした体躯にあっても、かつて王たる者が放っていた気高さと威風は失われていなかった。


レオナール国王──アルヴェリオン・レオナール。


ゼノ補佐官の支えを受けながら彼が部屋の中央に進み、リシェルが腰掛けていた椅子に静かに座ると、空気そのものが彼の重みに膝を折ったように感じられた。


「……よい。皆、姿勢を楽にせよ」


低く通る声が誰の心にも直接届いたように響いた。


「っ……陛下……あなた……」


最初に声を上げたのはカトリーヌだった。だが立ち上がろうとしたその動きを、アルヴェリオンはわずかに手を上げて制する。


「母上……いや、王太后。あなたは後にしなさい。今は、黙って見届けてください」


冷厳な一言が、彼女の動きを封じた。

静寂の中、アルヴェリオンは正面に立つカイエル王弟へと穏やかに視線を移す。


「カイエル殿、この度は遠路、我が国まで足を運ばれ感謝いたします。本来ならば正式の場を設けて迎えるべきところ……互いの事情を鑑み、ここでの対話をお許し願いたい」


「陛下がご病床と伺っていたゆえ、こうしてお目にかかれたことを光栄に存じます。この度は我がフェルデリアの者が不祥を働き、誠に申し訳ありませんでした」


深々と頭を垂れるカイエルに、アルヴェリオンは静かに頷いた。


「頭をお上げなさい。誠意は確かに受け取った。詳細は後ほど、ゼノに伝えてください」


ゼノが一礼し、カイエルもまた慎ましく頭を垂れる。


「それと申し訳ないが……エリセ王女の帰還は許すが、彼女の周囲にいる者達はフェルデリアへは帰すわけにはいかぬ。彼らはこの国の法に則り、然るべき処罰を受けることになるだろう」


その言葉にカイエルは笑みで返し、反応しかけたエリセをカイエルが鋭い視線で制した。その視線は、血を分けた妹であっても一歩の容赦も許さぬほどに冷たかった。やがて従者たちがエリセを連れ出す。その一瞬、エリセがリシェルを睨みつけるように振り返ったが、その目には諦めとも悔しさともつかぬ色が浮かんでいた。




重厚な扉が閉ざされ、静寂が落ちる。

アルヴェリオンは深く息を吐き、背もたれに身を預けた。ゼノが心配そうに覗き込むが、国王は手でそれを制する。


「いい。それより、アレクシスもカロル侯爵令嬢も、こちらへ」


リシェルが隣に立つアレクシスへ視線を向けると、彼は無言で頷き、カトリーヌの正面にあるソファーに彼女を座らせ、自らもその隣に腰を下ろした。


「さて……王太后よ。何か、申すことはありますかな?」


沈黙の中、カトリーヌは目を伏せたまましばらく動かなかった。


「……ないわ」


その声は掠れていた。だが、王の問いはなおも続く。


「そうですか。では、カロル侯爵令嬢を殺めようとしたと、認めるのですな?」


問いに対しても彼女は何も答えなかった。

しかし、その沈黙こそが答えだった。

アルヴェリオンは静かに目を細める。


「……それほどまでに、彼女の血が憎いのですか?」


国王の静かな問いが投げかけられると、カトリーヌの瞳に一瞬、鋭い光が宿る。だが、その光はすぐに陰りを帯び唇が小さく震えた。


「憎いわ……憎いに決まっているでしょう……」


声は強く発せられたが、怒声というよりもどこか虚ろな響きを帯びていた。


「誰もが羨む、色濃い青い血を持ちながら……好き勝手に生きて、王家の名を穢した。あの女と……ルヴェールが!」


怒りというより、嘆きのような声音だった。リシェルはそっと目を伏せる。


「それは……お祖母様の私情ではありませんか?」


アレクシスの声は氷のように冷たかった。カトリーヌの顔に一瞬、動揺が走る。


「違う! 王家はルヴェールの血など関わってはならぬ!」


その顔からは威厳が消え、ただ執着と焦燥に塗れた老いた女の面影が露わになる。


「母上……」


アルヴェリオンが口を開く前に、カトリーヌは声を張り上げる。


「息子であるあなたまで、私を愚か者にするの? そうね、私は本物(・・)ではない。選ばれもしなかった私には、なにもできやしないのよ!」


その叫びは王太后という仮面を剝がし、ひとりの女の慟哭として響いた。リシェルは胸の奥が痛むのを感じた。


「それに、アレクシス……私はあなたのためを思って……」


「私のため?」


アレクシスの声は低く冷ややかだった。


「ええ。エリセには確かに思うところがあった……けれど、よりによってルヴェールの血を選ぶなんて!」


「彼女はカロル(・・・)です」


短い一言が、王太后の言葉を断ち切った。

その声音には、一片の情もなかった。


「あなたは私のため(・・・・)と言いながら、自らの私怨を晴らしただけだ。だから、ユリウスにお茶を持たせたのでしょう?」


その瞬間、カトリーヌの顔から血の気が引いた。わずかに震える唇が、言葉を紡げずに宙をさまよう。

アレクシスは静かに脚を組み直し、肩にかかった髪を優雅に払った。その所作には怒りも哀れみもない。


「ドレクス公爵とエリセ王女が繋がっていることを、あなたは知っていたはず。そのうえで、彼からの献上品を私への差し入れとして運ばせた……わざと、でしょう?」


空気が凍りついた。

誰かが息を呑んだ気配だけがかすかに揺れた。


「……知っていたの?」


「それは、ドレクス公爵のことですか? それとも──お茶の()についてですか?」


アレクシスの瞳が細められる。タンザナイトの冷光はもはや、肉親に向ける温度ではなかった。


「……飲んだのよね?」


「ええ。お祖母様から賜ったものですから。ほのかに甘く、花の香りが漂う……特別な味でした」


その優雅な言葉が、老王太后の心を完全に砕いた。

小さく震える肩。カトリーヌは、もう誰の方をも見ようとはしなかった。


「……アレクシス。あなたが変わらずここにいるという事実が、すべての答えなのね」


声はもうかすれていた。否定も言い訳もそこにはなかった。


「母上。貴女には、まだ私の知らぬ余罪があるようだ。調査が終わるまで、居室から一歩も出ないでいただきます。外には監視をつける」


それは、事実上の『幽閉』だった。

王家の威信と秩序を守り続けてきた女が、自らの私情によってその座を追われた瞬間。カトリーヌはわずかにうつむいたまま、もう顔を上げようとはしなかった。

リシェルは、ただその光景を見つめていた。同情でも軽蔑でもなく、ただ人間の終わりを目撃するように。


そして──。


「さて、アレクシスよ。もう一仕事だ」



やがて彼らが大広間に戻る頃、舞踏会はすでに終焉の空気を纏っていた。静かなワルツが流れ、貴族たちは帰り支度を始めている。だが、まだ誰もがその終わりを口にしようとはせず、何かを待っていた。

リシェルは会場内の目立ちづらい所に立ち、その場所から光景を眺める。今日というこの瞬間が、王国の一つの転換点になる──そんな確信があった。


やがてカツン、カツンと杖をつく音が大広間に響く。

アレクシスに寄り添われながら、国王アルヴェリオン・レオナールが堂々と中央に立った。

ざわめきが走る。だが次の瞬間、会場内の全ての者が深く頭を垂れ、敬意を示した。


カツン──と、床を一つ打つ音が響く。


「頭を上げなさい」


重くも温かい声が会場に広がる。


「本日は、皆の尽力に心より感謝を述べたい。そしてここに、アルヴェリオン・レオナールの名をもって、王位の継承者をアレクシス・レオナールとすることを宣言する」


一斉にどよめきが起きる。

リシェルは息を呑みながら、その瞬間を見つめていた。

アレクシスは振り返らず、ただ真っ直ぐ前を見据えている。その横顔には、冷たさと孤独、誇りが同居していた。


「正式な公布は後日とするが、私はこの日をもって表舞台から退く。私を支えてくれた全ての者に深く感謝する。そして、これからは皆で、アレクシスを支えてやってほしい」


その言葉には、王としての覚悟と一人の父としての温もりが滲んでいた。


聖夜のこの日。

国は静かに一つの時代を終えた──そして新しい王の時代へと歩みを進め始めたのだった。

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