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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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裁きの始まり

重たい沈黙の中、アレクシスがゆるやかに椅子から立ち上がった。深く息を吐き、その静寂を切り裂くようにリシェルへと視線を向ける。


「ここに座ってくれ」


指し示されたのは、つい先ほどまで彼が腰かけていた椅子。

戸惑いながらも、リシェルは静かに礼を取り、その椅子に身を沈めた。アレクシスは何も言わず、壁際へと歩み寄る。背を壁に預け腕を組み、目を伏せた。その仕草には、まるで「すべてをお前に委ねる」と告げるような静かな意思が宿っていた。


(……今、この場を導くのは私)


リシェルは小さく息を吸い込み、背筋を伸ばす。

指先にわずかな震えを感じながらも、それを押し殺し、淡く唇を開いた。


「私が何を知っているのか……ですね?」


声は落ち着いていた。

けれどその奥には、深い覚悟と確信が潜んでいる。


「私が知っていることは、決して多くはありません。ただ……」


リシェルは一度、目を閉じる。言葉に宿る覚悟を整えるように静かに呼吸を整えた。


「王太后様が私を。そしてエリセ王女殿下が、アレクシス王子殿下を亡き者にしようとした……その事実だけは、存じ上げております」


言葉が空気を切り裂いた瞬間、部屋の中は針が落ちても聞こえるほどの静寂に包まれた。

最初にその静寂を破ったのは、カトリーヌではなくエリセだった。


「……カロル侯爵令嬢。貴女、自分の言葉の重さを理解しているのかしら?」


氷を溶かすように甘く、だが芯は鋭い声。

その瞳の奥には、怒りと焦りが絡み合っていた。


「私が、婚約者であるアレクシス様を亡き者にするなどと。そんな、愚かしい話がございますの?」


「愚かしい……とお思いですか?」


リシェルは微笑んだ。決して挑発的ではない。あくまで静かに、だが確かに相手の仮面を削り落とすような声だった。


「当然でしょう。この国とフェルデリアの友好の証である私が、王子に手をかけるなど……誰が信じるの?」


気高く完璧な王妃としての顔を崩さぬエリセに、リシェルは柔らかな微笑を浮かべたまま問い返す。


「本当にそうでしょうか?」


「……なにが言いたいの……?」


「エリセ王女。貴女様は、本当にそのような価値(・・)をお持ちなのでしょうか?」


「……っ、無礼者!」


エリセの表情が一変した。慈悲深い王女の仮面がはがれ、むき出しの怒りがその瞳に宿る。だが、リシェルは怯まなかった。その瞳には冷静さと透徹した光が浮かんでいた。


「それは、王太后様にも通じることです」


名を呼ばれたカトリーヌは、静かに目を閉じた。沈黙の中、その白い指先がわずかに震える。


「エリセ王女。貴女はかつて私におっしゃいましたね。『女というのは恐ろしいもの。愛されなかった過去も、選ばれなかった記憶も簡単には癒えない』と……」


「それが何?」


「貴女は誰よりも愛を欲し、権威にすがり、支配しようとした。けれど得られなかった。だからこそ、愛してくれなかったアレクシス殿下に執着し、それがいつしか……敵意に変わったのです」


かつてのエリセは、愛を求めていただけだったのだろう。未来の自分に夢を見て、王子との幸福を思い描いていた。けれど蓋を開けてみればアレクシスは、彼女に見向きもしなかった。

彼にあるのは国への義務と責任。感情も愛も必要としない、冷徹で完璧な次期国王としての姿だけ。

言葉が部屋を満たしていく。まるで氷が音を立ててひび割れるように。


「憶測にすぎないわ。そもそも王家の婚姻とは、愛が前提にあるものではないの。往々にして妃になる者は、愛されずに嫁ぐ。それでも夫を支え、癒やし、子を産む。それが妃の務めなのよ」


「……そうして、貴女のお母様は壊れたのですね」


その一言が、致命傷となった。

エリセの表情から血の気が引き、手にしていた扇が小さく震える。やがて指の間から落ちたそれが床に触れ、乾いた音を立てた。

リシェルは静かに続ける。


「『雪の香』をご存知ですね? フェルデリアで流通する香水。スノードロップの香りに似た、甘く清涼な香り……」


「……それが、どうしたの?」


「けれど、それとは違う点が一つあります。その原料に使われる『スノルピス』には──」


「やめて……!」


「……密室の毒(・・・・)として知られる性質があるのです」


エリセの体が硬直する。

声にならぬ声が喉で凍る。


「そんなもの……存在するはずが──」


「──存在しますよ」


その声が静かに鋭く場を割った。

コツコツと靴音を鳴らして現れたのは、上質な装いに身を包んだ壮年の男性だった。ホワイトシルバーの髪に、淡く青を含んだ色合い。


「アレクシス殿下、王太后陛下。お久しゅうございます」


「……カイエル殿下」


フェルデリア王国王弟──カイエル・フェルデリア。

エリセの実兄だった。


「ごきげんよう、カイエル殿下。我がレオナール王国は、貴殿を歓迎いたします」


アレクシスが丁重に頭を下げると、カイエルも同じ仕草で応じた。カトリーヌは小さくお辞儀をし、リシェルも恭しくカーテシーを取る。

その光景に、エリセは唇を震わせ呟いた。


「……っ、お兄様……? なぜ、ここに……」


呆然と呟くエリセに、カイエルは冷ややかな視線を向けた。


「それはこちらの台詞だ。お前は一体、何をしている……?」


優しげな声音に潜む冷徹な怒り。カイエルは深く息をつき、側に控えていた側近から一通の封筒を受け取る。封には、フェルデリア国王の印章がしっかりと刻まれていた。


「我が国の謝罪として、これをお渡しします」


深く頭を垂れるカイエルに、アレクシスがそれを受け取り指で封をなぞる。


「これは?」


「スノルピスに関する全記録。そして愚妹の母である側妃の、手記の写しです」


「ほう……」


「証拠としては、十分かと。もっとも……そちらのご令嬢は、すでにすべてを把握しておられるようですが」


リシェルはその視線を受け、微笑を返した。


「ええ。スノルピスの香りそのものに毒性はありません。毒を持つのは、花の下に眠る球根部分。けれどその毒性も、単体では死に至るほどではない……」


「だが、一定期間香りに慣れた身体が球根の毒を取り込むと猛毒へと変化する。そして、死因は不明。呼吸が止まるだけ。まるで自然死のように見える」


言葉を重ねるカイエルにエリセの顔が醜く歪む。


「これはフェルデリア王家の秘匿情報だ。だが、我が国の王女が友好国の王族を殺めようとした以上、開示せざるを得ないでしょう」


呆れたようにカイエルが首を振る。

その瞬間、エリセが叫んだ。


「ならば、なぜこの男は生きているの!? この女だって……!たしかに香りを使って、球根の毒を飲ませたはず……なのに……なぜ、死なないのよ……!」


エリセはその場に崩れ落ち、涙を流しながらうわ言のように繰り返す。


「なぜ……どうして……わからない……」


誰もが彼女の姿に目を伏せる中、カイエルは静かにアレクシスへ視線を向けた。


「この件の責はすべて我が国が負います。エリセはフェルデリアへ連れ帰り、裁きを受けさせる。以後の対応はそちらに一任を。我が国としては、それをもって友好の証としたい」


当然のように、誰もがアレクシスがこの提案を受け入れるものと思っていた。だが彼は、首を横に振った。


「残念ながら、私に裁定権はない」


「……何?」


「この件は、私の手に余る。ゆえに──」


アレクシスの視線が、ゆるやかに扉の方へと向けられた。


「この国の王に、判断を委ねよう」


カツン、カツン、と床を打つ杖の音。  

現れたのは、病に伏せていたはずのレオナール国王陛下その人だった──。

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