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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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銀色の杯に宿る聖夜

聖夜祭の余韻を引きずることなく、その後に催される冬の舞踏会は、まるで別世界のような華やかさを放っていた。王宮の大広間には幾千もの光が満ち、天井から吊るされたシャンデリアが宝石のごとく煌めいている。磨き上げられた大理石の床には、無数の裾が花弁のように舞い、金糸銀糸を織り込んだ衣装が夜の光を散らしていた。

厳かな音楽とともに夜会が幕を開ける。

リシェルは父レイナルトと共に入場し、貴族たちへと形式的な挨拶を交わす。だが、ひと通りの儀礼を終えると、彼女は自然な仕草で父のもとを離れた。


社交の笑みを貼り付けながらも、心はどこか遠くにある。いや、正確にはひとりの人物のもとへと向けられていた。ふと、階段上に目をやれば、上段の貴賓席に王太后カトリーヌの姿が見えた。その隣には、深い闇を思わせるダークブルーの髪をもつ青年──第一王子アレクシス・レオナールが立っている。その光景に、その姿に、周囲の令嬢たちが揃って息をのんだ。頬を染め、囁き合いながら夢見るように彼の姿を見上げる。まるで、冬の夜空に手を伸ばす少女たちのように。


(たしかに……今日のアレクシス殿下は、圧巻の一言に尽きるわ)


黒で統一された正装には、金糸で緻密に紡がれた刺繍が施され、胸元には長いマントを留めるフィブラが輝いている。その姿はまるで王家の威厳と威光を纏った、冷たい美の化身のようだった。

一方、白いシャツに淡青のクラバットを結び、クリーム色のベストを重ねた第二王子ユリウスの装いは、彼らしい柔らかさを湛えていた。上品なエメラルドグリーンの上衣とズボンが、彼の優しげな笑みと好対照を成す。アレクシスが冬の夜なら、ユリウスは春の陽だまり──そんな印象だった。

やがて、楽団が奏でるワルツが広間に流れ始める。

最初に舞踏の輪に踏み出したのは、アレクシスとエリセだった。ふたりの踊りに誘われるように、次第に他の貴族たちもペアとなって加わっていく。

その波の中、リシェルの前にすっと膝を折り手を差し出すユリウスの姿があった。


「踊っていただけますか、お嬢様?」


胸の奥で、記憶の欠片が淡く弾けた。

彼と踊ったのは、これでいくつ目の舞踏会だろう。幾度も繰り返した夜の光景が、亡霊のように脳裏をよぎる。


(変わらない……彼の笑みも、手の温もりも)


彼のリードは誠実でどこまでも優雅。そして、ふとした瞬間に香る──雪のように淡く冷たいあの香り。


「……なんか、上の空って感じだね」


身体が寄り添った瞬間、彼の声が小さく落ちた。

その穏やかな響きの裏に、微かな棘が潜んでいる。


「そんなことありませんわ」


リシェルは微笑みで応じた。完璧な令嬢の仮面を崩さぬまま。ユリウスは目を細め、口元に小さな笑みを浮かべる。


「そう? でもさっきから貴女の視線は、兄上とエリセ王女の方ばかり追ってる」


穏やかな口調のままに。けれど、その瞳の奥には氷があった。見透かされるような眼差しに、リシェルは心の奥がわずかに波立つのを感じた。


「……貴女も、変わったね」


ぽつりと落ちた言葉は、風に溶けるように儚かった。ユリウスは笑みを残したまま彼女の手を離し、優雅に礼をしてからくるりと背を向ける。そのまま舞踏の輪を離れていった。

彼の背を目で追う中、ふと視界の端でアレクシスとエリセもまた踊りを終え、それぞれの持ち場へと向かっていくのが見えた。

ユリウスが誘ったのは、壁際の少し開けた一角。近くを通った給仕からグラスを二つ受け取り、片方をリシェルへ差し出す。

壇上近くへちらりと目をやると、アレクシスがカトリーヌからグラスを受け取っているところだった。

その光景を見届けたリシェルは一度静かに目を伏せ、そして再び微笑を浮かべてユリウスのグラスを受け取った。迷いのない仕草でその中身を一気に飲み干す。驚いたように目を見開くユリウスの表情が可笑しくて、彼女はくすりと笑った。


甲高い破砕音が、会場の空気を裂いた。「ガシャーン」という音に、すべての視線が壇上へと向かう。

アレクシスが手の甲で唇を拭いながら、冷ややかな眼差しで王太后を見据えていた。足元には砕けたグラスの破片が散っている。


(……グラスを叩きつけたのね)


カトリーヌの顔色がわずかに変わる。アレクシスがその耳元へ身を寄せ、何事かを囁いた。距離が遠く、内容までは届かない。だが、エリセが護衛に囲まれて退室していくのが見えた瞬間、リシェルの胸の奥に冷たい確信が生まれる。


「ユリウス殿下、カロル侯爵令嬢」


突然かけられた声に振り向くと、ユリウスも同じように顔を上げた。


「あれ、ラウルじゃないか」


ユリウスが軽い調子で呼びかけると、ラウルは淡々と答えた。


「お二人を、応接の間へお呼びするよう仰せつかっております」


「兄上が?」


ラウルは何も言わず、一礼だけを返す。その沈黙こそが、事態の重さを物語っていた。




案内された応接の間は、華美ではないが上質な家具と調度品に囲まれた静かな空間だった。中央にはソファが配置されており、カトリーヌがその一つに腰掛けている。向かいには、エリセとユリウス。そしてその傍ら、一人掛けのソファにアレクシス。リシェルは彼のすぐ傍らに控えるように立った。

室内には、緊張を孕んだ沈黙が満ちていた。

やがて、アレクシスが静かに口を開く。


「さて……ここに呼ばれた理由が分かる者はいるか?」


アレクシスの問いかけに、それぞれが異なる表情を見せる。

カトリーヌは何かを悟ったように微笑み、エリセは慈悲深い笑みの奥に焦りを隠している。

そして──。


「あ、僕とエリセの関係、バレちゃいました?」


ユリウスの口から放たれたその言葉に、リシェルの胸が一瞬、凍りついた。


(やっぱり……何も知らないのね。いえ、知ろうともしなかったんだわ)


エリセの微笑が、ぴしりと音を立てて崩れる。完璧な仮面の下から覗く本性を、リシェルは黙って見つめていた。


「ユリウス殿下、何を仰っているのですか」


エリセの声はわずかに震えていた。しかしユリウスは、子どものような無邪気さで続ける。


「だって兄上はもう全部気づいてるし、お祖母様だって僕たちのこと黙認してるんでしょ?」


室内の静けさに、ユリウスの声だけが澄んで響く。


「違う理由なら僕、心当たりないし。舞踏会の場も、僕くらいしか仕切れる人間いないでしょ? 父上も兄上もいないんだしさ」


アレクシスはじっと弟を見据えたままひとつ深く息を吐くと、軽く手を振って退出を促す。それを見て、ユリウスは小さく頭を下げ、軽やかな足取りで部屋を後にした。

重く静かな空気が部屋に残る。

重たい沈黙の中、最初に口を開いたのはカトリーヌだった。


「……アレクシス。あなたは何を、どこまで知っているの?」


「さあ。私は何も知りませんよ、お祖母様」


アレクシスの声は低く、氷の表面を滑るように冷ややかだった。その無感情な響きに、カトリーヌがわずかに眉をひそめる。そして──視線を、ゆっくりとリシェルへと向けた。


「リシェル・フォン・カロル……貴女なのね?」


その声は、抑えきれぬ憎悪を孕んでいた。

だが、リシェルは微笑んだ。まるでその問いすら──すべて織り込み済みであるかのように。

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