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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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記録の花室

【リシェルへ。

真実は隠され、血は記録される。

西の宮殿三番目、花の間に記憶が眠る。

急ぐことはない。ただ、知らぬふりを忘れぬように】


古びた羊皮紙に綴られた筆跡は、どこか祈りにも似ていた。リシェルはその手紙を胸の奥に静かにしまい込み、今、目の前にいる男アレクシスの鋭い視線を正面から受け止めていた。

どれほど冷ややかな瞳に見据えられても、彼女は逸らさない。その奥に眠る「真実」こそが、この手紙の導く先に繋がっていると感じていたからだ。


「リシェル嬢……私は、取れる時間は長くないと言ったはずだが?」


低く、温度を抑えた声。

それでも、その奥にかすかな疲労が滲んでいるのを、リシェルは見抜いていた。


「ええ、そうですね」


さらりと受け返す声音。だがその笑みの奥には、譲れぬ意志があった。アレクシスが政務に追われる日々を誰より理解していながら、彼女は一歩も退かない。

──なぜなら。


(あの記憶は……きっと、この人に繋がっている)


胸元のペンダントを握る。

冷たい石が、決意のように掌に沈む。

瞼の裏に浮かぶのは、あのとき見た光景──イレーネ王妃と母セラフィーナの封印を施す二人の姿。

そして「この記録が、いつかあの子たちに届く日まで」と告げた王妃の声。あの言葉を聞いた瞬間、リシェルは悟っていた。アレクシスこそが、託された真実を知るべき人なのだと。

王妃の記憶が眠る部屋へ、彼を連れて行かなくてはならない。


「殿下……のぞきに行きましょう。イレーネ王妃の記憶を」


その名を口にした刹那、空気が変わった。

アレクシスの瞳が、深い海の底のように静かに揺れる。

室内の時間が、わずかに凍りついたように感じた。



西の宮殿、三番目の部屋──花の間。

その重厚な扉の前に立ったのは、リシェル、アレクシス、そして護衛兼諜報員のヴィンセの三人だった。

扉に刻まれた二つの紋章を見た瞬間、リシェルの胸が微かに震えた。


「……サクラリスに、三日月に重なるスノードロップ……」


アレクシスが呟く。


「母上の紋と……」


「そして、私の母──セラフィーナのものです」


短く息を吸う音が、静寂を裂いた。その微かな反応をリシェルは見逃さなかった。

彼女は懐から短剣を抜き、ためらうことなく刃先を掌へと向ける。


「ちょっ、ちょっと!? お嬢さん、なにやってんの!?」


ヴィンセの慌てた声が響いた。


「封印を解くには血が必要かと……」


「指先程度でいいんだよ! なんでそんな本気で切ろうとすんの!?  ほんと、カロル侯爵家ってヤバい奴らの巣窟なのか……」


「黙れ、ヴィンセ」


アレクシスの声が低く響くと、空気が一瞬にして張りつめた。

封印が解け、扉が静かに軋む。中から流れ出るのは、時間そのものを閉じ込めたような落ち着いた雰囲気の気配だった。


「……すごい。まるで時間が止まっているみたい」


部屋の中央、ガラスの花瓶に挿された一輪のドライフラワー。

そして机の上に並ぶいくつかの古びた冊子。


「……これが母上の記録か」


アレクシスが日記へ手を伸ばしかけたその時、リシェルは小さく息を呑んだ。視線の先にある花瓶に活けられたその花。


「スノードロップ……じゃない。葉の形が丸い……恐らくこれが雪の香(・・・)の正体」


「待て」


そう言って手を伸ばした瞬間、アレクシスが彼女の手首を掴んだ。冷たい指先。だがそこに宿るのは、明確な制止と心配だった。


「得体のしれないものを、素手で触ろうとするな。君はもっと、自分を大切にしろ」


驚いて見上げるリシェルの瞳を、アレクシスは見ようとしないかった。


「はいはーい、出番ですね~」


ヴィンセが軽口を叩きながらも、白手袋をはめ、慎重に花を取り上げる。

木箱に収める仕草は、見事なほど丁寧だった。


「これ、けっこう高値で取引されそうですね。王家の花とか、伝説級っすよ」


「……軽口のわりに、動きは繊細だな」


「それ、褒めてます?」


三人の声を包み込むように、部屋の空気がやわらいでいく。

しかしその奥底には、封印の残響がまだひっそりと息づいていた。

やがて外の空は、ダークブルーの夜に溶けていった。

馬車の中リシェルの膝には、真っ白なハンカチに包まれた数冊の記録と、雪の香を閉じ込めた小箱。

アレクシスは目を閉じ、沈黙の中で思索を重ねている。

ヴィンセは向かいでぶつぶつと考察を呟き、やかましいようで優しい空気をつくっていた。


(王妃さま……お母様……)


リシェルは胸の奥で、静かに祈る。

この記録はただの過去ではない。

王家と侯爵家、そして──彼の未来をも左右する選択の記録。

だからこそ彼女は覚悟する。

ペンダントに触れた指先が、微かに震えた。



窓の外は、深い藍に沈みつつあった。

王宮の灯はひとつ、またひとつと落ち、最後に残るのは執務室の明かりのみ。夜更けの静寂の中で、アレクシスはまだ机に向かっていた。


「……やはり、まだこちらにいらっしゃったか」


扉を開けたラウルの声が、穏やかに響く。彼は長年仕える侍従として、主のこうした夜を幾度も見てきた。


「まだ、片付いてないからな」


机に肘をつき、片手で額を押さえたままアレクシスは低く答えた。デスクには地図、軍備調書、貴族会議の議事録。そして、離宮で見た光景の残滓。


「政務のことではないでしょう」


その一言に、アレクシスは無言のままペンを置いた。視線を窓に移す。雲が厚く、雪の気配が漂っている。


「……彼女が何を見つけたか、知っておくべきだったかもしれない」


「殿下は、あの場所に足を運ばれただけで充分です。記録とやらの真贋は、彼女が見極めるべきでしょう」


ラウルの言葉はいつものように穏やかだったが、その実、忠告のようでもあった。

アレクシスは視線を窓に移す。

雪が降り出しそうだ。


「……雪の香。見覚えはあるか?」


「ありません。ただ、ご友人の令嬢が付けているスノードロップの香りを王妃様は好まれておりました」


ラウルの声は静かに夜の空気へと溶けていく。


「……母上とセラフィーナ・カロル。この二人が封印した記録。それが、いまリシェル嬢の手にある」


「それが何を意味するか、殿下ご自身が一番お分かりでは?」


ラウルの穏やかな声には、長年の忠誠とわずかな痛みが滲んでいた。

アレクシスは短く息を吐き、沈黙を返す。

その時、扉が勢いよく開いた。


「うぇー、まだ起きてんですか、殿下。ほんと、働きすぎですって」


入ってきたのは、癖毛を無造作に束ねた赤茶のヴィンセだった。後ろからカミルも眉間に皺を寄せてついてくる。


「殿下、今日一日何も食べてませんね? 厨房が大騒ぎでした」


「ラウルがいたなら、無理に持ってこなくていいと伝えたはずだ」


「いやいやいや、それで倒れたら誰が国を回すのよ。ってことで。はい、これ」


ヴィンセは布に包まれた物が入ったバスケットを、机に置いた。まだ温もりを宿すパンとスープの香りがふわりと広がる。


「……食事で釣るとはな。おまえはいつから侍女に転職した」


「そういう小言を言える元気があるなら、食え。命令です」


「命令するのは私の役目だ、ヴィンセ」


「いやいや、命令したのはリシェル嬢の視線ですから。『殿下にちゃんと休ませてくださいね』って顔してたから」


その名に、アレクシスの手が止まる。

彼女のあの真っ直ぐな視線が、脳裏に鮮やかに蘇る。


『殿下……のぞきに行きましょう。イレーネ王妃の記憶を』


軽く見えるその一言が、どれほどの覚悟の上に置かれていたか。そして、あの部屋で彼女が掴もうとしたものの重さを、今さらながらに噛み締めていた。


「……記録を見て、彼女が何を知るか」


呟きにカミルが答える。


「過去を見たところで、何も変わらんでしょう。今を動かすのは情報と行動です」


「過去が過去であるなら、記録など不要だ。しかし、記録が真実(・・)ならば、それは未来に影響を与える」


「なるほどねえ。リシェル嬢がその未来を担う鍵、ってことっすか」


ヴィンセの軽口に、アレクシスは無言でスプーンを手に取った。

王として進むために、アレクシスは多くのものを切り捨ててきた。感情も、過去も、家族の記憶さえも……。だが今、再びそれらが静かに扉を叩いている。

リシェルの言葉が、深く心の奥に刺さっていた。

彼女の選んだ道が正しいのか、それともまた新たな陰謀に繋がるのか、それはまだ分からない。

──だが……。


「リシェル・フォン・カロル。やはり、君は普通の令嬢ではないな」


呟いた言葉は、誰に向けたものでもなかった。

しかしそれを聞いたラウルが、ほんのわずかに口元を緩めたとに、アレクシスは気づかないふりをした。

外では雪が降り始めていた。やがて王宮をその白で染め上げていくのだろう。

記録の真実が明かされるその時まで、王子の眠らぬ夜はなお続いていた。

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