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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
4/59

春の陽、香る静寂のなかで

温かなの陽光が、宵花の間の高窓から柔らかく差し込んでいた。華やかな社交の場は、花々と音楽と香のかすかな香りに満たされている。


「ようこそ、春の茶会へ」


白と桃色のドレスに身を包んだ、アレクシスの婚約者であるエリセ・フェルデリア王女が、優美に微笑みながら列席者へと手を広げた。招かれた貴族令嬢たちの視線は、当然のようにエリセへと集まる。動作一つ、笑顔一つにも隙のない完璧さ。その姿は、まさに理想の王妃と呼ぶにふさわしかった。

リシェルは、琥珀色に澄んだ紅茶の湯気越しにその姿を見つめていた。


(……相変わらずね)


頬に微笑を浮かべながら、リシェルはカップを唇へと運ぶ。穏やかな空気のなかで彼女の心だけが、そっと剣の柄に手を添えるように研ぎ澄まされていた。


「リシェル様、そちらのドレス……今年の王都仕立てでございますか?」


ふと声をかけてきたのは侯爵令嬢のひとり。リシェルはすぐに微笑を返した。


「ええ。春先の野花を模して仕立ててもらったの。少し派手だったかしら?」


「いえ、色合いがとてもお似合いで……うらやましいくらいですわ」


華やかな会話の応酬。

だがその裏でリシェルの思考は静かに流れていた。

エリセ・フェルデリア──隣国フェルデリア王国の王女であり、レオナール王国とフェルデリア王国の友好の架け橋的存在。アレクシスの婚約者であり次期王妃候補。

エリセは完璧だ。

一つの隙もない装い、仕草、言葉。誰に対しても平等な微笑を見せながら、誰よりも場の中心を握っている。この場を成立させているのは、彼女の演出力。


(けれど……私は、知っている)


アレクシスの死後、ユリウスの腕へと絡ませた白い手。

死にゆくリシェルを嘲笑うあの姿。

きっと彼女は知っていた。

アレクシスの死も……そして、リシェルの死も。

演技の裏に潜む支配と執着の瞳。

リシェルの瞳がわずかに硬く光を帯びた。

そして……その空間の端、遠巻きに立つ一人の姿がリシェルの視界の隅を掠めた。

輝く陽光にも染まらぬように、ダークブルーの髪が静かに風に揺れる。

アレクシス・レオナール。

視線は交わらない。

けれど彼の存在が、この空間の温度をわずかに引き締めていることにリシェルは確かに気づいていた。

まるであたたかな空気に、一滴の氷水を垂らしたような凛とした冷たさ。


(……私を観察(みてる)のね)


その気配だけが、リシェルにかつての記憶を思い出させる。

命を落とした王子。

不幸な死を遂げた誇り高き王太子。

けれど今、彼は生きている。

そしてここにいる。


(──今度こそ……)


リシェルは再びカップを持ち上げ微笑んだ。


「リシェル嬢」


声が降った。

優しくどこか陽だまりのような響き。

顔を上げればそこにいたのは、ユリウス・レオナール第二王子だった。タンザナイトの瞳が陽を映すかのように柔らかく輝いていた。


「……ご機嫌よう、第二王子殿下」


「ああ、堅苦しい挨拶はなしで。気軽にユリウスとでも呼んで。こうして茶会の席でまで第二王子殿下と呼ばれると、なんだか肩が張っちゃって好きではないんだ」


軽やかな言葉に周囲の令嬢たちが小さくどよめいた。

リシェルは変わらぬ微笑で答えながらも、その心の奥で密かに息を整えた。


(……変わっていないわね、この人も)


記憶のなかで、何度となく交わした柔らかな笑み。だがその裏でエリセに絡め取られていった姿もまた、脳裏に焼きついている。


「貴女が、こう言う場に出てくるのは珍しいよね。言葉を交わせる機会がなかないから、ようやくお話できて嬉しいよ」


「こちらそこ、光栄でございます」


彼の人懐こい微笑と王族らしからぬ距離感は、自然と人の心を解かしていく。




白銀の髪を揺らしながら、エリセが遠くからその光景を見つめていた。その瞳に影が宿っているように見える。

唇には柔らかい笑み。

指先でカップを持ち上げ、優雅に一口。

けれどその内側では、かすかな焦燥が形を取りつつあった。


リシェル・フォン・カロル。


その令嬢の笑み(・・)に、自分と似た匂いを感じるのは気のせいだろうか。完璧な仮面をかぶりながら、何かを考えている──そんな気配。


(あなたもまた、演者(・・)なのね)


そう思った瞬間、リシェルとエリセの視線が一瞬交差した。

わずかな間。

その刹那に火花のようなものが走った気がした。

そしてふたりは、何事もなかったかのように微笑み合う。

令嬢たちの、平和な春の茶会の一幕として。

けれど、そのあたたかな陽のなかで交わされた目配せは、まだ誰も知らぬ未来の火種だった。



重厚な柱と繊細な花細工のレリーフが連なるその空間は、普段の威厳を保ちつつ、今日に限ってはどこか柔らかく華やかだった。彩り豊かな花々と香が配され、王族主催の茶会という形式のなかで、各貴族令嬢と王族との面会が自然に設けられていた。

その一角。

少し離れた場所から、アレクシスは静かに様子を見ていた。


彼は玉座ではなく一段下がった階に、背後に控えるラウルを伴い立っていた。政務の一環としての出席ではあれど、今日の役割は観察者に近い。

目を向けた先には、柔らかに笑みを浮かべるリシェル・フォン・カロル。

その隣には、自然な仕草で声をかける弟ユリウス。さらにその後方には、白と桃色の衣を纏うエリセ・フェルでリアの姿。

それは一見、平和な貴族の交流風景にすぎない。

しかし、アレクシスの目は見逃さなかった。

笑みの裏に潜む、揺るがぬ眼差し。


リシェルは笑っていた。

誰にでも優しく接する貴族令嬢として。

けれどその瞳、淡い紅色の光はどこか静かで芯を秘めていた。


(……やはり違う……か)


影月の間(あの部屋)で目にした時に感じた違和感は、確信に変わりつつあった。社交デビュー時の彼女はもっと無垢で、少し臆病な印象だったはずだ。

だが今は違う。

大人の女性へと成長したのとも違う、まるで何かを知ってしまった者の目。

しかもその視線は、明らかに王女を警戒している。


(何を知っている? 何を思って動いている?)


アレクシスのタンザナイトの瞳が細くなる。

感情を表に出すことなく、けれど内心では鋭く状況を読み取っていた。

リシェルの隣で笑うユリウス。


(……今のうちに手を打つべきか)


ただの侯爵令嬢として見過ごすには、リシェルはあまりにも変化しすぎていた。それが自分にとって脅威となるか、あるいは武器となるかはまだわからない。

そのときリシェルがふいにこちらへと顔を向けた。

目が合った。

淡い紅色の瞳が一瞬だけ揺れる。

それもすぐにかすかな微笑へと変わり、リシェルは一礼するように視線を下ろした。アレクシスは、その仕草に応じるようにほんのわずかだけ頷く。

それは誰にも気づかれぬほどの、目配せ。


(……面白い)


数年前には、こんな応答すら成り立たなかったはずの少女。

それが今や自分と同じ舞台に立ち、視線の一つで意図を示す。

アレクシスの唇の端が、ほんの少しだけ動いた。

それは笑みとも呼べぬ、けれど確かな興味の兆し。


「殿下、お戻りになりますか?」


控えるラウルの問いにアレクシスは視線を戻す。


「いや……もう少しだけ、この芝居を見ていよう」


低く静かな声でそう答えると彼は再び、リシェルへと視線を戻した。

仮面の奥に隠された意思と意志。

彼女が何者で、何をしようとしているのか。

極めるにはまだ、舞台の幕が上がったばかりだ。

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