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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
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雪の香を知る者、告げられし未来

面会の許可が下りたのは、手紙を送ってから四日後のことだった。その知らせを受けたとき、リシェルは驚きよりも、胸の奥が静かに冷えゆくような感覚を覚えた。これから語る内容は、彼にとってあまりに荒唐無稽で、そして屈辱とも言えるものになる。

未来の記憶。

誰も知らないはずの終焉(おわり)を彼に伝えること。それは許されざる冒涜に等しい。それでも、リシェルは語らねばならないと知っていた。あの夜、彼の命を奪われた世界を見た者として。再び託され、生き直すことを許された者として。


「お嬢様。どうか……お気をつけて」


マルタが、コートの襟元を整えながらそっと囁く。リシェルは微笑でそれを包み込み、彼女の手をそっと握る。


「ええ、心配しないで。これは、私の務めだから」


そう言うと、リシェルは香水瓶の蓋を開けた。淡く、やさしい香りが室内に広がる。早春に咲く花々のように甘く、温かな陽光を思わせる芳香だった。


『春告げの香』──彼女自身が選んだスノードロップの香りだった。冷たさではなく、希望と再生を纏うために。


けれどそれは、あの日の香りとは対極にある。

アレクシスが息絶えた執務室には、冬の空気のように透明で甘い香りが漂っていた

『雪の香』──それは、香りとしては決して害をもたらすものではない。けれどこの香りは媒介に過ぎない。香水自体に毒性はないのだ。問題はその香りと、何か(・・)が混ざり合ったときに生じる化学的変化。その何かが毒として作用し、静かに人を蝕む。微細で、誰にも気づかれないほどの残り香。

誰よりも冷静だった彼が、苦悶の表情を浮かべていたあの場所に……ただ静かに雪の香が残っていた。

犯人はまだわからない。

けれどその香りの性質と、何かを混ぜて毒とする手法を知る者は限られている。


「あの方にとっては、信じがたい話だと思うわ」


リシェルは自らに言い聞かせるように呟いた。だが、その瞳は迷いなく前を見据えていた

これは彼の命を守るための第一歩。

あの未来を変えるための、唯一の手がかり。

王宮の尖塔を陽が照らす頃、リシェルはアレクシスの執務室へと歩みを進めていた。

自分の口から語るために。

あの日、香り包まれた死を知る者として──。



執務室の前で足を止めたリシェルは、静かに息を吸い込んだ。纏ってきたスノードロップの香りが、まるで背中をそっと押してくれているような気がして、胸の奥の緊張がわずかにほどける。軽くノックをすると、間を置かずに扉が開いた。


「ようこそ、カロル侯爵令嬢」


「ご機嫌よう、シュタイナー様。お招き、ありがとうございます」


出迎えたのは、アレクシス第一王子の側近であり、侍従長のラウルだった。変わらぬ冷静な声音に軽く会釈を返し、リシェルは静かに室内へと足を踏み入れる。奥には、書類に目を落とすアレクシスの姿があった。

重厚な執務机に光が反射し、深いダークブルーの髪が淡く輝く。彼が顔を上げた瞬間、空気が静かに凍る。


「ご機嫌よう、殿下。お忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございます」


リシェルは深く頭を下げた。アレクシスは無言のまま彼女を見つめ続ける。やがて静かに立ち上がると、そばのソファーを手で示した。


「……かまわない。だが、取れる時間は長くない。話は簡潔に」


その声音は淡々としていたが、突き放すばかりではない。少なくとも、話を聞こうという意志は感じられた。促されるままソファに腰を下ろすと、彼もまた向かいに座った。

執務室に沈黙が満ちる。

先にそれを破ったのは、意外にもアレクシスの方だった。


「それで、君の話したいこととはなんだ?」


リシェルは唇を結び、覚悟を込めて開いた。


「これからお話しすることは、荒唐無稽で、凶人の戯言のように聞こえるかもしれません……。下手をすれば、殿下のお気分を損ねてしまうことも……」


「ほお……」


アレクシスが口元だけで小さく反応する。それでも、リシェルは怯まずに続けた。


「それでも、どうか最後までお聞きください。私は……お伝えするために参りました」


その瞳が少しだけ細められる。

探るような、試すような光が宿る。


「言ってみろ」


「殿下は、近い未来に命を落とされます」


その言葉に、アレクシスの瞳が静かに鋭さを帯びた。


「……私が?」


「はい。殿下はこの執務室で倒れます。原因は『過労による心不全』──そう記録されますが、それは偽りです」


「……つまり、誰かに殺されると?」


アレクシスは背凭れに身を預け、長い指を組みながらリシェルを見据える。冷静な姿勢のまま、その目だけが真意を計ろうと鋭さを増していた。


「ええ。証拠も痕跡も残らない、極めて巧妙な方法で」


空気が一瞬、凍りつく。アレクシスの声は静かだが、底に冷ややかな緊張を孕んでいた。


「荒唐無稽とはこのことか。まるで君が、その現場を目の当たりにしてきたような語り口だな」


「ええ。妄想にとりつかれた哀れな女と笑われるのなら、それも結構です。でも……私には記憶があるのです」


リシェルはそう言って指先でこめかみを二度、軽く叩いた。


──記憶に刻まれたあの日の光景。


「殿下が倒れていた執務室には、ある香りが漂っていました。冬の空気に似た透明で甘く……けれど、どこか冷たい雪のような香り」


「……続きを」


アレクシスは言葉少なに促す。


「その香りは、スノードロップの香りに酷似しています。だからこそ、人は不自然に思うことなく、それを受け入れてしまうのです」


「……つまり君はこの私が、香りで殺されたと言うのか?」


鋭く問い返されても、リシェルは頷かなかった。


「いいえ。その香りだけでは、人は死にません。香りに毒性はないのです……香りだけ(・・)なら」


リシェルはまっすぐにアレクシスの目を見つめる。


「おそらく香りは媒介(・・)です。そこに、ある物質が加わることで反応を起こし、死に至る毒になる」


「化学変化……というわけか」


「はい。そしてその方法を知る者が、この王宮の中にいる……ということです」


言葉に偽りはない。

信じてもらえなくても構わない。

狂人扱いされたっていい。

ただ一石を投じたかった。

彼の命を、再び失わせないために。


この国に彼──アレクシス・レオナールは必要なのだから。


アレクシスはしばし沈黙したのち、ふっと息を漏らす。それはため息とは少し違い、深い思案の果てに自然と漏れたような、そんな音だった。


「……君が変わったのは、これが理由か」


「……覚悟を決めただけです」


静かに返すと、彼はうっすらと目を細めた。


「そうだな。以前の君なら、こんなことを口にする勇気はなかっただろう」


その声には、ごく微かに柔らかさが滲んでいた。

リシェルはほんの少しだけ目を伏せる。彼が信じたとは思わない。それでも否定しなかった。その事実が、何よりの救いだった。

アレクシスは立ち上がり、執務机に手を置いて背を預ける。そのまま、ぽつりと呟くように言った。


「君の言う記憶(・・)を、もう少しのぞいてみたい。信じているわけではないが……無視はできない」


リシェルは息を吸い、はっきりと告げた。


「では、殿下。一つの記憶を、ご一緒に見に行きませんか? 西の離宮にある花の間(・・・)へ──」


記憶の断片が真実という名の絵画に変わるその日まで、彼女の歩みは止まらない。

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