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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
34/59

仮面の微笑み、刃の沈黙

冬の光は淡く、宮廷の大広間に差し込む陽すら白く冷えを帯びていた。緋の絨毯を中心に、謁見の間には季節の祝辞に訪れた諸侯たちが列をなし、その衣装や宝飾が光を返している。だが白銀の季節がもたらす冷ややかさは、どれほどの装飾をも仄暗い影に染めていた。

玉座に座するのは病床の国王ではない。代理を務める第一王子、アレクシス・レオナールだった。

漆黒の軍装に包まれた姿は、ひときわ鋭い冷気を放つ。タンザナイトの瞳は炎の気配を宿すことなく、まっすぐに前を射抜いていた。玉座そのものが人の姿を取ったかのように、彼は動かぬ威圧を空間に満たしている。

その場に、ひとりの女が進み出る。

銀白の髪に薄雪を閉じ込めたような装い。歩むたび、ドレスの裾が雪片のごとく静かに揺れ、微かな音さえ響かない。



「エリセ・フェルデリア。アレクシス第一王子殿下に、冬のご挨拶に参りました」


流麗に膝を折る。そこには一寸の狂いもない。礼儀、威厳、計算された柔和さ。理想の王妃(・・・・・)の名にふさわしい所作。だった。

けれど彼は、何も感じていないかのように冷然と告げる。


「フェルデリアの王女殿下。王に代わり、礼を述べる」


儀礼として最低限の返礼。その声には情のかけらもなく、男として女に向けられる関心は微塵も感じられなかった。

彼女は婚約者であるはずなのに。


(……やはり、何も変わらない)


胸の奥で、鈍く灼けるものがあった。アレクシスにとって自分は、美も知も家柄もすべて駒でしかない。王国の秩序を保つための道具。その認識を彼は微塵も隠そうとしない。

それでも、あきらめることなどあり得なかった。冷たく拒まれようとも、隣に立つべき場所はここだと彼女は信じ続けてきたのだから。

ふと、アレクシスの瞳がこちらを向いた。その眼差しに感情はない。だが放たれた言葉は鋭利な刃だった。


「婚約については再検討を進めている。正式な決定は後日、改めて」


ざわめきが謁見の間を満たす。事実上の解消を示唆する言葉に、諸侯たちの視線が一斉に交錯した。

エリセは、それでも微笑を崩さなかった。


「……承知いたしました、殿下。ご判断をお待ちしております」


優美に一礼。だが、ドレスの陰で握られた掌は爪が食い込むほど強く閉じられていた。


(愛されることは力……)


繰り返すように彼女の心にその言葉が響く。

それは願望ではなく、誓いであり呪いであった。

彼女の笑みは深まり、吹雪の向こうで咲く雪花のように冷ややかに澄んでゆく。



静けさが支配するのは控えの間だった。

重厚な扉が閉ざされ、外界の音は遠い。暖炉の火が白壁に影を映し、揺らめきはひどく儚げだった。

エリセはソファに腰掛けていた。銀白の髪を結い上げ、淡い碧眼に柔和な光を湛えている。けれど、胸の内では計算が巡り続けていた。先ほどの謁見での言葉は、彼女の未来を断ち切ろうとするもの。ならば自ら布石を打たなければならない


(必要な駒は揃った。あとは時を待つだけ)


そんな時だった。

扉を叩く音。返答の前に開いたその向こうから、思わぬ人物が現れる。


「──あら? エリセ王女……」


その声に、エリセはゆっくりと顔を上げた。

藤色の髪が揺れる。整った顔立ちには、少女らしさを残しながらもどこか冷静な気配があり、淡い紅色の瞳には年齢以上の覚悟が宿っているように見えた。


「こちらにいらっしゃるとは思わず……失礼いたしました」


礼を尽くす所作は整っていて、すでに王宮にふさわしい自信すら漂わせている。


「いいえ。私こそ長居してしまったわね。……どうぞ、お座りになって」


一瞬だけ、リシェルの瞳が揺れたように見えた。けれど彼女は頷き、ソファに対座した。


「リシェル様の今日のご装衣……とてもお似合いですわ。やはり若さというのは、それだけで美しいものですね」


「ありがとうございます。エリセ様こそ、今日のお召し物はとても洗練されていて、王宮そのものの品がありますわ」


やり取りは穏やか。互いに美辞を交わしながら、しかしその笑みの裏では冷ややかな観察が進む。

以前の印象とはまるで違っている、そんな違和感を少し前から抱いていた。


(見た目は同じ……でも中身は、まるで別人)


慎ましく控えめだったはずの少女が、今や王宮内で静かに影響力を広げている。貴族たちの間でも「変わった」と囁かれるほど彼女はしなやかに、けれど確実に立ち位置を変えていた。


──気に入らない。


「最近は、殿下のおそばによく仕えていらっしゃるとか」


自然に差し込む言葉。リシェルは落ち着いた声で応じる。


「ええ。陛下がご静養中ですので、お力添えになれればと」


「まあ、ご立派ですこと」


紅茶の香に紛れて、冷ややかな棘を潜ませる。この少女がアレクシスに接近していることは、もはや偶然ではない。

ならば──。


「けれど……お気をつけになって。王族の近くにいるということは、時に|()にもなり得ますのよ」


柔らかく言った言葉だった。だがその語尾にごくわずかだが冷気が混ざっていた。

リシェルは目を伏せ、微かに頷いた。


「ええ。心得ております」


怯えも迷いもない。その強さは偶然や成長ではない。覚悟を知る者だけが持つ硬質な光。


(……探る価値はあるわね)


エリセの指先がカップの縁をそっと撫でた。

焦る時ではない。だが、この女がアレクシスにとって何者になり得るのか。排除の是非を決めるためにも。


「また、ゆっくりお話しましょうね。リシェル様」


「はい。楽しみにしております、エリセ様」


二人の会話は、礼節を保ったまま終わった。

だが部屋を満たす空気は、もはや穏やかさとは程遠かった。




扉が閉まる音が背後に響いた。

リシェルは歩を進めながら、胸の奥で波のように寄せてくる緊張を押し殺す。背筋を伸ばし、表情を崩さずただ静かに。


(やっぱり……嗅ぎつけている)


エリセ・フェルデリア。

今の王宮で最も気品に満ち最も手強い女性。 彼女の笑みの奥に潜む棘は、今日も確かに肌をかすめた。

ふと立ち止まる。

漂う香りが鼻を打つ。 雪のように冷たく透明で、それでいてわずかに甘いそれは回帰前(かつて)に、何度も嗅いだものだった。 あの夜、アレクシスの執務室でふと感じた冷たい気配。 ユリウスが常に纏っていた香りの正体。


(間違いない。この香り……あの人と同じ)


エリセが出たばかりの部屋の空気に、それはまだ残っていた。  彼女が愛用する香りの名は知らない。ただそれが、ユリウスの纏う香りだと、リシェルの記憶は正確に告げていた。


(この香りの出処は、やっぱりあなただったのね……エリセ王女)


そして、今も回帰前(むかし)も彼女とユリウス繋がっている。

リシェルは目を伏せた。他人の仮面を剥がすことは難しい。けれど、執着と冷酷はもう隠しきれない。彼女もまた気づいているはずだ。



(気づかれた以上、もう……引くことはできない)


小さな布石をどう動かすか、エリセは必ず計算する。その盤上に挑むなら、こちらも備えなければならない。

背筋を伸ばし、静かに前を向く。王宮という盤上に、新たな戦線が布かれた。

その先に誰が待つとしても、迷いはない。


リシェルは生かされた。

ならば、この命の価値を決して他者に委ねたりはしない。

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