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死を越えた花嫁は運命を取り戻す  作者: さくる
スノルピスとスノードロップ
3/59

氷の王子と、回帰した令嬢

王城の一角。

応接室というには簡素で、謁見の間というには閉ざされた空間。そこは政治の駆け引きや、冷たい評価の言葉が飛び交う影月の間。

リシェルは、深く一礼しながらその扉をくぐった。

控える侍従たちの視線を受けながらも、背筋を伸ばしたまま歩を進める。

そこにいたのは、長いダークブルーの髪とタンザナイトの瞳に深い輝きを宿す男──アレクシス・レオナール第一王子。


(……また会えた)


常に無表情で冷静沈着、冷酷無比の美丈夫。

回帰前に垣間見た、あの微かな優しさ。

そのすべてが、リシェルにとっては忘れ難いものだった。

けれど今の彼は当然ながら、リシェルを「初対面の少女」としてしか見ていない。


「……カロル侯爵令嬢か。よく来たな」


低くよく通る声。

だがそこに、歓迎の色はない。

応接用の椅子に座るアレクシスは、まるで視線一つで距離を計るように、リシェルをじっと見ていた。


「アレクシス・レオナール第一王子殿下。お目通りの機会、光栄に存じます」


深く頭を下げたリシェルの胸中には、静かな熱が宿っていた。


「私がお目にかかりたいと願ったのは、父の命ではなく私自身の意思です」


「……ほお」


アレクシスは椅子の背に軽く寄りかかりながら、無表情にリシェルを見つめた。まるで目の前の少女を、ひとつの可能性(・・・)として解析するように。


(この目……やっぱり、変わってない)


彼のタンザナイトの瞳は冷たく鋭い。けれどかつて命を賭して国を想い、その志半ばにして倒れた男。


「……あなたは、氷の王子と呼ばれているそうですね」


その言葉に、控えていた近衛や文官たちがざわめきを抑えた。だが、アレクシスは動じない。


「らしいな、戯言を聞くほど暇ではない。感情で国を動かすなど愚かなやつがすることだ」


「その通りです、だから私はここに来ました。この国の未来のために、あなたに会う必要があると……そう判断したのです」


アレクシスの目がわずかに細められる。

その一瞬に、リシェルは自分の言葉が彼の警戒心に触れたことを悟った。


「令嬢。国の未来のために、私に近づく(・・・)……その意味を理解しているか。王妃の座を狙っているとでも?」


試すような言葉に、リシェルは表情を崩さない。

回帰前なら怖じ気づいていたが今は違う。

彼を生かすと決めたのだから。


「私は王妃の座など欲しくありません。私は……貴方に、王になって欲しい、それだけです」


再びの沈黙。

だがそれは、拒絶でも呆れでもなかった。

アレクシスは静かに息を吐き、その姿勢をほんの少しだけ緩めた。


「……どこかで会ったことがある気が……いや、そう思わせる目だな」


「光栄なことでございます」


(そう……あなたは覚えていなくてもいいの。私だけが覚えていれば……)


この時点で彼の中に、リシェルに記憶があるはずもない。けれど魂の奥に残る何かが、わずかに彼の記憶を揺らした。


「……妙な娘だ。だが、無能ではない」


アレクシスが立ち上がる。

その仕草は静かで無駄がなく、それだけでこの国の王にふさわしい威厳があった。


「次に会う時も、それだけの言葉を持ってくるといい。幻想を抱くだけで終わるなよ、リシェル・フォン・カロル」


そう言い残し、彼は部屋を出ていった。

リシェルは彼の背に視線を向けたまま、しばらく動けなかった。


(もう一度あなたと出会えた。この出会いを、無駄にはしない。貴方を王にし、私も生きる──)


淡い紅色の瞳に静かに燃える光。

それはまだ誰も知らない、再誕の令嬢が抱く決意だった。




「……面白い令嬢だったな」


部屋を出たアレクシスは、無表情のまま独り言のように呟いた。廊下を並んで歩くのは、銀髪の侍従長ラウル・シュタイナー。後ろには、近衛騎士カミル・ルーエンが控えていた。


「令嬢としては随分と……鋭い目をしておりましたね」


「淡い紅色の瞳か。曇りがなかったが、あれはただの純粋さではない。自分の立場と未来を測っていた目だ」


「殿下に近づく資格(・・・・・)を求めた者は、過去に何人もいましたが……彼女は異質ですね」


アレクシスは答えない。

ただ、僅かに歩調を緩めた。


「何かがあるんだろうな。だが、それが何かは……まだ見えない」


「警戒を?」


カミルが眉をひそめる。


「……いや、今はまだ観察(・・)でいい。あの令嬢の言葉には虚飾がなかった。少なくとも、自分の言葉を恐れていなかった」


ラウルが頷く。


「父親であるカロル侯も、あの娘を公の場に出すに値すると見たのでしょうな。あの男の目利きは確かです」


「……むしろあれは、出されたのではなく、自ら出てきたのかもしれん」


そう呟くアレクシスの視線は、何かを思い出そうとするように宙を見据えていた。


「妙な既視感があった……以前どこかで会った気がする。だが、記憶にはない」


「運命めいた勘、というやつですかな?」


ラウルが笑みを浮かべる。


「そんなものはどうでもいい。ただ……普通の令嬢ではなさそうだ」


足を止めたアレクシスが、背後の二人に目を向ける。


「調べておけ。カロル侯爵令嬢の行動記録、過去の滞在歴、教育経歴……そして、付き人たちの素性も」


カミルは不満げに呟いた。


「……またひと騒動の予感がするな。あの令嬢、妙に肝が据わってる」


「お前が怯えるとはな。珍しい」


「怯えてないです。ただ、俺は面倒ごとの匂いには敏いだけだ」


「そうか」


アレクシスは再び歩き出した。だが、今度はどこか足取りが重く、思索に沈んでいるようだった。


(リシェル・フォン・カロル……あの目には何かをやり直す(・・・・)者の覚悟があった)


冷静な分析の裏にわずかにざわめく何か。

それは彼の中に封じられた感情の欠片を、わずかに照らす。

その時。


「おー、殿下そんな顔するなんて珍しい!」


軽快な声とともに廊下の陰から現れたのは、赤茶の癖毛をポニーテールに結った男ヴィンセ・マルグリット。情報部に所属する諜報員で、アレクシスの影の一人だった。


「……いたのか、ヴィンセ」


ラウルが眉をひそめるも、慣れた調子で溜息を吐く。


「警備の見回り中って名目で、ね? 見逃してくれるでしょう、ラウルさん?」


「さん付けするな。上官と呼べ」


「えー、気取ってて俺の性に合わないなあ」


ヴィンセは両手を頭の後ろに組みながらアレクシスの隣に歩み寄った。


「カロル侯爵令嬢の第一印象はどうだった、殿下?」


アレクシスは立ち止まり、少しの間を置いて応えた。


「見た目も言葉も完璧だ。だがそれが、意図的であるように感じた」


「……うんうん。なるほどねえ」


ヴィンセの口元に、わずかに含み笑いが浮かぶ。


「俺のほうでも、ちょっと気になる点があってさ。リシェル嬢の情報を整理してたらね……記録が妙に普通すぎるのよ。出生、交友関係、教育係。どれも全部……逆に違和感がある」


「偽造か?」


眉を寄せたカミルが身構える。


「そうじゃない、全部本物。でも、普通すぎるんだよ。すべてが普通に整い過ぎて非の打ち所がない。出来過ぎなくらい普通にまとめられた令嬢……」


アレクシスの瞳がわずかに細められる。


「……カロル侯が?」


「そこは微妙かな。あの人は知略家だけど、こういう演出の手は使わない。むしろ見えない手が感じられる。もっと深い、あるいは……本人がそう仕掛けた可能性もある」


ヴィンセは唇の端を上げた。興味と好奇心と……少しの警戒を混ぜた狐のような表情。


「殿下。俺に、彼女のを探らせてみませんか? ただの政治的駒のお嬢様ならいいけど、彼女のさっきの覚悟(・・)は、ちょっとした政治の駆け引きの域を超えてる。まるで未来を知っている(・・・・・・・・)かのような眼だったよ」


沈黙が落ちる。

アレクシスは目を伏せ、何かを思案するようにひとつ息を吐いた。


「……許す。ただ刺激はするな。今の彼女を観察する」


「了解。じゃ、静かに遊んでくるよ」


踵を返したヴィンセの背に、ラウルが静かに言葉を投げた。


「……抜けることがないように。あの令嬢の何か(・・)を見誤れば、王宮がまた揺らぐ」


「わかってますって。だからこそ、真実(・・)を見抜くんでしょ?」


赤茶の髪を揺らしながら、ヴィンセは廊下の陰に姿を消す。

その背には、ただの軽薄さではない獣のような嗅覚と狡猾さが滲んでいた。

アレクシスはその背を見送りながら、ぽつりと呟く。


「あの瞳の奥にあるのは、光か闇か……」


その答えを知るにはまだ時が足りなかった。



影月の間を後にしたリシェルは、ゆっくりと歩を進めながら、胸の奥でまだ燃える熱を押し込めていた。


(……やはり、彼は変わっていない。冷たいけれど、澱みのない眼差し。あの人はあのまま……)


「お嬢様!」


廊下の先、待機していた侍女のリィナが駆け寄ってきた。栗色の髪が跳ねるほどに勢いよく、彼女はリシェルの手を取って小声で囁いた。


「無事でしたか? あの、氷の王子とのご面会……本当に凍ってしまわれるかと!」


「リィナ、廊下です。控えなさい」


淡々とした声でたしなめたのはマルタだった。

落ち着いたモスキーグリーンの瞳でリシェルを見つめるその目には、ほのかな安堵が滲んでいた。


「……問題ないわ。少なくとも、第一印象としては」


リシェルは微笑みながら応じたが、その言葉の裏にある緊張がマルタには伝わっていた。


「控えの間に戻りましょう。身体の芯が冷えておいででしょう、温かいお茶をお入れしましょう」


「ありがとう、マルタ」


控えの間へと戻る廊下を歩きながら、リィナがそっと問いかけた。


「でも……本当は、少し怖かったんじゃありませんか? あの殿下、ほんとうに感情がないみたいで……」


「怖くはなかったわ。ただ……」


リシェルはふと歩みを緩め、窓の外に目をやった。そこに映るのは、陽を受ける石畳と王城の柱の影。


「少し、胸が痛んだの。思い出が……喉の奥に引っかかるように」


リィナはぽかんとしながらも「やっぱり、何かが変わった……」と、小さく呟いた。それを背後から見守っていたもう一人の侍女、ネーヴァは何も言わず、ただリシェルの背を見つめていた。

部屋に戻り、温かい茶と菓子が出された。マルタは丁寧に湯を注ぎながら、やわらかく口を開く。


「お嬢様。殿下と話された言葉、その中に……今のあなたにしか持ち得ない重みがあったのでしょう」


リシェルは小さく笑い、カップを口に運んだ。


「ええ、きっと。でも……彼に通じたとは思えない。まだ、ほんの少し……ほんのひとかけらだけ」


「ひとかけら……?」


リィナが目を丸くして尋ねた。


「人の心はね、氷が張っていても温度が伝わればその端が解けることがあるわ。そういう解けが、彼の瞳に映った気がしたの」


マルタがわずかに目を細め、静かに頷く。


「その直感は、きっと正しいのでしょう。お嬢様は……人の心の()を知ってしまったようですから」


言葉の奥に含まれる回帰前の記憶という真実を、マルタは知らない。それでもリシェルの変化には確かな違和感と、母性にも似た感受があるのだろう。


「これより先、道は決して平坦ではありません。ですが……」


マルタは言葉を切って少しだけ声を落とす。


「どの道を選ばれようと、あなたがどれほど強くなっても、変わらずにお仕えいたします」


「……ありがとう、マルタ。あなたがいてくれるだけで、私は……怖くない」


小さく頷いたその瞳には、光が宿っていた。


(もう一度、ここから始める。彼を救い、この国の運命を変える……二度と誰も死なせない)


窓の外では、満開の花々が陽の光を浴びて輝いていた。

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