踊る阿呆にみる阿呆
諸君、どうか私の話を聞いてくれ。この日本の、まだ古い町並みが残るとある町に住む、天狗の話だ。
天狗、そう天狗である。夢を見ているわけでもなく、自称でもなく、確かに天狗である。天狗などというとたいそう仰々しいが、この町の天狗はそうではない。普通の人間と違うところと言えば、普段は隠している程々の大きさの翼に少し赤らんだ鼻の頭と頬を持ち、ちょっと空を飛べたり、占いが得意であったり、運動神経がいいくらいである。もちろん人を襲ったりだとかさらったりだとか驚かしたりだとか、そんな悪趣味なことなどでできぬ。
酒の飲みすぎのためにか顔が常時ひどく赤く、白髪にぎょろりとした色素の薄い茶の瞳を持つ祖父は私によく言う。
「天狗たるもの、堂々としなくてはならん。お前はそんな気弱でいてどうする」
そんなことを言われても、というところである。なぜ気弱であったらだめなのだ。堂々としている、勇気がある。一体それになんの意味があるのか。そもそも私は気弱なのではない。あまりしゃべらないだけだ。
それにしても天狗たるもの、とは何だ。今は「だいばーしてぃ」とかいう時代であるはずで、「ばいあす」とやらがかかりまくっている発言であろう。祖父は数百年は生きている大天狗であるので現代の波に乗れていないのはご愛嬌と言った所か。しかし、もっとナウく生きてほしいものである。
私たち天狗はふだんなにをしているか。
普通の人間と違い、とくになにかの職に就く必要もなく、普段から酒を飲み、仲間と語らい、楽しく生きるのみである。ただ、その代わりに人間か動物か、妖怪か化け物かを問わずに持ち込まれた、いろいろな厄介ごと――まあ大抵はくだらないものであるが――を解決せねばならぬときがあるのである。
この日は、なんだか悪い予感はしていた。
「ではこの酒を賭けて花札をしよう、杏之介」
賭け花札など駄目に決まっているだろう。私は心の中でそう呟きつつ、手元のグルメ雑誌のページを繰ってちらりと酒を見る。少し見ただけでもわかる。相当いい酒だ。こんなものをどうやって手に入れたのか、甚だ見当がつかぬ。
円卓を挟んで目の前にいる、その癖のない黒髪と同じ色の着流しを着ているこの男。賭け花札野郎、もとい天性の楽観主義野郎、もとい私の一番上の兄・源之丞は私の酒への視線に気づいたようだ。右の口角をかすかに上げる。
「なあ、気になるだろう? そんなつまらんグルメ雑誌など読んでなにになる」
「つまらないとはなんです、つまらないとは。私にとっては人生の楽しみの大きな一つなんだから」
「もっと派手で楽しい趣味を持てよ。どこぞの隠居爺さんみたいな暗い趣味じゃなくてな」
「賭け花札しようとしてる奴よりかはましだろうよ、さっさとどこかへ行っちまえ若作り爺が」
おお怖い、弟が遅めの反抗期に入ったあ、などとほざいているのを横目に見て私はグルメ誌に再び目を落とす。
切れ長の目に、すっと通っているような通っていないような鼻筋、透き通るとまではいかないが、天狗にしては赤らみが少なく、まあまあ、本当にまあまあ白い肌を持つ、顔立ちが整っていると言えないこともないこの兄は相当な年月を生きているはずである。しかし、そんなことは全く感じさせない顔立ち、雰囲気だ。見た目の変化が遅い天狗にとっても、童顔でもないのにこんなに見た目が若いものはなかな珍しい。
飄々としており、黙って家を留守にすることもしばしば。全く困るものである。母譲りの童顔を持ち、末っ子である私にちょくちょくちょっかいを出してくるため、得意な相手ではない。
無視を決め込む私を見て不服そうであったが、
「ううむ、この酒はまた今度にするか……」
とつぶやき、長兄はぱっと酒に右手をかざしたかと思うと、酒は跡形もなく消えた。
「どこかへ行っちまえというのは冗談ですが」
「いや本気だったろう」
「冗談ですが、本当の用件は何なのですか?」
兄さんは再び右手をかざした。いつも本題に入る前になにかしらの茶番をするため、疲れることこの上ない。次の瞬間に現れたのは一通の手紙らしきものであった。
「うん、これなんだが」
その手紙に一つ描かれた、蘭の花。……全く嫌なものだ。
私は今開いている「春の和菓子特集」のページを惜しみつつ閉じた。どこかの老舗の桜餅の写真が「わたしのこと、もう見なくてもいいの?」と問いかけてくるようであったが、閉じた。「本当にいいの?」と紙面から声が聞こえるようであったが、閉じた。仕方がない、そう仕方がない。
この春の陽気さを以っても今の私の心を晴れやかにすることはできまい。
心なしか兄も哀れそうな顔をしていた。そんな顔をするのならば兄らしく私の代わりに行ってほしい。しかしそんなことは決してしないのがうちの長兄である。
「あの人」は本当に阿呆であるのだろうか。……いや、それでも行く私のほうが阿保なのかもしれぬ。
手紙を懐に入れ、私はばさりと翼を羽ばたたかせた。