「は?」〜結婚式3時間前、婚約者の王太子は「あとは任せた」と夢の世界旅行に出発したので私は覚悟を決めました〜
「サフィリアーナ、こんなに君を待たせてごめん。ずっと忘れたことはなかった。愛している。もうこれからはずっと君のそばにいるよ!」
私の前に跪き、熱い眼差しで見上げてナファスが言った。
「は?」
しかし、私が返す言葉はこれに尽きた――。
◆
10年前、王太子だったナファス様と私は婚約者同士であった。
蜂蜜を溶かしたような甘やかな金の髪に、鮮やかな碧眼の愛らしい容姿の彼は、いつまでも少年のように無邪気で明るかった。
対して私は、蒼みがかった銀の髪に、冴え冴えとした蒼い瞳の、容姿は整っているものの、ともすればきつく見える顔立ちをしていた。
公爵家の唯一の姫として、厳しく躾けられたせいもあるだろう。
性格も考え方も全く違う私達だったが、不思議とその仲は良好だった。
ナファス様は細かいことは気にしない天真爛漫な方だったし、そんな彼に私はいつの間にか恋をし、その全てを好ましく思っていたからだろう。
ナファス様は学園でも社交界でも、無邪気におおらかに過ごした。
彼には恋人も多くいたが、夜会ではきちんと私を優先してエスコートしてくれたし、そもそも私達は政略結婚なのだからと気にしないようにした。
贈り物もナファス様が選んだ物ではないが、侍従に選ばせてそれなりの物を贈ってくれていたから、我慢できた。
だから、私は将来ナファス様と結婚して彼の隣で人生を送るのだと疑いもしなかった。
今なら私は自分に突っ込みを入れたい。
彼は、細かいことを気にしない性格なんじゃなくて、ただの考えなしだよねと。
それで何度もフォロー入れたのを忘れたのかと。
あれはおおらかとは言わず、デリカシーに欠けた人だよねと。
恋人が多い時点でアウトだろうと。
夜会のエスコートは当たり前だよと。
しかし、その時の私はナファス様と結婚する以外の人生なんて想像もしていなかったのだ……。
◆
「サフィリアーナ、僕はこれから旅に出るよ!ずっと、世界中の国を見て回るのが夢だったんだ!この機会を逃したらもうできない。じゃあ、あとは任せたよ!」
「は?」
あまりの言葉に、絶句しているうちにナファス様は軽やかに花嫁の控え室から飛び出して行った。
そう。ここは花嫁の控え室であり、私は煌めく宝石をふんだんに飾り付けたウェディングドレスを着ていた。
「は?」
私はもう一度、この一文字を呟いた。
ただ今、結婚式3時間前である。
この結婚式には他国の王族や、それに準じる貴族の方々を招いている。
もちろん、この国の貴族達もみんな招かれ、膨大なお金をかけて盛大な披露宴も準備されている。
あとは任せたって……?
一瞬の間ののち、控えていた騎士にナファス様を追わせたが、すでに彼は王城のどこにもいなかった。
私は、急いで陛下と王妃様の控え室に向かった。
本来であったら、こんなウェディングドレス姿で控え室から出るなんてありえない。
血相を変えてこんな姿で来た私に、陛下達の控え室の前の騎士もすぐに面会を取り次いでくれた。
「は?」
そうして、ナファス様――いや、もうナファスでいいか――ナファスの言葉を伝えた私に、陛下と王妃も一文字呟いて絶句した。
「ま、まあ、あの子ったら。小さな頃から、世界中の可愛い女の子……ゴホン、世界中の国を見てみたいと言っていたわね。いつまでも少年のようで困ったこと。きっと、気が済んだらすぐに戻ってくるでしょう」
先に立ち直ったのは王妃様だった。
は?世界中の可愛い女の子を見に、今このタイミングで旅立ったの?
「王族にだけ伝えられている抜け道を使ったのだろう。他の者にそれを知られるとまずいし、追わせることはできん。そのうち、戻ってくるから大丈夫だ」
追随して頷いたのは陛下。
は?こんなに安心できない大丈夫ってあるだろうか?
「しかし、この結婚式はどうしたら良いでしょう?」
「ん?まあ、そうだな、あれだ……」
案の定、陛下の言葉が続かない。
「サフィリアーナ、あなたがあとを任されたのでしょう?」
「そ、そうだ!其方なら大丈夫だ。全て任せた」
陛下と王妃様が、まさかの丸投げをした。
「は?」
本日3回目の一文字だ。
さすがに3回目ともなると立ち直りも早い。
「かしこまりました。では、私に全て任せたと一筆願えますか?」
「良かろう」
陛下がさらさらと言われるままにサインした。
私は覚悟を決めた。
この国の王様と王妃様と王太子は、脳内お花畑病だとよく理解した。
この三人に国を任せたら、待ったなしで国が滅びる。
他国の王族達が来ているのに、私が一人で結婚式に出たりしたら、この国はヤバいよとバレバレではないか。
あっという間に喰い物にされてしまう。
何より、このままでは私はぼっちで結婚式、披露宴に出て笑い者だ。
身代わりを立てようが、ナファスの顔はみんなが知っているのだから無理だ。
冗談ではない。
私は、ガッとウェディングドレスの裾をたくし上げ、お父様達のいる控え室にダッシュした。
タイムリミットはあと2時間30分。
◆
「――というわけで、お父様。覚悟を決めてくださいませ」
「は?」
私が経緯とこれからのことを話すと、お父様とお母様、お兄様とその妻のお義姉様も、一文字呟いて絶句した。
宰相であるお父様にとっては、私がお願いしたことは大変な覚悟がいる。
「今は時間が惜しいので、さっさと動いてくださいませ。それとも、私の代わりにお父様かお兄様が女装して結婚式に出てくださいますか?」
しかし、悠長に待っていられない。
「あなた。私が夫人方をまとめるのと、あなたにお化粧を施すのと、どちらがお望みですか?」
お母様が、ぐっと覚悟を決めて口紅を手にお父様に迫った。
「サディー様、私もお義母様と共に夫人方をまとめますわ。それとも、私はあなたに化粧を施した方が良いかしら?間違いなく、似合いませんわよ」
お義姉様も、鏡を手にお兄様に迫った。
「分かった。私は大臣達をまとめよう」
お父様は、お母様の持つ口紅をチラと見て覚悟を決めた。
「では、私は貴族当主達をまとめます」
お兄様は、お義姉様の手の鏡に映る自分の顔を見て覚悟を決めた。
「ありがとうございます。では、私は未来の旦那様を口説いてまいります」
未来の旦那様がこの計画の要である。
◆
そうして、ナファスが軽やかに旅立ってから3時間後、私はつつがなく結婚式に臨んだ。
教会は色鮮やかな花々で飾り付けられ、チャーチチェアには各国の王族達やこの国の貴族達が、華やかな衣装を身につけて座っている。
ステンドグラスから柔らかな陽光が差し込む。
この国の未来を祝福しているようだ。
祭壇の前には、艶やかな金髪を短く刈り上げ、鋭い目つきの碧眼の、剣で斬られた頬の傷痕さえ美しく見える、凄みのある美丈夫が立っていた。
その鍛え抜かれた体躯は威風堂々としており、まさに新国王に相応しい威厳があった。
この国の騎士団長を務め、王弟でもあったユーティルス・マグナ様は、つい5分前にこの国の王となり、私の結婚相手となった――。
「ユーティルス様、一応微笑んでくださいませ」
私はユーティルス様の隣に並び、神父様のありがたい説法を聞き流しながら、小声でヒソヒソと囁いた。
「は?」
ユーティルス様は私を睨むと、それはそれは低〜い声で一文字返した。
私は、負けじとニッコリ微笑んだ。
まあ、彼としても笑う気にはならないだろう。
この国は、3時間という実にスピーディーにクーデターを終えた。
宰相であるお父様はすぐさま大臣をまとめ上げ、お母様とお義姉様は貴族夫人を扇動し、お兄様はそれに後押しされて貴族達をまとめ上げた。
そして、私が口説き落とした……というより、脅しごり押ししたユーティルス様は騎士達をまとめ上げ、クーデターなのに、一滴の血も、誰一人の反対もなく満場一致で、この国の王はユーティルスに代わったのだった。
陛下の全て私に任せたという一筆も効力が大きかったようだ。
陛下と王妃は、うるさかったので急病ということでさっさと幽閉した。
そうして、私はめでたくユーティルス様との結婚式に臨んだのだが、彼の機嫌はすこぶる悪かった。
ユーティルス様は女嫌いで有名で、28歳にして独身を貫いてきたのに、甥の結婚式に出席したつもりが自分の結婚式になってしまい、しかも、望みもしなかった国王になってしまったのだから、それもしょうがないことである。
「ユーティルス様。あなたの可愛い甥っ子さんがやらかし、国王であるお兄様が丸投げした結果なのですから、諦めてくださいませ」
私は微笑んで言うと、ユーティルス様は苦虫を噛み潰したように深く長いため息を吐いた。
「誓いの口づけをもって二人は永遠に結ばれます」
やっと長い説法が終わり、神父様が結びの言葉を言った。
しかし、口づけの言葉に私は固まった。
そうだった、口づけをしなくてはならなかった。
私は、ナファス様とも誰とも口づけなんかしたことはない。
もしかしたら、ユーティルス様も初めてかもしれない!?しかも、女嫌いの彼には酷だろう。
「ユーティルス様、ふりで良いです。ご無理なさらず、できないことはできないで構いませんわ」
「は?」
ユーティルス様がギュッと眉を顰めた。
どうやら、私の言葉は彼の負けん気に火をつけてしまったようだ。
私はユーティルス様の大きな手に頭を鷲掴まれたと思うと、パクリと口を食べられた。
あとは、想像をしたこともなかったなんか凄い口づけに、脳内は、は!?は!?は!?以下同文――しか浮かばない。
最後にチュッと軽いリップ音と共に、ユーティルス様の唇が離れると、私は腰が抜けた状態になっていた。
立っていられない私を見て、ユーティルス様は満足げにニヤリと笑った。
そして、ユーティルス様がヒョイと私を横抱きに抱えると、チャーチチェアに座った面々から祝福の言葉が飛び交った。
「は?」
私は顔を真っ赤にして、小さく呟いた……。
◆
それから、10年だ。
私達はゆっくり互いを知り、愛を育んでいった。
女嫌いと噂されていたユーティルス様は、今も相変わらず無愛想だし、目つきも悪くて顔も怖いが、誰よりも私を大切にしてくれる優しい夫となった。
そんなある日に、ナファスは意気揚々と帰って来て速やかに捕縛された。
汚らしい身なりで、王太子だなんだと大騒ぎして王城に入り込もうとしたのだから当たり前だ。
そうして様子を見に来た私に、牢屋に入れられたナファスが、鉄格子なんか目に入らないように跪いて言った言葉が冒頭だった――。
「サフィリアーナ、こんなに君を待たせてごめん。ずっと忘れたことはなかった。愛している。もうこれからはずっと君のそばにいるよ!」
「は?」
ただただ、脳内お花畑病のナファスに呆れてこれしか出てこない。
彼の後ろには、美人だが化粧の濃いグラマラスな女性が般若の顔でこちらを睨んでいるし?
「ちょっと、私はこの国の王妃になる女よ!さっさと出しなさいよ」
「は?」
どうやらこちらの女性も脳内お花畑病のようだ。
「サフィリアーナ、彼女はアリーゼだ。彼女も僕の愛する女性なんだ。王妃になりたいって言っているから、君は側室でもいいよね?」
「は?」
私は10年前からこの国の王妃である。
さすがナファス。この国はもうユーティルス様が国王になって10年だというのに、気づかないでフラフラやっていたようだ。
しかも、女付きで帰って来た。
「サフィ、国宝泥棒が捕まったって?」
いつの間に来たのか、ユーティルス様は私の腰を抱くと滴るような色気を含んだゾクリとする低い声で囁いた。
「陛下、その声はやめてくださいませ」
私はキッと睨んで諌めた。
この声に私が弱いと知っていて、彼は悪戯にこの声で囁く。彼が小さくクックックッと笑った。
ユーティルス様は、この10年でその凄みのある美貌に色気まで備えてしまった。
「サフィリアーナ!?お前、叔父上と浮気したのか!?」
言うに事欠いてナファスが怒り出した。
「サフィは私の妻だ」
ユーティルス様がギロリと睨んだ。
「この国はもう10年も前にユーティルス様が国王となり、私が王妃になりました。ですので、浮気ではございませんよ」
私はおっとりと微笑んで教えてあげた。
「は?」
「は?」
ナファスが目をパチクリさせた。
その隣で、般若の顔をしていたアリーゼもポカンと口を開けた。
「ところで、国宝がナファスという元王太子によって盗まれたんだが、もし、本当にお前がナファスならギロチン処刑だ。で?お前はナファスで間違いないか?」
ナファスは、国宝を勝手に売り払い悠々と諸国を旅していた。
「次期国王の僕が国宝を持ち出して何が悪いんだ!?」
「国宝は国の宝であって王の物ではありませんよ?そんな宝を盗んだら首チョッキンですわ」
私はにこやかに教えてあげた。
ナファスがやっと理解できたようで、真っ青になって震え出した。
「わ、私は、こいつとは無関係よ!」
「ア、アリーゼ!?」
「気安く呼ばないで!」
アリーゼがとばっちりはごめんだとばかりに、ナファスを蹴り飛ばして離れた。
「国宝を盗んで逃亡した元王太子のナファスはすでに平民に落とされてますし、処刑されない理由が一つもありませんわ。で?本当にあなたはナファスなのかしら?」
「ち、違う!僕はナファスじゃない!」
彼は、蹴り飛ばされて鼻血を出しながらブンブンと首を横に振った。
「そう。でも、あなたは元王太子と顔が似ているからこの国にいたら、首チョッキンされてしまうかもしれませんわね?」
「で、出てく!もうこの国には足を踏み入れない!」
「そうね。二度とこの国に来ない方が良いでしょう」
ダラダラと涙と鼻血を垂らして頷くナファスに、私は満足げに微笑んだ。
そうして、ナファスはこの国から出て行った。
実質国外追放である。
「処刑しなくて良かったのか?」
部屋に戻ると、気遣わしげにユーティルス様が尋ねた。
「もちろんですわ。だって、首チョッキンしたらそれで終わりじゃありませんか」
国をこちらがもらったのだから、国宝くらいナファスにあげても良いかと思う。
その売り払った金すら、ナファスにはもうない。だから、この国に帰って来たのだ。
そんなナファスが一人でどうやって生きていくのだろうか?
想像するだけで愉快だ。
私がうっそりと微笑むと、ユーティルス様の目に熱がこもった。
そのまま、ヒョイと私はソファに運ばれ押し倒された。
「ユーティルス様!?今は昼間ですわ!?」
「それが?」
腹が立つほど綺麗な顔が近づき、私の唇を奪おうとした時。
「父上、母上。絵を描いたので見てください」
「父上、母上。みんなで描いたのです」
「父上、母上。ここ、ここを私が描きました」
「私はここの部分です」
息子達が部屋の扉をバン!と開けて、仲良く大きな絵を広げた。
いつもはお行儀のいい息子達だが、大作を前に興奮気味だ。
私は焦ってユーティルス様の下からワタワタと這い出して起き上がり、その大きな絵を見た。
そこには、ユーティルス様と私、そして四人の息子達が満面の笑みを浮かべて描かれていた。
「素晴らしいわ。見ていると幸せな気持ちになりますね」
「うん、楽しそうないい絵だ。……ところでみんな、妹が欲しくないか?」
ユーティルス様が、私を後ろから抱きしめてそんなことを宣った。
「ユーティルス様!?」
「欲しい〜!」
みんなが目を輝かせて返事をすると、ユーティルス様がとてもいい笑顔で微笑んだ。
「じゃあ、みんな乳母達の所でお利口さんにしておいで。きっと、妹ができるよ」
「は〜い!」
子供達はパタパタと部屋から出て行った。
「は!?」
◆
――その後、ユーティルス様の宣言通り、私は念願の女の子を出産するのであった……。
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