尻を前に葛藤する
イソトマが空間の裂け目に飛び込むと、ロータスは「仕事がありますので」と席を立つ。
「おお、魔王さまだもんな。ご苦労さんです」
「大したことはしていませんよ。ですが、労いのことばはいただいておきましょう。代わりというわけではありませんが、これを」
メルヘンな家の扉の前に立ったロータスが何かを取りだした。差し出されるままに俺は手のひらで受け止める。もらえるものはもらっとく主義だからな。
見下ろした手のひらでころんと転がったのは。
「どんぐり? じゃないな」
こげ茶色の丸っこい木の実のようなものが三つ。指でつまめるくらいの大きさで、やや楕円になった先端がとがっている。
どんぐりかなと思ったけど、艶がないしどこもかしこも同じ色に染まった実は、はじめて見るものだ。
異世界の植物かな。
「ハスの実です。私の魔力を込めてあるので、困ったことが起きて相談したいときなどに使ってください。実に傷をつけて投げてもらえば、漏れた魔力を媒介にして私の通り道を作れますので、すぐに向かいます。忙しくなければ」
「へえ。便利だなあ」
魔術は万能じゃないって言ってたけど、やっぱり便利だ。
感心して地味な種を眺めていると、窓のところでケルベロスを構っていたマグノリアが呆れたような声をあげる。
「ずいぶんと気前が良いことだな。ネイには我かイソトマが付くというのに」
んん? そのくちぶりからするに、これってけっこう貴重なモノなのか?
「ふふ。マグノリアさまのアイドル業を応援したいという気持ちの表れですよ。ですから、遠慮なく使ってくださいね。先代魔王さまの一大事に駆け付けるのは、魔王として優先すべき仕事ですから」
にっこり笑うロータスの目は、それ俺見たことあるぞ。
隙あらば事務仕事を放り出して出かけたいと狙ってる、体育教師の目だ。あのおっさんは決して美形じゃないというかむしろゴリラを不細工にした感じだけど、今のロータスの目と重なるものがある。
「あー。わかった。なんかタイミング良さそうなときに使うよ」
答えて、渡された種をそっとポケットにしまう。
無表情のなかにも忌々し気な光を宿してこっちを見つめる美少女(元魔王)と、面白いことがあるなら自分も嚙ませろと笑顔で見つめてくるイケメン(現魔王)を天秤にかけて、俺はロータスを取った。
マグノリアの視線が冷たくなった気がするけど、でも俺は今日を精いっぱい生きるモブなのだ。長い物には巻かれるし、強いほうに尻尾を振る。あと危なくなったら全力逃走したいところだけど、ビビりすぎると動けなくなるというのは本日、ケルベロスのおかげで学んだことだ。悲しい。
だから、たぶん優しいクール系美少女と笑顔だけどぜったい腹が黒い魔王なら、魔王になびく。だって長生きしたいから。
そう考えたのがわかったわけじゃないだろうに、ロータスがにこりと微笑む。
「あなたは賢くて、好感が持てます」
「……ワァ、ウレシイナァ」
この笑顔の黒さだよ。俺の選択は間違ってないと確信しているうちに、ロータスは扉を開けてするりと出て行った。普通に出て行くんだ、そういえば歩いて登場したもんな。
「ん? そういえば、城ってどこにあるんだ? 見当たらなかったけど」
ふと疑問に思って閉まったばかりの扉を開けたら、もうロータスの姿はない。
メルヘンハウスを出て曲がったのかと左右をのぞくけれど、赤黒い空に照らされた庭には生い茂る緑と咲き乱れる花、合間に奇声をあげる植物? 植物……? しかない。その向こうはおどろおどろしい木が生えてたり、緑に囲まれてる。
いや、緑じゃないものも多々あるけど。どす黒い葉っぱとか蛍光色を放つ花とか、明らかに蠢いてる蔦とか見えるけど、城っぽいものはない。なんか、ちょいちょい魔界感出してくるなぁ……。
あ、窓のある側の壁の角からケルベロスが顔を出してる。かわいいな、デカいけど。
「城は地下にある。我が住まいは城の裏手に位置するのでな、あやつはたびたび息抜きに出てくるのよ」
マグノリアの説明を聞いてほうほう、とうなずいた。
お城っていうとそびえ立ってるイメージが強いけど、魔王城なら地下っていうのもアリだな。
なるほどなるほど、と納得している俺が油断した隙に、気づいたらマグノリアが真後ろに立っていた。
「ところでそなた、先ほどはよくも……」
あ、まずい。ねちねち小言を言われるぞ、と俺のセンサーが察知した瞬間。
すぐそばの空間がさくりと裂けて、裂け目からむっちりとしたお尻が突き出された。
「んんっ?」
「どうした、イソトマ」
マグノリアがそう声をかけるってことは、目の前に突き出してるお尻はイソトマのもの。
いや、俺にもわかってた。ふりふり揺れる尻尾とその付け根にハート型の穴の開いた服を着たえっちなお尻なんて、イソトマのほかにごろごろ居るわけがない。俺は何人でも大歓迎です。
「ああん! マグノリアさま、失礼しておりますぅ! ネイさま、ちょっと手伝ってくださいませぇ!」
「え、え、ど、どうしたらいい!?」
悩ましい声をあげて目の前で揺れる大きなお尻に、俺は本気でパニックだ。
引っかかってるらしいイソトマを見つめていいものか、いやでも女性のお尻を凝視するのは気が引ける。いやいや、これはひと助けのため……。
尻を前に葛藤する俺に、イソトマが告げる。
「引っ張ってくださいませ。どこを触っても構いませんからぁ!」
「はいよろこんでぇ!」
躊躇は消し飛び、俺はイソトマに手を伸ばす。
黒い薄布に包まれた身体に触れる寸前で手を止め、考えた。
この場合、つかむべきは腰だろうか。
いやしかし、女性の腰をいきなりわしづかむのはハードルが高い。いかに本人が「構わない」と言っていても、ピュアな高校生男子には高層ビルで棒高跳びレベルのハードルの高さだ。
ならば足首だろうか。目のまえでぱたぱたしている足首ならば、セーフな気がする。
そう思って手を伸ばす先を変えかけて、気が付いた。
足首を握ったとする。力を入れて引っ張るには、立ち位置が重要だ。横から掴んで引き抜ければいいが、イソトマが自力で抜けないあたりたぶん結構な力を入れなければいけない。
となると、つまり、俺はイソトマに対して真っすぐ立って両足首をつかむ必要が出てくる。めくれやすいスカートを履いたイソトマの脚の間に立って、彼女の両足首をつかむのである。
危険だ。
それはあまりにも危ない。
俺の純情とかそういうあれが、爆発四散しかねない。あと、鼻から熱い思いがほとばしる気がする。たぶんほとばしる。
よろこんで、と返事をしてからここまで一瞬で考えて、そして俺は無我の境地に至る。
「……失礼します」
冷静に告げ、そっと目を閉じる。
イソトマの腰を両手でつかんで、ぐっと引っ張った。
「あっ、ああん、強……はげし……!」
聞こえない聞こえない。心頭滅却、煩悩退散、全力投球!!
「ああっ!」
「よし、抜けた!」
すぽん、と手ごたえが無くなると同時に手を離し、イソトマから一歩離れた俺は紳士だ。紳士だから指に残る感触のことは俺の心のなかだけにとどめておく。紳士だからな。
「はあ……ありがとうございましたわ、ネイさま」
紳士だから、部屋の床にぺたんと座り込んだイソトマのスカートのすそが大胆にめくれてることは指摘せず、彼女が立ち上がるのをそっと助ける。両腕に大切そうに何かを抱えたイソトマの肘を支えれば、彼女は素直に立ち上がった。
「何を遊んでおったのだ、イソトマ」
マグノリアが呆れたように言うのは、まあ当然だろう。イソトマが引っかかってしまう程度のちいさな空間の裂け目はすでに消えているが、そのあたりを眺めて俺も息を吐く。
「お衣装を作るのに集中しすぎてしまって。空間移動に失敗してしまったんです、お恥ずかしいですわあ」
照れながらも、彼女は胸に押し付けていたものを披露したいのだろう。きらりと目を輝かせて、手の中のものを広げて見せた。
「でも、そのぶん自信作ですのよ! 身に着けてみてくださいませ!」
「う……わかった……」
マグノリアの一瞬の沈黙には、いろいろな葛藤があった気がする。けど、諦めたように彼女はちいさく頷いた。ので、俺はそっと屋外に出る。なんせ紳士なので。