アイドルは思いつきで
俺が泣いた顔に濡れタオルを押し当ててクールダウンする間、マグノリアたちはティータイムをはじめたらしい。
紅茶の香りとはまた別に、甘くて香ばしい匂いが漂って俺の鼻をくすぐっているのだ。
かちゃかちゃという食器が触れ合うかすかな音の合間に「うむ、うまい」「うれしゅうございます」「おや、こちらはイソトマの手作りですか」「そうですわ。マグノリアさまのおくちに合いますように、と願いながら作りましたのよ」と穏やかな会話が聞こえる。そこに俺が入る隙はない。
──あー、やだなあ。タオル退けるのやだなあ。
いい年こいて泣いちゃったのも恥ずかしいしさ。それだけじゃなくて、この空間ですよ。
美女が美少女とイケメンに給仕する、というこの空間。俺がただのモブじゃなくて金のあるモブなら「絵師を呼べ!」って言ってるだろう完成された空間にですよ? 俺がいるんです。モブだけど。
どうも、顔のあるタイプのモブです。
あー、居心地がいいのに居心地が悪い。
一枚の絵みたいに完成されたすてき空間なのに俺が画面の向こうから見てるんじゃなくて、同じ空間にいるってどういうこと? モブよ? 地味モブよ?
どう考えても混ざりにくいじゃん。アイドルのプロモーション動画にモブが映り込んでたら変でしょ。映り込んでるだけじゃなくて喋ったりしちゃったら、それはもう制作ミスだよね! どう考えても!
ぐう。
「まあ、矢島さま。お腹が空いてしまったんですの?」
腹が鳴る。空腹を心配される。
はい、空気系モブ卒業ですね。俺は無言のモブを卒業します! 今からは喋るモブの時間です!
「はい……あの、これ、食べてもいいですか……?」
俺の恥じらいなんて誰得だ、ってことで、目元を覆っていたタオルをそっと下ろして、俺はおうかがいをたてる。
俺の目の前のテーブルには、白い皿が置かれていた。
その皿のうえには、美少女とイケメンが舌つづみを打ってるおしゃれスイーツが乗っている。
えっと、パイ? パイケーキって言うの? 何層にも重なった薄いパイ生地の合間に、とろりとやわらかな黄色をしたクリームと真っ白な生クリームが交互に挟まれて、二色のクリームの間からは何やら赤い果物が顔をのぞかせている。
名前は知らない。とにかくおしゃれでおいしそうで、めっちゃいい匂いをさせてるお菓子。さっきまで匂いだけで俺を誘惑していたそのいけないお菓子は、見てしまえばめちゃめちゃおいしそうで、俺の腹がまたぐう、と遠慮なくなる。
「ふふ。元気ですわね」
イソトマに妖艶な笑顔でささやかれると、違うところが元気になりそうです。
「遠慮なく、召し上がってくださいな。オカワリが欲しかったら、まだありますからね」
「はい! いただきますっ」
目を細めて言われて、俺はぴしっと背筋を伸ばしてあいさつするが早いか、フォークを手に取った。
気分は待て状態から「ヨシっ」を言われた犬だ。
俺は飼い犬。野生の犬とか無理無理。こんな美人のお姉さまにならむしろ飼われたい。
うふふ、って笑いながら「もう、悪い子ね」って叱られたい。きっと叱る声も甘いはずだ。このお菓子みたいに。
「うま……」
ひとくち食べて、俺は天を仰いだ。
うまいが過ぎる。
フォークで切り分けたときから感じていたが、生地がサックサクだ。バターのこってりした香りが鼻を抜けるのに、重さはない。
サクッと良い音を立てた次には、とろけるクリームのやさしさが舌に触れる。
思っていたほど甘くない、けれどやさしい甘さのクリームが舌に広がり幸せが俺を包み込む。
サク、とろ、と二段階でやってきたおいしさの総仕上げは、じゅわりと広がる果物の甘酸っぱさ。
赤い見た目からイチゴをイメージしていたそれは、イチゴとはまったくの別物だった。
味は確かにイチゴのようなのだけれど、食感がちがう。イチゴほどの歯ごたえはなく、けれどイチゴ以上のジューシーさを持ち、クリームの食感になじむ。
なんて言ったらいいんだろう。なんかわかんないけど、すっげえうまい。すっげえうまいから、ついついフォークがすすむ。
「俺、これ、好き」
ひとくちごとに余韻を楽しみながら、どうにかそれだけ伝えれば、イソトマはうれしそうに目を細めた。
「お代わりはいかが? マグノリアさまも、いかがですか?」
「いただきます!」
「十分もらった。そろそろ、今後について話したいのだが」
聞かれて反射で手を上げたけど、マグノリアのことばで俺は上げた手をそろそろと下ろす。
ですよね。タオルでクールダウンタイムをもらって、さらにおやつタイムまで満喫しちゃってたけど、おいしいお菓子についついお代わりとかもらおうとしちゃってたけど。
このひとたちがここにいるのは、俺の今後について話し合うためなんだ。マグノリアは今、食べ終えたところだけど、ロータスに至っては俺が食べはじめたときにはすでに紅茶を傾けているだけだったし、ずいぶん待たせているはず。
「えと、やっぱお代わりなしで……」
空っぽになった皿にフォークを戻してイソトマに向けてそっと押し出せば、マグノリアがひらりと手をふった。
「堅苦しい話し合いでもないのだ、食べながらで構わん。むしろ気軽に意見を出してくれ」
椅子に背を預けテーブルに肘をつく姿は、美少女なのにめっちゃ魔王感がある。魔王さまとなりだけど。
となりでイケメン顔をにこにこさせてるけど。ロータスは魔王というより妖精王みたいな雰囲気があるな。耳が尖ってるせいかな。
「じゃあ、遠慮なく」
俺の皿にはすでに新しいパイの一切れが乗せられている。マグノリアが手をふる動作をしたあとに、イソトマが給仕してくれたんだ。
そのまま、イソトマは流れるように全員に新しい紅茶のカップを差し出している。有能な美人メイドなんて本当に存在したのか。
いや、ここは異世界だ。気をしっかり持て、俺。日本にそんな都合の良いひとはいない。美人でナイスバディで有能でえっちなお姉さまなんて、異世界だけだ。
「まず、ネイの界への目印は我が手中にある。これは良いな」
俺がお菓子をほお張るのを横目に、マグノリアは話をはじめた。
くちのなかが幸せでいっぱいの俺はうんうんうなずく。
「ええ、さすがはマグノリアさま。微弱な力を壊さず、きれいにまとめていらっしゃる」
微笑むロータスの視線の先にあるのは、マグノリアがまとめたという俺のいた界にただよう力。正確には神隠しが起きたときに俺のまわりにあった力らしいけど、大事なのはそこじゃない。
力をまとめたちいさな石は、白地に赤色の丸が入っている。はじめ見たときは白っぽいとばかり思ってたけど、よく見たら赤い丸が入ってるんだ。
わかる? 白地に赤く! これ、どう見ても国旗じゃんね!?
地球に漂う力っていうよりは、日本の力だよね。つまりその石は、ジャパンパワーみたいなものってことだよね!
「これを座標とすれば、つなぐ先に問題はない。問題は、そこまでつなぐための力よ」
「マグノリアさまの魔力に代わるものとなると、相当ですからね」
ふむ、と考えこむ美少女とイケメンに向けて、俺は「はい、はい!」と手をあげる。良い子だからね。
「はい! あの、ひとりの力だと使い果たしてしまうんなら、たくさんのひとからちょっとずつもらうのって、無理かな?」
魔族がどれだけいるのか知らないけど、ケルベロスに運ばれてるときに見た町並みはけっこう立派だった。
ってことは、それだけの町が必要になるくらいには魔族の数もいるはず。
だったらみんなから魔力をもらったらいいんじゃないかなあ、と発言してみる。イメージは献血。元気な魔族なら、ある程度の魔力は消費しても時間が経てば回復するらしいし。
「信仰を集めるようなものですか。考え方としては悪くないですね。ですが、協力を得るための魔族側のメリットをどうします?」
ロータスに視線を向けられて、俺はむむっと頭を高速回転させる。
だって、ちらりとこっちを見たロータスの目が言ってたんだ。「考えてごらんなさい」って。俺の思い付きみたいな発言を馬鹿にするわけじゃなく、もうちょっと先まで考えられるんじゃないか、って思ってもらえたなら、燃えなきゃ漢じゃない。
「えっと、そうだな。協力してくれてひとには何か、お礼を渡す、とか。俺の暮らしてたところではジュースとか、お菓子とかちょっとしたものと、あと社会貢献って言われてステータスになる? みたいな……」
漢を見せるぞ! と張り切ったところでしょせんしがない男子高校生の思考回路では、これが精いっぱいでした。
「もしかして、こっちのひとって魔力があれば食べ物とか要らなかったりする? 魔力でなんでも解決しちゃう、とか……」
意気込んで話しはじめた割にしょぼしょぼと途切れてしまった俺のことばに頷いて、ロータスがカップを手に取る。
すらりと長い指で持ち上げたカップを傾ければ、中身がこぼれる。そのしたには、彼の反対の手のひらが広げられている。
ロータスの手を濡らすかと思われた紅い液体は、予想に反して宙にとどまった。
ふよふよと形を定めないまま、紅茶が宙に浮かぶ。
「すげえ……魔法だ……」
「私たちは、これを魔術と呼びます」
言いながらロータスが手のひらをくるりと回す。動きに合わせて彼の手のひらの紅茶もまた宙がえりをして、テーブルのうえに置かれていたカップに帰っていった。
「魔術とは、魔力を操る術のこと。今のは、私の魔力でもって紅茶を包み意のままにしたわけです」
「はあー、すげぇ」
わかったようなわからないような。
でもすげえってことはわかった。だから残念そうな顔しないでください、ロータス先生。
「魔力はしょせん力です。私たちの身体を動かすのは食物の持つエネルギーですし、魔力を操る能力は個人個人で大いに差があるもの。何でも解決、というわけにはいきません」
ひとの話を聞くときは、相手の目を見ながらときどきうなずくのが大切だって誰かから聞いたことがある。あと、適度な相槌。「そうなんだ」「すごいね」とかがおすすめの相槌だとか。
これ聞いたのは、合コンのモテテク談義のときだったかな。知識として得ても合コンに呼ばれたことがないから役に立ってなかったけど、いまここで役立てます!
「ほあー、そうなんだー」
「……理解できていますか?」
あれ、ロータス先生の眉間にしわが寄っている! 相槌打ったのに。見事なまでの『不出来な生徒を見る教師の目』で見られている! なぜだ。完璧な相槌を打つにはまだレベル不足なのかっ。
「えっと、魔族のひともご飯食べる。魔力は万能じゃない」
「まあ、それで良いでしょう。とは言え、操作しだいで多くのことができるのもまた魔力です。ゆえに、欲しいものがあるならば自力で取りに行くのが私たち魔族でもあります」
にこり、ときれいに笑ったロータスが自分の前に置かれた空っぽの皿のフチをつんつん、と突くと、配膳前のパイの残りがひとかけら宙に浮く。音もなくすいっと宙をすべったパイは、ロータスの皿に着地した。
「このように、ね」
ぱちん、と片目をつむられて、思わずどきんと胸が跳ねる。
やだ、俺、男なのに。イケメンも過ぎれば男女の差なく、ときめくらしい。
「欲しいなら欲しいと言ってくださればよろしいのに」
もう、と唇を尖らせるイソトマにもドキドキする俺ってば、恋多き男である。嘘。恋じゃない。ただほら、揺れてるとついつい目が行くとかそういうの、あるだろ? 何がとは言わないけどさ。
「けれど確かに、物がもらえるからと集まる者は少ないでしょうし、社会的に認められたいと考えるような文化はありませんわねえ」
頬に手を当てて小首をかしげるイソトマについつい目が行くのは、つまりそういうことである。大きな胸が組んだ腕に持ち上げられて、むっちりとしたラインがより強調されている。ありがとうございます。
ついつい拝んでしまった俺の目の前で、イソトマが腕を上下させた。動きに合わせてたゆんと揺れる、魅惑の双丘。
これはあれですね。魅了の魔術ですね。そうに違いない。だって俺の目が離れないんだよ。見ちゃだめ、見ちゃだめって必死に言い聞かせてるのに、目がね、勝手に吸い寄せられる。すごい魔術だ。
「ふふっ。お触りどうぞ?」
「ひぇっ!?」
「なぁんて、わたくしの身体が魔力の対価になれば良かったのですけれど。サキュバスに力を吸われたがる方なんて、いませんものねぇ」
いたずらっぽく笑う顔がまた一段とセクシーなイソトマは、なるほどやっぱりサキュバスだったらしい。
ちらちら揺れる尻尾の形といい、納得だ。
「こんな美人にお触りできるなんて、大行列ができそうなものだけど……」
うっかり心の声がくちから漏れていた。慌てて黙るけど、まあ遅いよな。
イソトマはうれしそうに笑いながら俺を見てるし、マグノリアは無表情にこちらを向いている。人形のように整った顔は何を考えているかわからないけど、淡い黄色の瞳がどこか呆れた光を宿しているようで、俺はそっと視線を逸らした。
「あなたの世界では、サキュバスとの接触に積極的なのですか?」
興味深い、といった様子のロータスに尋ねられて、答えようかどうしようか悩んだ。けど、イケメンに期待の眼差しで見つめられれば、モブは素直になるほかないのだ。悲しいモブの性だ。
「えっと、サキュバスというか、えっ……び、美人のお姉さんだからさ。会ったらうれしくなるじゃん? アイドルとかモデルさんが町を歩いてたらみんな集まるみたいな」
危ない危ない。えっちなお姉さんと言いかけて気づいた俺、偉い。
本人を前にしてえっちだなあ、なんて思ってるとばれたらもう顔を見られない。ちょっと前に面と向かってエロいと言ったのは、あれは服装に関する話題だからセーフだ。ぎりセーフ。
「アイドル、モデル……そのことばに該当する相応しい単語がこちらの世界にはないようですね。偶像、標準という意味で使っているのではないのでしょう?」
「うん、違う」
何かを考えている風だったロータスに聞かれて思いだした。この世界のことばがわからない俺に、マグノリアが何かしら魔術をかけてくれてことばが通じている。つまり、翻訳機をつけてるような感じなんだろうけど、どうやらうまく翻訳できない単語があったらしい。
それにしてもロータスは思案顔がめちゃめちゃイケメンだな。顎に長い指を添えるのなんて、俺がやったら「あごかゆいの?」とか言われるやつだろ。
「モデルってのは、服とかの宣伝のために着て見せるひと、みたいな? アイドルっていうのは、ええと」
改めて考えれば、アイドルってなんだろう。
スマホで検索できれば一発なのに、あいにくここは圏外だ。
「あー、アイドルってのは……」
こんなことなら面倒くさがって辞書を学校に置いて帰るんじゃなかった、と後悔しても遅い。俺は身体にやさしい通学を心がけているから、かばんの中身は最低限のラインナップなのだ。
スマホは使えない。辞書もない。頼みの綱の俺の脳みそときたら、アイドルといえば翻るスカートだよな、などとしょうもないことに思いを馳せている始末だ。まったく、わかる。ミニスカートで踊ってスパッツが見えるのもいいが、あえて膝丈で元気に踊ってスカートが翻るのもまた一興。
なんてことを思いながらぼんやりとマグノリアを眺めていたら、ふと気が付いた。目のまえにアイドルみたいな子がいるじゃないか。
「マグノリアみたいな美少女がかわいい恰好して歌って踊るんだよ、アイドルって」
ぽん、とくちを突いて出たことばに、マグノリアがほんのわずかに目を丸くした。
そのとなりでイソトマが「まあ! それはさぞ素晴らしい光景でしょうねえ」と頬を染めている。何を想像したんだ、俺にも分けてほしい!
一方で、ロータスはいまいちイメージがわかないらしい。
「歌って踊るのは踊り子や歌い手では?」
「んー、ただ歌うのでもなくて踊るのでもなくて。その子が活動してる姿を見ると元気になったり、応援したくなったり、なんていうのかな。誰かをうれしい気持ちにさせてくれるものなんだと思うんだ、アイドルって」
アイドルの何たるかなんて知らないけど。でも、たぶんそういうものだろう。
俺の拙い説明で納得したのか、ロータスが目を輝かせた。
「それはいい案かもしれませんよ」
得られちゃったよ、賛同。