やってきました、魔族の森
海と山ならどっちが好き?
そう聞かれたら、俺は海と答える。だって山って登ったら降りなきゃいけないだろ。あと山に水着のお姉さんはいないし。
それに、妖精はちっちゃい子のイメージあるけど、セイレーンはお姉さんなわけだよ。下半身はひとじゃないかもしれないけど、それってつまり上半身はひとなわけ。そりゃもう、お姉さんのいる海を目指したいじゃん。
なのに、どうして俺は木立ちのなかにいるのか。
「俺、海がいいって、言ったの、に……」
息をきらしながらぼやく声は、あたりに立ち込めた霧に吸い込まれて誰にも届かない。
妖精の住む森ってもっとこう、メルヘンチックな場所じゃないの? マグノリアの家みたいにさあ、花に囲まれて木漏れ日がやさしく差し込んで、ちょうちょとか小鳥とかがわんさかいるような……。
ここ、富士の樹海じゃないの? ちがう? めっちゃ魔族の森じゃん。
いくら森の木が葉を茂らせていても、まだ陽が沈む時間じゃないはずだ。俺がこの森に来てから、そんなに何時間も経っていないはず。
それなのに、いつの間にか広がりはじめた霧は赤黒い空から降る光を遮り、敷き詰められた草木の絨毯を踏みしめる音を吸った。
そのせいなのか、気が付けば俺は濃い霧に呑まれた森のなかにひとりきり。
いっしょにいたはずのマグノリアの冷ややかな眼差しも、イソトマの揺れるボディもどこにも見当たらない。
「うう……みんな、どこいったんだよ……」
はぐれたって気が付いたとき、立ち止まって待てば良かったのかもしれない。
でも、霧の向こうに何かの影が蠢いてたんだ。生い茂る木の葉のあいだから不気味な声が聞こえたんだ。
だんだん近づいてくるその影を見て、その声を聞いて、その場で待ってられるやつがいたら紹介してほしい。秘訣を聞くから。
なんて言ってみても、すでに俺は方向もわからず走り回って息を切らして木の根っこにつまずいて転んだあとなので、遅いわけなんだが。
この状態でできることなんて、せいぜい泣き言をもらしながら霧のなかを徘徊することくらい。情けないとかそういうのは、日本に置いて来た。
だってここ、まじの魔族が出るんだよ?
「うう……森、こわいよ……だから海がいいって言ったのに……」
そんなわけで、無我夢中で駆け出した矢島ネイ、ただいまぜっさん、迷子中。
「スカート丈がひざうえ~。スカート丈がひざにかかるくらい~。スカート丈がひざ下~。……あえてくるぶし丈っていうのもいいものだよな」
ひとってひとりで寂しいと、くちから思考を垂れ流してしまうらしい。
いやだって、聞こえる音が自分の足音だけ、っていう状況は心に良くない。
爆音とどろくさなかよりは耳にやさしいのかもしれないけど、過ぎた静寂は俺の心には確実に良くない影響を与えるので、セルフサービスでBGMをつけているわけだ。
霧のせいで景色も変わらないなかじゃ、健全な男子高校生の精神が損なわれちゃうからな。
「プリーツスカートは正義~。ふわふわ生地のスカートもまた良し~。でもタイトスカートってのも捨てがたい~」
カサッ。
変な魔族に見つかると怖いから、あくまで小声でつぶやきながら歩く。
あ、この世界、悪魔っているのかな。悪魔って魔族? でも天使と対になる存在なら天使は魔族じゃないと思うから悪魔も魔族じゃない? でも『魔』ってついてるしなあ。どうなんだろう。
「もしいるとしても、デーモンとかいかつくてやばそうなのは嫌だなあ。会うならイソトマみたいなえっちな悪魔がいい……それか小悪魔みたいな……クール系だとマグノリアとキャラがかぶるから、妹系希望です……」
カサカサッ。
妹に夢を抱けるのは現実に妹がいないやつだけだ、って妹持ちのやつが言ってたけど、そこは夢なんだから現実の話は置いといてほしい。
現実にかわいくて優しくて胸の大きな幼なじみがいるやつなんていないんだから、って言ったら、あいつは「それくらい夢見させろよ!」って泣いていたっけ。
カサカサカサッ。
「…………」
カサッ。
何かが俺の後ろを通り過ぎた気がする。
カサカサッ。
右から左へ、左から右へ。濃い霧にまぎれて、あっちの幹からこっちの幹の影へと動いている。
振り返ったらアウト的なやつなのか、どうなのか。
わからないから、気づかないふりをして歩いてきたわけだが。
カサカサカサ、ドテッ。
「いたっ」
移動する音に続いて何かが倒れるような、にぶい音、それから甲高い声。
ぴたりと脚を止めた俺は、恐る恐る振り返る。
見えるのはやっぱり濃い霧ばかり。カサカサ動いていた何かが見えないかと地面に目を凝らすけど、何も見つけられない。
「だ、だれか、いるのか?」
じわじわと背中ににじむ汗を感じながら出した声は、みっともなくひっくり返ってる。
マグノリアかイソトマならいい。ビビりまくってるところを見られるのはとっても恥ずかしいし不本意だけど、笑われて済むならオールオッケーだ。
問題は、彼女たちのどちらでもなかった場合。
相手は高確率で魔族だ。
町で見かけた魔族は、どれもゲームで敵として出てきたやつだった。
町中で襲われることはなかったし、あんな怖い見た目のケルベロスもすごく良いやつだったけど、町の外の魔族もそうだとは思えない。
「……なあ、返事しろよ……」
せめてことばが通じる相手であってくれ、と願いを込めてつぶやきながら、後ずさる。
チャリ、とポケットのなかでかすかな音がしたのに気がついたのはそのときだ。それでようやく思い出したのは、ロータスに渡されたハスの実。
取り出して必死でかじりつき、実に亀裂が入ったのを確認してから、物音がしたほうに全力投球!
ちいさな黒い実はあっという間に濃い霧の向こうに消えて……ポコン。
「いたっ」
返って来たのは幼い声だった。
わあい、当たったぁ!
当てちゃった……!
やべぇ。やべぇよ、物ぶつけちゃったよ。間違いなくブチギレ案件だよ。俺、死亡のお知らせ……ていうかロータスさん? いや、出てこないんですけど!
もしかして、忙しくて出られない? めっちゃ鳴ってる携帯電話の向こうで「いま無理です〜」とか言ってる系ですか、魔王さま!?
「……す、すみません」
あてにしていた助けが来ない。しばらく待ってみたけど、来ないっぽい。だから逃げるべきか迷って、そうっと謝ってみる。
だってさっき「いてっ」て言ったし。それってつまり霧の向こうにいるのがことばを喋る系の魔族だってこと。だったら理性もある相手だと期待したわけだ。
「うゆ〜。いたただったのですが〜」
間抜けな声に、身構えていた体から力が抜けた。
ほんわりした声といっしょに霧のなかからふよふよと出てきたのは、ちびっこ。
いや、幼児っていうだけじゃなくて、俺の両手のひらに座れるくらいちいさいっていう意味もある、ちびっこ。
「おぉ! 妖精、か?」
なんだ怖くないじゃん! って思ったとたんに気が緩んで声がするりと出てきた。だけど俺はビビリなのではない、何事にも慎重な男なのだ。
幼すぎて少女なのか少年なのかよくわからない生き物が、俺の手のひらのうえでふわふわと浮かんでいる。背中のあたりに透き通った羽のような光が見えるのは、魔力で飛んでるのだろうか。
「おまえ、なんですか? もりにわるさするのですか?」
「いやいやいや、ただの迷子だよ。性格温厚、人畜無害、毒にも薬にもならないただの高校生!」
ちいさいのにじとっとした目で見上げられて、慌てて身の潔白を主張する。証明はできないけど、俺のこの顔を見たらわかるだろ!どこからどう見ても害のないモブ顔!
俺の心の叫びが届いたのか、妖精が手のひらに座ったままじいっと俺の顔をみつめてくる。
いや、目が丸っこいせいでわかりづらいけど、これはたぶんにらんでるんじゃないか?
「あやしい、のです」
むむむむ、とへの字に曲がったくちが開いたかと思えば、精いっぱいの低い声でちびっこが言った。
「ええっ! そんなばかな!」
「おまえ、あやしいのです。もりになんのようです? さては、あちしたちがかわいいからさらいにきたへんたいなのです!」
ずびしっ! と指差されて、慌てて首を横にふる。そんな根も葉もない疑いをかけられるとは! 誠にいかんだっ。
「いいか、ちびっこ。俺はたしかに守備範囲の広い男として知られているけどな。上は老婦人、下は幼女までだ。男か女かわからないレベルの幼児に興味はないっ」
俺の主義主張をきっぱりと告げてやれば、手のうえでちびっこがぽかんと口をあけた。うーむ、間抜けな顔だ。
すこし難しすぎたかな、と思っていると、ちびっこがぷるぷる震えはじめる。バイブレーション機能がついてるのか? もしかして妖精の女王からの連絡だったりして!?
「へんたいは、えいえんにまいごになればいいのですっ」
「ええっ!?」
震えていたちびっこが叫んで、俺の手のひらから飛び立つ。
ちっさい羽根をぱたぱたさせながら俺の周りを飛び回りはじめた。かと思ったら、くるくる回るちびっこがだんだん増えていく。
「げ、どっから湧いてるんだ!」
「しつれいなやつ!」
「とじこめるのです!」
「へんたいなのです!」
「ずっとまいごなのです!」
ぐるぐるぐるぐる。
逃げようと後ずさればちびっこ集団の輪もついてきて、だったら振り払おうと手を出せば「すけべ!」「のーたっちなのです!」と飛んで逃げる。
そんな妖精の姿さえも、だんだんと濃さを増す霧にのまれてかすんできた。
「ちょ、かんべんしてくれよ! 霧がやばい、まじやべえって。助けて、魔王さまー!」
半泣きで思わず叫んだとき。回っていた妖精たちがぴたりと止まった。
輪になって宙に羽ばたきながら、ちびっこたちが互いに顔を見合わせている。きょとんと首をかしげる姿はかわいらしいけど、俺は騙されないぞ! こいつら超こわいんだから!
「まおうさま?」
「まおうさまのともだちなのです?」
「そんなばかな、なのです」
「だったら、まおうさまのてしたなのです?」
「こんなおまぬけさんが? ないのです」
ひそひそこそこそ。
丸聞こえのないしょ話をする妖精たちから視線をそらさず、じりじりと後ずさりする。
まわりはさっきより濃い霧に包まれて自分の足の先も見えないくらいだけど、だからってここでやつらが答えを出すまで待ってて良いわけがない。
俺は帰りたいんだ。こんなところでさまよってる暇なんかない。
そろーりそろーり。
霧に紛れたら、このちびっこたちから逃げられたりしないかな。
「あっ! にげるつもりです!」
「ひきょーものです!」
「へんたいでひきょーものでさいてーなのです!」
「えええ、俺の評価がすごい勢いで下がってく!」
何もしてないのにめちゃくちゃに言われて泣きそうだ。泣いていいかな?
俺が傷ついてしょんぼりしてる間にも、妖精たちは容赦なく拳をふりあげる。
「へんたい僕めつなのです!」
「てきをめっせよーですです!」
「へいわをまもれです!」
「ぱわーぜんかいですー!!」
ぐるぐるですです、ぐるぐるですです。
俺のまわりをまわる妖精たちの数はさっきより増えて、回転速度も上がっている気がする。
なによりやばいのは、妖精たちが回るたびに湧きだす霧がどす黒い色をしていること。
「わぁ! 俺はほんとにあやしいものじゃないんだって! 待って待って、話を聞いてくれぇ!」
「もんどーむよーなのですぅ!」




