2-2 落ちた故郷
「……誰かいる」
目的地を定めてからはほとんど無言で先導していたセイラが、そう言って立ち止まった。アテナをその場に停めて、足音を忍ばせて少し歩くとその秘密基地とやらが見えた。
まだ距離が遠いから正確な大きさが掴めるわけではなかったが、たぶん大人が入るには小さい、板だけで作られた小屋。子供の頃作った小屋だと言うからまともな状態なのかと不安だったが、小さいだけで思ったよりはちゃんと小屋の体裁を保っていた。もちろん劣化はみられ屋根も壁も苔むしていたが、腐り落ちているほどではなかった。
その向こう側には確かに人影があった。甲冑をつけた腕が小屋の影からはみ出していた。
「行く、あとから来て」
そう言った次の瞬間にはセイラは飛び出していた。そして小屋のほうに視線を戻すと、既に彼女は小屋の影にいた人物の首に剣を突きつけていた。
ライナが慌てて駆けつけようとすると、セイラの口から驚く声が漏れた。
「ルドルじゃないか! どうしてここに……」
「あぁ、お嬢、ご無事でしたか……!」
ライナにも聞き覚えのある声だった。駆け寄って確認したところ、よく見知ったフィルグラント家に仕える騎士だった。
「そっちこそ無事だったのか! いったい何が……」
「何から話すべきか……。まず現在我ら領軍や私兵は、兵卒から騎士に至るまでそのほとんどが領都から方々に散っております。私はもしお嬢が戻られたときのことを考え、領都に残りました。そしてお嬢が戻ってきたとして、どこに行くかと考えたところ、ここのことを思い出しまして」
「あー、そういや知ってたな……」
察するに、屋敷からこっそり抜け出したセイラを探し回っていたフィルグラント家の家臣のひとりだったのだろう。セイラの子供の頃の話を聞くと、お付きの人に同情するお転婆エピソードがたびたび登場した。
「……おそらくお嬢のほうも色々あったのだろうかと思いますが、先にこちらであったことを時系列順に報告させていただきます」
「あぁ、頼む」
「まず発端は二日前、西で大きな野盗の集団が現れたとの報告が入ったことからでした」
「野盗?」
「それなりの規模の商隊が襲われたということもあり、団長の采配で一部の騎士と兵を西に増援として動かしました。それが昨日の朝のことです。同時に王都にも鳩を飛ばしましたが、やはり届いておりませんでしたか」
「鳩か……ヘンツェルの手の者に抑えられたか……?」
「あぁ、ヘンツェル卿でしたか……。さておき、それから少し時間を置いて陽が沈んだ少し後、サルトーレ子爵領軍が越境進軍をしてきたとの急報が入りました」
「は? サルトーレだと!?」
「えっと、北側の領主だっけ?」
「そうだ、北の隣領の領主だ。……待て、それは正確にはいつ頃だ?」
「越境を確認したのは、夕刻午後5時頃とのことでした」
「……どういうことだ……?」
「セイラ、一旦話を一通り聞こう」
「あ、あぁ……」
ライナは強烈な疑問に声の大きくなったセイラを一旦宥める。
(いや、確かにあまりに帳尻が合わないから気持ちはわかる……。本当にこれはいったい……)
「……話を続けます。とうに行政庁舎も閉じた後でしたが、緊急で兵を召集し、集まった一部を先遣隊としてすぐさま派遣いたしました。夜間の行軍となりますが、なにせ何の報せもない領軍の越境はかなり緊急性の高い非常事態だと、我らは判断した次第です」
「あぁ、その対処は妥当だろう」
「その後も夜更けながらに各所に連絡し、翌朝できるだけ早くに臨時兵団を組織して出発しようと動いていたところに……突如として謎の武装勢力が市街中心に発生しました」
「は? 発生?」
「はい。陽が昇り始める直前でした。本当に突如として奴らは市街地に現れました。傭兵のようだったので、一般人に紛れていたのかと思われます。規模は数十人のようでしたが、事が起きたのがまだ夜明け前だったこともあり、正確な人数は把握できていません。最低二十、多く見積もって四十ぐらいといったところでしょうか。
彼らは瞬く間に行政庁舎を占拠。情報が錯綜するなか、我らは一旦フィルグラント家本邸のほうに司令部を置き、情報と戦力を集約させることにいたしました。……そして夜明けと共に、今度は東からヘグレンツェ軍の侵攻の報告がありました。こちらは明らかな敵対行動が確認されたとのことでした」
「……」
セイラは黙って聞き入っていた。ライナも同じく黙って聞き入った。
北の領軍の越境に加えて、街中に突如現れた傭兵団。既に情報過多だったが、二人はこの後さらに衝撃的な事実を聞くこととなる。
「そして庁舎を占拠していた傭兵と思しき集団は、とんでもないビラを三種、窓から何枚も撒いて寄越したのです。――一枚は国王陛下崩御の報せ、残り二枚は……セイラお嬢様とライナ殿を陛下暗殺の首謀者の一味として捕縛を求める手配書でした。手配書のほうにはご丁寧にお二人の似顔絵まで描かれておりました」
「なっ……!?」
「その後、あまり間を置かずしてヘグレンツェの騎兵隊が到着。既にお話しした通り、こちらの領都の戦力は西の野盗対策と北への先遣隊に数を割いておりました。特に急ぎの事案だったこともあり、騎兵を多くまわしておりました。
そこに五十騎以上の騎兵隊。こちらはもう本邸に立てこもるしかなくなったわけですが、そこに傭兵たちも庁舎より出て来て合流。後にヘグレンツェの本隊が到着することも考え、我らは本邸より打って出てそのままできうる限りの数の敵を多方に引き付けながら、散り散りとなることにいたしました。館の使用人たちはバトラー殿の采配のもと、おそらく全員無事に脱出。生き残った兵は近隣の街にて方々に連絡を送り、兵団を再編しているはずです。そして私は先程申しました通り、お嬢ならアテナで帰還できる可能性を考え、こちらに待機していた次第にございます」
それが騎士ルドルの知る一連の流れだった。
フィルグラント領では元々領都に常駐する兵士は少なかった。領軍自体がそれほどの規模でもない上に、軍というより警察のような側面が強いため、領地内の各所に分散配置されていた。
そこに敵は西方での野盗の件を仕込み、さらに北と東の隣領の軍を時間差をつけて進軍させることで、戦力を分散させた。
あまりにも綿密に練られた計画だった。……しかも、やはり「時間の帳尻」が合わない。
「皆、よく頑張ってくれた。領主の子として、君たちを誇りに思う」
「いえ、仕方がなかったとはいえ、あまりにも不甲斐ない結果になってしまい申し訳ありません」
「……そんなことを言い出せば、こちらもなんとも不甲斐ない結果だったよ」
そしてセイラは今までの経緯をルドルに伝えた。それを聞いて彼はとても悔しそうに顔を歪めた。
「そんな、当主様が……」
「おそらくすぐには殺されることはないだろう。ヘンツェルがこの後どこまで上手く立ち回るか次第ではあるが、仮にも古い血筋を持つ名家だ。ヘンツェルらの派閥には嫌われているだろうが、他にはこれといった悪評もないはず。たぶん、裁判という名の茶番を開いて手続きを経て処刑するか、しばらく時間をおいて病死という名の獄死に処される、といったところか」
「お嬢……」
「……それより今は直近の課題、領都ルチア奪還への道筋を立てよう。……そして作戦を立てる大前提として、まずは時間軸をもう一度確認したい。
二日前に報せがあったという西の野盗の問題はひとまずよいとして……北のサルトーレ軍が越境したのは昨日の午後5時と言っていたな?」
「はい。報せの早馬が着いたのは6時ごろでしたが……。北の街道沿いに、最低でも五十以上の正規装備の領軍が南下してきたとのことでした」
「……王都の別邸に陛下崩御の報せが来たのも午後6時頃だ。やはり、いくらなんでも早すぎる。ヘグレンツェは? 奴らが領内に侵攻してきたのはいつかわかるか? 報せ自体は夜明けだと言っていたが」
「それが……わからないのです。どうやらヘグレンツェ領軍は夜間から行軍してきたらしく、報せの早馬は東の軍の詰所の一つから出されたものでした。ヘグレンツェの騎兵隊から襲撃にあった、と。そこより東の街道の宿場町などに関しての現状は不明です」
「いや、さすがにおかしすぎるだろう、それは! 時間の帳尻が合わなさ過ぎる。アテナを休みなく走らせるぐらいしないと無理じゃないのか!?」
「セイラ、一旦落ち着いて」
「……え、あぁ、すまない」
セイラが感情的になるのも無理はない。知らなかった情報がたくさん出て来た上に、あまりにも不可解で整合性がとれない。彼女はなんとか闘志を取り戻しつつあったが、まだ多くの情報と感情の整理が上手くできるほどには立ち直っていなかった。なので、ここからはライナが話を主導することとなった。
「まずは順番に情報を整理しよう。セイラ、まず前提として、早い情報伝達の手段は何があるんだい? この国では」
「……まずは馬に関してだが、急ぎの用事であれば早馬が一般的だ。同じ早馬と言ってもピンキリはあるが、だいたいは王都からここルチアまでは2日はかかる。ただし、これは途中で馬を休ませる必要があることが前提だ。そして馬を休ませずに、ほとんど最高速で駆け続ける方法がなくはない。
一頭の馬が高い速度を維持して走ることができる限界の距離ごとに、あらかじめ別の早馬を用意しておき、乗り継いでいく方法だ。馬が体力の限界を迎えたら、新しい馬に乗り換える。これを複数回繋げれば、王都から此処まで1日かからないだろう。朝出れば夕方には余裕を持って辿り着けると思う。
ただ、これは日中での計算の話だ。今回のように事が夜に起きていると話は異なる。夜間でも街道沿いであれば馬で走ることは可能だが、安全の関係でどうしても速度は落ちる。
……それでもこの手を使えば、おそらく私たちより先にルチアに辿り着くことは可能だろう。ただし、馬だけなら、だ。歩兵を含む兵団が動くとなると話は変わる」
「いや、一旦兵団の話は置いておこうか。馬以外の伝達手段は何がある? 伝書鳩とかいたよね?」
「いる。鳩は馬より圧倒的に早い。王都からルチアまでなら2時間かからないだろう。ただし、鳩はあらかじめ訓練したルートでしか使えないし、すべて国の管理下にある。
王都の伝書鳩を管理する鳩舎からはかなり多くの発着点に向けて鳩を飛ばせる。用途も公務に加え、貴族や豪商の私用にも使うことができる。ただし、地方の領地ではそうもいかない。
例えば此処、ルチアにも鳩舎があり伝書鳩を使うことはできるが、今は王都としか通じていないし、用途も公務のみに限っている。隣領のヘグレンツェとサルトーレにはどちらにも鳩舎がなかったはずだ。
それから鳩には夜に使えないという制限がある。馬は夜とて速度を落として走ることができるが、鳩は一切使えない。そしてそもそも、鳩の足に結ぶ小さな紙に書ける程度の情報しか送ることができない」
「ありがとう。他に早馬を超える伝達手段はないんだね?」
「少なくとも遠距離にはないな」
「わかった、ありがとう。……で、まとめると、だ。
早馬は普通の運用ではまったく間に合わない。ただし、入念に準備をして早馬を乗り継ぐ形式なら、馬だけであれば僕たちより早くルチアまで辿り着ける。
鳩はとても早いが、王都と領都ルチアの間でしか使えないし、タイミングも昨日の日中か、今朝夜が明けてからの時間帯に限定される。そしてルチアの鳩が勝手に使用されることはあるの?」
「少なくとも昨日はありませんでした。今朝に限っても、我らがフィルグラント本邸にいた間は、鳩舎に手をだす様子は確認できませんでした」
「うん、ありがとう。それじゃ一つ一つ確認していこうか。まず北からの……サルトーレ軍だっけ? が、昨日の夕方、セイラが崩御の報せを受けたのとほぼ同時刻に動くことは可能だったのか。これ、少なくとも陛下の暗殺が成功していないと動けないはずよね?」
「あぁ、そう思う。ヘンツェルのクーデターの成功の可否もわからずに動くのはリスクが高すぎる」
「そうなると、サルトーレが動いたのは陛下の暗殺が確定してから。ただしサルトーレ領には鳩は飛ばせないから早馬でしかその情報を届けられない。その場合時間はどれくらい?」
「うーん、正確にはわからないが……。やや回り道にもなるし、ルチアにつくより時間がかかると思う」
「ということは、もし早馬を乗り継げる用意をしていたとしても、数時間で済む距離じゃない、と。だということは、セイラの予想通り陛下が当日午後に亡くなられていたとしたら、辻褄が合わない。セイラ、君が陛下が亡くなったのが午後だと思った理由は何?」
「公務の関係からそう思った。ヘンツェルは王宮を押さえていたが、王都の貴族と官僚すべてを支配下に置いたりしていない限り、そう長く隠し通せないだろう」
「なるほど。サルトーレが動ける条件は陛下が亡くなられた時刻次第。ただ、そうなるとヘンツェルが陛下の死を想定以上に隠す力を持っていたことになる、と」
「そうなる。さすがに丸一日以上王宮を押さえて私が気づかないことはないとは思うんだが……」
「うん、わかった。次はヘグレンツェの話といこう」
こうして順番に持っている情報を確認し、まとめていった。ただ、その結果わかったのはやはり自分たちの知る手段を使っただけでは不可能、ということだった。
騎兵がアテナより早くルチアに辿り着くことだけなら可能ではある。ただし、ルドルの話だと、ヘグレンツェの軍は夜間に既に領内に侵攻していた。早馬の乗り継ぎをしたとしても、領境に届くのは夜明け以降となるはず。そうすると夜明け時点で既にある程度領内に進軍していたというのは、もうどう考えても辻褄が合わなかった。
街中に沸いた傭兵団についても、やはり情報がネックだった。傭兵団があらかじめビラを用意していたとしても、「ライナ」と「セイラ」の二人だけを指名手配するには、やはり王都を二人が脱出して以降の情報が必要だ。可能性としては、早馬が誰にも目撃されず傭兵団に情報を届けた線がなくはないので、やはり「不可能ではないが難しい」ということで一旦結論づけた。
「いったいどんな奇術を使ったんだ、奴らは……」
セイラはげんなりした顔で呟いた。
反撃に動こうにも、敵の動きがあまりに奇っ怪でどうにも動きづらい。悩んで止まってしまうよりはまずは動くことが多いセイラも、今回ばかりは手を拱いている。そうは言ってもいつまでもうだうだしていられないので、一旦街に情報収集に向かったルドルの帰りを待ち、その後動くことにした。
「なんだろうな、夜間を飛べる鳩でもみつかったのだろうか。それならまだ整合性がとれるんだが……。もう正体がわからずとも、いつでも使えるような情報伝達手段があると仮定すべきなのだろうか……」
情報の伝達。それがこの状況を奇っ怪にしているすべての元凶。もし瞬間的に遠方に情報を伝えらる手段があれば、あとは隣領の軍が事前にひっそりと領境付近に待機していた、ぐらいしか難しいことはない。
情報の伝達……。
――情報革命。
「――ッ!!」
「ん? ライナ!? いつものか?」
ふっと一つのワードが頭に思い浮かぶと同時に、ライナは激しい頭痛に襲われた。そのまま頭を抱えて急に倒れ込んだライナに、セイラが慌てて声をかける。
(な、なんだこの痛み……いつもより、ずっと……)
「ライナ、無理はするな。何も思い出さなくていい、何も考えなくていい」
「ちが、駄目だ、これはきっと駄目だ……」
直感だった。はっきりと何かを思い出すには至ってなかったが、ライナは直感的にこれは今思い出さなければいけない、忘れてはいけない記憶だと確信した。
(耐えろ、耐えろ、この痛みの先にきっと何か、大切なものが……)
――電子通信。
その単語を思い出すと同時に、ライナの意識は落ちた。