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1-4 動き出す歯車

「国王陛下、崩御!」

 ライナとセイラが屋敷へ戻って幾刻か後、そろそろ陽が沈みきろうとしていた頃だった。

 これでも有力貴族の一角であり、王家とも親交が深いフィルグラント家に、その凶報は早馬で突如として舞い込んだ。現王とは貴族としての職務だけではなく個人的にも親交があり、セイラも現王に王太子ともそれなりに面識があると、ライナは聞いていた。

 セイラの父である現フィルグラント家当主レイツォス・フィルグラントに加え、セイラ本人もすぐさま出立の準備をした。ライナは久しぶりに騎士の顔をしているセイラを見た気がした。普段の表情筋の動きが豊かな元気溌剌(はつらつ)としたお転婆娘ではなく、視界に映っただけでこちらの背筋まで伸びてしまうような、凛々しい表情(かお)を持つ麗人。時々忘れかけるが、彼女はこのリヒテイン王国にて屈指の実力を持つ騎士の一人であることに間違いないのだ。

 そして今、騎士の顔をしているということは、訃報を聞いて個人的な感情以上に、何か危機感が彼女の中では強く(うず)いているのだろう。――事態が急すぎる。

 現王が病を(わずら)っていたなんて話は聞いたことがない。そんな話があれば、フィルグラントの家で生活していて耳に入らないはずがない。たとえ極秘だったとしても、先程のレイツォスさんの様子にはただならぬものがあった。やはり、彼にとっても急すぎる話だったのではないだろうか。使者からは崩御とだけ告げられ、死因は伝えられなかった。

「留守は任せた」

 レイツォス・フィルグラントは馬上より執事にそう告げ、王宮へと続く道を愛馬と(とも)に駆け出した。セイラと数人の供がそれに続く。既に陽は沈んでおり、下町の薄闇は瞬く間に彼らを呑み込んでいった。

 残された屋敷の者たち――衛兵から使用人まで、誰も彼もが酷くざわついていた。特に家令を兼ねた執事長は平静な顔を保ちつつも、慌ただしく動き回り、使用人や衛兵たちに指示をしてまわっていた。指示を受けた者たちは、おどおどと戸惑いながらも指示通りに動いていた。

 もし崩御が事実だとすれば、名家である以上、その後いろいろと大変なのだろう。とはいえ、周囲が忙しそうにしているからといって、客人でしかないライナにできることは何もない。ともかく邪魔にだけはならないようにと、与えられている居室でおとなしくしていることにした。

 ライナは読みかけていた本を手に取り、(ページ)(めく)る。もう日常生活での会話に支障がない程度にはこちらの言語を修得できているが、識字力についてはまだすらすらと読めるまでほど遠い。それでも本を読むのは好きだった。ただそれは読む、というより、パズルを解き明かすようなものに近い。

 辞書と本との間で視線を幾度も幾度も往復させ、一つずつ単語の意味を、一文の意味を解読し、解釈していく。

 ――元の世界の自分も、こんな感覚で語学に励んでいたのだろうか。

 この世界――いや、この地域で使われている言語には、やはりどうにも馴染みがあった。ただ、それは漠然と感じるだけで、関する明確な記憶を呼び起こすことには未だに至っていない。……もし呼び起こせたとしても、少し似ているだけのまるで違う言語かもしれないわけだが。

 パサリ、パサリとゆっくりと、燭台の灯りに照らされた頁を捲る。時折、伸びをしたりと身体を少し動かす。

 いつの間にか、落ち着く様子のない屋敷の中のざわめきを忘れるぐらいに彼は読書にのめり込んでいた。

 ドゴォォーン

 突如轟音が響いた。ライナはびくりとして現実に呼び戻され、うっかり読んでいた頁から指を離してしまった。指先から離れた頁は勝手にパラパラと捲れ、どこまで読み進めていたかを見失わさせる。

 さすがに本はもう机に置き放して、壁に張り付きながらおそるおそる、ガラス窓の外の様子を(うかが)う。この部屋は二階にあるので、屋敷を囲う塀の外までよく見える。……国の正規兵の格好をした兵士の姿が何人も見えた。ライナは焦り、すぐに顔を引っ込める。

(何が起きているんだ……?)

 ここは住民のほとんどが平民である外郭区の下町とはいえ、あくまで王都の中だ。この王国で最も治安が良いとされる都市の中だ。ライナの居るこの部屋は屋敷の正面から真裏に位置する。その部屋の窓から兵士が見えたということはつまり、おそらくこの屋敷全体を包囲するほどの数の兵が、平和なはずの街中で堂々と動いている。

 しかも、先程のあの何かが爆発したような轟音。あまりにも様子がおかしい。異常事態だ。

(――国王陛下、崩御の報せ……)

 ライナは現在国家の異常事態が起きていることを思い返す。……とても嫌な予感がする。

 おそるおそるドアを開け、廊下に出ようとしたところで、屋敷の正面の方向から男の声が響いた。

「今より我ら国軍によってこの屋敷を制圧する! 全員、おとなしく我らの(めい)に従い、拘束されよ! もし反抗することがあらば、その身の安全は保証しかねる!」

 おそらく拡声器で増幅された男の声は、一言一句、はっきりと聞き取れた。

(……最悪だ)

 酒場で酔いどれようとする者たち以外は、既に(みな)、帰路を辿り終えたであろうこの時間帯に、これほど派手に国の正規兵を名乗る連中が動いているという異常事態。……あの凶報と関係ないはずがない。

 衛兵たちの怒声と使用人たちの慌てふためく声が聞こえる。そのまま誰もいない二階の廊下を静かに歩き、屋敷の正面側のガラス窓を通して外をおそるおそる覗くと、やはり正規兵の装備をした兵たちが既に前庭を占拠していた。侵入者を拒むはずの正門は(えぐ)れるように大破し、煙を(くす)ぶらせていた。どうやらわざわざ門ごと爆破したらしい。最低限の衛兵しかいないこの屋敷を制圧するのに、何故そこまでする必要があるのか。

(いや、爆音を(とどろ)かせること自体が目的……? 威嚇か、それとも周囲の住民にあえてアピールしているとか……)

 ともかく、確実に状況は不味い。数人衛兵がいるだけのそう大きくもない邸宅なんて、あの数の兵が乗り込めばあっという間に制圧されてしまう。そして何より不味いのが、その結果自分自身(ライナ)が捕縛されてしまうこと。

 己の身がどれほど貴重な存在なのかを理解しているライナはさらに焦り、(ひたい)を幾筋もの汗が垂れる。

「突撃!」

 司令官と(おぼ)しき男が大声で号令をかけ、同時に空を指した剣を前に振り下ろしたのが見えた。すぐさま何人もの兵士が動き出す。

 ライナは慌てて引き返す。

(どうすればいい!? どうすればいい……?)

 最優先すべきは自分の身を敵に抑えられないこと。だが、戦う(すべ)は持たない。戦力もいない。となると逃げるしかないわけだが……。

(ダメだ、やっぱり囲まれたままだ……)

 廊下の窓から外を覗くと、どこも兵士の姿が見えた。自室に帰って再び外を覗いたが、やはり裏手にも見張りの兵士が何人も立っていた。

(ダメだダメだダメだ、逃げ道は、逃げ道は、逃げ道は……?)

 バターンッ

 背後から大きな物音が聞こえて、跳ね上がるように驚いて尻餅をつく。

「お、ここで正解だったか。下調べはやはり入念にしておくものだ」

 蹴破られたドアの先には、見知らぬ男が立っていた。正規兵のものと少しだけ違う、やや軽そうな防具を着けた、片手に剣を持った男。その剣にはべっとりと血が纏わりつき、切っ先からはぽたぽたと、木張りの床に赤い雫が垂れ落ちている。

「お前が名も無き異世界の男で間違いないな?」

 その問いに答えることなく、ライナは先程まで本を読むために座っていた椅子の背を掴み、振り上げた。

 混乱していた。

 初めて見る量の血とそれを纏う剣に恐怖し、戸惑い、混乱して自棄(やけ)になってしまっていた。結果、彼は目に留まった椅子を振り上げ、愚かにも剣を持つ相手に打ち付けようとした。

 だが、男は剣を振るうこともなく、容易(たやす)く振り下ろされた椅子を(かわ)して、ライナの腹に一撃だけ、拳で殴打を加える。

「ぐおっ……」

「おいおい、大人しくしてくれ、名も無き者よ。一応無事な状態で捕まえてこいって言われてんだ、こっちは」

「……、だ」

「ん、何か言ったか?」

「僕の名は……ライナ、だ……!」

 腹を殴られた苦しみの中、はぁはぁと荒く呼吸をしながら、ライナは言葉を絞り出す。

「ん? あぁ、だがそれはあの女騎士さまが勝手に言ってるだけだろ? 確か最新の報告でも、お前は未だ名前も、歳も立場も思い出せていないと聞いたが。その後進展はあったのか? 名も無き者よ」

 ズキリと何かが痛む感覚がした。痛い、苦しい。

「……」

「図星か」

「……だからなんだ」

 なんだか苦しい。息が苦しい。何かが苦しい。視界が歪む。世界が歪む。

 誰のものかもわからない朧気な記憶の情景が、頭のなかを巡り廻る。

「強がるな。あの女が与えたもの以外、お前には何もない。食べる物も住む場所も、それ以前に名すら持たない。この世界においてお前は何者でもない。ただ誰かの私欲で異世界から呼び出された、何者にもなれない可哀想な存在。……違うか?」

(違う、ちが、ちがう、僕は……僕は……。僕、は……?)

 返す言葉も出ず、力なくへたりと床に座り込んだライナを男は見下ろしながら、軽く嘲笑した。

「虐めすぎたか。まぁ、それがお前の真実だ。なーに、そう悲嘆するな。大人しく俺に従い付いて来れば、今度は新しいご主人様がそれらを全て与えてくれるだろう。衣食住の何も不足不自由なく、お前がこの世界に喚ばれた意味も意義も与えてくれるだろう」

 男は剣を軽く振って血糊を払い、もう不要だと判断したのか鞘に収めた。

「さぁ、行くぞ、何者でもない者よ」

 男はライナの腕を掴もうと手を伸ばす。

「僕は……だ……れ……」

 ガシャァァァン

 突如、派手な音を立ててすぐ側の窓ガラスが木っ端微塵に砕けた。彼らの足下に粉々に砕けたガラス片が散らばる。

 月光を背に現れたその侵入者を前にして、男の顔が驚きで歪んだ。

「お前、まさ――」

「邪魔」

 男が鞘から剣を抜くより早く、ぴかりと閃光が(はし)り、男は倒れた。

「いくぞ、ライナ。……どうした?」

 ――あぁ、そうだ、僕の名はライナ。この人がそう名を与えてくれたんだ。

 あの日と変わらない、長く美しい金の髪に凜々しい紫の瞳を持つ騎士、セイラ・フィルグラント。

 彼女が名を与えてくれたあの瞬間(とき)から――僕はひとりの人間だ。確かにこの地に生きて、今を生き、明日へと生きるひとりの人間だ。

「いや、なんでもない。……ありがとう」

「ん? とにかく事情の説明は後だ。まずは脱出する、しっかり捕まってくれ」

 返事をする間もなく彼女に抱き寄せられ、言われた通り、……少し手の場所は選びながら、彼女にがっちりとしがみ付いた。。

 ……ありがとう、セイラ。僕を人にしてくれてありがとう。僕は……もう、決して自分を見失わない。君のくれたこの名がある限り、見失わない。君のくれたこの名を見失わない。

「飛ぶぞ!」

 そう言って、彼女はライナを抱きかかえ、先程木っ端微塵に砕いた窓から外に飛び出した。――二階の高さから飛び出した。

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