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1-3 日常

「ライナ! 今日は少し街にいくぞ!」

 少し前に朝食を済ませたばかりだというのに、快活な声と共にバーンと居室のドアが開いた。スラッとした身体の腰近くまであるサラサラとした透けるような金髪に、淡く煌めく青紫の瞳。子供のような勢いでドアを開けた、見掛けだけなら誰もが惑うような美女を相手に、彼は溜め息をつく。

「……今日『も』の間違いじゃないか」

「そんな細かいことは気にせずさっさといくぞ! 支度!」

「はいはい……」

 彼――ライナは読みかけの本に(しおり)を挟んで閉じ、机の上にコトンと置いた。

 ――あれから二年ほどの月日が経った。

 あのとき彼女――セイラ・フィルグラント――に付けられた「ライナ」という名を彼は未だに使っている。それはつまり、彼が未だに本来の自分の名を思い出せていないということでもあった。

 彼は古城から保護されて以降、セイラのフィルグラント伯爵家にこの二年の間、ずっと世話になっている。

 この家で彼は「保護」というより、親しい客人といった扱いを受けている。元から旧知の間柄のように親しげに接してくるこの家の人間のおおらかさに、最初こそは言葉や未知の習慣の壁以上に戸惑ったが、今はとても心地が良かった。

 言葉に関しては意外にもすんなりと、順調に覚えられた。まだまだネイティブとして喋れるほどではないが、日常生活の会話をする分にはもうほとんど問題はない。最近は読み書きの勉強もしている。どうやら元の世界で語学として学んでいた言語に近いらしい。――「らしい」というのは、自身がネイティブとして使っていた言語とは明らかに違うはずなのに、何か馴染みがあったからだ。一時期その言語文化圏にいたか、それとも何か目的があって勉強したのか。今のところそういう推測に留まっている。

 そしてその程度しか判っていないということは、当然記憶の再生の進捗も(かんば)しくなかった。時たま何かをふっと思い出すことはあるが、この世界にとって革新的な情報は今のところ引き出せていない。少なくともライナ本人にその自覚はない。

裏界召喚(りかいしょうかん)」について、自分がなぜ喚ばれたかも教えてもらった。

 生きとし生けるものの過ごす「現世」は最低でも二つ以上の「世界」で出来ているという。一つは今自分が居る、召喚されたこの世界。もう一つは自分の魂が本来在ったであろう世界。この世界の住人は、自分たちのいる世界を表として考えてなのか、もう一つの世界を「()(かい)」と呼んでいるそうだ。

 裏界の人間はこちらの人間が当たり前のように持つ「ある力」を持たない。

 分かりやすい例を挙げるならば、例えば単純に筋力だけでは動かせないような重いものを持つこと、動かすこと。

 例えば道具もなしに物体を熱すること、冷やすこと。

 例えば何もないところに人為的に小さな(いかずち)を発生させること。

 例えば自由に風を起こし、自在に操ること。

 これらを()す力を「理力(りりょく)」というらしく、こちらの世界の人間は誰しも生まれたときから持っているものだそうだ。赤子が産まれて成長するにつれ、まず四肢で歩き、やがて二足で立ち上がり、言葉を喋るようになるのと同じように、自然と使い方を体で覚えていく。

 元いた世界の記憶がほとんど無いとはいえ、この世界に来てからは日常生活の中でも驚きの連続だった。理力によって当たり前のようにこの世界の人々が起こす現象が「自分の知っていた常識ではありえないこと」という認識はすぐさまに成立した。

 そんな、この世界の人々から見ればあまりに不完全で劣っているはずの裏界の人間の魂を、なぜ欲するのか。それは(ひとえ)に「知識」のためだった。

 裏界の人間は理力を持たないが、彼らはまるでそのハンデを(くつがえ)すかのように発達した文明を有していた。古来より、稀に裏界から迷い込んだ魂が記憶を有したままこちらの肉体に宿ることはあったそうで、彼らの(もたら)す知識は時として世界を動かした。

 昔、ある王はその治世において市街や交通の整備、公衆衛生という概念の定着、今も受け継がれている統治機構の基礎構造の確立、挙げ句に現在使われている広域共通言語の考案まで行ったとされる。彼はこれらの偉業を成し遂げたことで、文明の水準を数百年推し進めたなどと評する学者もいるそうだ。

 そしてそれを成し得たのは彼が裏界の人間であり、裏界の知識を活用したのではないかと、未だに歴史・文化学者などの研究対象にされているらしい。

 また、ある王は戦場にてそれまで誰も思いつかなかった奇策や、利用概念自体がまったく新しい武具、兵器などを投入し、破竹の進撃を果たした。それらは一度知ってしまえば真似できるようなものが(おも)だったが、当時のこの世界の人々にとってはそのほとんどが初めての経験であり、戦争の常識そのものを破壊し尽くすかの王の進撃に対して為す術がなかった。

 やがて武によって大帝国を築き上げ皇帝となった彼の傍らには常に、素性の一切が不明の軍師がいたという。その人物こそが裏界からの転生者なのではないかと後の世では考察されている。

 そのような歴史から「裏界の人間の持つ知識は莫大な力、権威、富を齎す」と考えられるようになった。故に、成功例があるかどうかも分からないというのに、人為的な裏界人の召喚を試みる者が後を絶たないという。

 裏界人の召喚の手法は確かなものが確立されていない訳だが、その多くは共通して多数の人間の生命力と引き換えに行われてきた。今回も雇われ集められた学士――理力の扱いに()けた専門士をそう呼ぶ――のほぼ全員が使い捨てとされた。元からの組織の構成員とて、皆が無事とはいかなかった。

 そのような事情からいたずらに民を犠牲にする悪賊として、現代では裏界召喚を試みる者、組織は国から取り締まられることが多い。この国――リヒテイン王国でもそれは類に(たが)わず、あるとき地下組織の一つが遂に裏界召喚を成功させてしまったいう情報がフィルグラント家に入った。――その後はライナも知る展開だ。

「おーい、用意はまだかー!」

「はいはい、今行きますよー」

 扉の外の落ち着きのない子供のようなはしゃぎ声に返事をして、小さな出掛け用の鞄を持った。

(……やはり心地いいな、この生活は)




「おーい、姫さんー、今日は珍しいものがあるぜー」

「やー、おっちゃん、なになにー」

 もう既に何度も見た光景だったが、無邪気にはしゃぎ屋台に駆けていく彼女の姿は、とても若くして華々しい戦果をあげた、麗しの女騎士のものとは思えなかった。

 ――リヒテイン王国の王都ライツェン。三重の街壁に囲まれた繁都のなかで最も広い外(かく)区に存在するフィルグラント家の別邸に、現在セイラたちは滞在していた。

 セイラもライナも普段はフィルグラント伯爵領の本邸にて過ごしているが、ライナの記憶の再生についての報告のために、定期的に王都に通っている。それには当然ライナの身を預かっているセイラと当主であるセイラの父も同行している。毎回一週間ほど滞在し、領地に戻ることとなっている。

 今回は宮廷機関側の都合により、予定通り王都に到着しというのに数日の間暇を持て余すことになった。……それを良いことに、セイラは毎日のようにライナを街に連れ回していた。

 フィルグラント家別邸のある外郭区は王都のなかでは下町にあたる。それ故に、セイラにとっては気軽に遊びに出掛けやすいのだ。なにより自領の領都に雰囲気、勝手が近しい。

 近隣住民たちのほうも、昔から王都に逗留(とうりゅう)する度に、隙さえあれば街に繰り出しては自由奔放に、明るく快活で純真な振る舞いをみせていた彼女にすっかり慣れ親しんでいた。絵画から飛び出してきたような整った容貌とお転婆すぎる本性とのギャップから、いつからか(なか)ば面白がって「姫さん」と呼ばれるようにもなっていたそうだ。小さい頃からそんな風だったので、お付きの人たちはなかなか苦労したそうだ。それは想像に易く、心から同情した。

「おい、ライナ! これは美味いぞ! 鳥串というそうだ」

「……分かったから落ち着いて」

 ライナはフィルグラント家では旧知の親しい客人のように持て成されている。――が、彼女に至ってはもはや幼馴染みの親友か、あるいは兄弟姉妹のように接してくる。しかも、良くも悪くもかなり距離が近いタイプの。

 彼女には今まで同世代の親しい友人というものがあまりいなかったらしい。なまじ名家の令嬢であるが故に、こんなお転婆でも平民では迂闊に近寄りがたく(今は街の人間もすっかり慣れてしまっているが)、かといってやや特殊な家柄であるため、同列の貴族らとの付き合いも薄かった。さらに一人娘で兄弟姉妹もその他同年代の親族もいないときた。そういった背景もあって、(おそらくは)近い年代であまり遠慮のいらない、家族のような存在ができたことが本当に嬉しくて仕様がないらしい。

 あの古城で彼女と邂逅(かいこう)した際には、本当に凛々しく美しい騎士様だと思った。あの時期の記憶はかなりぼやけているが、名を貰ったその瞬間は、一枚の絵画のように脳裏に焼き付いている。……が、その鮮明な記憶さえも疑いたくなるほど、彼女は子供のような無邪気な顔ばかりを見せる。

 ライナは言葉を覚えるのが早かった。そして知識欲もそれなりに旺盛だったため、直接指導していたセイラは嬉しくて仕方がなかった。彼女は根は武闘派であるものの、非常に知識欲が強く、様々な方面の知識に通じる博識であり、ライナに教えられることはいくらでもあった。――()って、調子に乗って化けの皮が剥がれるまでもあっという間だった。一応最初は凛々しい騎士像を保ちたかったらしかったが、そんな時期はほとんどなかった。

 彼女はライナが若干辟易するほどに知識を与え、さらに館の外の世界を連れ回した。それは確かに、ライナにとっても有意義な時間だった。この新しい世界を目で、耳で、鼻で、肌で感じることができた。

「はいよ、これにーちゃんの分ね」

「なんだろう、小口に切った鳥の肉に何かのソースを塗って木? の串に刺して焼いているだけのはずなのに、やたら美味い。やっぱこのソースのせいか?」

「……とりあえず食べてから喋ろうか」

 余程舌を(うな)らせたのだろうか。溜め息をつきながら、ライナも屋台の親父さんの差し出したそれを手にとる。

 ここらではあまり見かけない、金串ではない木の串――いや、これは普通の木ではないような。……ともかく、串にささった鳥の肉の表面に黒っぽい半透明のソースが塗られ、少し焼け目がつくほどこんがりと焼かれていた。おそらくソースのせいか、やたら香ばしい匂いがする。この辺りでは嗅ぎなれない、風変わりだがやたら食欲を誘う香ばしい匂い。……これはフィルグラント領でもおそらく知らない匂いだ。だが――。

(あ、これもしかして……)

「――ッ!」

 頭の中に亀裂でも入ったような気がした。ぐらりと世界が歪む。これはやはり――。




 気がつくと、左右を家屋に挟まれた路地裏のような場所で空を見上げていた。

「あ、目ーさめた?」

 もう聞き間違えようのない声と共に、視界の端に陽光に煌めく金髪が揺れた。少し間をおいてようやく何があったかを思い出し、そして今、自分が彼女に膝枕をされていることに気づき、さすがにこれは恥ずかしくて慌てて身体を起こそうとした。

「痛ッ……」

「あ、まだ無理しちゃ駄目!」

 顔に手のひらを押し付けられ、無理やり膝の上に頭を寝かされる。額を抑えればそれだけで十分だというのに、手のひらで顔面ごと抑え込むところに彼女らしい雑さを感じる。肌で感じる彼女の手のひらは外見で想像するよりもごつごつとしていて、少し固い。ぱっと見、外からは綺麗な肌をしているように見えるが、彼女はこれでも武人だ。武器を扱う手のひら、指のひらは固くごつごつしているし、スタイルの良い身体は筋肉で引き締まっている。

 だが、今頭を乗せている両膝はなんだかすごく柔らかく、安心できる気がした。

「僕は……また、あれですか」

「そうみたい。すぐに気を失ったからとりあえず休めそうな場所まで連れてきたけど……何か思い出した?」

 フィルグラントの家では、以前の組織にいた頃のような積極的な記憶の呼び起こしは行っていない。あれこれ見せたり聞かせたり切っ掛けは与えるが、あとは自然に思い出してくれたらいいというスタンスだ。確かに色々な事物を見聞していると、ときたまそれが魂の奥底に眠る記憶に掠ることがある。上手くいけばそのままスッと思い出せるが、酷いときはこのように頭痛と共に最悪その場で昏倒してしまう。

「……ッ!」

「あぁ、無理に思い出そうとしなくていいから!」

 昏倒したあとでも何があったか経緯を辿れば、記憶の掘り起こしに成功することもある。だが、今回は難しいかもしれない。頭痛がかなり酷い。――だけど、思い出したい。なんだかとても懐かしい感覚が脳裏を、心を(よぎ)った気がしたから。

「僕……倒れる前、なにしてましたか」

「えっと……私が屋台で鳥串とやらを買って、食べてみたらすごく美味しくて、それで君にも一本買って渡して……うん、それを一口食べたあたりで、たぶん」

 そうだ……そうか、あれはどんな味だったか。

「もしかして、故郷の料理に似ていた……?」

「……どうだろう。今はもうこれ以上思い出せなさそう。……あとであの料理の詳細を調べておいてくれない?」

 頭痛は未だに引かないが、ある程度意識はすっきりしてきた。そして、何だかこの件はこのまま見逃してはいけない気がした。食べ物で記憶を想起したこと、しかけたことは今までも数度あったが、今回は今までよりも……なんと言えばいいのだろう、魂が欲しているような気がした。もしかすると好物か何かだったのだろうか。

「わかった。でも、とりあえず今日はもう少し休んだら帰ろう。ね?」

 瞼を閉じ、目でそれを了承した。気になって仕方がないが、今無理するものでもないのだろう。また明日来てもいいし、そうでなくとも彼女があとで家の人間を遣って調べてくれるだろう。

 フィルグラントの家での彼の待遇はとても優しかった。時たま彼が今回のように過去の記憶と接触しても、決して無理に情報を引き出そうとはしなかった。宮廷機関の担当官や他の貴族からはもっと積極的に取り組むべきだとせっつかれたが、その姿勢は変えなかった。

 ――それが(あだ)となり、生涯忘れることのできないこの凶日へのカウントを進ませてしまっていたことを、彼は知らなかった。想像すらしていなかった。


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