2-6 進路
「……やはり君の言う通りだったね」
暗い山道を馬でゆっくりと進みながら、セイラは呟いた。
当初セイラは、アリアンから受け入れの合図が出た時点で全面的に信用するつもりだった。彼女が裏切るはずがない、と。
そこに待ったを入れたのがライナだった。
「いくら本人が信用できる人柄、間柄であろうと……仕方なく裏切ることもある。君の言う通りだ。彼女の場合はたぶん家族を人質にでも取られた、ってところかな……」
セイラの表情は見えないが、その声からはあからさまに活力が失せていた。
無二の親友が敵の魔手に既に落ちていたのだ。想定していた事態とはいえ、現実に目の当たりにしてしまったとなると、その心痛は計り知れない。
セイラとアリアンは同じ兵学校の同期ではあったが、共に学んだ期間は本当に僅かだったそうだ。
本人も関係者も、誰もが最初から分かっていたことだったが、アリアンはやはり体格的に到底兵士には向いておらず、かといって強力な理力の使い手というわけでもなかった。
ただ、理力の出力は小さいながらも微細な扱いには長けていて、なにより座学が優秀だったことから、入学からあまり間を置かずして工兵育成や兵器の研究、開発などを行う工学科に転科したそうだ。
そんな僅かな期間の間に、彼女はセイラの友人となった。それも無二の親友に。
セイラは文武すべてにおいて優秀だが変わり者過ぎるため、兵学校でもあまり友人はできなかったらしい。その中で唯一、親友と呼べるほどになったというアリアンは、よほど波長が合ったのだろう。
「でも、そんな危険な状態……喉元に刃を突きつけられているような状態でさ、いろいろ用意してくれてさ……。こんな恩、どうやって返せばいいのさ」
「そうだね。危険はあったけど、結果としてはとても助かった。まともな旅支度なんてできないままここまで来てたし」
「あぁ、本当にありがたい。……この鞭、『雷蛇』もさ、彼女が作ったものなんだ。彼女が昔作った私専用の武器。……というか、研究過程の試作品かな。
鞭に流し込んだ雷を逃がさず、半固定化して長い光の鞭のようにして振り回すことができる。
はっきり言ってとんでもない新技術を使った代物なんだが、当時は私しか扱えなかった。高い理力の出力量と調整技術の両方が必要でね」
「へぇ……。やっぱりそれって、相当すごい物だったんだ」
「ただ、それ以上研究結果が実を結ぶ前にアリアンは領地に戻ることになっちゃってね。その後、研究がどうなったかは私も知らない。でも、この試作品はちゃんと忘れずに取っておいてくれたみたいだ。厩舎にさりげなく置いてあったよ」
「あぁ、荷物の中にでもあったのかと思ったら、そういうことか」
「荷物は……たぶん、あまり不審な物は迂闊に入れられなかっただろう。……わざわざダミーの鞄を用意するほど警戒してたってことは、さ」
「……すでに屋敷の中にまで敵の目が届いていた、ということ?」
「あぁ、おそらくそうだ。あそこまでまどろっこしいことをしたってことは、そういうことなんだろう……」
常に敵に会話を聞かれている可能性もあり、アリアンはその前提でこちらと接していたのだろう。だから、表立って怪しいことはしていなかったはずだが……。もし、故意に逃走の幇助をしたと睨まれた場合、彼女はどうなるのだろう……。
そのまま二人はしばらく黙り込んだ。
夜空には相変わらず大きな雲がいくつも漂っているため星月の明かりは頼りなく、人工の明かりも届かない山道の闇は深い。まったく見えないわけではないが、セイラの夜目をもってしても、馬を走らせることなど叶わない。故に、馬の歩みは遅く、静かで、時折吹く風に揺られた葉のさざめきのほうが大きく聞こえる。
「さて、ここらでいいかな」
セイラは馬から降りると、鞄の中から携行ランタンを取り出し、小さな灯りをつけた。
「ここまでありがとうね、良い子だ」
セイラが馬の後ろ首を撫でながら労っている間、ライナはうーん、と伸びをしていた。そのまま体のあちこちを伸ばして固まった体をほぐしていると、ランタンの小さな灯りで照らされているセイラと目があった。
「ん? どうかした?」
「いや、この前から思っていたんだが……。ライナ、君の故郷はとても平和な世界だと思っていたが、今回の件といい、やけに場慣れしてないか? 今回の罠の件も、確かに言われてみればその通りだと私もすぐに気づいたが……」
「んー……そう言われればそう、なのかな」
今まで思い出せた記憶の断片から、ライナの魂が本来在った故郷は戦争などとは無縁の、平和な場所だと推測されていた。ライナ本人もなんとなく、直感的にそうだと思っていた。
実際に、血を見るのもとても苦手だった。王都で血のべっとりとついた剣を見たときは本当に血の気が引いた。
「なんとなく、なんだけどさ。どうも僕はこの状況を俯瞰的に見れている気がするんだよね。ちょっと上手く言葉で説明できないんだけど……」
間違いなく当事者であり、危険な目にも十分あっている。けれど、時折気づけば俯瞰的に、まるで世界の外側から自分たちを見ているような感覚に陥っていることがある。――もしかすると、無意識に自分がこの世界の異物であり、外側の存在だと認識しているのだろうか。
「俯瞰的、か。確かに私も外から状況を見られていれば、他にも色々気づけたことがあったかもしれない、か……」
セイラの声色がまた沈み込む。やはり無二の親友を巻き込んで危険な目にあわせてしまった罪悪感、後悔に苛まれてしまっているのだろうか。
「で、これからどうする?」
「……やはり一旦ガルドに向かってみようと思う」
「え、あれは嘘情報だったんじゃ?」
「いや、あの時アリアンが示したルートに関しては否定の情報だったが、ガルド領軍が再編中という話に否定はついていなかったんだ。これを見てくれ」
セイラは地図を地面に広げて、ランタンの柔らかい灯りで照らす。
「彼女は嘘である合図とともに、こっちの、北側のルートを指し示した。けれど、此処からガルド領へと至るルートは他にもある。そして彼女はガルド領軍の再編が行われていて、隙が出来ていることそのものは否定しなかった。……つまり、他のルートからなら隙がある。きっとそういうことなのだろう」
「なるほど。……ってことは、ルートは違うけどアリアンの提案通りレグラントに渡るの?」
「それは……どうしたものかな」
そう答えるセイラの声は少し弱々しく、明らかに意思の迷いを含んでいた。
「国外脱出という手は、そもそも考えていなかったんだ。アリアンから提案されたときも、まったくの予想外の提案で動揺を隠すのに必死だったよ」
「あ、そうだったんだ。確かに今まで国外行くなんて話、一度も出てなかったね」
「あぁ。父上や領地の皆を置いて国を出るなんて考えもしなかった。だが……」
「敵があまりに狡猾すぎる、か」
「……そうだね」
セイラの無二の親友であるアリアンが事前にマークされていたのは確かだろう。しかし、やはりどうも情報伝達が早すぎる。
街から脱出する際に遭遇した兵の数もセイラの想定をかなり超えていた。せいぜい屋敷を囲んでいる程度だと踏んでいたそうだが、街中にも複数の伏兵がいた。あれだけの伏兵をいつから用意していて、どういう指示系統で動かしていたのだろうか。
まだ確証はない。けれど――。
「君の言っていた情報伝達技術の話、ますます信憑性が高くなってきた気がするよ。だが、今は目の前の話だ。一旦敵の絡繰りは置いておいて、直近の行動を決めなければいけない。……それで、だ。なんでガルド領へ行こうって話になったかっていうと、ガルド候の動向を窺いたいからだ」
「ガルド侯爵の? 確か国内最大の武力を持つ貴族なんだっけ」
「そうだ。そして東のレグラント公国に対する防壁を担う、このリヒテイン王国の盾であり、剣でもある存在。そのガルド侯爵家の現当主ジリアス・ガルド侯は非常に高潔で、何より王家への忠誠心の篤い人だ。あの人ならヘンツェルに加担するようなことはないと私は踏んでいる」
「知り合い?」
「多少、だけどね。お互いちゃんと顔は覚えている。まぁ、だからと言って私の肩を持ってくれるとは限らないが。それでも王家への叛逆に加担しているなんてことはないはずだ」
「なるほど」
「……正直なところを言うと、他にもう手が何も思い浮かばないんだ。アリアン以外にも頼れる相手が全くいないわけじゃない。古い付き合いのある家も本来なら頼りにできるはずだが……今までの手口を考えると……」
「すでに抑えられている可能性が高い、かぁ」
「そうだ。正直もうお手上げだ。アリアンが国外逃亡を勧めたのも、すでにそういう状況をある程度察していたからかもしれない。……でもなぁ、レグラント行ってもなぁ、行けたとしてもアテは何もないんだよなぁ……」
「そもそもの話しさ、割と近年まで戦争してたんじゃなかったっけ?」
「最後が五年前だね。つまり君が喚ばれる三年前」
「……それ、まだめちゃくちゃ最近ってことなんじゃ」
「まー、あっちも色々政治的な訳ありだったから、そこまで大きな全面衝突の戦争ってわけでもなかったけど。でも、現状王国にとっての唯一の仮想敵国に変わりはない。……その上さ、私が個人的にお尋ね者になってるかもしれないし」
「どういうこと?」
「いやー、私が手柄を立てて騎士としての名を上げたのがあの戦いだったからさ。しかも、かなり派手な立ち回りをしたし」
「あー、要注意人物ってことで目を付けられているかもしれないってことか」
――雷閃の騎士セイラ・フィルグラント。セイラがそんな二つ名つきで呼ばれるようになった切っ掛けがその戦争のことらしい。雷と風を操り、騎馬で戦場を縦横無尽に駆け抜け、大きな戦果を上げたとかどうとか。元からその優秀さと変人っぷりから貴族や武人の一部界隈では有名だったセイラの名が、大きく広まることになった戦争の話はライナも軽く聞いたことがあった。一部では「閃光姫」とも呼ばれるようになったらしい。
「たぶん、ね。でもそんなことアリアンは重々承知だろうし、それでもレグラント行きを提示してきたってことは、やっぱり本当に他に打つ手がないということなのかなぁ……。……と、いうわけで、この子とはここでお別れして、東に切り返してガルド領に向かうことにする」
リーツェ家から拝借してきたこの馬は、アリアンの言っていた通りやはりなかなか良い馬だったようだ。アテナのような規格外ではないが、街を脱出する際にセイラの無茶に十分応えてくれたし、こんなろくに視界の利かない暗闇の中でもちゃんと付き合ってくれた。
「夜が明けたら捜索隊が来て、すぐに見つけるだろう。結構無茶をさせてしまったから、西に向かって移動中に歩けなくなって捨て置いたように見せかける。……どの道、この子じゃ道のない山野は抜けられないしね」
「……やっぱりアテナは屋敷に連れていかないほうがよかったのかな」
「いや、どっち道そろそろあの子はちゃんと休ませないと限界だった。連日かなり無茶をさせてしまっていたからね。だから仕方がない」
連日十分に休めないまま、道無き山野を駆け抜けてきたのだ。いくらスタミナ面でも優秀なアテナといえど、やはりそろそろ限界だったようだ。しかし――。
「敵の手中というのは不安ではあるが、稀少な馬だ。あまり無碍な扱いはされないだろう。それにもしかしたらアリアンがどうにかしてくれるかもしれない。だからきっと大丈夫だ」
……これは明らかに空元気だ。長年連れ添った愛馬が得体の知れない敵の手に落ちて、何も思わないはずがない。けれど、それを気にして歩みを止めるわけにもいかない。だから、ライナはそれ以上はアテナについて触れることをやめた。
「そういうわけだから、ここからは道なんてない山中を徒歩で移動だ。……かなりしんどいことになってしまうが、すまない」
「僕はそれで構わないよ。どの道僕は一人では何もできないから、ただ君についていくだけだよ」
「それもそう、か。……あぁ、そうだ、私は君を守らなければいけないんだったね」
ライナの身を守ることは自分の責務である。……ライナはあえてそのプレッシャーをセイラに与えていくことにした。
――あまりに敵の手が狡猾すぎる。故に、ライナは自分が枷となることにした。セイラが迂闊に、その場の感情に流されて動いてしまわないように。
前回の後書きに「何事もなければ次話は土曜に更新予定」と書いたところ何事かあったので遅れました、すみません。