待ち望む、彼
伊織ライ様の「#頭結縛り短編企画」参加作品です。
「あなたを愛することは出来ない」から始まり、「あなたの顔が見たかったの」で終わる短編です。
「あなたを愛することは出来ない」
そう言った彼の顔は、苦渋に満ちていた。それだけが救い。
彼とは、裏通りにある街の酒場で出会った。街に馴染む服装で、酔っ払いのような足取りで、それでいてどこか浮いた顔立ちの、綺麗な男だった。幾度と居合わせると、なんとなく話すようになり、いつの間にか気心知れた友人のようになった。
彼──ロイは、いつもふらりと現れた。私を見つけると目元を緩ませて近づいてくる姿も、感情のまま話す私に微笑んでくれるところも、次第に愚痴を聞かせてくれるようになったことも、私を満たしてくれた。語り合う場所はいつしか私の家となり、互いに惹かれていたのだろう、二人の時間がとても大切でかけがえのないものになった。
愛していたし、愛されていた。だから肌を合わせるようになったことも、ごく自然なことだったのだ。なのに。
「どうして、と聞いてもいいの」
本当はわかっていたことだった。彼の魅力は、ただの街の男ではあり得なかった。だからいつかこんな日が来るだろうと。
「……本当は何も言わずにあなたの前から消えなければならなかった。が、耐えられそうにない。俺は……いや、私の名はロイモンド。この国の、」
ああ、もう知らない振りはもうできないのね。私は恭しく頭を下げた。
「──第一王子様。わかりました。この関係が終わる、そういうことですね」
見えなくなった彼の顔は、なお苦しんでいるだろうか、それともほっとしているだろうか。
ロイには決められた結婚相手がいるらしい。それはそうだ。この国を支えていくだろう二人の姿が見られる日は、お祭り騒ぎになるほどで。遠巻きにでも姿を見られれば、私の心も高揚したものだ。
「国のため義務のため結婚しなければならない。もちろん大切な存在ではあるが、誓って、彼女との間に愛は無い。だから、」
あなたに困ったことがあれば必ず力になろう、もしいらなくとも売れば金になるだろうから。
そう言って渡されたのは王家の紋章が刻まれた懐中時計。
本当に申し訳なさそうにロイが言うから、言いたいことは全部飲み込んだ。こんな日が来ることは薄々勘付いていたから、耐えられる。耐えなければ。
「本当に、あなたのことを愛していたんだ」
全ては過去のことなのね。別れの抱擁さえ、私を縛るというのに。本当に酷い人。
そうしてロイが私の前から消えてすぐ、第一王子殿下の結婚という吉報が街中に飛び交った。全てわかっていたことだけれど、少しでも逃れたくて、王都から離れた街へと移った。
私の様子を知った宿屋の女将がとても良い人で、しばらく滞在していいと一室用意してくれた。不安もあったから優しい心遣いに甘えることにした。
当たり前だが、ロイからは音沙汰がない。私も連絡しようとも思わなかった。薄れゆく思い出を、渡された懐中時計がなんとか留めていた。あの幸せな時間が夢ではないと証明できるものはこれだけだった。
いくら王家の紋章入りでも、縁もない愛人の平民が掲げて効力があるの。それに王家の紋章を売るなんて、騙されて取り上げられるか盗人扱いされるに違いないわ。
気の利かない最後の贈り物は机の引き出しにしまってある。このまま使う機会がこなければいいとただ思う。
大きなお腹をさすりながら痛みを逃す。つい視線をやってしまうのが机の引き出しだというのも嗤えるものだ。
女将のおかげで医者も呼んでもらえた。気力も体力も使い果たして、ようやく聞こえた産声はか細く。けれど鮮明だ。
──ああ、やっと。やっと夢ではなかったと信じられる。
生まれたばかりの子をそっと抱きしめた。彼に似た金色の髪は、宝物のよう。
「ありがとう、無事に生まれてくれて。ずっとあなたの顔が見たかったの」
待ち望んでいるのは、私か、王子か。
実は、王子は懐中時計持って会いに来てほしいと思ってます。が、王族は何かとしがらみも多く面倒なので、自分から関わってほしいとも言いにくく、女性側が覚悟決めて自らきてくれたらいいなーと思ってるチキンです。