第一話 タルキの仕事
朝日が燦々と降り注ぐ、藁葺き屋根の家。
ガタガタりと、建付けの悪い扉が開く。
黒髪の子供が両手に桶を持ち出てきた。
桶を地面に置くと、雲一つ無い青空に向かって両手を上げ、身体を伸ばした。
子供の名前は、タルキ。
年の頃は、13才ほど。
短く切った黒髪に、茶色の帽子を被っている。
茶色の長い上着を黒と黄色と灰色の紋様の帯で締め、黒いズボンに革の靴。
一見少年にも見えるが、女の子である。
タルキは、大きな黒い目を水が張った桶に向け腕を捲る。
その手にはブラシが握られている。
バシャリ
桶に飛び込んだ両手、上がる水飛沫。
桶がガタガタと揺れた。
揺れが激しくなり、バッシャバッシャと桶が跳ねて、タルキの両手から飛び出した。
ひっくり返った。
伏せた桶の端から、すっと白いものが出てきた。
柔らかい餅のようなそれが、桶を弾き飛ばした。
飛んだ桶は弧を描きながら、空へと上がっていった。
どっかで、男の叫び声が上がる。
「困ります、ご主人様。おとなしくしてもらわないと洗うことができません。」
タルキは、桶の下から現れた二枚貝に向かって言った。
タルキの頭くらいの大きさの巨大な二枚貝だ。
黒地に白い線が入っていて、茶色い斑点もまばらに散っている。
「何がご不満なんですか?ブラシはシッドの毛、洗剤はモース苔製です。」
「不満しかないッ!」
二枚貝は、バクバクと貝殻を開閉し、2本の水管を出した。
「なぜ私が!この私が!そんな最下級のものに触れられなければいけないのだ?!」
「それは、だって仕方がありません。」
「うあッ!止めろ!それをかけるな!5日はひどい匂いがとれないんだぞッ!ああッ!!ブラシがッ!ブラシがーッ!頭の中を引っ掻くような音がする!」
二枚貝の水管や舌の抵抗をかき分けながら、タルキは、ごしごしと泡立つブラシで貝殻を擦る。
「おい!!おい!!止めろ!止めないか!タルキ!!止めないと首だッ!!」
ぴたり
タルキの手が止まった。
タルキの眉がひそめられる。
「それは困ります。無職では、飢え死にしてしまいます。」
「そうだろう。さあ、もっと品のあるもので私を磨き立てるのだ。」
二枚貝は、にょっきりと出した水管の先をゆらゆらと左右に揺らす。
「けれど…」
「早くしろ。」
「やめたほうが…」
「うるさいぞ。」
「いいと思いますが…」
「だまってやるのだッ!!」
タルキの片手には、ふわふわの毛布。
もう片方には、花の香りの石鹸。
「よいではないか、よいではないか~」
「よくないと思いますけど。」
ほくほくと水管を揺らす二枚貝に、タルキが手を伸ばした時、
突風がタルキの前を吹き抜けた。
タルキの手から風にかっさらわれた二枚貝は、破壊音を立てながら、隣近所の家々に突っ込んでいった。
「やっぱりじゃないですか…。」
タルキは、ため息をついて、そして己の主人である二枚貝を回収するべく駆け出した。
水を張った桶の中で、おいおいと泣いている二枚貝。
涙の代わりなのか、伸びた水管からビャー、ビャーと水を吹き出している。
「なんたる不条理、不運!不幸!どうして私がこんな目に!」
「それは、ご主人様の尻が軽かったからです。」
「なっ!しりッ?!しッ…!なんて品の無い言葉を使うのだ、おまえというヤツはッ!」
「だって、他の神様が言ってました。」
「愛がッ!愛に溢れていると言いなさい!私は他の凡庸なヤツらよりも抱く愛が大きいのだ!」
「けど、他人の恋人とか、奥様とかに手を出すのはよくないと思うので、不運で不幸な二枚貝にされても仕方ないと思います。」
「ぐッ!ぬッ!仕方なくもないわッ!!!」
不穏な二枚貝が、桶の中でガタガタと震える。
「三界一の美神と言われたこの私が、こんな珍妙な丸貝にされるなど、許されない罪だッ!そうは思わないのかおまえは?!」
光輝く黄金の髪、深緑の目
美しき男神 ズナカナ
女も男も彼に惹かれ、
その足元かしずき、愛を乞うた。
そんな男神の側は、
「戦場でした。」
「なに?!」
「いつもご主人様をめぐって、殺し合いが起こって大変だったのに、当のご主人様はどこかへフラリといって、また新しい恋人を連れて帰ってきてました。もぎたいと思いました。」
「もぎ、なにをだッ?!」
タルキは、桶の中を覗き込む。
「だから」
「タルキ?」
真黒な目が、二枚貝にのしかかる。
「ご主人様は、そのままでいいと思います。」
「そ、そうか。」
夜、ベッドの上で寝ていたタルキは、パチリと目を開けた。
むくりと起き上がり、ベッドの上から降りると、床の上にある桶の側にいく。
桶の中にいる二枚貝は、水管と脚を桶の外に投げ出しながら、寝ていた。
「………」
タルキは、両手を広げて、桶をぎゅっと抱きしめた。
少し口元を上げた顔をして。
しばらくそうした後に、ベッドに戻り、タルキは再び眠りについた。