夢を追いかけ続けた実録
これは、自分と夢を信じ続けた男の実録である。
※風評被害を控えるために先に述べておくが、私はSNSやYoutube、その他配信サイトなどでギャンブルをしている旨を述べたことはない
果たしてクレジットカードを借金だと認識できている人間はこの世界の何割を占めるだろうか。9割か?いや5割か?私はもっと低いと思う。
では、消費者金融を借金だと認識できている人の割合はどうだろう?きっと99%を超えるだろう。これは、その1%に満たないギャンブル依存症の遺書である。
出会いは飲み会だった。ふとした時友人がこう言った
「ポーカーって知ってる?」
彼はいわゆる流行り物を浅く広く好むような男で、ポーカーというものに興味があるから、そういった“遊び“に造詣の深い男に問うたのだ。
「おう。知ってるよ。やってみる?」
そこで、飲み会でポーカーをすることになった。“遊び”に造詣の深い彼は当然ポーカーも知っていた。彼を覗いた全員が初心者ということでお金などは賭けず、チップの代わりに硬貨を使って(但しこの硬貨は行き来に関係なく終わった後、すべて元の持ち主の元へと帰った)遊んだ。
”遊び“に造詣が深い彼と一番と言っていいほど仲の良い私は当然それに加わった。
ポーカーというものは昔、パソコンでゲーム内通貨を使ってやったことがあったし、その時は特に楽しいとは思わず、むしろブラックジャックなどの方が面白いと思っていたため、その時は正直、期待など微塵もしていなかった。
そして、そこで行われたのはNLHと呼ばれる私の知っているものとは全く異なるゲームだった。
確かに役は一緒だ。ハイカード(ブタと呼んだ方がなじみ深いかもしれない)、ワンペア、ツーペア、スリーカードなどの役は同じなのだが何もかもが違っていた。
これは後に知るのだが、私が昔やっていたポーカーは“ビデオポーカー”と呼ばれるもので、5枚のカードが配られて、そのうち何枚かを交換して、できた役の強さ或いはディーラーとの勝敗などに応じてチップがもらえるというものだったのだが、これはあくまでビデオポーカーという名前の通り、ゲームセンターに置いてあるゲーム機のようなもの(実際にカジノに置いてあるものはそこでリアルマネーをかけるわけなので、日本で言うところのスロットに近いイメージなのだが)で遊ぶ簡易的なゲームであり、今世界で主流となっているポーカーは全く異なるゲームだったのだ。
NLHの簡単なルールを説明しておこう。まず、このゲームにディーラーは参加しない。(或いはディーラーが参加する場合もあるが、その場合はプレイイングディーラーと呼ばれ、トランプを配るという点においてだけ他のプレイヤーと異なるだけで、あとは他のプレイヤーと全く同じ条件で戦うためここでは割愛する)
このゲームは“プレイヤー同士の戦い”なのだ。
ではどうやってカジノが儲けているかというとプレイヤー同士でチップ(お金)を賭けて勝負し、勝った人に渡すチップのほんの数%を手数料としてもらう。これと、場所やトランプを配ったり役の判定をする“ディーラー“、この点においてのみカジノが関与しており、基本的にポーカーの戦いにカジノは関与しない。
さて、話がそれてしまったが、プレイヤー同士での戦いはどのように行われるのかというと、ビデオポーカーのように5枚のカードを配って戦うというわけではない。(正確にはドローポーカーと呼ばれるゲームでこのようななじみ深い5枚のカードを配って交換して戦う種類のポーカーもあるが、超マイナースポーツであり例外的なためここでは無視する)
まず、NLHは2枚のカードをプレイヤーに配る。そして、ベットラウンドが始まり、プレイヤーはベット(チップを賭ける)したり、レイズ(掛け金を上げる)したり、コール(上げられた掛け金に応じる)したり、フォールド(戦いから降りる)したりするのだ。そして今度は表向きに3枚のカードが場に置かれる。この3枚のカードは“全員に共通”のカードであり、全員がこの3枚と自分の持っている2枚で役を作ることとなる。ただし、ここではまだ個人に配られた2枚のカードはオープンせず、戦いは発生しない。そしてまた、ベットラウンドが始まる。そしてベットラウンドが終わると、今度は更にもう1枚、コミュニティーカードが足される。そしてベットラウンドが始まり、また、コミュニティカードがもう1枚配られ、ベットラウンドが終わると、ようやく最初に配られた2枚のカードをオープンして、ようやくここで初めて“役の強さを競う”こととなるのだ。
まず、NLHを知らない人は、7枚のカードがあることに戸惑うかもしれない。そうなのだ、ポーカーというのは7枚で行うのが主流なのだ。歴史的な話をするとNLHの前は7CardStudというゲームがポーカーの主流だったのだが、これも7枚のカードを使って戦うゲームである。
我々になじみ深い5枚のカードを使って戦うポーカーはむしろ“マイナースポーツ”なのだ。
では、7枚のカードを使うということはスリーペアやフォーカードフルハウスのような役があるのかというとそうではない。7CardStudにしろ、NLHにしろPLO(ポットリミットオマハ、NLHの次に主流なポーカーである)にしろ、全てのポーカーは5枚で戦うのだ。(Badugiという4枚で戦うポーカーもあるが、これは例外かつ超マイナースポーツであり、またポーカーとして認められたのが最近ということでここでは考えないものとする)つまり、7枚のうち好きな5枚を選んでその中で“一番強い役“を採用して、戦うこととなるのだ。
さらに、ベットラウンド(ベットをするタイミング)が合計4回もあることに驚くかもしれない。そうなのだ。このゲームは非常に奥が深いゲームで、1回の試合で最大4回もベットをするタイミングがあるのだ。さらに面白いことに、私はその友人とポーカーをやった際、みんな2枚のカードが配られた段階で当然“コール”をしてゲームに参加するのだが、なんとそのポーカーを教えてくれた友人はかなりの割合でフォールドをしてゲームに参加せず、たまにレイズをして参加するのだ。
7枚のうち、たった2枚のカードを見ただけでは強い役になるかどうかなんて、全く分からないと思うだろうが、実は数学的に解析された2枚のカードを配られた時点での適正な参加率は、参加人数にもよるが一般的に20~30%程度であり、なんと殆どの場合フォールドするのが正解なのだ。
たった2枚のカードが配られただけで勝敗が大きく分かれるわけがないと思うかもしれないが、私の考えた最も不利な状況として、Aが2枚の人と、Aが1枚と7が1枚、しかもスーテッド(クラブ、ハートなどの符号)が違うカードを持っている人とではAが2枚の人の勝率は92.66%、引き分けが1.37%である。
つまり、2枚のカードが配られた時点で勝敗は殆ど決していて、レイズをしてきたら、7枚のうち2枚しかカードを見ていないのにも関わらず、殆どの場合、フォールドしなければならないのだ。
さらにその後3回のベットラウンドではたった1枚新しくコミュニティーカードが追加されるたびに状況が大きく変化し、レイズやコール、フォールドなどの選択を迫られるのだ。
と、まあ、実にたった2枚と5枚のカードでここまで深いゲームを考えた人は凄いと思う。そして、これはギャンブルであると同時に知能スポーツなのだ。
ポーカーがギャンブルなのか知能スポーツなのか、はたまた生計を立てる手段なのか趣味なのか、その辺の議論は盛んにおこなわれていて触れずらい話題ではあるのだが、私は”ギャンブル“と”知能スポーツ“の両方の側面を持っていると思う。
まず、ギャンブルであると言える理由としては一番弱いと言われている2と7のカードのスーテッドが異なる組み合わせと、一番強いと言われているAが2枚の組み合わせを戦わせた際のAが2枚の勝率が87.99%しかないことからも明らかだ。つまり、“大体勝てる”のだが、“たまに負ける”のである。
金持ち或いは重度のギャンブル中毒者がお金だけを目的に、ルールも辛うじて覚えている状態で2と7のスーテッドの異なる組み合わせだろうがなんだろうが全部オールイン(全部のチップを賭けること)したとしても、大会で優勝して大金を得てしまうことは“あり得てしまう”のである。
これをギャンブルと言わずしてなんと言おうか。
その一方、毎日大会に出たりキャッシュゲーム(お金をチップに変えて、そのチップをベットして賭けて直接やり取りする、皆さんが想像する一般的なゲーム)をしたりしてポーカーだけで生活する“プロポーカープレイヤー”がいるのもまた事実である。
これを知能スポーツと言わずしてなんと言おうか。
つまり、NLHは4回もベットするタイミングがあり、その中でベット、レイズ、コール、フォールド、チェック(誰もベットしていないタイミングで自分もベットしないこと)の選択肢があり、さらにベット、レイズに関してはどのくらいの額をベット、レイズするのかということも含めて殆ど無数に選択肢があり、また、そのコミュニティーカードのパターンも無数にある。
つまり、実は同じようなことをしているようで全く同じ状況に出くわすことは無くて、常に考えて、適切な選択を迫られるゲームなのである。
ポーカープレイヤーはポーカー以外のギャンブルを“サイドギャンブル”と呼ぶのだが、これは、ポーカー以外のゲームは期待値がマイナス(つまり長期的に見て必ず負ける)であり、ポーカーこそが唯一期待値がプラスになるゲームであり、“メインギャンブル”であると言わんばかりの呼称表現である。(但しメインギャンブルという表現は聞いたことがありません。今私が考えました。)
と、このようにポーカーの魅力を述べてきたが(書いてみて思ったがやはり私は本当にポーカーが好きなのだと思う。それはギャンブルとしての側面も知能ゲームとしての側面も両方同じくらい好きなのだと思う)、本題の私とポーカーの付き合いに戻る。
私は正直言って、ポーカーとの出会いは非常に大きな驚きと歓喜であった。なぜならギャンブルというのはコミッションと呼ばれる運営が持っていく手数料のようなものが存在しており、長期的には必ず負けるものだと思っていたからだ。まさか客同士で戦うゲームがあるとは。さらに何と言っても、長期的に見れば必ず勝てるギャンブルがあるとは。勿論、再三言っているが、運の要素もあるため一回の勝負では物凄いラッキーして勝つことも、物凄い不運に見舞われて(これをポーカープレイヤーはバッドビートと呼ぶが)負けることもあるが、しかし毎日一日中ポーカーをやっていたら、上手い人と下手な人との対決だったら上手い人が必ず勝つ・・・わけでもなく、負けることも実は往々にしてある。だが、これを1ヶ月やってみたらどうだろうか。この場合、上手い人が負け越すことはまあ殆どない。無論、戦う相手とのレベル差にもよるが、世界のトッププロと初心者や中級者との闘いにおいて、1ヶ月もやってトッププロが負け越すことは殆どないだろう。一方で下手な人は1か月どころか1週間で破産するだろう。
と、このように“長期的な視点”が必要であり、これがポーカーの良いところであり悪いところでもある。たった1回の勝負に一喜一憂するようではおそらくプロからは二流だと笑われてしまうだろう。トッププロたちはよほどの大金(例えば1億など)がかかっていない限り大きく感情が揺れ動くことはないのだろう。実際、TritonPokerという世界で最もハイレベルかつ高額なトーナメントのYoutube配信を見ていると、数百万数千万がかかっている状況でも勝ったり負けた後に大きな声を出して喜びを表現したり罵声を浴びせたりすることはない。内心では大きく感情が揺れ動いている可能性もあるが、少なくともそれを表には出さないプロ精神が見て取れる。
そう、長々と話したがこの“長期的な視点”(1回の勝敗に揺れ動かない精神とも言い換えられる)というのが、プレイヤースキル(知能)と同じくらいポーカーをやる上で重要なことだと私は思う。
つまり、1回の大会、1回のキャッシュゲームのテーブルに自分の全財産を置いている人はどんなにポーカーが上手くても“プロ”とは呼べず、“ギャンブラー”にすぎないのだ。なぜならどんなに正しい判断を下したとしても不運に見舞われて負けることもある。プロが初心者しかいない大会に出たとしても、優勝する確率は、参加人数にもよるが10%もないだろう。
つまり、ポーカーは常に分散との戦いなのであり、分散に耐えうるだけの精神とバンクロール(ポーカーに使えるお金)を用意する必要がある。(ステーキングと言って他の人に出資、つまり参加費を出してもらう代わりに賞金の殆どを出資者にあげる契約をするという方法もあるが、ステーキングを受けられるだけの実績を出している人は大抵の場合プロなのでここでは割愛する)
私には残念ながらその両方がなかった。
つまり、分散に耐えうる精神はなかったし、バンクロールも学生の身分なのでなかったのだ。
長々とポーカーの魅力、出会いについて話してきたがここからは私のポーカー、いや、ギャンブルの沼に落ちてしまった体験談を書く。
まず私は無料のポーカーアプリを入れてみた。リアルマネーのやり取りは一切なく、(ゲーム内通貨を購入することはできるがそれを現金に戻すことはできない)ただのお遊びゲームだった。はじめはそれで楽しかったし満足していたが、ある日、ポーカーが上手くなりたい、ポーカーをもっと知りたいとの思いからポーカーについてネットで調べてみるとオンラインポーカー、いわゆるリアルマネーを賭けて戦うものと出会った。これが全ての始まりであり終わりであった。
少ない仕送りのうちのいくらかを入金して、遊んでみた。
自分はそれなりに良い大学に在籍していることもあり、先ほどのリアルマネーを賭けないポーカーアプリでは勝ち越していたのもあって、自分に自信があったのだが、それはすぐに打ち砕かれた。
全く勝てないのだ。
10NLHと呼ばれる、BB(ビッグブラインドと呼ばれるポーカーのキャッシュゲームの基本単位)が0.10ドルのゲームで、ポーカーの初心者~中級者が集うレートであり、決してハイレートなわけでもなければプレイヤーもポーカープレイヤーの上位層というわけでは決してなかったのだが、全く勝てなかった。
そして、始めに入金したお金はあっけなく溶けた。
それからクレジットカードを使っても入金できることを知り、クレジットカードで入金した。トーナメントにも出てみた。が、やはり勝てなかった。それなのに、悔しさよりも楽しさが勝った。
長期的には負けている。しかし、たった1回の勝負に注目すると、勝てている時も当然あるのだ。ブラフで相手を降ろせた時の快感、バリュー(勝っていると確信している時に相手からチップを引き出すために行うベット、レイズ)にコールを貰えた時の快感、そして、お金が増えた時の快感。
全てが楽しかった。
そして負けたら当然悔しかった。そして、これは典型的なギャンブル依存症の特徴なのだが、“負けた分を取り返そう”と考えてしまった。
そしてやったのがレートを上げることだった。
のめりこんでいる時には主にトーナメントにばかり出てキャッシュゲームは殆どやらなくあんっていた。
トーナメントというのはギャンブル依存症との相性は抜群である。
たった数ドルのトーナメントでも優勝賞金は数百ドルにもなるロマン、夢。
100ドル負けてるけど、このトーナメントで優勝したら200ドルのプラスになるという“一発逆転“
この一発逆転の発想というのが一番恐ろしく、一番持ってはいけない感情なのだ。
世の中にそんなうまい話はない。はっきり言って株でも仮想通貨でも100万円を1億円にして人生一発逆転と謡っているものは100%情報商材の類、つまり詐欺である。断言してもいい。
そんなことくらいわかるはずなのに、ギャンブルのこととなると途端に理性を失う。
ポーカーも特にうまくない自分が1000人以上出ているトーナメントで1位になんてなれるはずはない・・・とは言い切れないのがポーカーの怖い所なのだ。
そう。先ほども述べたようにあり得るのだ。0.01%かもしかしたらもっと低い確率かもしれないが。一発逆転が、“あり得る”のだ。しかし、そんなわずかな確率が叶うはずもなくどんどん負けていく。そして、負けが込んでくると最悪の発想に陥る、“レートを上げよう”と。
つまり、最初1万円の負けだったのが、10万円の負けになると、今度は数ドルのトーナメントでは優勝したところで勝ちに転じることはなくなるのだ。そして1万から10万、20万とどんどん負けが込んでいって、100万を超えたのは1年も経たないうちだった。そのころには数万円のトーナメントに出場するようになっていた。そういうのは本来、よっぽど金を持て余している金持ちか、数百万円の資金と実力を兼ね備えたプロのプレイヤーくらいしか出てはいけないのである。しかし、そんなトーナメントに出ていたのだ。
数万円と聞くともしかしたらそこまで恐怖を覚えない人もいるかもしれない。なぜならライブポーカー(実際にリアルで行われるポーカー)のトーナメントなんて安くても十万円とかだからだ。
だが、オンラインポーカーがライブポーカーと違う所は“いつでも”、“何試合でも同時に”、“進むスピードが速く”できる点である。オンラインポーカーの悪いところでもあり良いところでもあるのだが。
ライブポーカーというのはカジノの近所に住んでいない限り、もっと言えば日本人からすると海外に遠征しに行きでもしない限りはまず参加できない。(JOPTなど日本でも法の穴をついたライブポーカーイベントもあるにはあるが、年に数回しか開催されないためやはりいつでもというのは現実的ではない。)しかし、オンラインポーカーは文字通りいつでもできるのだ。アプリなんかもあるため、外出先でも友人と旅行に行っている時ですらできてしまうのだ。実際に旅行中にポーカートーナメントに出場したこともある。さらに、何試合でも同時にというのもかなり危険である。4つくらいならまだいいのだが、末期には12個ほど同時にトーナメントに出ていたこともある。そして、進むスピードが速いのも問題だ。ライブポーカーはカードを配るのに時間がかかる関係でやはり進行スピードは遅い。しかしオンラインポーカーは一瞬でカードが配られ、進んでいくためやはりスピードは比にならないほど速い。
クレジットカードというのは借金であることに気づかないでいる私は仕送り額を大幅に超えた額を使っていた。不運なことに特典目当てだったり友人に勧められたりでかなりの枚数のクレジットカードを所有していた私は、全てのクレジットカードの限度額いっぱいを入金しては、高額なトーナメントに何度も何度も出場し、そして入金できるクレジットカードがないと知ると、絶望感と虚無感に襲われた。
実はこんな私でもポーカーの勉強はしていたし、おそらく数ドル~数十ドル程度のトーナメントのみ出場していたら勝ち越していた未来もあったかもしれない。しかし、高額なトーナメントにはやはりそんなに多くは出場できないため、入賞する事もたまにしかない。また、ポーカーのトーナメントというのは賞金が超トップヘビーに設計されている関係で、例えば1000人中100位とかになっても出場額の数倍にしかならない。これではとても負け額なんて取り返せない。
また、これは後から知ったことなのだが、やはりこのトップヘビーな賞金設定のおかげで、参加人数が増えれば増えるほど分散は大きくなり、必要なバンクロールも多くなるのだ。特にオンラインポーカーというのは世界中から参加するためその辺のライブポーカーの比にならない程の人が参加する。今更思うのが、せめて参加人数の少ないトーナメントも時間帯によってはあるので、そういうのに出ていればもうほんの少しはマシな結果になっていたのかもしれない。しかし、私は決まって参加人数が数千人の大規模なトーナメントばかり出ていた。その理由は単純で、参加人数が多ければ多いほど、優勝賞金も大きくなるため、その金額の大きさに夢を抱いてしまったのだ。
そして、銀行口座にいくらお金を入れてもクレジットカードの引き落としが止まらないことに当然不信感を募らせた親に、ある日バレた。
それは、もうクレジットカードの限度額もなく、消費者金融にまで手を出して、そのお金すらも全て使い切って、殆ど廃人と化した所に親がわざわざ実家から、私の住んでいる家にまで来た時に、大量の吸い殻に囲まれた廃人の私と、消費者金融からの催促の手紙を見て、確信したようだった。
私は全てを話した。それでも“ポーカー”とは言わず、“ギャンブル”と少しだけ濁した。ポーカーのことを悪く思わないでほしかったからだ。何百万円も親に借金を肩代わりさせておいて、その詳細な使い道を言わなかったのは本当に狂っているとしか言いようがないのだが、でも、狂うほどにポーカーを愛していたのだ。
そして、親に消費者金融からの借金とクレジットカードの返済数百万円を肩代わりしてもらったあの日以来、しばらくポーカーからは離れていた。
オンラインポーカーではライブポーカーと違って場所代やディーラーを雇うお金などがかからない関係から、格安のトーナメントも開催されていて、0.1ドル~1ドル程度のトーナメントもあった。それくらいの金額なら、1万円もあればそれなりに長い間楽しめただろう。もっと言えば初めに触っていた無料のお金を賭けずに遊べるアプリゲームをやれば1円だって使わずに遊べるだろう。しかし、実際に借金返済してもらってからしばらく無料のポーカーアプリをやっていたのだが、勝った時の興奮、負けた時の悔しさ、あの感覚は無料アプリでは得られなかった。確かに勝てる。余裕で勝ち越せる。勿論1回1回に注目してみれば負けることもあるが、長期的にみたら圧倒的に勝ち越せている、が、楽しくないのだ。
それはお金がかかっていないというのも大きな要因としてあるだろう。
しかし、それ以上に、プレイヤーがあまりに杜撰なプレイをするためだんだんイライラすらしていたのだ。
例えば1枚フラッシュボードなのに2ペアでポットオーバーオールインにスナップコールしたり、1枚でストレートになるようなボードで、ポットの10倍くらいのオールインにAのワンペアでスナップコールしたり・・・
例を挙げればキリがないのだが、一応一番上のレートではあったのだが、めちゃくちゃなオールインをしても大抵コールされ、チップはすごい勢いで増えていったのだが、それが最初の頃だけは笑っていたのだが、段々とつまらなく感じていたのだった。なんというか、この感覚は言葉にするのは難しいかもしれない。こちらは本気でプレイしているのに馬鹿にされているような、そんな感じがしたのだ。いや、勿論彼らはおそらく本気でプレイしているのだろう。おそらくポットの何倍のオールインをされたかも考えず、オッズのオの字やコンボのコの字も知らずにプレイしているのだろう。百歩譲ってそれで大金が手に入るならまだ良い。しかし、これはあくまで“無料アプリゲーム“なのだ。彼らがチップを大量に失うたびに、それを補充するためにログインボーナスをこなしたり、或いはもしかしたら課金してチップを買っているのかもしれない。しかしそのお金は1銭だって私の元へは入ってこない。
ナッツ(そのボードでできる最強の役)やそれに近い役を完成させて脳死でポットの何十倍ものオールインをしてコールをもらう作業に、ポーカーの深みもワクワク感も、思考する喜びすら感じられなった。
そして、私はポーカーから完全に離れた。
しかし、悲しいことにポーカーへの愛が強いのかギャンブルへ中毒者なのか、ポーカーの夢をたまに、いや、頻繁に見るのだ。
そして目が覚めて思うのだ、なんて虚しいんだ、と。
そんな日々が続いて耐えられるはずもなく、解約したはずの消費者金融から何十万とお金を借りて、返せるはずもなく親に泣きついて謝罪して、借金を肩代わりしてもらい、そしてまたしばらくポーカーから離れて、またポーカーの夢を見て、耐えられずポーカーをやり、借金を肩代わりしてもらうことを何度も繰り返した。
ポーカーをやめるために有名な某Gポーカーと某星ポーカーサイトの永久凍結を申し込んだ。ポーカーサイトにもやはりギャンブル依存症の危険性を少なくとも“建前上は”分かっているようで、申請したらすぐに永久凍結してくれた。これでもう二度とオンラインポーカーができないんだ、そんな嬉しいような悲しいような安堵のような不思議な気持ちに浸っていたら、どうやらこの世界にはマイナーなポーカーサイトというのが無数にあるようで、気づいたらそれらを探し出して登録して入金していた。
いい加減親は私のことを呆れているだろう。気づいたら借金は1000万円に達した。
よく“大台に乗った”なんて言う言い方で百万円の借金を指すことがあるが、100万円で大台ならば、1000万円の借金は何と呼べばいいのだろう。大台なんてとっくの昔に乗って、とうに通り過ぎて、次の更なる台に乗ってしまった私は虚無に浸りながら思う。
親にいい加減何に使ったのか詳細に教えてくれと言われて、なくなくポーカーで使ったことも吐露した。本当に嫌だった。ポーカーを悪とみなされたことが、何より嫌だった。でも確かに金持ちから“知能を活かして”お金をむしり取るという意味ではポーカーは悪に決まっているだろう、生産性のない行為だ、なんて指摘されたら私は何も言い返すことができない。それでも、金持ちやギャンブル依存症は夢を見て、時にはラッキーで大勝ちして、楽しいひと時を過ごせているからいいのではないかなんて戯言を考えたりしている。
つい先日、いつものように衝動的に消費者金融からお金をまた借りて、そして使ってしまった。
手元に残ったのはトーナメントチケット3枚だけ。
私はこの3枚のチケットを消費したらいよいよ死のうかと思っている。
適正レートでプレイする胆力も、十分なバンクロールも、プレイスキルも、運さえもない私は、ここで死ぬのがベスト、いやベターな選択だと考えている。
ベストな選択は、生まれてこないことだったのだろうな、と思っている。
これ以上生きていても、借金額が膨らんで親に迷惑をかけるだけなので。
最後に、私はポーカーをやめていたある時期に、もしかしてAIを使って仮想通貨の値動きを予想させて、その通りにレバレッジをかければめちゃくちゃ儲けられるのでは?とバカな考えに至って、実行して、そして借金を増やしたことがある。その時、もしお金が有り余るほど増えたら何をしようか、そんなことを考えた時真っ先に思い浮かんだのが、旅行でもなければ、ブランド品を買う事でもなければ、美味しい物を食べることでもなかった。ポーカーだった。ポーカーがまたできる、そう思って心の底から喜んだ。“お金が欲しいからポーカーがしたい”のではなくて、“お金があったらポーカーをしたい”のだ、私は。
この世界には私より遥かに短期間のうちに遥かに多額の借金をポーカーで作った人が沢山います。ネットで見れる観測できるだけでも沢山います。きっと氷山の一角なのでしょう。詳しく知りたい方は”SharkScope”と調べてみてください。
それでもポーカーを始めたい方は必ず最低レートから、トーナメントなら10ドル以下のもので、できれば参加人数が100人台以下のものから始めてみてください。それでお金が増えるようであれば“少しずつ”バンクロールに応じたバイイン額のトーナメントに出ると良いと思います。間違ってもお金があるからという理由だけで100ドルのトーナメントや、参加人数1000人のトーナメントなんかには出ないでください。もし万が一それでFT(上位9人)なんかに残ったら、もしかしたら私以上の勢いで借金を作ることになるかもしれません。それから、オンラインポーカーのことを悪く言うような文章を書いておいてアレですが、ライブポーカーの場合、上限が無いので、もし貴方がギャンブル依存症の素質があるならば、ライブポーカーの方がオンラインポーカーの何倍も早く、数倍も多く借金を作ることができるので気を付けて下さい。
それでは。