<8・War>
エディス王国の現代の国王は、他の国との争いやもめごとを良しとしない穏健派の王である。それは本人がメディアでも繰り返し公言しているし、彼が今までやってきた各種政策からしても明らかなことだろう。現在の階級制度に関しても、少しずつ貴族と庶民の格差を減らしていきたい姿勢であることが透けている。特権階級からは反発も多いので、その望みは彼が存命のうちに叶えられることはないかもしれないが――少なくとも表の動きを見る限りは、彼の次の王も同様の考えと見てまず間違いなさそうだ。
そう、国王の気質だけ見るのであれば、いくら資源が欲しかろうと利益が欲しかろうと、それだけでよその国に攻め入ることなどしないだろう、とドナは思うのだけれども。
「……ゼロではないけれど、相当低いんじゃないかな」
そしてそれは、シンディーも同じ考えであるようだった。
「そもそも現代の国王陛下が穏健派になったの、先代王のやってきたことを見ていたからというのが大きいのよね。先代王の代で、世界全体を巻き込む第四次世界大戦が勃発したわけだけど……」
「そこらへんはなんとなく覚えてます。一応第四次ということにはなっているけれど、実際に規模が大きかったのは三次と四次だけですよね」
「そ。第一次にはそもそもエディス王国は参戦さえしてないし、第二次も友好国に経済支援しただけだから……本格的参戦したのは第三次になってから。でもって、第三次での参戦も被害は大したことがなかったから、先代国王も“イケる!”と思ってそのまま第四次に参戦しちゃったんだよね……まあ、これはかなり端折った説明だけど」
第四次世界大戦は、それこそ自分達が生まれるずっと前に始まって終わった戦争ではあるが。それがどれほど酷い状況を生んだのか、というのは死んだ祖母から何度も聴かされたものである。彼女も戦争の経験者ではないが、あまりにも酷い状況をきちんと語り継いでいくべしと、代々アンカーソン伯爵家では話をするのが習わしになっていったらしい。
この国が大きく経済発展を遂げたのも、汚染問題が深刻化したのも戦後になってからのことではあるが。そもそも、それ以前にこの国は食料自給率がさほど高くなく、多くの面で諸外国に頼っていたのは否定できないのだった。戦争によって植民地を多く確保していたものの、この国の植民地運営はお世辞にも上手いとは言えず、せっかく手に入れた土地と人民を有効活用できずに枯らしてしまうことが珍しくなかったという。植民地を“育てる”のではなく、あくまで本国の“倉庫”としてしか利用しなかったツケが回ったということである。
そんな折に起きた世界恐慌。多くの諸外国が植民地と極めて限られた友好国との間でだけ貿易をすることで飢えを凌ごうとした。ブロック経済というものである。が、残念ながら恐慌が起きた時点で、この国は植民地の殆どを使い潰してしまっていた状況だったのだ。土地に無理な農業生産ノルマを課した結果農民たちが逃げ出したり、あるいはノルマの水増し報告が繰り返されたり。効率を重視して工場を建てた結果、汚染水が垂れ流しになって疫病が流行した、なんてことも珍しくなかった。仕方なく、エディス王国も数少ない友好国と貿易することで、資源と食料の確保に走ろうとしたわけだが――。
ここにきて、エディス王国の日頃の行い、が大きく祟ってきたわけである。
友好国と言っても、軍事力を盾に多くの国々に対して高圧的に、厳し条件での貿易を強要してきたエディス王国。資源が各国で枯渇しかかっている状況で、そんなエディス王国を優先的に助けてくれる国は一つもなかったのである。
結果、困窮したエディス王国は、似たような状況にあったいくつかの国と同盟を結び、資源豊富な国々に対して宣戦布告。自ら世界大戦の火蓋を切って落としてみせたというわけだ。
「……って認識なんだけど、大体あってます?」
「あってるあってる!なんだ、そのへんはちゃんと覚えてるんじゃない!良かった、そこから説明しないといけないかと思った!」
シンディーはニッコニコで言う。よっぽど自分の知識は信頼されていないらしい、と憮然とするドナ。まあ、暗記物の科目がことごとく苦手で方々に泣きついている様を見せつけられていては、負の信頼ができるのも仕方ないことなのかもしれないけれど。
「先代の王様の考えは、“欲しいものは力で手に入れろ、全ての問題はとにかく勝ってから考えればいい”ってタイプだったんだよね。……それで結局、極めて不利な条件で大戦の幕を開けてしまった。早期講和で終わったとはいえ、元々資源不足だったこの国の物資が枯渇するのはあっという間だった。武器も弾薬も足らない、航空機とかを作る鉄も人材も足らない、でもって劣悪な兵装で大した軍事訓練もできてないで新兵を戦地に送り込んでいくもんだから……まあ、バッタバッタと人が死んでいくのは避けられないよね。バトル・オブ・エディス……本土空襲もあったから、首都圏を中心に焼野原にはなっちゃうし。最終的に、人口の四分の一が死ぬっていう大惨事だったわけ」
当時の正確な死者の数は、今でもはっきりしていないほどである。なんせ、未だに“死者”ではなく“行方不明者”のままのカウントの人間が少なくないのだ。約二億人いた人口のうち、五千万人は確実に死んだだろうと言われている。実際は、もっと多かったかもしれない、とも。
この国の立て直しが数十年程度で終わったのは、ひとえに現国王の政策が優秀だったことと、戦後処理を担った国際中立連盟の迅速な支援あってのことだろう。
「なるほど。……そうですよね。それだけの悲惨な戦争を経験していたら、“もう今後絶対戦争なんかしない、やってもメリットなんかない”ってなるのも当然と言えば当然か……」
ドナは納得して頷く。
「でも、戦争を開幕したのも、世界恐慌に対処する方法が他になかったからですよね?同じ状況が再び起きる可能性はないのです?」
「これもゼロとは言い切れないけど……でも、確実に第四次世界大戦前ほど高い確率でないのは確か。今の王様は、多くの国と平等な条約を結んでるし、関係も良好だから。食料自給率は低下したけど、その分家電やいろいろな部品などの生産で、この国を頼っている外国は多いし経済黒字も維持してる。今すぐ“資源がないとやばい!”って状況にはならないよ。まあ……」
シンディーの顔が、少しだけ曇る。とんとん、と彼女が地図帳を指さす先には――チーア共和国の文字が。
「チーア共和国あたり……そっちの方から戦争を仕掛けてくれば別なんだけどね。この国も防衛のためには戦わなくちゃいけないから。今の陛下に代替わりして、国の体質そのものが変わったといっても……まだ第四次世界大戦ではこの国もたくさんの外国人を殺しているし、それまでの戦争でも多くの国を侵略してる。それらをいまだに恨みに思って、反エディスを掲げる国は少なくない。チーア共和国がその筆頭だしね。戦争でチーア共和国の人間もかなり殺してるから……ってそれはお互い様のはずなんだけど」
戦争はこれだから嫌なんだ、というのがシンディーの声からも透けている。ドナも心の底から同意だった。人と人とが殺し合い、尊厳を奪い合う争い。最終的には“殺される前に殺せ”が絶対的正義となってしまうのが戦場だ、と祖母が苦い顔で言っていた。彼女の伯父が、まさに前線に駆り出された兵士であったのだという。その伯父はムリ島に送られ、上陸してきた外国の兵士達と泥沼の地上戦をしたのだそうだ。
伯父はかろうじて生きて帰ってきたが、両足と、それから健常な精神を奪われたという。人が体のみならず、心を粉々に砕かれるような場所。想像するには、余りあるというものだ。
「元より、チーア共和国は独裁政治だから。アマル・ルチーアは恐怖政治を敷いて情報統制しながら、国民の不満を全部諸外国……特にエディス王国に向けることで逸らしてきたフシがあるの。あることないこと吹き込んで、とにかく“今の不便な生活や貧乏は全部エディス王国の搾取のせい!”ってことにして国民を洗脳してるって話。あまり開かれた国家じゃないものだから、チーア共和国に関する情報って全然国外に出てこないんだよね……」
「怖い話ですね、それ」
「でしょ?だからこそ、難癖つけて向こうから戦争を吹っ掛けてくる可能性はゼロではない、というか。そうなったら、エディス王国の意思だけで開戦を阻止することは難しいんでしょうね。……そんなこと、絶対なってほしくないけど。今のエディス王国の国民に、本気で戦争を望む人なんかほとんどいないと思うから」
「…………」
あくまで、これらの考察は“現在の世界なら”の話であるのは確かだ。実際のところ、これから先チーア共和国内に“神の巨人”が出現し、隣国のエディス王国の方に進撃を開始することで情勢が一気に緊迫することをドナは知っている。
つまり、神の巨人を倒して自国を守る、という名目で――エディス王国側も、堂々とチーア共和国に攻撃を仕掛ける理由ができてしまったということである。
――でも、大量破壊兵器でチーア共和国の国土を吹っ飛ばしたら、欲しい資源も大量に損なわれてしまうはず。本当にその選択は、エディス王国にメリットのあるものだろうか?
実際、ドナが知る歴史では、巨人を消し飛ばしたことでエディス王国とチーア共和国で再び戦争になり、甚大な被害を齎す結果となってしまったはずである。つまり、どっちもけして得をするような結末にはなっていないのだ。勿論それを“結果論だろう”と言われてしまえばそうだが、大量破壊兵器を巨人に使うメリットを、事前に国の偉い人たちがわかっていなかったとも思えない。
つまり、資源欲しさに、戦争を仕掛けさせようとする人間がこの国にいる――と考えるのはいささか厳しいものがあるということである。セシルを殺して研究の完成を阻止することは、そのまま巨人の強引な討伐=戦争勃発に繋がってしまう。
とすると、この国の政府がセシルを暗殺して最終的に戦争を誘発したというのは、かなり低い可能性と見て問題なさそうではあるが。
「……じゃあ、エディス王国とチーア共和国が戦争をして共倒れになって、それでメリットのある第三国っていうのはいるの?」
「ないわけじゃないけど……どうしたのドナちゃん。まるで、この二国でこれから戦争するかもしれないって本気で心配してるみたいに見えるんだけど……?」
「え!?あ、いや、そういうわけじゃないんだけど……っ」
「まあ、反エディス主張を堂々とメディアで流してくるチーア共和国の過激派もいるから、不安になるのもわかるんだけどね」
それは私達が考えても仕方ないよ、とシンディーはため息をついた。
「仮に戦争になりそうだってわかっても……私達みたいな一般人にできることなんか何もないもの。その時は諦めるしかないのよ。私達はただの国民で、学生で……いくら貴族階級といってもただそれだけの、子供にすぎないんだから」