<7・History>
「確かに、世界史は覚えることが多いよね」
ドナと共に席に着いたシンディーは、苦笑して告げた。
「ただでさえ、他国の登場人物を覚えるのって大変だもの。それに加えて時系列も覚えないといけないから……興味がないと難しいっていうのは本当にあると思う」
「そうなんですよね。だから、私はいつも頭がパンクしちゃって。シンディーは得意でしょう?覚えるコツなどがあったりするんでしょうか?」
「んー……私は、そもそも“物語”が好きだからなあ。歴史って、“過去に実際起きた物語”だから。時々自分好みのあらぬ妄想を付け加えて楽しむとより覚えやすいし。最近は、過去の偉人をコメディちっくに登場させたライトノベルとかもあったりするからより親しみやすいのよね。“偉人パラダイス”っていうの知らない?異世界に偉人達が転生してきてドタバタする話」
「あー……」
そういえば、テレビCMでちらっと見たこともあったような。ドナは記憶の糸を辿る。CMで見ただけの知識なので詳細は何も知らないが、髭のおじさんが髭のおじさんを口説くというあらぬ誤解を受けそうな内容だったのは確かだ。自分の記憶違いでなければ言っていた台詞は――。
「“君と私の仲だろう!?あんなに激しく愛し合ったじゃないか、体を繋げるくらい何がいけない!?”」
「それそれ!ドナちゃんよく覚えてるのね!」
「あ、はは……」
ちなみに。このいかにもベッドシーンで言いそうな情熱的な台詞への相手オジサンの返答は。
『誤解されそうなこと言うなアホ!激しく愛し合ったって戦争のことか!?』
である。
ちなみに体を繋げる、というのは国土と国土に橋をかけるということだった。ちょっと言い回しを変えるだけであら不思議、ただの橋をかける&協定を結ぶといった行為がエロゲーも真っ青な表現になってしまうとは。
ちなみに、ここだけの話ドナは結構幅広くオタク文化は網羅していたりする。堅苦しい純文学より、マンガやライトノベルの方が好きだ(両親には、伯爵家令嬢としてどうなんだ、と苦い顔をされるが。なおBL雑誌が見つかった時はひっくり返りそうになっていた。次からは隠し場所に気を付けようと思う)。こっそりエロいものも見ていたり見ていなかったり――いや、あくまで今の世界ではなくて、十八歳を超えたあとに見たものであると言い訳しておくが。
目の前の少女も、そういう意味ではなかなかのオタクである。歴史系の漫画やライトノベルはあまり見たことがなかったが、そんなに面白いのなら今度見てみるのもありかもしれない、と思う。
「と、話逸れちゃったけど」
あまりにシンディーが楽しそうなので、大幅に脱線してしまった。面白偉人ノベルにも興味はあるが、今大事なことはそこではない。
「えっと、特にちゃんと勉強したいのはエディス王国とチーア共和国のことなんですよね。この両国って、ものすごく仲が悪いでしょう?近代史上で非常に重要な要素なんだけど……どういう経緯だったのか全然覚えてなくて」
「あ、ごめんなさい。そうだったわね」
いけないいけない、と言わんばかりに舌を出すシンディー。大人しく、オタッキーな趣味が目立つ彼女だが、実のところ顔立ちの素材は非常に良いことをドナは知っている。丸眼鏡におさげであるせいで地味な印象を受けるが、眼鏡をコンタクトにして化粧を変えたら見違えるほど美人になるだろう。本人があまりそういうことに興味がなさそうなのが実にもったいない、と思う。彼女とエイベルは、ドナの婚約者であるセシルが特に親しくしているメンバーのうちの二人だ。どちらもセシルとは全く異なるタイプというのが面白いところだと思う。
人間、自分と違うタイプの人間と一緒にいた方が気楽なこともあるし、学ぶことも多かったりもする。勿論、根本的には通じ合うものがあるからこそ彼らも友人関係を続けていけるのだろうが。
「元々、エディス王国とチーア共和国って、一つの大国だったのよね。チアカナル帝国っていう。もう、古代も古代、超大昔のことだけれど」
地図帳を広げて、このあたり、と指で示すシンディー。彼女が指でぐるっと囲ったのは、エディス王国とチーア共和国の両国の領土より、少し広い範囲だ。
「元々チアカナル帝国は、人種の坩堝と言われるほど多種多様な人種が住んでいる国だった。いくつかの民族が寄り集まって一つの国を作ったからなんだけど」
「よくうまくいったもんですよね。同じ民族同士でだって喧嘩する時はするのに」
「そう、実際うまくいかなかったのよね。そもそも“一つの民族が寄り集まって”と言えば聞こえはいいけれど、実際はチアカナル族が他の民族を制圧して自分達の配下に置いてたっていうのが正しいから。……で、予想通りというべきか、その支配された民族のうちチーア族が自分達の階級が下であることに反発して、チアカナル帝国に対し反乱を起こした。これが聖歴128年の、チーア動乱ね。そのチーア動乱を率いたリーダーが、後のチーア共和国の元となったチーア帝国皇帝、“イム・ルチーア”なんだけど……ちゃんとメモしてる?」
「う、うん、大丈夫!」
自分にとって大事なところは、恐らくそんな古代史ではないとは思うのだが――どこにセシルを救うヒントが埋まっているかわからない以上、古代史から念入りに勉強していくべきなのは間違いないだろう。
つまりドナの手が止まりがちなのは、既に頭がパンクしかかっているからに他ならない。チーア語での“イム・ルチーア”の名前の書き方も一緒に教えてもらうことにする。――“金屡治唖”。自分にはミミズがのたくっているようにしか見えない。チーア語は、一つの文字で読み方が複数あったりするから実に厄介だ。みんなアルファベットで言葉を書いてくれれば楽だというのに――なんてここで言ってもどうしようもないことだが。
「まあ、そんなかんじでチアカナル帝国からチーア帝国……後のチーア共和国が独立した。で、チーア帝国と領土がごっそり抜けた元チアカナル帝国が、今のエディス王国の基礎となったというわけ。どちらも制度は雰囲気は大幅に変わっているけれど……どちらかというと、チーア帝国の方は根本があまり変わっていないかも。帝国性から共和国性になったはいいけれど、結局今の大総統の地位についているのはイム・ルチーアの子孫であるアマル・ルチーアだから。現在のチーア共和国は、実質アマル・ルチーアの独裁政治と言われているわ」
「なるほど」
元々一つの国だったのが、独立して二つの国になった。そりゃまあ、歴史的に見ても禍根を残すのは仕方のないことではあっただろう。さらに細かくシンディーに解説してもらったが、この“チーア動乱”での死者数は未だに正確な数がわからないほど膨大な数に及んでいるらしい。穏便な独立とは真逆、血みどろの戦争を経て双方に膨大な死者を出し、どうにかギリギリのところでチーア帝国が独立を勝ち取ったという流れであったようだ。
そのため、チーア族の血を少しでも引く人間は、チアカナル帝国でも一時かなり酷い差別を受ける結果になったのだという。チアカナルの人間にとって、チーアの者達はまさに“悪魔の使徒”そのものという認識だったのだろう。
「そういう経緯があるから、両国は元々仲が悪い。その後……それこそ両国の名前と制度が“エディス王国”と“チーア共和国”に変わってからも、小競り合いが続くことになったのよね。小さな紛争は何度も起きてるし、領海侵犯やら領空侵犯やら経済制裁やらで揉めることも少なくないという」
ちなみに、エディス王国とチーア共和国はどちらも海に面しており、北にチーア共和国、南にエディス王国という形で国土を隣接させている。海側にそれぞれいくつか島を持っているのだが、どの島がどちらの国のものであるのか、で揉めることは非常に多いのだ。
どの島が領土であるかによって、領海も変わってくることになる。領海が変われば、漁師が魚を取れる範囲も、船が自由に航行できる範囲も変わってきてしまう。防衛上の問題もあるし、譲れない問題として長きにわたり両国の頭を悩ませていることの一つであるらしい。
ちなみに、世界大戦当時も両国はそれぞれ別陣営として戦っている。“何がなんでも同陣営にいたくなかったんじゃないか?”なんていうのは冗談交じりで語られるほど有名な話だ。世界的に、両国の仲が悪いことは知られたことゆえに。
「で、最近さらに問題になっているのが。大戦後に、この国が大きく経済成長を遂げ、他の大国に比肩するほどの先進国まで発展したということ。……その時工場やらなんやらを環境汚染考えずに建てまくった結果……まあ、近隣諸国には結構な迷惑をかけることになっちゃったのよね」
「そうでなくても、先代エディス国王はかなり好戦的な方だったと伺っています。大戦前から……それこそチーア共和国以外とも数多く戦争をして、他国から領土を奪い取るということを繰り返していた。約五十年前、現在のエディス国王に代替わりしてからは、そのようなこともなくなったそうですが」
「そうね、今の王様は穏健派だから。先代がやらかした負債を返そうとかなり頑張ってくれてるし、諸外国との関係も一部を除いてかなり改善されてきてる」
「一部……」
「まあ、言うまでもなく、チーア共和国その他なんだけど」
元々の因縁に加え、大戦でメタメタにされたされた相手。そりゃ恨みつらみも多いことだろう。近年は高度経済成長の弊害で、土壌汚染や大気汚染の迷惑も被っているというのなら尚更ギスギスしていてもおかしくはあるまい。
「今の代の国王陛下は、先代の息子だけれど。先代が先考えずにやったことの“回収”と“返済”には相当苦労しているって話」
はあ、とシンディーはため息をついた。
「先代は優秀だったけれど、とにかく“今を豊かにする”ことしか頭のない人物だった……みたいなことを今の陛下自らが仰ってるのよね。先代のやや強引で急進的な工業改革のせいで、工場を建てるために後先考えない森林伐採をしたり、土壌・水質汚染が深刻になって住めない土地が増えたり。……結果、この国は科学力と工業生産力の大幅アップと引き換えに、農業の生産能力が一気に落ちたって言われてる。安全な食物栽培ができる土地がどんどん少なくなっちゃったせいで。……結果、多くの果物や野菜を、他の国からの輸入に頼っている状態なんだよね」
「食料自給率、十パーセントを下回ってるんですっけ」
「そう。まあ、代わりに工業製品をたくさん輸出してるから、国として赤字にはなってないんだけど。……安全に自国で食糧を得る方法が少ないっていうのは、やっぱり死活問題ではあるのよね。隣国のチーア共和国は豊かな土地に恵まれていて小麦も野菜もたくさん生産できるもんだから輸入できたら楽なんだけど……ご覧のとおりチーアとエディスは仲が悪いから、ほんの一部しか輸入させてもらえないしね……」
「!」
これか?とドナはピンときた。
元々不仲な両国。それに加えて、チーア共和国はエディス王国にはない“作物がたくさん取れる豊かな土地”を多く持っている。はっきり言ってエディス王国からすれば、国土そのものが喉から手が出るほど欲しい産物であるはずだ。
「しかもチーア共和国って、アルマダイト鉱石の取れる鉱山もたくさん持ってるから、やっぱりそれもエディス王国としては面白くないんだろうなって……どうしたのドナ?」
突然固まったドナを不審に思ってか、シンディーが声をかけてくる。いえ、とドナはやや動揺を抑えながら、シンディーに尋ね返したのだった。
「一つ訊きたいんだけど。……その資源を巡って、再びエディス王国がチーア共和国に戦争を仕掛ける可能性っていうのは……どれくらいあるものなんでしょうか?」
鍵は、ここにあるのかもしれない。