<6・Friends>
セシルが非常に交友関係の広い人間であったこと、その友人にも気のいい人間が多かったことなどから、ドナとセシルには共通の友人と呼べる存在が何人もいた。
我が国の法律では、大学への入学資格は高校を卒業していなくても得ることが可能である。ただし、高校卒業後の一般的な大学入試と比べると非常に難易度が高い上、そもそも高校在学中によほど良い成績を収めるか、あるいは何らかの大きな功績を持った人間でなければ試験そのものを受けることができないという実情はある。
ようするに。それでもなお、高校在学中に大学に飛び級合格を果たしてしまったセシルは――ドナからしてもその友人からしても、雲の上の人間であり誇らしい存在の一人であるのは間違いのない事実なのだった。
「セシルなら、さっさと帰ってラクマ大の研究室だよ」
放課後、図書室にて。セシルとの共通の友人の一人であるエイベルに話しかけると、彼はドナがセシルを探していると思ったのかあっさりそう返してきた。セシルとは見た目からして真逆、まさに屈強なラガーマンといったなりの少年である。つんつん逆立てた茶髪に、シャツの上からでもわかるはちきれんばかりの二の腕。ラグビー部のエースとして注目されている人物でもあった。そんないかにもアウトドア派な彼が、あのセシルと唯一無二の親友であるというのだから世の中はわからないものである。
人間、案外真逆の方が気が合うなんてこともあるのかもしれない。世の中には同族嫌悪、なんて言葉もあるくらいなのだから。思えば自分とセシルも真逆の性格から始まってたんだったっけ、と思い出すドナである。むしろ、幼いあの日に出逢って早々喧嘩しなければ、ここまで自分達がお互いに大切に想うようになることもなかったかもしれない。
「すげぇよなあ。まだ高校卒業してないのに、もう研究に参加させてもらってるってよ。ラクマ大のヒグチ教授と言ったら、魔法学に全く興味がない俺だって知ってる大御所だ」
「確か、古代に存在していた魔術を調査して、現代に蘇らせることを目的としたラボ……でしたっけ?」
「そうそう。魔法なんておとぎ話だって、俺らは昔から聞かされてるのにな。それをガチで研究してみようっていう御大が世の中にいたりもするもんだから、わからんもんだ」
この世界に、魔法なるものは存在しない。
正確には、遠い遠い古代の時代には存在していたとされているが、科学の発展と共に廃れてしまい、今はその知識も書物もごく僅かしか残っていないとされている。当然、現代で魔法が使える魔術師なんてものも存在しないと言われている。古代の書物を調べ上げ、現代人でも有用な魔法を使うことができないかどうか?あるいは、科学で魔法を再現することができないかどうか?それを研究しているのが、ラクマ大学のヒグチ教授だというのはドナも知っていることだった。
ただ、その彼らが“これから先の未来で出現することになる”神が作りし巨人――その対抗策の研究を何故任されたのか、どのようにして巨人に対処するつもりであったのか、をドナが全く知らないというだけで。
――巨人が出現したのは、私が二十歳になる少し前のこと。今の時代の人々は、神の巨人がこれから現れることも知らない……余計なことは口にしないようにしなければ。
未来の情報を口にすることで、どのように影響が出るのかは完全に未知数である。それがセシルの死亡を回避するための足掛かりとなるならばいいが、逆に彼の死を早めてしまう結果になることも十分あり得るわけである。不確定要素を排除して確実に惨劇を回避するためにも、未来を知っていることは、誰にもバレないようにしなければいけない。自分が、誰かに打ち開けることでプラスになると判断したその時までは。
「セシルが忙しいのは知っています。今日は、別の用件で来たんです。どなたか世界史に詳しい方はいないかと思って」
ドナは参考書とノートを片手に、ため息をついて見せた。
「どうしても苦手なんですよね、世界史。エディス王国の歴史だけでもいっぱいいっぱいなのに、世界史ともなるとヨコにもタテにも覚えなくてはいけないことばかりで。特に、アモーレ帝国やチーア共和国圏内は本当に厄介です。アルファベットで偉人の名前を書いたらバツを貰ってしまうんですから」
「確かに、あのあたりは文字を書くだけで難しいな。普段のテストはエディス語で全部受けさせてくれるんだから、世界史のテストだってエディス語で全部書かせてくれればいいのに。偉人の名前は全部現地の言葉で書けってだいぶ無茶ぶりだなといつも思う。チーア語の文字なんか、俺にはみみずがのたくっているようにしか見えないしな!」
「心の底から同感です」
何で世界史について調べたいのか、の理由はぼかしたが。参考書とノートを持っていれば、それだけで“テスト勉強したいんだな”と向こうが思ってくれるのが便利である。実際、ドナが世界史が苦手であることは身内の間ではよく知られたことだ。全体の成績そのものが悲惨なわけではないのだが、それでも世界史のあたりは何度か墜落しており、友人に泣きついている現場は何度も目撃されているのである――実に悲しいことに。
だが、今回はそれを利用させてもらうことにする。
勉強にかこつけて、エディス王国と“巨人出現予定地”である隣国“チーア共和国”の関係や歴史については詳しく知っておく必要があるだろう。
――まだ、セシルを殺害する犯人が……エディス王国とチーア共和国との戦争を誘発させたがっている、という確証はない。
しかしその可能性はかなり高いのではないか、とドナは踏んでいた。実際、ラボの要であったセシルが殺害されたことで、ヒグチ教授のラボでの研究は大きく遅延し、最終的にこの国はチーア共和国の同意を得ることなくミサイルを発射。巨人を粉砕し、チーア共和国の領土と住民に甚大な被害を出して、国際社会から大きく批判を浴びることになったのである。同時に、チーア共和国とも本格的に戦争に発展し、双方に大きな被害を齎す結果になったのは間違いないことだ。実際、警察がセシルの事件への捜査を早々に打ち切ったのも、国全体が戦争状態になってしまってそれどころではなくなってしまったから、というのがあったのではなかろうか。
ミサイルで甚大な被害を受けたということもあり、そもそも開戦の時点でエディス王国に有利な状況であったのは間違いないことである。
最終的には、チーア共和国の無条件降伏で終わり、チーア共和国はエディス王国の実質植民地となったわけだが――それでも、双方の犠牲者数は計り知れず、巨人にかこつけて他国に被害を齎した挙句制服したチーア共和国の国際社会での立場は極めて厳しいものになったのは事実だ。はっきり言って、得られたものより失ったものの方が大きい戦争だったとドナは考えている。あのような戦争を意図的に始めたい者がいるとしたら、一体どんなメリットがあるというのかさっぱりわからない、というのも。
――エディス王国とチーア共和国のどちらか、あるいは両方に恨みがある人間か組織があった?だから、双方の消滅や消耗を狙った?それとも……この二国が戦争をすることでメリットのある第三国があったということ?いずれにせよそれらのヒントを得るためには、きちんと世界情勢を知っておかなくちゃいけないはずだ。
それから、結局謎のまま終わってしまった“神の巨人”の正体についても。
科学者たちが口をそろえて“オーバーテクノロジーの産物だ”と言っていたが、結局アレはなんだったのか。本当に、神とやらが作ったものであったのか、それともあれを作り出して進撃させた何者かがいたのか。あの巨人が隣国領土に出現しなければ、セシルが巨人を止める術を研究することも、二国で戦争をする結果になることもなかったはずなのである。
神の巨人、というのは本来はまだこの世界の魔法があった頃、神が天上から使いとして遣わした泥人形の名称であったと言われている。このあたりは宗教史でやったことだ。ただ、古代史や宗教史で言われていた神の巨人の姿と、実際に現代で出現した巨人では明らかに見た目も動きも異なるシロモノである。一体誰が、アレを最初に神の巨人と呼び、そういった認識を国中に広めたかについても気になるところだった。
いずれにせよ。今の自分は、それらをきちんと考察・推理するだけの情報も足りていないという状況である。勉強は好きではないが、セシルを救うためならば手段など選んでいる場合ではないだろう。
「うーん、世界史は俺もそんなに得意じゃないんだよなあ、悪いけど」
でも、とエイベルは言う。
「あいつなら詳しいんじゃねぇかな。ちょっと待ってろよ。……おーいシンディー!」
彼は名前を呼びながら、どたどたと近くの本棚の裏へ歩いて行った。これは運がいい、とドナは思う。セシルとの共通の友人達のうち、一番本の虫で成績優秀な生徒がシンディーである。てっきりテーブルのあたりにいなかったので、今日は文芸部の日か何かで図書館には来ていないのかと思っていたのだが。
「ちょ、ちょっと待ってエイベル!本が落ちちゃう!」
「持ちすぎ、持ちすぎ!何冊か返して来いって」
「全部読むの、戻したらまた取りに行かないといけないじゃないー!」
「それなら最初からちゃんとテーブルのところまで持って行けって、席開いてんだから。何でその場で立ち読みする必要があんだよ」
「だって面白いんだもの……!」
図書館ではお静かにね、と心の中でつっこみながら。現れたエイベルは、おさげ髪に丸眼鏡の少女の腕を引っ張っていた。いかにも、な本の虫。文学少女のシンディーその人である。
「あ、あら?ドナちゃん?図書室に来るなんて珍しいのね。エイベルがいるのも珍しいけど」
「確かに。でもピンチなんです、助けて下さらない?」
苦笑気味にドナが参考書とノートを掲げると、納得したように少女は“そういうことね”と頷いた。それほどまでに自分の世界史嫌いは有名かと思うと、少々複雑な気がしないでもなかったけれど。
「いいよ。……このシリーズ面白いから、全部借りようかなって思ってたし。後で家に帰ってからじっくり読んだ方がいいかなと思ってたから……」
どうやら、勉強に付き合ってくれるらしい。ありがとうね、とドナは思いつつ――彼女がその両手に余るほど抱えている本の山を見て失笑した。分厚いハードカバーの本が一冊、二冊、三冊――十二冊も一体どうやってその腕で支えているのだろうか。見た目より怪力だというオチなのか、萌えは不可能も可能にするということなのか。
「……その、ちょっと読んでからでいいですよ?」
無理強いはできない。ドナは、控えめに彼女に席を勧めた。
「一度に借りられる本の数、四冊が限界だった気がするし」
「え?」
本の虫なのに、まさか知らなかったのか。
――これは、毎日通ってここで全部読んでたパターンっぽいなあ。
それもそれで可愛らしいけれど。
愛する人の未来を変える――その目的と宿命を少しだけ忘れて、なごんでしまった自分がいた。
ああ、久しく忘れていた気がする。
あの人が死ぬまでは――こんな風に笑える日々が、自分にもあったということを。