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<27・Pray>

 エディス王国には、戦闘機はあっても旅客機はほぼないようなものである。一応存在はしているものの、費用がバカ高いことから貴族であっても滅多に利用できないというのが一つ、そもそも便の数がさほど多くないからというのが一つ。もっと言えば、チーア共和国との関係がギスギスしていることもあって、目立つ旅行用の飛行機の運用そのものが控えられたというのもあるらしい。勿論、宣戦布告もなしに民間の旅客機を撃ち落としたなんてことになったら大バッシングもいいところだが――独裁国家のチーア共和国ならやりかねない、と思っている国民が少なくないというのもまた事実なのである。

 結果、海外渡航の手段は未だに船が主流だ。三日がかりの船旅に、少々セシルは不安を抱かずにはいられなかった。船はあまり得意ではないのだ。船酔いの薬をたくさん持ってきてはいるが、揺れ次第ではそれでも気分が悪くなることがある。三半規管があまり強くないのかもしれない。せっかくの留学、仲間たちにみっともないところを見せるのは嫌だった。特に、唯一無二の親友であるエイベルには。

 女性に見せたくない恥と、男性の友人に見せたくない恥は種類が違う。両方とも恋愛対象になりうるセシルであっても、やはり同性相手にはプライドが付きまとってしまうものなのだ。


「ナザマ海峡通るんだよね、今回の船旅」


 はああ、と港でセシルは大きくため息をついた。海風は気持ち良い。海そのものは好き、なのだが。


「あそこは波が荒れるって有名なんだ……僕知ってる」

「ご愁傷様」


 ぽん、と肩を叩いてきたのはそのエイベルだった。一時はストレスで相当痩せてしまっていた彼も、今はだいぶ復活して男らしい筋肉を取り戻しつつある。いかつい見た目に反して繊細で優しい性分の彼だ。ストーカーまがいの嫌がらせは相当応えていたことだろう。――それが、セシルの婚約者の仕業だったというのだから尚更に。

 彼が元気になってきたのは、セシルとドナの仲が明確に切れて、二人が殆ど逢わなくなったからというのも大きいと知っている。かつてはエイベルもドナとは親しくしていたはずなのに、一体何がどう間違ってこうなってしまったというのだろう。

 思わず港で視線をさまよわせ、ドナの姿を探してしまう。予想通りとも言うべきか、彼女の姿は見当たらなかった。浮気などしていないし、ドナを蔑ろにしてきたつもりもない。何度そう説得しても、聞き入れてくれなかった彼女。何かが取り憑いたように人格が変わってしまった彼女の婚約破棄を、結局セシルは止めることができなかった。彼女に対して未練がないと言えば嘘になるし、本気で愛していた心を思い出すと胸が痛む。それでも、彼女をああしてしまった原因が恐らく自分にある以上、距離を取らなければよりいっそうドナを苦しめるだけだと思ったのも確かなことであった。

 何が正しくて、何が間違いであったのかはもう誰にも分からない。

 きっとドナの方も、最良の答えなどきっと持っていなかったことだろう。

 医者は、彼女がなんらかの心の病にかかってしまったのではないか、と言っていたが定かではなかった。あるいは、何か神や悪魔の類に取り憑かれてそうなってしまったのではないか、と。どちらが真相なのか、あるいはどちらも的を射てはいないのか。確実なことは一つだけ。あのパーティの日に、自分と彼女の道が別たれてしまった、その事実のみである。


――僕のことを、浮気者で裏切り者だと思ってるなら……見送りになんか、来たくないはずだよね。


 あの日。泣きそうな気持ちで、強引に押し付けられた届けにサインをした時。一瞬だけ見たドナの眼は、とても狂気に陥っているようには見えなかった。

 ひょっとしたら彼女は、激情に狂った振りをしていたのかもしれない。

 何かどうしてもやらなくてはいけないことがあって、守りたい何かがあって、その選択を選んだということもあるのかもしれなかった。

 けれど仮にその予感が本当だったのだとしても、きっとドナはどれほど問い詰めたところで真実など語ってはくれないだろう。あの状況、パーティに飛び込んできて滅茶苦茶にした上で婚約破棄を宣言するなんてやり方で――己の評判が地に落ちることをわかっていなかったとは思えないのだから。己の悪評と引き換えにしてでも貫きたい信念があったとしれば、それを揺らがすのは並大抵のことではない。そもそも、セシルに話せることならばとっくに打ち明けてくれていたはずである。

 それをしなかったなら、できなかったと考えるべきか。

 セシルは悩みに悩んだ末、彼女の選択を尊重することにしたのである。

 彼女が狂っていても、そうではなくても、それが彼女のためになるはずなのだと信じて。


「……ごめんな、セシル。ドナのこと」

「あ……」


 セシルが思わずドナを探していたことに気づいてか、エイベルが心の底から申し訳なさそうに言った。


「俺が、もっとお前らに配慮してれば……未だにお前らは恋人同士でいられたかもしれないってのに。ほんとごめん」

「謝らないでよ。君は何も悪くないだろ?」


 エイベルは未だ、セシルとドナの関係が壊れたのは自分のせいだと思っているようだ。あれほど酷い嫌がらせを繰り返されておきながら(私物を壊されまくる、脅迫状は送られる、悪評をバラ撒かれるなど極めて悪質であったと知っている)、彼は未だにドナのことを恨んでいないのだ。客観的に見て、彼の非らしい非は何もなかったにも関わらず。

 あの時はまだ、セシルもドナのことを心から愛していたつもりだった。だからこそ最初は信じられなかったし、エイベルも黙っていたのだろう。正直、自分のことをどうこう言われるのは構わないが――ドナがエイベルにした仕打ちだけは許せないと思っているのが本心である。こんな優しい男を、何故彼女は平気で傷つけられたのだろう。浮気をしていると本当に疑っているのならば、標的にするべきは自分であったはずなのに。


「僕が、もっと早くドナの異変に気づいていれば、君をこんなに苦しめずに済んだんだ。……婚約者として、間違っていることはきちんと叱るのも僕の役目だったんだから」


 ああ、もし歯車が一つ違っていたなら。自分と彼女は今でも隣にいて、エイベルとも――それから彼女が縁を切ってしまったシンディー達他の友人達とも仲良くやれる未来があったのだろうか。

 教会で、盛大な結婚式をやろうと言っていた日を思い出す。

 あの頃思い描いていた未来は恐らく多分、二度と訪れることはない。新しい夢を得た今であっても、寂しく思う気持ちを捨てるのは難しい。それは、隣にいる彼に失礼なことかもしれないとわかってはいるけれど。


「罪滅ぼしのつもりじゃないけど。……その分、これからは君の夢のために尽力するよ。そのために僕は此処にいるんだからね、気が進まない船に乗るために!」

「なんだよ、俺達の夢はお前の夢とは違うのか?」

「違わないけど、違うところもあるかな」

「なんじゃそりゃ」


 はは、と気持ちを切り替えるように、セシルは笑った。


――僕の秘密の夢は。……チームだけじゃない、君を世界に通用する、最高のフットボール選手にすることだからね。


 少し恥ずかしくなった気持ちを隠すように、セシルは思いきりエイベルの背中を叩いた。

 さあ、出航の時間は、もうすぐだ。




 ***




「本来、時間を逆行して運命を変えるというのは……もっと大きな対価を必要とするものなんですよ」


 展望台の上。ドナの隣で、遠ざかっていく船を見つめながらセツナが言った。


「僕がまだ“刹那の魔術師”になる前。……僕もまた別の魔術師と契約して、時間を逆行しました。大切な人たちが死ぬ運命と、世界が壊れる未来を回避するために。……そしてそのたった一日の悲劇を回避するためだけに、二千年以上の月日を費やす羽目になったんです」

「……途方もない時間ですね」

「ええ。……二千年以上、悲劇を見続ける。それが、運命を回避するための対価でした。そうでもしなければ、死ぬ筈の命を救うことができなかった。人の運命を変える、時間を巻き戻すとはそれほどの対価があって初めて釣り合うものなんです。僕一人の命より重たい対価で、僕は払えるものはそれだけしかなかったから」


 ドナは思わず、まじまじと目の前の金髪の少年を見る。セツナの顔は幼い。もし、彼がその“巻き戻し”を決めた当時の姿のままであったとしたら、その年齢はどう高く見積もっても十二歳以下だろう。

 その年齢で、二千年もの悲劇を繰り返し、そして運命を打ち破ったとしたら。それはどれほどの精神力であり、執念であることか。


――だから、この子は魔術師になれたのかな。世界を渡る、特別な存在に。


 自分にはできないだろう、とドナは確信していた。自分が繰り返しに使った月日は、どう長く見積もっても百年程度である。それでも、擦り切れそうになっていたほどだ。二千年なんて、想像することさえもできない長さと言えよう。それも、悲劇ばかりを見続けるなんて、悲惨どころの話ではない。


「わたくしの対価がそれより軽く済んだのは……そもそも、世界が巻き戻されるのが、わたくしの意思ではなかったからですか?」


 ドナが尋ねると、そうです、とセツナは頷いた。


「時間を巻き戻しているのがお前でもなければ僕でもないからこそ、お前が支払う対価は命よりも軽いもので済んだんです。お前の願いが“シナリオライターの意思に反するもの”であったからこそ、少々手間をかけることにはなりましたけどね」

「そうですね」

「そもそも願いって、そういうものなんですよ。それに費やした努力が釣り合った時初めて願いを叶える資格を得る、それが基本です。それをすっ飛ばしたり、捻じ曲げようとするから別の対価が要求されることになる。お前は、願いを叶えるに相応しい対価を、努力を支払った。だから願いが成就した。それだけのことでしょう」

「それ、一応褒めてくださってます?」

「ご自由に解釈してどうぞ、なのですよ」

「ふふっ」


 温かい潮風が髪の隙間をすり抜けていく。船はもう、海峡の遠く遠い向こう。きっとあちらにももう、船を見送るドナの姿など見えていないだろう。港を離れる時に、ちらりとドナの姿に気づいたかどうか、である。

 このエンディングは、ドナが船を見送るところで終わっている。見送りさえすれば条件達成だ。最後にセシルの顔を見たいと思いながらも、結局それはやめることにしたドナである。――最後まで彼の前で、“悪役令嬢”を続けられる自信がなかったからというのが最大の理由だった。


「お前が望んだ通り、これが最後の世界になります。正確には……お前はもう転生者ではなくなる。完全にこの世界のドナ・アンカーソンとなり……この世界で死んでも、次の世界に記憶を引き継ぐことはなくなります。それで、いいんですね?」

「ええ」


 まだ、胸は痛む。失われた未来を、二人の幸せな結婚を、将来を。思い出さずにいられる日は、きっとないのだろう。

 それでもドナは決めたのだ。この青空の下の“エンディング”を、笑って向かえることにしようと。


「わたくしはセシルとの婚約を解消し、多くの友との関係を壊してここに居ます。元の立場と信頼を取り戻すのには、多くの時間を必要とすることでしょう。……それでも。この世界で“惨劇”は起きていない。神の巨人は出現せず……わたくしも、他の皆も、セシルも生きている。ならば、ここから先の未来もまた……いくらでも変えていくことができるはず。そうでしょう?」


 これ以上不幸になんかなってやらない。

 誰かの望む通り、悲劇の主人公になどなるつもりはない。

 自分はドナ・アンカーソン。運命に立ち向かう女。どんな高い壁であろうと、必ず超えていってみせると決めていた。愛する人の命を救えた自分にならばきっと、越えられない試練などないはずなのだから。


「ところで、一つだけ謎が残ってしまったんですよ。セツナ、ご存知ですか?」

「なんです?」

「神の巨人って、結局なんだったんです?出現したり、しなかったり……オーバーテクノロジーって設定ですよね、確か。あれもゲームに元々存在していたものであるようですが」


 ドナが疑問を口にすると、ああ、とセツナは――それはそれは呆れたようにため息をついたのだった。


「考えても意味ないですよ。シナリオライターさん、そこまで細かく“舞台装置”の設定決めてなかったみたいなので。神の巨人が出現した世界ではぼんやりと“皇国がエディスとチーアを戦争させるために作ったもの”ってことになってたようですけど、その方法とかは何も設定がなかったようです。それが出現しないルートがある理由も含めて」

「あらら」

「そういうものなんです。この世界の全てに、必ず意味があるわけじゃない。人生だって同じことですよ」


 そう言う彼は幼い少年というよりおじいさんか何かのようで、ドナは思わず吹き出してしまった。


――確かに。存在全てに、何もかも意味があるわけじゃないのかもしれない。人間だって同じ。生まれた時から意味を持つわけじゃないのかもしれない。


 でもきっと。人が生きてその足跡を残せば、そこに意味が生まれるのだろう。

 彼にも、自分にも、セシルにも。まだまだこの世界での人生は、長く長く続いていくのだから。


「さて、私もこれからどうするか、ゆっくり考えますか!」


 誰のものでもない、広い空の下。

 ドナは海にくるりと背を向けて歩き出したのだった。

 今度こそ、一度きりの自分の人生を生き抜くために。

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