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<26・Heel>

 ドナ、悪役令嬢ルートのシナリオはこうだ。

 恋人であるセシルは、研究と他のキャラクターたちの交流に忙しい。自分と話す時間も頼みごとを聴く時間も減っていき、次第に彼が“自分に愛想を尽かしたのではないか”と不安になっていくドナ。彼の浮気を疑い始めたドナはセシルの日記を見てしまい、彼が幼い頃に出逢った時はまだ自分に恋をしていなかったこと、それからドナという婚約者がいながらも多くの男女に目移りすることがあったことを知るのである。

 此処で言う“目移りする”は恋愛感情に限ったことでもない。疑心暗鬼になっているドナには“●●はかわいい”“●●はかっこいい”“●●に憧れている”といったありきたりな台詞もみんな恋愛感情に変換されて聞こえてしまう現象が起きている。そもそも、幼い日に出逢った時の自分達の第一印象が最悪であったのを踏まえれば、その後に彼が別の“初恋”をしてしまうのも無理からぬことだろう。フィルターがかかっていれば、それさえ許せなくなってしまうものらしい。――とにかく、セシルの初恋が己ではなかったこと、そしてその後彼が好きになったのが男女問わず複数いることを知ってしまったドナは、ますます嫉妬心を滾らせていくことになるようだった。

 その中でも、最近特にセシルを気にかけ、セシルと親しくしているように見えるエイベルに次第に憎悪を滾らせていったドナは、エイベルに嫌がらせをするようになってしまう――のだそうだ。ドナとも親しくしている自覚があったエイベルはドナに嫌がらせを受けていることをセシルに伏せているが、次第に憔悴していくエイベルにセシルが気づいて問い質すことになる。

 そして、ドナがエイベルにいじめ紛いの行為をしていたことがセシルに発覚し、ひと悶着起きる。そこから二人の関係は決定的にこじれ、最終的にはドナが完全にセシルとエイベルに怒って婚約破棄へと繋がるというわけだ。


――こんな、品性の欠片もない……人の心を傷つけるだけの行為なんか、したくもないのに。


 ドナは唇を噛み締め――彼の教室から盗み出したノートにハサミを入れた。

 シナリオ通りに動かなければいけない。そのためにはドナの“日記を見た上でエイベルに嫌がらせをする”という行為を繰り返さなければならないのだった。しかも、エイベルにはそれとなく、自分が犯人であることをほのめかした上で、である。

 大柄な男だろうと、エイベルはとても紳士的な性格だ。女性に手を上げるなんて絶対にできないと思っているし、そもそも女性に嫌がらせをされて誰にも知られたくないと思っているだろう。廊下でドナとすれ違うたび、ぎこちなく笑う彼を見るのはとても心が痛んだ。本当の自分は、セシルの浮気など一切疑ってもいないし(日記はちゃんと読んだが、シナリオ上の“ドナ”が何故これを見て嫉妬に狂ったのかさっぱりわからないような当たり障りのない内容だった)、エイベルに嫉妬してもいない。いじめをするのがどれほど醜く、汚い行為であるのかも痛いほどわかっている。こんな真似を望んでやれる人間の気がしれなかった。本当はこのまま泣いて逃げ出して、エイベルに謝ってしまえたらどれほど楽になれるかと思うほどである。

 それでも、もう自分にそんな逃げ道は許されないとわかっているのだ。この世界を最後にしてくれとセツナに頼んでしまった以上は。何より、セシルを助け、エイベルや友人達の命をも助けるために――捨てられるものが自分の幸福以外に無いのだと気づいてしまった以上は。

 引き返すことは、今まで自分のために命を捨ててくれた者達への冒涜に他ならない。

 自分は死ぬわけではない。ただ、望んだ幸せが手に入らないだけ。彼等と比べればあまりにも軽い代償――それさえも躊躇って、どうして彼等に貰った恩を返すことができるだろう。


――やり抜きなさい、ドナ。


 じょきり、とはさみの音が鳴る。

 切り刻まれたノートが、ゴミ箱の中に落ちる。断片にずらずらと並んで見えるのは、大文字が大きくて小文字がやたらと小さいエイベルの独特な文字だ。癖はあるが、とても繊細で可愛らしい文字。女の子みたいね、とシンディーがからかったら、本当に少女のように顔を赤くして恥ずかしがっていたのを思い出す。もうそれが、どの世界の、いつの彼だったのかも怪しいけれど。


――例え、彼等を傷つけてでも……裏切ってでも前に進むと決めたでしょう?……まだ、泣くのは早い。泣く資格なんて、私にはないはずなのだから。


 じわり、と浮かびかけた涙を強引に袖で拭い、ドナは手を動かし続けた。ゴミ箱の中に、ノートの切れ端が降り積もっていく。

 やるべきことは、たくさんある。

 自分の本質が劣悪であると、セシルに思って貰わなければいけない。

 悪役令嬢とヒーローは、けして結ばれてはいけないのだから。




 ***




 エイベルを慰めようと、セシルは彼が大好きなラグビー部の練習に見学に行くようになる。試しに言われるがままボールを持って走ってみたところ、スポーツの思いがけない魅力に気づき、やがてのめりこんでいくというのがエイベルルートのシナリオだ。この“慰められる”理由はセシルの選択によって異なってくることになるが、今回の場合はドナに嫌がらせをされてエイベルが落ち込んでいたから、ということになる。やがて正式に、彼はラグビー部に所属することになるのだ。

 そのさらに先の未来でセシルは、魔法学の研究とラグビーの選手、どちらの夢を追いかけるべきか悩むようになる。

 セシルは体力はあまりないが、足が速くて判断力がある選手だ。数年かけて彼は司令塔として力をつけていき、チームにも必要とされるようになっていく。ラクマ大学にもラグビー部があり、一緒にそこに行こうとエイベルに誘われたことで、彼は最終的に研究ではなくラグビーとそのプロになる夢をエイベルと共に追いかけることになるのだ。

 ドナと婚約解消したこともあって枷がなくなった彼は、最後は国外に留学するべくエイベルと共に旅立ってエンディングを迎えることになる。ドナはそれを悔しがりながら見送るのだ。ドナが悪役令嬢として嫉妬に狂って恋に敗れ、エイベルは国外へ夢を追いかける。この二つが成立することで、セシルの死亡フラグは完全に叩き折られることになるであろうとされていた。


――二つの要素があって、かつ私が新しい恋を見つけないルートは……このルートだけ。


 エイベルへの嫌がらせはやりつくした。

 セシルとも存分に揉めた。

 セシルは研究ではなく、ラグビー部の活動に力を尽くすことを決めた。

 大学でセシルとエイベルが所属するラグビー部が全国優勝を果たし、今日はその祝勝パーティ。ここが、最後の仕上げの場所となる。

 招待状は一応来たというのに、それを返事も出さずに破り捨てた“ことになっている”ドナが、このお祝いムードをブチ壊しにかかるのだ。そのイベントを、ドナ自らが己の悪評を覚悟の上で起こさなければいけない。セシルと生きる幸福な未来を、自らの足で踏みにじって捨てるために。


――ありがとう、セシル。これからも私は……きっと貴方を愛し続ける。


 ドナは書類の入ったファイルを手に、思いきり開場の扉をぶち明けた。

 周囲の眼が突然の乱入者に注目する。音楽が止まり、全員が見守る中――ドナの“悪役令嬢”としての最後の舞台が始まるのだ。


――でも、貴方はどうか。……私のことを忘れて、エイベルと一緒に夢を叶えて、幸せになってくださいね。


「随分と楽しそうですね。このわたくしのことを、こんなにもほったらかしにしておきながら!」


 ドナはつかつかと、会場の中心に立っていたセシルの方へと歩み寄った。


「浮気相手とのお祝いパーティに、婚約者たるわたくしを招くだなんて、どういう神経していらっしゃるのか理解に苦しみます。ああなんて汚らしい!」

「ど、ドナ……!違う、僕はただ、みんなと優勝をお祝いしたくて。だから」

「わたくしはちっともめでたくないし、楽しくもありません。テレビで放送されていた時、どれほど画面の前でラクマ大ラグビー部が負けるようにお祈りしたか。わたくしとの愛ではなく、浮気相手どもとのくだらない夢を選んだ貴方を何故応援なんかできるとでも?気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」


 ひどい、とギャラリーの誰かが呟いた声がした。ちくりとその声がドナの胸を刺す。彼等の大半は何も言わず、闖入者の吐く呪詛を聴くがままになっていた。それでも、無言の圧力を感じるのには十分なのだ。

 皆が、怒りの眼でドナを見ている。

 祝勝会のムードを台無しにし、その立役者であるセシルを傷つけるような言葉を投げつける“悪役令嬢”に怒りを感じている。


――それでいい。


 まだ、足らない。ここからが、本番。


――誰の目から見ても、私はヒールにならなければいけない。


「あなたも法律の勉強をされているのですから……ご存知ですよね?エディス国婚約規定法第三条……婚約破棄に関する条項を」


 何を言われているのかさっぱりわからない。困惑した様子の青年を前に、ドナはきっぱりと告げた。

 もっと背筋を伸ばさなければ。もっと口角を上げ、髪をわざとらしく掻き上げ、横柄な口ぶりを心がけなければ。泣きたい気持ちを無理やり抑え込み、ドナは目の前の愛しい人に、セシルに向けて指を突き付ける。


「わたくしは全て見通しています。わたくしという婚約者がいながら、他にうつつをぬかし、わたくしを裏切ろうとしているということも!……そのような愚かな人間、このわたくし……ドナ・アンカーソンの婚約者に相応しくありません」

「何を言ってるんだ、ドナ……!?裏切りって……」

「貴方の声なんかもう聴きたくもない!少し黙っていて頂けますか?」


 嘘だ。本当は、ずっと傍で聞いていたい。

 だって自分は全部覚えている。髪を撫でて優しく耳元で囁いてくれた声も、猟場でオオカミに襲われた時命がけで助けてくれたことも、学校での催し物をクラスメートたちと一緒に考えて、劇が大成功に終わった時に手を取り合って喜びあったことも。

 全部全部、覚えている。彼は自分のことを誰より大事にしてくれていた。そして自分は、そんな彼のことを誰より愛していた。

 裏切りなんて、そんなことは何一つない。裏切ろうとしているのは、本当は自分の方だと分かっている。

 それでもだ、自分は。


「貴方の浮気の証拠は十分に抑えてあります。……それを全て提出すれば、法律に則って婚約破棄が十分可能……!ですが、それをすれば貴方の家にも傷がつくことでしょう。わたくしも、憎たらしいのは貴方個人だけで、貴方の家名まで傷をつけたいわけではありません。今ここで罪を認め、婚約破棄を穏便に受け入れるなら……それらの証拠は全て表沙汰にしないと誓いましょう」


 本当は、泣きたい。こんなこと言いたくもない。きっとセシルも本気で意味がわからなくてパニック寸前であることだろう。罪なんてない。浮気なんてしていない。それなのにそんな風に言われて、なかば脅迫するように“婚約破棄しろ”と脅されているわけだ。それも、つい少し前まで仲睦まじくしていたはずの婚約者に。

 逆の立場なら、耐えられない。悲しくてこの場で崩れ落ちてしまうかもしれない。そういう酷いことをしている自覚は、ドナにもあった。

 それでもやり抜かなければいけないのは――誓ったからだ。


「さあ、返答はいかに?」


 布石は打った。

 準備はしてきた。

 これで仕上げとなるはずだ。


――お願い、イエスと言って。そうでなければ……ハッピーエンドは訪れないの。


 ドナはこれで終わりと言わんばかりに、手に持っていた封筒をセシルに叩きつけた。


「それに全ての証拠が入っています。どうぞ、ご覧になってくださいな」


 さようなら、大好きな人。

 貴方を救うことができるなら、自分は悪役令嬢でいい。

 主人公に、その恋人に、その友人に、家族に忌み嫌われる――悪役令嬢で、構わない。

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